第15話 後悔しないために(回想その2)

「じゃあ、今日は私帰るね」

「あ、うん。毎日ありがとう」

 フブキちゃんは決まって二人でご飯を食べた後片付けをしたら帰る。

 玄関まで送っていくとパンプスに足を通してこちらを振り向いて……。

「……ぃつっ……!」

 突如お腹の下の方を片手で抑えて苦しそうな表情をする。

「え? 大丈夫?」

「うん、ちょっと食べ過ぎたかも。歩いて腹ごなししたら治まるから。じゃあまた明日ね」

「うん……」

 そう言って軽く手を振って外に出て行ってしまう。

 食べすぎかぁ。

 なら……仕方ない……とは思えなくて。

 もしかして病気がどんどん進行しているんじゃ……。

 こんな事してる場合じゃなくて、ちゃんと病院で治療を受けないと桜と同じような事になってしまうんじゃないの?

 明日は……ちゃんと言わないと。

 入院して体治してって言わないと。

 言いだせるのかなぁ僕。

 無理やりにでも、きっと明日も訪ねて来るフブキちゃんとのいつもの二時間という制限時間の中でちゃんと言わないと。

 暫くフブキちゃんが去った後の扉を眺めながらそんな事を考えていた僕はあ、そうだ風呂沸かさなきゃと思い立って風呂場へと向かう。

 脱衣所にあるボタン一つで勝手に設定した温度の湯を適量まで入れてくれる我が家の風呂は非常に便利だ。

「これでよし」

 指先一つで済むこのシステムに改装した時お母さんは『楽になった』ととても喜んでいたっけ。

 ん?

 なんだあれ。

 洗面所兼洗濯機置き場にもなっている脱衣所の隅、洗面台の脇に、オレンジ色の明かりを反射してチラチラと光る何かを見つける。

 手を伸ばして取ってみると指先で触った感じはちょっと堅いけど力を籠めたらすぐ曲がりそうなプラスチックっぽい?

「うあ……」

 引き寄せてその正体を目にした僕は思わず嘆ずる。

 これ……錠剤の包装じゃないか。

 お母さんが掃除し忘れたって事はないだろうし……。

 ふと中身のない包装の裏側を見て薬の名称を確認した僕はそのまま自室に上がってスマホにその薬の名前を入力してみる。

「やっぱり……」

 今まで良い事も悪い事も予感というものが当たった試しは無いので今回もそうであって欲しいと願ってググったはずなのに。

 検索結果は、一ノ瀬一族の女性が発症する病気の治療に使われる薬だと出てしまった。

 なんでこういう時にばっかり当たるかなぁ。

 僕は握りしめたままのスマホを操作して電話帳から『綿貫香織』という名前を選んで電話をかける。

 呼び出し音が5回くらいした後、相手は着信に応じた。

「あ、あの……誠一です」

『あらなぁに? 誠一君がかけてくるなんて珍しいじゃない。桃がいない間に人妻と浮気でもしたくなったかしら?』

「そういう冗談に付き合ってる余裕ないです……」

 フブキちゃんの事が無くてもそんな余裕はないけども。

『嘘よ。で、どうしたの? 何かあった?』

「実は……」

 フブキちゃんがお腹を押さえていた事とうちに薬の包装が落ちていた事を話した。

『そう……薬の効きが悪くなっているのね……』

 香織さんは黙って僕の話を聞いて、それから少し間を置いてそんな事を言った。

「もうすぐにでも入院させた方がいいんじゃ……」

『それなのよ。本人に症状を伝えて意思確認をしたらはっきりとではないけど拒否……いえあれは保留ね。少し考えるって。病院はそう言われると例え予断を許さない状況でも強制力は無くてあくまで患者の意思の元治療をするから……でもそっか。風舞季ちゃん誠一君の所に通ってたんだ』

「……説得しようとは思っているんですけど……中々」

『ああ、ごめんね。誠一君を責めてる訳じゃないの。でもそうよね、風舞季ちゃんには誠一君に貴女の事話してるとは言えなくて……変な事頼んじゃってごめんね。貴文さん通じて一ノ瀬の本家に報告してもら……』

「待ってください!」

 香織さんの話を聞いていて閃いた僕は香織さんの言葉を遮って叫んだ。

「今の話だと『僕がフブキちゃんの状態を知らないから』他の手段……一ノ瀬に言うって事ですよね」

『ええ、そうだけど……』

「でも今僕は薬の存在を知った。知ってしまったから……」

 ごくり、と一度喉を鳴らして次の言葉をつづけた。

「僕が、話します。明日……」

『ああ、そっか。誠一君はもう知ってるって分かれば話もしやすいか……でも大丈夫?』

 何が? などとは聞かない。

「怖いけど、やるしかないです。それに……」

『それに?』

「桜と同じ顔をしたあの子……フブキちゃんに桜と同じ運命をたどって欲しくはないから……」

『……そう。じゃあお願いするわね』

「はい」

『それと。暫く勤務中でもスマホ持って歩くから何かあったら遠慮なく電話してね』

「え? それ大丈夫なんですか?」

 確か院内とか電車の優先席付近で携帯端末の電波使うと色々マズい事が起こるんじゃ?

