第17話 我を通す2人
どのくらいの時間が経過したのか。
長いのか短いのか分からない過去の再生を脳が止める。
降り続いている雨は一向に止む気配がないばかりか若干雨足が強まったようにも聞こえる。
いや、それは今目の前で起こった事実や僕の脳が忘れるなと言わんばかりに再生したここ数日の出来事のハイライトを終えて耳が音を正常に拾うように戻ったのかもしれない。
どちらにしても僕はフブキちゃんにキスをされて、それを見たモモちゃんは飛び出して行って、フブキちゃんは僕を平手打ちした事は変えようがない事実だ。
「最低、か」
先ほどフブキちゃんに言われた言葉を復唱する。
こういう時は思った事をハッキリ言った方がいいんだろうか?
それとも沈黙が何よりの抵抗になるんだろうか?
いかなる時でも沈黙は肯定と受け取る、という事はありえるんだろうか?
もしこの場にモモちゃんが訪れなかったら。
もし僕かフブキちゃんが玄関の鍵を開ける音に気付いていたら。
『もし』はたくさん頭の中で浮かんで、そしてその度に『今更仕方がない事だ』と自らそれらを全て意識の海へと沈み込める。
今はそんな事を考えても仕方がない。
考えるべきは、今目の前で僕をずっとにらみ続けているフブキちゃんをどうするか、だ。
「そうよ。貴方最低だわ」
繰り返し僕を最低だと言うフブキちゃんの口調は、心なしかさっきよりも厳しいものではなくなっていた。
「どうせね。まともに生きてないし受け答えもよくできないしね」
自虐的な発言は時として相手をイライラさせる。
多分今はそういう時だと『わかってやった』んだ。
なぜなら。
「でもそもそも事の発端は誰かさんがうかつな事したからだよね?」
続けてさらに相手を責めるための下地づくりだ。
昂った気持ちが静まり始めた相手に対していきなりキツい事を言う方がショックは大きいのかもしれないけど。
それよりも気構えを持ってくれた方がその後の話がしやすい……少なくとも僕は。
先に自問した『事実を言うか、沈黙か』について僕は事実を言う事を選んだ。
他の選択肢は、無い。
もしかしたら敬太やセシルさんならもっと大人の対応……それこそモモちゃんを追うなんて選択をしたのかもしれないけど。
僕は僕であって他の誰でもない。
こういう時の対処法を仮に誰かから聞いていたとしても、それは『参考情報』であって『確定情報』ではない。
他の人はそうするんだと聞きはするけど僕の行動には一切反映されない。
きっと僕は本質的に我儘な王様気質なのかもしれない。
「それを言うならさぁ……」
再び僕の安い挑発に乗ったフブキちゃんは涙声で反撃ののろしを上げる。
「わかってたよね? 私がなぜここに来るのか最初からわかってたよね?」
来るのが嫌だったなら拒否したら良かったじゃないかと、そう言いたいのだと思う。
でも僕は前にも言ったけど、説得について気が重いと感じていただけで訪問自体は嫌だと思っていない。
むしろ桜と同じ容姿を持って生まれたこの女の子の来訪を心のどこかで喜んでいたんだ。
「何で言ってくれなかったの? 僕には他に好きな人がいるからこういう事はするなって。どうして私を受け入れようとしたの? 挙句私にはひと時の思い出すら与えないって言うの!?……全部、全部持ってるくせに! それを見ようとしていないだけのくせに!!」
そこまで言うとフブキちゃんはがっくりと床に膝をついて『うっ……うっ……』とえずくようなむせび声を上げる。
泣いているのかと思い僕は立ったままその様子を…………いや! 違う!
