第14話 脳は勝手に(回想その1)
視界が突然正面から右方向に、無理やり移動させられる。
と、同時に左の頬に火鉢を押し当てられたかのような熱さと雷にでも打たれたかのような衝撃が同時に襲ってくる。
「追いかけなさいって言ってるでしょ!!」
僕の目の前で、涙目になって自分の背面で開け放たれたリビングの扉と、その先にあるやはり開きっぱなしの玄関の扉方向を後ろ手に指さして。
彼女は真っすぐに、視線に殺気をこれでもかと言うくらいに籠めて、でもその目から小粒の真珠の様にも見える大粒の涙をぽろぽろと床に落とし続けながら僕を睨みつけている。
「なんで僕が……」
引っ叩かれたままの姿勢で僕は彼女の懇願の籠った命令を再度拒否する。
「決まってるでしょ!! そんな事も分からないの!?」
「分かるわけ……分かるわけないだろう!! だって僕は……」
最後まで言い終わらないうちに再び今度は右の頬に熱い衝撃が走る。
「逃げるのもいい加減にしなさい!! もう本当はとっくに分かってるくせに!!」
「何をだよ!? いったい僕が何に気づいてるって言うんだフブキちゃんはさぁ!?」
目の前で長い髪を無造作にほつれさせてずっと僕を睨んでいる彼女――フブキちゃんはさらに畳みかけて来る。
「決まってるでしょ!! 貴方があの子をどう思ってるかよ!!」
……。
…………。
……………………。
その問いに僕は言い返す事をせず、無言を貫く。
「言葉にしないなら私が代わりに言ってあげる!! 貴方は……」
「やめろ!!」
ダメだ。
僕は彼女の鋭い視線に初めて真っ向から対峙した。
言の葉としてそれを一度でも紡いでしまったら……。
「いいえ止めないわ!! 小和田誠一は……」
「頼むから止めてくれ!!」
情けない事に、自分と同年代の女の子相手に喚き散らすけど。
それは神や天と言った人知を超えた存在に祈りとして届かなかったらしく。
僕が心の底から嫌がった、でもそれは確実に真実であり事実である事を、彼女は何の躊躇いもなく、無慈悲に、否応なしに、僕へと叩きつけた。
「小和田誠一は、綿貫桃が好きなんでしょ!! 好きな子の泣き顔見て咄嗟に追いかけない男とか……最低だわ」
眉根を寄せつつ無理やり皮肉に満ちた笑顔を作った彼女は、そう言い放った。
開けっ放しの玄関からは、今朝から降り続いている雨が僕と彼女の心の内をさらけ出すかのように一段とその雨足を強くしたのだった。
何故こんな事になっているかというと。
話は数日前に遡るけど……。
※ ※ ※
『じゃあ、行ってくるね。あたしがいない間に浮気しちゃやだよ?♡』
そんなモモちゃんからのLINEメッセージに僕は『浮気とかできない事知ってるくせに。楽しんで来てね』と返した。
僕が無味乾燥で全くいい思い出を持っていない中学最大のイベントを、僕みたいに『どうでもいい時間の浪費』だと思わずに是非存分に楽しんでほしい、そんな願いを密かに籠めて。
モモちゃんは今日から二泊三日の予定で修学旅行へと旅立ったんだ。
その後しばらくモモちゃんは海が綺麗だとか富士山が見えるとか逐一状況報告のメッセージを入れて来たけどやがてそれも収まって(と言っても僕が一日の仕事を終える頃まで続いたけど)ようやく楽しい時間へと完全に身を投じたかと一安心した僕は。
「……いらっしゃい」
やっぱりな、という思考と軽い諦めの感情と何で? と言う疑問を込めてもはや軽く日常化した彼女――フブキちゃん――が僕の家の門前で僕の帰りを待っていた事を視認して声をかける。
「や、おかえり。今日もお勤めご苦労様」
「……まぁ、上がってよ」
来訪者を歓迎した感じを見せずに淡々と事務的に決まり文句を言う。
誤解しないで欲しいんだけど僕はフブキちゃんの事が嫌いなわけじゃないし、あれから毎日うちに遊びに来る事が煩わしいとも思ってない。
ただ……彼女はここに遊びに来るよりももっと他に優先すべき事があるはずで、でもそれは香織さんから『嫌がっている』という情報をつい最近聞いたばかりで。
そして僕はその情報提供者から『説得』を頼まれている。
……簡潔に言うと気が重いんだ。
