第19話 聞きたい事

「精神的なストレスによって引き起こされた一時的な発作……みたいなものだったそうよ」

 いつもの白衣と違う、水色の手術服に身を包んだ香織さんは安堵した表情で僕とシゲノブさんにそう伝えた。

「自分が発病した事に対してか、それとももっと別の事か、いくつかのストレスが複合して起きたのかは分からないけど……病状は一気に悪化したと言ってもいいわ。たぶん来週中には根本的な治療……手術をしないとならないかも。あ、フブキちゃんは別の出口から病室に運ばれたからね。216号室よ」

 病室番号が5階のものでない事に内心ほっとした。

 この病院の5階、胃腸科は……末期がんの患者が運ばれる場所だから。

 救急の設備はあまり整っているわけではないので、ただ応急処置を施すだけだとしても空いている処置可能な部屋が手術室しか無くてやむなく手術室で対応したのだと教えてくれた。

 どうりで、手術室から出てくるスタッフが香織さんと今しがた軽い会釈をして去って行った医者と思われる青年一人しかいないわけだ。

 ドラマとかだと手術はもっとたくさんの人が共同で行う作業みたいに描かれているから本当の手術って医師一人看護師一人なのかなぁ? ってちょっと思っちゃった。

 一通りフブキちゃんの容態について軽く説明を終えた香織さんはシゲノブさんの方へ向き直った。

「一ノ瀬さん、色々相談したい事がありますので遅い時間にすみませんが医務局の方までご足労願えますか?」

「可愛い孫娘のためだ。それくらい何ともない」

「では、着替えたらお迎えにあがります」

「うむ」

 深々と頭を下げて、僕の方に『じゃあね』と手を振って去っていく香織さんを目で見送っていると、シゲノブさんが口を開いた。

「なんだ、お主綿貫と知り合いだったか」

「おじさん……綿貫貴文さんの義理の娘さんと偶然知り合いになりまして……」

「ほう。縁とは異なものだな」

「本当、そう思います」

 ふむ、と唸った老人は僕の背中を軽く叩いて言った。

「暇ならフブキの顔でも覗いてやってくれ」

「はい、そのつもりです」

 と、見守る役を仰せつかる。

「じゃあ、儂は行く」

「え、でも香織さんが……」

「なあに。ここは勝手知ったるというやつだ。医務局がどこにあるかもちゃんと知っておるよ」

 そう言い残してシゲノブさんは香織さんが去って行った方向へと歩いて行ってしまった。

 行動力のあるご老人だな。

 まぁそんなだから一族を率いていられるのかな。

 さて……516号室だっけ。

 心配でつい付き添いをしてしまったけど、僕は再びフブキちゃんと顔を合わせた時なんて言えばいいんだろう。

 どういう顔をして、どういう話をしたらいいんだろう。

 桜が入院してる時は自然にできてたはずなのに10年もお見舞いなんて事をしないでいたらこうも分からなくなるものなんだろうか。

 という事を考えながらおぼろげな記憶をたどってエレベーターのある一角へと歩き出す。

 記憶通り2基のエレベーターが並んでいるホールまでたどり着いた僕は流れ作業で病室へ向かうため『上』のボタンを押す。

 病院の地下方面はあまり行きたくない。

 レントゲン室だとかのある地下は廊下ですら薄暗い照明だし、そういう病院らしい設備を抜けた所にある、最新の科学技術で開発された設備があるはずの病院内に設けられているのが不思議なほどレトロ感があってあまり近づきたくない名前の場所……でも無くてはならない場所……があるからだ。

