第18話 透ける本心
医療ドラマなんかでよく表示される『手術中』の赤い背景に白抜きの文字が光るアレって、本当にあるんだなぁなんて僕は不謹慎かもしれないけど考えてしまう。
救急車で病院に運ばれたフブキちゃんはそのまま手術室へと運ばれて行って、かれこれ1時間が過ぎようとしていた。
手術室前の長椅子には僕の他に、老人男性が一人座っている。
両肘を自分の腿に乗せて両手で頬杖をつくその人はフブキちゃんの関係者だろうか。
「若いの。お主名前を何と言う?」
唐突に、視線を合わせずに声を発する。
多分というか、ここには今僕達しかいない。
「え、あ、はい。小和田誠一ですけど……」
「ふむ。なるほどな」
頭を少し俯かせて思案する様子の老人。
「ええっと……失礼ですが貴方は……」
自分に名乗らせておいてそういえばこのお爺さんの名前を聞いてないなぁと思った僕は恐る恐る素直に訊ねてみる。
「……一ノ瀬。一ノ瀬繁信だ。繁栄する事を信じると書いてシゲノブだよ」
フブキちゃんがするように、自らの名前を形成する文字をまるで韻を踏むように自己紹介に混ぜる老人。
まさかこの人が『当主』……?
「一ノ瀬って……」
「お察しの通り。一ノ瀬の現当主だよ」
すごく年配の人だろうと思っていた予想は当たっていたけど、見た目や口調は全然違っていた。
もっと怖くて威厳を振りまくような感じだと思ってたよ。
「そうですか……」
頭も眉も顎鬚も真っ白なその一ノ瀬の当主は『うむ』と頷く。
「お主の事は聞いておるよ。桜からな」
「桜、から……?」
僕の聞き返しに『おうとも』とさらに返してくる当主は視線だけをこちらに初めて向ける。
つまり10年前から僕の存在を知っていた、と言う事か。
でも、僕は桜のお葬式の時にこの人を見かけた事が無い……と思う。
今でも断片的にしか思いだせないので僕の記憶が確かかと言われればそれは全く自信が無いのだけど。
「馬鹿正直で、臆病で、優しい隣人だとな。まぁそういうお主だからこそ孫娘が気に入ったのかもしれないがな」
「ぶしつけな質問をしても……?」
「かまわんよ」
ふと、気になったんだ。
僕が抱いた第一印象はちょっと口調の堅い『好々爺』。
そんな人が他人――ハッキリ言えばフブキちゃん――が心底嫌がる事をするだろうか?
それとも可愛い孫娘と思っているのは桜だけで、フブキちゃんの事はそういう枠に入れていないんだろうか。
人が誰に対しても全く同じ顔を見せるとは限らない……とはかなり昔のゲームで学んだ雑学だけど、アレは別にあのゲームの主人公達特有のものでは無くてとてもリアルな人間の性格を大げさに表現していただけではないのだろうか。
「ご当主が桜を可愛がっているというのは何となく分かりました。ではフブキちゃんは?」
『ふむ』と白髭を弄りながら一ノ瀬家当主は短く答えた。
「同じだよ」
続けて、『儂の事は繁信で良い』とぶっきらぼうに言い放った。
さすがに人生の大先輩、敬うべき人を呼び捨てにするのは気が引けるので僕はシゲノブさんと呼ぶことにした。
「ジジイにとって孫娘とはそりゃあ可愛いものだ。まぁこれは実際に自分がジジイになってみないと分からないかもしれないがな。だから桜と風舞季を分け隔てて考えた事などありはしない。どちらも儂の可愛い孫娘だよ」
なおさら分からなくなってしまった。
こうなったら僕ににあわない回りくどい質問を止めてストレートに攻めるべきかな。
「でも、フブキちゃんは最近言いつけられた事を割と嫌がっているみたいです……」
「そうだろうな」
僕が本当にぶつけたかった質問を、でも初対面の相手に対して失礼すぎないように一部分をオブラートに包んでそのまま口にするとその答えは逡巡する間もなく返って来た。
「それは分かっているのだ。だが……」
ふぅ、と一度ため息を吐いてシゲノブさんは続けた。
「あやつと来たら全く男を紹介してこないのだ。浮いた噂の一つも聞こえてこない。儂がそれに気づいたのは1年ほど前の事……そこでようやく気付いたんだあの子の『異変』に」
この異変とは一ノ瀬家の女子特有の、体の事ではないだろう。
つい一日と数時間前にフブキちゃん自らが告白していた事だ。
『桜に縛られて生きていた』、と。
「可愛がるばかりで、儂はいったい何を見ていたんだろうな……不憫な思いをしないようにとあれこれ教え、必要な物は買い与え……それが女として最小限で、ずっと自己を律して生きていたなど……親代わりを名乗り出た身、2人も子供を育てた身……いやこれは違うな。ほとんど全て儂の妻がしてたか……としては恥ずかしい限りだよ」
親代わり……?
