第10話 モモ視点(一方、その頃……)

 もしもの話はするだけ無駄だ、と言う人がいる。

 もしもの時の話は、最悪の事態を想定しているだけだと笑い飛ばす人がいる。

 あの時こうしていたら、ああしていれば。

 後悔、とまで強くは無くても。

 それでも人は時に『もしも』を考える生き物だ。

 考えた末にやっぱり自分の選択は正しかったのだと思い意を強く持つ事がある。

 一方でもっと良い選択肢があったのではないかと悔やむ時もある。

 そうやって安堵して、前に進んで、泣いて、立ち止まって人は生きて行く物だと思う。

 じゃあ、ずっと立ち止まったままの人は『生きてはいない』のか?

 ……桜はその状態を死んでいるのと同じだと言った。

 自分がいなくなる事で僕がどう思い、どう考え、どう判断し、どう行動するかを把握して。

 今は桜の『生きろ』と言うメッセージを受け止めて、立ち止まったまま『生きてはいなかった』自分を何とか蘇生しようと頑張っている所だ……と思う。

 でも、僕が自分を変えたいと思ったのはやっぱり桜の影響で、彼女が真に望んでくれたからそうしようと思っただけなのかもしれない。

 それが僕の真意なのかどうかはさておいて、前に進もうとするのは多分悪い事ではないはず。

 かと言って発展途上にある僕が他人にあれこれ言える事はまだ少ないし、また他人がどう思っているのかを察する事に関してはまだまだこれからだ。


 そんな、他人との関わり方を25歳になってようやく見つめなおそうとしている僕に屈託のない笑顔と好意を向けてくれる、今以上に僕が関わろうとすると色々と世間の目どころではない反響が返ってきてしまう女の子がいる。

 名前を、『綿貫桃』と言う。

 春の訪れを体現したかのような彼女は名前の通り春の訪れに草木が芽吹いて新緑の顔を覗かせるようにキラキラと輝いて、まっすぐ太陽に向かって伸びて行くような女の子だ。

 今回は、その僕が『モモちゃん』と呼ぶ、多少……どころではなく扱いに困る事のある女の子の、秘められた話。

 何せ僕は今、その子の親御さん達と地元の居酒屋にいるのだから……。



「あ~もう、パパとママの『お熱さ』ったらまだ冷めやらないんだから」

 誰が聞いている訳でもない個室で、その独り言は周囲の壁に木霊する。

 真っ白な湯気が立ち昇るどころか視界を遮らんとするほどに充満するそこそこ広い浴室の、足を延ばしてもまだ余るくらいに広い浴槽の中であたしは急に『今日貴文さんとデートだから適当に夕飯食べてね』と言うママからのLINEメッセージを思い出す。

 ママが再婚する、と言いだしたので今より幼かった自分が『じゃああたしが見極めてあげる!』と一ノ瀬貴文なる人物と初会合を果たした休日の昼下がり。

 あたしは一目で優しくて大切にしてくれそうだって確信した。

 だって眼鏡の奥にある眼は柔らかい視線であたしを見つめて、それから目を細めて『初めまして』って優しく語り掛けてくれたから。

 色々知ってしまった今、あの時のほほ笑みは『悲しみのどん底にある人があまり他人と関わらないようにしよう』と決意して当たり障りのないコミュニケーションを取ろうとしていたのかもしれないね、って勘ぐってしまうのだけど。

 それでも、第一印象が最高の、書類上は二人目だけど実質初の『父親』となる人にはとても好感が持てたっけなぁ。

 ふふ、なんであたし昔の事思いだしているんだろう。

 ちょっと思案を巡らせるとその答えは自分のとても浅い部分ですぐに見つかった。

 セイちゃんの影響かな。

 自分に自信が全く無くて、見た目は爽やかな好青年なのに口をついて出る言葉は悪く言えば『チキン』で、でも頑固で、一途すぎて、一見女の子から見たら顔以外にいい所が無いように見えるあの人。

 でもそんな欠点だらけの人を何故かあたしは最初に出会った10年前から何故か好きになってしまっていて。

 でもでも、先の『作戦』中には意外と男らしい所を見せてくれて。

「あたし、『ダメンズ好き』なのかなぁ」

 オンラインゲームを嗜んでいる、と言う話をしたら食いついてきたクラスメート……今ではすっかり仲良くなったオタク気質の子があたしの愛するセイちゃんについて熱く語った時、そんな単語を漏らしていた。

「違うもん!」

 ぱしゃん、と軽く振り上げた両手で入浴剤が溶けて乳白色に染まった水面を叩く。

 その衝撃で発生した波紋と跳ね上がった水滴が再び大きな浴槽に戻って生み出す小さな波紋と混ざり合って水面は一時的に嵐に遭遇した海のように混沌を作り出すと、やがてすっかり収まって凪の状態へと戻る。