 当然10年前にたった一度だけそこの中に入った事はあるけど……願わくは二度と入りたいとは思わない。

 あんな思いをするのはもうたくさんだから。

 思い出はひとまず置いておくとして、エレベーターに乗り込んだ僕は目的の2階で降り216号室を探す。

 面会時間はとっくに終わってるから本来であれば部外者の僕がいていい場所ではないのだけど……。

「あ、一ノ瀬さんの関係者の方ですよね」

「は、はい。小和田と言います」

 照明が控えられている薄暗い廊下の中、煌々と輝くようなナースステーションに差し掛かった時。

 不意に看護師さんの一人からそんな声を掛けられる。

「綿貫から聞いてます。個室ですけどあんまり大きな声は出さないようにお願いしますね」

「あ、はい」

 話は終わり、とばかりににこやかなほほ笑みを見せる看護師さんに『ども』、と会釈をして明るいナースステーションを通り過ぎる。

 香織さんが手を回してくれたのかな。

 それとも……。

 あ、ここか。

 10年の間に改装したのかそれとも個室だからなのかは分からないけど記憶にある病室の扉よりも随分重そうな横引きの扉を開けて中へ。

 だだっ広い……は多分僕の感想で他の病室と同じ広さでもベッドが一つしかない分広く見える一人用の病室に入ると、ギロリとこちらを睨む双眸を僕の目も捕えた。

「……何しにきたのよ」

「……何しにきたんだろうね」

 何を言って良いのかはまだ頭の中で整理がついていない。

「追いかけては……いないんでしょうねその様子だと」

 ふっと睨みつける視線を緩めて諦め顔をするフブキちゃん。

「うん……でも後でモモちゃんとはちゃんと話をするよ。曖昧にはしておけないから」

「そうね。本当はすぐにでも行きなさいって言いたい所だけどこんな時間だし」

「で、大丈夫……なんだよね」

「今の所は、ね」

 ふぅ、とため息を一つ吐いたフブキちゃんは『まぁ、座って?』とベッドの脇にある椅子を指さす。

「……聞きたい事が、あるんだ」

 促されるまま椅子に座ると、僕は今それを聞くの? と言われかねない事を聞こうと口を開いた。

「どうぞ?」

「えっと……僕ちょっと前にある人から『女は好意を持ってない人とはご飯食べるのもイヤ』って言われたんだけどさ」

「それは桃ちゃん?」

 すかさず突っ込むフブキちゃんに首を振ってそれを否定する。

「ううん? 違うけど」

 僕の答えにフブキちゃんは一瞬眉を顰めるけど、すぐに緩めて元の表情へと戻す。

「そう……で?」

「だからさ。ここ数日のフブキちゃんの行動……特に今日の『アレ』はそういう事なのかなぁ……って」

 思いだすとまた血の気が引く出来事になってはしまったけど。

 じゃああの場にモモちゃんが居合わせなかったらそれでいいのか? とも思うし。

 好意を持って接してくれているという点で悪い気がしないのは……それはそうなんだけど。

 血の気が引く、と表現したように『アレ』については特にだけど、ここ数日の逢瀬が楽しくなかったかと問われたら嘘だけど、後ろめたかったかと聞かれたら答えはイエスなんだ。

「ふむ」

 腕組みをして目を閉じるフブキちゃんはしばらくそのままの恰好で微動だにしなかったけど、やがてパチッと目を開けた。

「正確に言うね。そう、その通り『だった』。でも今は違う、かな」

「ん……? つまり……」

 その言葉の真意を掴めなくて聞き返してしまう。

「だからね。『あの瞬間』までは貴方の予想通り。でも今はその後の対応見て冷めちゃった。まぁご飯くらいなら良いけども」

「ふぅん、そっか……」

 喜ぶべきなのか悲しむべきなのかは分からない。

 僕にも分かったことは、桜と同じ容姿をした女の子に『振られた』という事。

 彼女の望み通り『思い出』にされてしまったという事。

 それが特段僕自身に何の衝撃も与えない事は、やっぱり僕は『桜の見た目が好きだった』訳では無かったんだなという事実。

 学生にありがちな『見た目が好みのタイプだから』好きになった訳じゃ無かったんだ。

 あ、そうだ。

 もう一つ言わないといけない事があった。

 でも僕がそれを言葉にしようと思案している間にフブキちゃんが僕に問いかける。

「安心した? がっかりした?」

「分からない。後でじっくり考える事にするよ。あ、そうそう考えると言えば」

 そこで言葉を切って背もたれに体重を思い切り預けてから僕はまとまった頭の中をそのままフブキちゃんにぶちまけた。

「シゲノブさんと話をしたんだ。で、思った。フブキちゃんが嫌だと思う事は嫌だとはっきり言ってみたら良いんじゃないかな? あの人話の分からない頑固者じゃないと思うよ。それこそ……桜の言葉を借りるなら『一歩踏み出して欲しい』だよ」

 僕がそんな事を言うとは思ってもいなかったのか、フブキちゃんは目を丸くする。

「え……うん……そうだね」

「そうだよ」

 そして、続けて僕はさっきシゲノブさんにも言った台詞を繰り返す。


――人は、変わるんだよ。それを『前に進む』とか『生きている』と表現するんじゃない?

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