「ふむ。事情を知らぬようだから話すが。風舞季の両親……儂の息子、麗子の弟はな。海外へ嫁と出張に出かけ……帰らぬ人となった。今から13年ほど前の話だ。風舞季が死を恐れるがその一方で人的処置による延命をことさら嫌うのはそのせいもあるかもしれんなぁ」
そうだったんだ。
身近な人の、決して天寿を全うしたとは言えないような最期を見て。
たった一人、それも何の血のつながりもない冷たく表現するなら『他人』の死一つで10年も自分を閉ざしていた僕なんかよりもっとずっと重たくて、暗くて、そしてやり場のない悲しみを持ち続けたフブキちゃんは僕がそうしてきた以上に他者に関心を寄せない、関心を持つ人を寄せ付けないように生きて来た事は想像に難くなくて。
自然と、頬に冷たいものが流れた。
「ほう。泣いてくれるか。あの子のために」
「……僕もそうだったので。辛い生き方だって言うのはわかります」
「まったく、こう言いたくはないが『最近の若者』というヤツかな。短絡的で極端に物事を考え性急に答えを求めて自分を縛るのはあまり良いとは言えないぞ」
「今では、理解している……つもりです」
「そうか。あの子にもそれが出来るだろうか……出来るのならあの子の望まぬ結婚なぞ本当はさせたくないのだ……」
でも、大きくて歴史のある家柄を絶えさせるわけにもいかない……苦渋の選択ではあったんだ、この現当主としても。
「お主が、風舞季の支えになってやってくれればのう」
しみじみと、そんな事を言うシゲノブさん。
「……ごめんなさい。それはできません……少なくとも、一生は」
「そうか。他に恋人でもおるのかね」
この問いに僕は正直に答えていい物かどうか少し迷ってしまう。
でも。
フブキちゃんがそれこそ命がけで気づかせてくれた僕の中に眠る気持ちの片鱗に触れてしまった以上、そして僕を信用して色々身内の話をしてくれた人に対して無礼は出来ない。
「……恋人は、いません。でも……」
はっきりとは言わない。
でも、嘘にはならないギリギリの表現を僕は選ぶ。
「気になる人は、います」
モモちゃんに感じている僕の気持ちは本当にはっきりとわからないんだ。
女の子、異性、そういう単語を聞いて連想される姿は、かつては……桜だった。
最近は……違う。
モモちゃんならどう思うか、どう言うか、どう反応するか。
そういう事が気になる事だけは否定しようがなかった。
「いい目だ。もしお主が風舞季の支えになると言いだして、それが桜の代わりを求めているのだと儂が判断したら……」
立ち上がってシュッと素手で構えて素振りのように腕を振るシゲノブさん。
「この場で手打ちにしていたかもしれんな。何せ剣道5段の有資格者だ儂は」
そう言ってハッハッハと夜の病院では少しばかり憚れる音量で笑い声をあげる。
でも、今の会話で分かった事がいくつかある。
それは孫娘を心底愛しているという事と、良かれと思って色々な事をフブキちゃんに要求していた事と、それともう一つ。
「……桜の手紙を10年越しに投函したのは、貴方ですね」
ニヤリ、と正面から僕に向き合う姿勢になったしわしわの顔は満面の笑みを見せる。
「よくわかったな。桜から聞いている限りそういう想像力には欠ける男だと思っていたが」
……桜はいったい僕の事をどう話をしていたんだろう……。
でもまぁ、それは些細な事だ。
「人は、変わるんですよ。それを『前に進む』とか『生きている』と表現するのでは?」
桜が最期に残してくれた言葉と同じ意味の発言を、ニッと歯を見せて笑い返しながら僕は口にした。
それと同時に。
手術中、と書かれた文字盤のランプがふっと掻き消えた。
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