「フブキちゃん? 大丈夫!?」
こうなったら喧嘩は終わりだ。
泣いているんじゃない、他のもっと重大な何かが起こっている。
片膝をついて彼女の肩に片手を置くと、それをがっしりと掴んで、もう一方の手は……お腹を押さえているのが見えた。
「痛いの? 苦しいの?」
眉間には大量の汗。
顔色は血の気が失せて真っ青。
ただ事じゃない。
ポケットからスマホを取り出して発信履歴を指でスクロールさせた僕は目的の人の名前を乱暴にタップする。
コール音が数回なった所で呼び出した相手が応答する。
「誠一君? 何かあった……」
「フブキちゃんが苦しそうなんだ! どうしたらいい!?」
片手は彼女の肩に乗せたまま、僕は香織さんに助けを求めるべく連絡を取ったのだ。
「落ち着いて。この電話を切ったら119番通報して。そしてかかりつけはうちの病院だと言って頂戴。こちらは受け入れ態勢を作って待っているから」
「わかった」
すぐに電話を切って僕は言われた通り3桁の番号を押し、通話ボタンを押す。
『火事ですか? 救急ですか?』
落ち着いた男性の低い声が聞こえるや否や、
「救急です。女性がお腹を押さえて苦しんでいます。場所は……」
住所と、香織さんに言われた通りに病院名を話すと『わかりました。救急車が向かうまでお待ちください』と言って通話は切れた。
くそ、こんな時僕はこうして見てる事しかできないのか……。
「頑張って。もう少しで救急車来るからね」
こんな事、本人には一縷の望みにも励ましにもならないんだろうけど。
それくらいしか言える事がなくて歯がゆさが全身にいら立ちを募らせる。
と、その時僕のスマホが着信を知らせる。
表示された名前は……義明だ。
こんな時に呑気な会話なんてしたくはないけど出なければ出ないで何らかの心配はされるか……と思いその呼び出しに応じる。
「……義明?」
『ん? どうした暗い声をして。ちょっと今職務中だから真面目な話だ』
「うん?」
『実はな……綿貫桃さん……知ってるよな?』
「えっ……うん知ってるけど……」
アールちゃんのプレイヤーが元一ノ瀬のおじさんの義理の娘だという事は義明だって知っているけど僕は本名まで教えてはいなかった。
正確に言えば、下の名前を。
『この雨の中一人で傘もささずに歩いているのを見つけてな。今一緒にいてまぁ仕事柄色々と質問をしているんだが……ひどく憔悴してるようなんだ。何か知らないか?』
思い当たるフシが無いと返事をする事は、できない。
「知ってる……けど、今はごめんちょっと立て込んでて」
モモちゃんの事は気になるけど今は……。
『そうか。んじゃこのまま送っていくけど後で事情は話せよ』
「わかった……」
『何かしらんがそっちも頑張れ。じゃあな』
プツリと通話が切られる。
肩を上下させて苦しそうな吐息を吐き続けるフブキちゃんは焦点の定まらない目でぼぅっと僕を見る。
ついさっきまで意地の張り合いと責任の擦り付け合いをしていた相手である僕を。
「なんだ……とっくに、貴方は…………。ば、か……で、ホント……サイ、テー……」
「え?」
途切れ途切れなのと荒い呼気に少しだけ含むように発せられたその言葉は完全には僕の耳に届く事が出来なかった。
「し、ん………ぱいし、て。損……したな」
ずるり。
痛みに耐えきれなくなったのか、言いたい事を言い終えて気が緩んだのか。
それっきりフブキちゃんは一切の力を抜いて全身を僕にゆだねるようにもたれかかって来た。
「フブキちゃん!? フブキちゃんしっかり!!」
返事はなくて、ただぐったりとするだけのフブキちゃん。
その重みを支える事くらいは平気だけど。
フブキちゃんの体はまだ温かいし心臓が生きている事を主張しているのを感じて、最悪の事態には至っていないと安堵した。
フブキちゃんが意識を失うのと、開きっぱなしの玄関に赤い光が途切れ途切れに差し込むのが見えたのはほぼ同時だった。
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