第22話 限られた空間と時間の中で

 セシル=ハーヴ:よし、着いた。おあつらえ向きにボスも沸いたようだな

 アール=リコ:あれが……ここのボス……

 ラズベリー=パイ:そうよ。巨大な蟹……鬼宿プレセペ


 僕がリリィを潜ませている区画にたどり着いた発言が続く。

 すぐそこにモモちゃんのこの世界における分身とも言えるキャラクターがいるというのにまだ合図が無いせいで僕はまだリリィを待機させたままだ。

 つまりセシルさんはアールちゃんに鬼宿が落とす件のアイテムを取らせたい……?

 それ僕が今ここにいる意味は……?

 でも僕のそんな疑問を全く悟る事がない様子でセシルさんが『じゃ、行くよ』と鬼宿プレセペに向って遠隔攻撃を仕掛けてそのまま接敵した。


 セシル=ハーヴ:アールちゃん、攻撃を

 アール=リコ:はいっ


 パパッ、とアールちゃんが得意とする氷系の魔法がまばゆい光を放つエフェクトの残滓が僕の画面でも確認できた。


 セシル=ハーヴ:よし……いいぞ! 出てきな


 合図だ。

 でもこんな所でのこのこと出て行ってどうしろと……?

 そうは思ったけどでもセシルさんの作戦に乗ったのは僕だ。

 隊長の命令だし……と僕はリリィを鬼宿が直接視認できる位置まで進める。


 アール=リコ:えっ?

 リリィ=リィ:やあ……。


 リリィを見たとたん、アールちゃんは攻撃を止めて一目散に部屋の出口へと向かう……けど。

 部屋に入って来た時には確かに開いていたただ一つの入り口はボスと交戦し始めた事で固く閉じられてしまっていた。

 次にアールちゃんは膝をついて祈るようなモーションを取る。

 戦闘中にログアウトしようとすると、そのまま何事もなく30秒を待たねばならない。

 もしログアウト処理中の30秒間でモンスターの攻撃を喰らったりその場を離れるべく動いたらログアウトは失敗してまた最初からカウントが始まってしまう。


 セシル=ハーヴ:ごめんね。ここはインスタンス・ダンジョンと同じでボスを倒すまで出る事は出来ないし……それに


 ログアウト処理中のアールちゃんの目の前に鬼宿プレセペを持って行くセシルさん。

 それじゃあアールちゃんが攻撃の的に……。

 案の定視認できる範囲が示された中にアールちゃんが巻き込まれている。

 ザバァン、という効果音がしてアールちゃんの体力が半分ほど一気に削られる。

 でも次の瞬間青緑色の淡い光に包まれたその体はすぐに体力が全快する。

 ラズさんの回復魔法が飛んできたのだ。

 一方、同じく強力な範囲攻撃に巻き込まれたセシルさんの体力は一ミリも減っていない。


 セシル=ハーヴ:こいつは10秒に1回範囲攻撃をしてくる。ログアウトは無理だよ。だからほら、話し合え。悪いけど二人ともログアウトはさせないからそのつもりで


 なるほどこれが作戦か……。

 こうやって強制的に話し合いをする場を作ると。

 もしこの事を僕やアールちゃんが運営に通報したら確実に『ハラスメント行為』で確かに数日間はログインできなくなる処置をセシルさんは喰らってしまうだろう……。

 でもそこまで覚悟してこういう場を作ろうとしてくれた事は……単純に嬉しいと思ってしまった。


 リリィ=リィ:あー……チャットじゃ言いづらいし通話、しようか

 アール=リコ:……うん…………


 不満そうな答えではあったけど、僕はゲーム画面をいったん最小化して通話アプリを立ち上げる。

 恐る恐るアプリのリスト登録されているモモちゃんの連絡先をクリックして、相手が出る前に再びゲーム画面を表示させる。


 ラズベリー=パイ:わたしのスキルじゃ持っても20分だからね! それまでに結論出して!