 そういえばあの子はこんな表現もしていたっけ。

『そのセイちゃんって言うのはラノベ主人公体質なのかもね』、と。

 その言葉の意図はすぐさま聞いてみたのだけど、確か『本人に自覚がないのに知り合う異性を次々虜にする体質の事』だったっけ。

 それは無いと思うけどなぁ。

 セイちゃんは人当たりは良いけど結構パーソナルエリアが広い。

 それこそ女性が築く自他の境界線よりもずっと広い。

 その中に入る事を許されている人はあたしを入れたとしてもあたしの知る限り4、5人か。

 何でも『はいはい』と大人な対応みたいな反応をしていても、『僕は貴方に興味がありません』とばかりに誰に対しても同じ態度、同じ対応を取る。

 最近はそれでも変わろうとしてるみたいだからあたし的にその事実は『それはそれで』嬉しいんだけど。

 でも……。

 その動機、変わろうと考えた動機があたしはちょっと気に入らなかった。

 何よ、昔の女に未だに拘っちゃってさ。

 失恋から立ち直るのは男の方が遅いとは言うけれど。

 そういう期間をとっくに過ぎていてもおかしくない程の時間が経過しているというのにいつまでも引きずっているのはハッキリ言って不満だわ。

 でもあたしは彼を諦める事を止めるつもりはないんだ。

 だって10年前に突然知り合って、突然いなくなった人と……その時には既に自身に芽生えるにはあまりに早急すぎる感情……恋をしてしまっていたから。

 それからあたしは……ふふ。

 ママに『努力する!』と宣言したっけなぁ。

 毎日牛乳を飲んで、制服から彼の通っている学校を割り出してそこを目指そうとして。

 それからまだろくに漢字も知らないのにママの本棚から心理学の本を漁ったっけ。

 他にも『それ、努力の方向間違ってない……?』って顔をママから向けられた事は数えきれないくらいあるけど。

 それでもあたしは幸せだ。

 今はママとパパがいて、そしてセイちゃんと再び巡り合って。

 パパが中学へ上がるお祝いと言って買ってくれた、中学生の女の子には不似合いすぎる銀色のノートパソコンは性能が高かったお陰でゲームをするにも困らなくて。

 息抜き程度だったけど別世界を何気なく散策するのは結構楽しかった。

 たまに自分のキャラでは到底太刀打ちできないモンスターに襲われてキャラクターが死んでしまう事ですら笑い転げていたっけなぁ。

 そんな時、アイツ……ウィンと出会ったんだっけ。

 知り合いがいない別世界での初の友達は……。

 今にして思えばネット慣れしていない女の子を巧みに誘う罠だったのかな。

 まぁ……それを見極められず、勝手に『思い人』を無理やり重ねて、本心に嘘を吐いて付き合うという提案に承諾して。

 『憧れのあの人』と同じ年上だし大丈夫かな、と安どしていた所に男の欲望全開な発言されてしまってドン引きして。

 疎遠になりたくても向こうが引き下がらなくて。

 ってあたしなんでさっきから思い出に浸ってるんだろう。

 そろそろのぼせちゃいそうだし上がろうかな。

 ザバァ……と勢いよく湯船から立ち上がって脱衣所へと続く唯一の出口の前で髪を纏めていたタオルをほどいて全身から水気を拭くと脱衣所へと移動する。

「さて、一人だし何作ろうかなぁ」

 まさに今この広い家には一人だけなので、自覚のない淋しさが生み出すのかさっきから独り言が多いなぁ、と気づくけどそれこそ誰も聞いていないのでまぁいいか、と捨て置く。

 あ、ご飯食べたらゲームしよ。

 セイちゃんいるかなぁ?


 アール=リコ:こんばんは~


 簡単に作れるから、と言う理由でカルボナーラを作る事にしたあたしは行儀が悪いけど『一人だから良いよね』と盛り付けた皿とフォークを持って自室に籠ってゲームにログインする。

 あれ、セイちゃんいないのかぁ。

「いっただっきまーす」

 挨拶が飛び交うチャットを眺めながら自作のパスタをフォークに巻き付けて一口頬張る。

「ん~、我ながら最ッ高!」

 自画自賛?

 良いじゃない。

 自分が作った食べ物を自分が美味しいと思えない時点でそれは食材への冒涜だよ?

 動物も植物も元は皆生きていて、その命を捧げてくれているのよ?

 最近知らない人多いよね、『命を頂きます』と言う感謝と供養が込められた言葉だって。

 あたしは小さい頃からママにずっとそう教えられてきたから身に沁みついているけど。

 だから食べ物を粗末にする人は好きじゃないかな。

 食べられるものが少ない……好き嫌いが多いってまた別の話だし。

 そういえばセイちゃんって食べられない物とかあるのかな?

 食事を何度か一緒にした事あるけど粗末にはしていなかったし。

 え?

 なんでそこでセイちゃんになるのかって?

 そりゃあ……。

 好きだからに決まってるでしょう?

 何で好きなのかなんてもう覚えてないよ。

 でもずっと好きで、今でも好きな事が真実。それでいいじゃない?

 この先、他の誰かを好きになる事もあるかもしれないけど。

 今のあたしにはセイちゃんしか見えてないんだもん。

 セイちゃんと雑談する時間。

 ゲームの攻略に勤しむ時間。

 あたしは……もっと……。

 恋人みたいな甘い時間と言うのも憧れるしそうしたいけど。

 セイちゃんはそういう事を求めてこない。

 それはもしかしたらあたしの事も他の人と同じ立ち位置に思っているのかもしれないし。

 もしかしたらもう既に一人の女の子と認めてくれていて、でも生来の気の弱さから踏み込めないのかもしれないし。

 さらにはあたしがまだ未成年だから辛抱強く我慢しているのかもしれないし。

 それら全てか、どれか二つが当てはまるのかもしれないし。

 それでもいい、と思う。

 あたしはセイちゃんの桜さんに向ける強くて一途で頑固でどうしようもないくらい代わりのいない『想い』を知っているし、突然豹変されたらそれはそれで戸惑うし。

 確かな物は自分の気持ちだけ。

 相手には求めない……イエス=キリストだって『無償の愛』を説いているじゃない。

 でもね。

 聖人でもなんでもない凡人のあたしは。

 ちょっとくらいは。

 ほんのちょっと、小指の先より小さくてもいいから。

 多少は……期待しちゃうんだぁ。

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