『あ~。それなら大丈夫よ。今の4Gって言う通信方式は医療機器に影響を与える事は無いの。ペースメーカー何かと電波が干渉していたのは20年以上前の2Gって言う通信方式が主流だった時代の話よ。まぁいつまでも知識を更新しない老害どもがずっと喚いているのも事実だけどね』

 そっか、なら安心かな。

「ありがとうございました、それじゃあ……」

『ええ。こちらこそ。あ、用件が無くても年上のお姉さんと遊びたくなったらいつでも電話していいのよ?』

「おじさんと桃ちゃんも一緒でいいなら誘いますよ」

『んもう。可愛げないんだから。じゃあ、お願いね』

 そういうと香織さんは電話を切った。

 さて。

 ちょっと気合入れないと……。


「……いらっしゃい」

「あ、おかえりー」

 約束通りスーパーの買い物袋を両手に下げたフブキちゃんがいつもと同じく僕の家の門前で僕の帰りを待っていた。

「とりあえず今日と明日の分の食材買って来たよ~もう重くってさぁ」

「そっか。ありがとうね」

「好きでやってる事だし」

 それから僕は昨日までと同じようにフブキちゃんを家に上げて、料理している間雑談して、夕食を食べて……その間の事はよく覚えていない。

 でも食後のお茶を出してもらって、そろそろフブキちゃんが帰ると言い出す時にようやく僕はやるべき事を切り出す。

「フブキちゃんさぁ」

 若干声が震えてる僕の声に何か感じるものがあったのか、名前を呼ばれたフブキちゃんは一瞬肩をピクリとさせた。

「これ」

「!!」

 ポケットから取り出した、昨晩洗面所で拾った例の包装を卓上に置く。

「…………」

 無言になるフブキちゃん。

 僕は自分の膝の上にある方の拳をぐっと握って。

「落ちてたんだ……そして……何の薬か調べちゃった」

「そう……」

 お茶に口をつけてほぅ……と吐息を漏らすフブキちゃん。

「僕……さ」

 何から、どこから話したものか。

 分からないけどとにかく何かを話さないと。

「ずっと桜に縛られて生きていたんだ……」

「うん」

「桜がいないから、桜じゃないから、桜はそうじゃない……感情や考えや言葉の裏にいつも括弧書きでそう続けていてね。簡単に言えばいろんな事から逃げてた。ううん、今でも逃げてる」

 あまり話したわけでもないのに喉がカラカラになってしまってフブキちゃんが淹れてくれたお茶をすすってから話を続ける。

「でもさ。それを……やっぱり桜が10年も前から見抜いていて……そして僕に本当の意味で『生きて』もらおうと……」

「タイムカプセルに桜が入れたICレコーダー?」

「うん……あれを聞いて僕はひどく落ち込んでね。でも周りの人が支えてくれて何とか。だからさ……」

 待って、とフブキちゃんが僕の話を止める。

「前に……言ったの覚えてる? 『桜からの手紙に書かれていたけど、秘密にする』事があるっていうの」

「うん」

 それはお母さんが具合悪くて、10年ぶりにフブキちゃんと再会して、モモちゃんと2人で押しかけて来た時の事。

「あのね、『もしセイちゃんを風舞季の目で見て、『生きていない』ようならわたしが好きになった人を怒って欲しい』って書いてあったの。もう、どれだけ貴方の事好きなのよ桜……」

 しみじみと、そして半ば諦めたような口調でフブキちゃんが一度隠した手紙の内容を明かす。

「そうだったんだ」

「だから、知ろうと思って」

「何を?」

「『セイちゃん』の事。何を思って、どういう行動をして……」

 そっか。

 桜の想い人で、同時に桜を想う僕がどういう人なのかを知りたかったのか。

 ……自分の病状が悪化するのも構わずに。

 それは『桜の二の舞』になる可能性を含んでいるし、僕にとって一ノ瀬の家が途絶えようが正直知った事ではないけど、目の前でいつもの調子をすっかり失って当時の……入院中の桜が見せたような寂しそうで、でも覚悟を決めているような弱々しい笑顔を見せるフブキちゃんの事はとてもとても心配なのは紛れもなく本心だ。

 だから僕は握った拳にさらに力を込めて、爪で皮膚を破って血が出るんじゃないかというくらいに力を込めて、言う。

「でもさ、それ。『後からでも出来る』よね?」

「……」

 後から。

 つまりフブキちゃんの体調が万全になってから。

 その意味は理解してくれたと思う。

 でもフブキちゃんは。

「ダメなの……」

 首を横に振って僕の言葉を否定する。

「どうして……? 僕、フブキちゃんには桜と同じようになって欲しく……ないよ!」

「わかってる! わかってるけど!!」

 フブキちゃんは涙声、かすれた喉からやっと振り絞るようにこう言った。

「怖いの…………私も貴方と同じで、ずっと桜に縛られて生きて来たから…………」

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