 難しい事を仰る……でもまぁ、ありがとう。

 数回コール音がしてからもはやなつかしさすら感じる声が聞こえて来た。

『もしもし……?』

「あ、うん……」

 話すと言われても何を話せば……と僕は今までの堂々巡りを繰り返そうとしたけど。

『あの……あたしは、セイちゃんに選ばれなかった……んだよね……?』

 今にも消え入りそうな声、とはこういう声の事を言うんだろうなぁ……って思わせるくらい、いつも通り明るくて他人を……主に僕を巻き込んで楽しんでいる感じが微塵も感じられない声色でモモちゃんは言った。

 そしてそれはきっと僕のせいで、ものすごく追い詰めてしまったんだなと改めて思ってしまう。

 いや、そんな単純な事ではないか……。

 結局僕が僕と向き合いきれなかった事のとばっちりでモモちゃんは苦しんでいるわけで。

 じゃあ僕はこの、つい今しがた聞こえてきたか細い質問に対してどう答えるべきなんだろう?

「違うよ」

 一言、否定をしてみる。

 何が正解かわからない問いに答えるというのは正直怖い。

 怖くて怖くて今すぐ通話を切ってベッドに飛び込んで世の中の一切合切から切り離されたい。

 でもそれを実行してしまったら、確実に僕はモモちゃんやその他、今僕を取り巻いているほとんどの人が離れて行ってしまうという事くらいはわかる。

『嘘……だって……』

「あれは……そういうことじゃない……」

『じゃあどういうことなの!! わからない、わからないよぉ……』

 金切声で始まったモモちゃんの叫びは、だんだんと弱々しい方向へと落ちていく。

 僕はあの日の事を話すべきなのかなぁ。

 話すとしたらどこから話せばいいの?

 話したところでモモちゃんはそれを受け入れてくれるのかなぁ?

 やっぱり怖いな……。

 でも、言わないと。

 桜とよく似たフブキちゃんに対してモモちゃんは『勝ち目がない』と言っていたっけ……あ、そうか。

 頭の中にピンと一筋の線が張られたような感覚を覚えた。

「ちゃんと話すから……落ち着いて聞いてね。今フブキちゃんはモモちゃんの家にいないよね」

『うん……』

「そのことについて香織さんから何か聞いてる?」

『検査入院、だって』

 そっか、香織さんはモモちゃんに真実を伝えていないんだ。

「うん。でもフブキちゃんはそれを嫌がって……違う、怖がってかな。決断ができずにいたんだ」

『それはママから聞いた……あたしが修学旅行中にセイちゃん家でご飯食べてたことも』

 ちくりと針で胸を刺されたような感覚を覚えるけどそれが何なのか今は考えている時じゃあないよねえ。

「うん。で、話してて分かったんだ……フブキちゃんは以前の僕と同じだって。逃げてるんだってさ」

 今の僕が全く逃げてないかって言われたら何とも言えないけど、そういうツッコミを入れられるような雰囲気ではなかった事が幸いしてかモモちゃんはそこを責めてはこなかった。

『それは……桜さん、から?』

「それもあったし……もっと言うと病気からも……桜の命を奪った、一ノ瀬の家に生まれた女性が発症する病気から……なまじ桜の事を見ていたから余計に怖かったみたいで……」

 いったん言葉を区切って次に伝える事を少し整理する。

 ん~……結局言わないといけないんだよなぁ……。

「だけど僕は他人を説得するとか説教するとかそんなのうまく出来ないよ。だから桜の力を借りたんだ」

『それって……あれを聞かせたの?』

 カンの良いモモちゃんは僕が何をしたか気づいたらしい。

 そして、今更ながらヘッドセット越しに聞こえてくる彼女の声がだんだんといつもの調子に近くなってきていることに気づいてほっと胸をなでおろす。

「うん。そしたら、ひとしきり泣いた後に言われたよ……『桜の代わりになれないか』って」

『そう……』

「ほんとかどうか分からないけどその言葉はフブキちゃんの演技だったんだよ……本人がすぐに否定したから。でも、体が何ともなければ一度も会った事のない人と結婚させられる、だから思い出が欲しいって言われて……そのまま……」