こうやって僕に『説得するチャンスが何度も訪れている』ことも、『チャンスが何度もありながらその話題に触れる事を極端に恐れている自分がいる』こともどちらもずしりと心に漬物石のように重くのしかかってくる。
「何よー、こんなかわいい子が毎日自ら訪ねて来るんだからもうちょっと嬉しそうな顔しなさいよねえ」
「……只今笑顔までお時間かかりまーす」
そんなどこか懐かしい桜とのやり取りみたいな会話を切って機械的に鍵穴に鍵を差し込んで自宅の扉を開ける。
当たり前のようにひっついて僕のすぐ後からまるで自分の家みたいに僕の家へと入ってくるフブキちゃん。
「今日は何にしようか?」
これは夕飯の献立何がいいかな? という意味。
この質問自体もう三回目である。
「任せるよ。食材は日曜日に調達したものがまだ残ってるだろうし」
「おっけ」
単に『説得するのは気が重い』だけで別に疎んでいる訳ではないしお母さん不在のこの時期にまともなご飯にありつけるのは僕としては大変ありがたかった。
でもそろそろ食材調達しなおさないと厳しいかなぁ。
作り置きで朝ご飯まで用意してもらっちゃってるし。
明日は帰りにスーパーでも寄ろうかなぁ。
自室で部屋着に着替えた僕はそんな事を考えながら階下のリビングへと向かう。
「あ、そうそう。もうあんまり食材ないから明日買ってくるよ」
……フブキちゃんは僕と同じことを考えていたらしい。
確かに時間のあるフブキちゃんに買い物してもらえれば僕としては大助かりだけど。
「え、いいよ僕明日スーパー寄ってくるから」
「いいっていいって。お仕事なんだし私がそういうのやるからさ」
「う~ん……」
「遠慮しないで、どうせ今は暇人で時間持て余してるから」
まぁ、そういう事なら……いいかな?
でも、さすがにお金出してもらうのは悪いよね。
「んじゃあここにお金置いておくから好きに使っちゃって」
ご飯の後でコンビニにでも行こうかなと思って持って来ていた財布から一万円札を取り出して食卓の上に置く。
「気にしなくていいのに」
「や、でもウチの食材だしね。こういうのはキッチリしておきたいんだ」
「律儀だねえ。でもまぁ分かったわ」
聞く人が聞いたら『同棲し始めのカップル』みたいな会話の応酬だけど少なくとも僕がそうだと気づけるはずが無く。
僕は何気なくテレビの電源を入れ適当に番組を見繕う。
『――関東の梅雨入り予測は今週末頃だと発表が出ており~~』
ニュースキャスターがそんな記事を読み上げるのを聞き流しながら、僕はすっかり共通の話題となったLFOの事をフブキちゃんに聞く。
「そういえばさぁ。フブキちゃんが遊んでた時のLFOってどんなだったの?」
僕やモモちゃんの話を興味深げに聞く彼女は、思い返してみれば自分が遊んでいた時期のゲームについてはまだ全然話してくれていなかったんだ。
「ん~? そうだねえ~。特定のアイテムを持っていない人は野良のパーティに参加するな、かなぁ~」
トトトトン……と小気味よい調子で野菜を捌く音を響かせながらフブキちゃんはまるで僕のお母さんみたいに間延びした口調で答えを返してきた。
「何それ酷くない?」
「ん~、仕方ないんだよ。今みたいに色々な物があった訳じゃないし。ちょっとのミスですぐ全滅してたからね。でも人間のミスは仕方ないけどそれを補って余りある装備を要求してたってだけの事よ」
「……何か納得いかないなぁ」
「まぁ、あのゲーム今はゆとり仕様みたいだしね……随分変わってるんだろうなぁ」
そういえば。
フブキちゃんは復帰とかしないのかなぁ?
「フブキちゃんは復帰とかしないの?」
思った事が即座に口をついて出る。
「あ~~……」
思案しているのか、言葉に詰まっているのか、はたまた全く別の理由かは分からないけどフブキちゃんは唸ってから少しの間を置いて、こう言った。
「一ノ瀬家の病については、知ってるでしょ? 私はそれが気になりすぎて一時期周囲の人を一切寄せ付けなかった時期があるのよ。まぁ、その名残……かなぁ」
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