 決定的な表現を避けたくてあれこれと言葉を彷徨わせているうちに。

『キス……されたの? それとも……し、した……の?』

 モモちゃんが最も直接的な表現を使って質問をしてきた。

「された」

 正直に答えると『そっかぁ』とため息を吐くような納得した安堵のささやきが聞こえてきた。

『そうだったんだ……』

 モモちゃんの声色から、ようやく事態の説明を終えた僕はこれ以上話す事はないし後はモモちゃんの判定待ち……と思ったんだけど。

『や、やっぱりその……嬉しかった……のかなぁ? 桜さんと似てるんでしょう? 風舞季ちゃんは……だからセイちゃんはあたしがしたときよりも……』

 うえ。

 いやそれは……。

 答えるべき……だよねえ……。

「それは……とっさの事だったからびっくりして……それから………………」

 そのままの事を言おうかどうか迷う。

 いいのかな、言っても。

 それを言う事がどういう風に受け取られるかは分からないけど、言わないとこの件は終わらないんじゃないか、とそう思った僕は言葉を続けた。

「…………何故だかわからないけどモモちゃんの顔が浮かんできて……」

 ここで桜やフブキちゃんの顔が浮かんでくるかと思ったけどそんなことは全くなくて。

「……それだけ。感慨とか感動とかそういうの全くなくて……」

『そっかぁ……』

 つまり。

 僕は桜の事は好きだけど同じ顔をしたフブキちゃんに対して、桜に向けるのと同じような感情を向けてはいないという事。

 こうやって言葉にしてみてはっきりと自覚できた。

 桜やフブキちゃんの見た目が可愛くない訳じゃないけど、僕が桜を好きでいるのは多分それだけじゃあないんだ。

 きっと仕草や表情や考え方、話し方や笑うときに拳を軽く口元に当てる癖や僕への接し方という外見以外の部分に僕は桜の良さ、好きになる要素を見出していたのかもしれない。

「だから……本当にフブキちゃんとは何でも、ないんだ……」

『うん……うん……』

 それに、あの後病室ではっきりと振られたしね。

「ごめん。心配させた」

『それはちょっと違うよ……セイちゃん』

「え?」

『心配なんてしてない。あたしは……もうだめだって思ったから……離れなきゃって、いつまでも引きずるような惨めな女にはなりたくなかったから……』

 ちょっとそれ10年引きずってる僕を軽くディスってない?

 あ、いやでもそれはモモちゃんも同じか。

 その10年で僕は変わる事を拒んで。

 モモちゃんは自分を変える……と言ってもこれからぐんぐん成長していく子供だったけど、今の自分より明日の自分が確実に良くなるようにこの10年を過ごしていて。

だからモモちゃんはきっとこう言いたいんだと僕は勝手に解釈をした。

―――最近改めて惚れ直したセイちゃんに嫌な女の子だと思われたくない。

……自分で言ってて恥ずかしいなこれ。


 セシル=ハーヴ:おーい、まだかかりそうかー?


 その時、セシルさんがチャットをするのが見えた。

 ゲーム画面を見るとセシルさんのHPは半分ほどになっていて、ラズさんのMPは10分の1程まで消費されていた。

 範囲攻撃ではびくともしないセシルさんのHPも単体大攻撃のダメージではかなりごっそり持っていかれてしまうみたいだ。

 ちなみに鬼宿プレセペのHPは半分ほど残っているから僕たちが参戦すれば勝てるんじゃないかな。


『いっぱい、話ししちゃったね。そろそろ行こうかぁ、セイちゃん』

「そうだね。装備取らないとね」

『うん』

 そして僕はこうチャットを返す。


 リリィ=リィ:終わったよ。僕もパーティに誘ってー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る