第9話 モモちゃんには内緒にしないと……

 僕の周囲はこの一か月で随分変化したなぁ。

 私生活ではモモちゃんと知り合って。

仕事では友田さんと予期せぬ再会があって。

 ………………。

 あ。

 あああああ!?

 僕、友田さんに何言われたっけ金曜日の夜!!

『私に、しとかない?』

『さっき言った事、忘れないでね』

 あれからすぐモモちゃんが戻ってきたから考えないようにしてたけど。

 つまり……。

 いや、あんな綺麗で仕事も出来る人が僕なんか歯牙にもかけないっていうのは分かる。

 その真逆の反応を示されたら僕はどうしたらいいのだろう。

「おはよう、小和田君」

 そんな事を考えながら、早起きしてしまって時間を持て余して普段より1時間も早く会社に到着した僕が朝のメールチェックをしていると不意に後ろから声を掛けられた。

「あ! 友田さんおはようございます!!」

 自分でも分かりやすい程声が裏返っていてとてもとても恥ずかしい。

 つい今の今まで友田さんの事を考えていたなどとは口に出せるはずがない。

 ついでに言うと何だか確信的な台詞だけを抜き取っていたなどとはさらに言えるはずもなく。

「ぷっ……何それ。もっと普通にしてよ」

 あれ?

 友田さんはあんな、僕にとっては爆弾発言めいた事を言っておきながら普通……だ?

「いやでも……」

 告白されたようなものじゃないのかなぁ?

 と、まだ全然人付き合いが全然足りない僕は単純にそう思ってしまうけど。

 マウスを握る手にふわりと人肌の感触を覚えてドキリ! と心臓が一回だけ跳ね上がる。

 まだ僕達以外に出社してないけど!

 それでも僕はその感触が友田さんの右の掌だという事を直に伝わってくる熱で推し量って(視線は合わせられない!!)何とか口を動かす。

「あ、あの……な、何、を……」

「伝わるかな? 私今すごいドキドキしてるんだよ?」

 ……?

 !!

 椅子の低い背もたれの上、肩甲骨がある辺り一面に広がる、いつかどこだかで感じたマシュマロのような柔らかい感触に今更ながらに気づく。

 でも。

 その感触の奥底にドックン、ドックンと息づく友田さんの脈までもがはっきりと感じ取れて。

「冗談……ですよね?」

「いくら何でも怒るわよ?」

「すみません……でも……」

「あの友田由美が僕なんかに好意を持つわけがない、って?」

「はい……その通りです……」

 敬太、義明と寿司屋に行った時よりももっと緩やかだけどでも確実に、僕の顔は熱を増して行って……。

「バカね。女はちょっとでも気が無い人とはご飯食べるのだって断固拒否するものよ? よっぽど仕事上の付き合いとかがない限りは、ね」

「そ、そういうものですか……」

 僕としてはすぐさま離れて欲しいんだけど。

 いつ誰が出社してくるか分からないし、それにモモちゃんにも……。

 ?

 あれ?

 なんで今モモちゃんが出て来るんだ?

「ま、からかうのはこの辺にしてこうかな」

「心臓に悪いんで二度としないでほしいです……」

「あ、それなんか傷つくなぁ。お酒入ってたとは言え割と本気だったんだけどなぁ」

 本人の発言ではあったけれど。

 僕はどうしてもそれが本心から出た言葉だとは思えなくて。

 いや、思いたくないだけかもしれないけど。

 だから僕はこんな返ししかできない。

「友田さんは綺麗だし仕事できるし『引き手数多』なんじゃ?」

「あはは。それは否定しないわ。もし小和田君が私と付き合う、ってなったら貴方、下手したら殺されるかもね」

 悪戯っ子がにんまりと笑みを浮かべるようなからかい口調で友田さんは怖い事を言う。

「止めてください。僕まだ死ぬ気はないんで……」

 そこでようやく友田さんは僕から完全に離れてくれた。

「そういえば……話を変えるけどね」

「はい?」

「ああうん、その……『力押し』の方にしてみようかなって」

 以前相談を受けた仕事の話へと話題を方向転換してきた友田さん。

「いいんじゃないですか? やっぱり先人の知恵は借りるべき、と言うか」

「そうよね。じゃあその方向で頑張ってみるね。じゃあまた定例会議でね」

「はい……」

 ああああ~緊張したしそれ以上に恥ずかしかったわ!

 誰もいないからまだいいけど……いやいないからこそあんな大胆な事したんだろうとは思うけど。

 でも本当、あの人が僕なんかを本気にするわけないんだよなぁ。

 僕よりデキる男なんて社内を見渡したってそこかしこにいるんだし。

 だからこそ、『どうして僕なのか』が分からないというのはあるけど。

 それと並行して。

 いつか誰かから聞いた、でもその内容も誰が言ったかすらも覚えていないけど、でも確かに僕の心に引っかかっている『何か』が僕の中で警鐘を鳴らしているのも間違いなくて。

 ああ、何か本当に僕の周囲は目まぐるしく変わっていくなぁ……と落胆でも諦めでもない不思議な感情を抱いた時。

 ふと、僕のスマホがブルルッと一度振動する。

 誰だろ。

 モモちゃんかな……?

 でもそれは結構意外な人物からだった。

『今日ちょっと話す時間取れるかな? 桃抜きで折り入って話したい事が出来たんだけど』

 香織さんからのメッセージだった。

 モモちゃんを意図的に外して、僕に……?

 何だろう?

 でも、あまりいい感じがしないなぁ。


 ……朝方僕が感じた予感は当たって欲しくなかったのに当たってしまった。

「じ、じゃあ……」

 僕が香織さんの告げた『事実』に驚愕すると、

「そうか……」

 とおじさんはがっくりと肩を落として落胆した。

「結果はハッキリとしてるよ。この10年で進歩したし間違いないよ」

 香織さんが改まっておじさんと僕に伝えて置きたかった事実。

 それは……フブキちゃんの検査結果について。

 香織さんとは桃ちゃんに見られたくないという理由でおじさんも交えて三人だけで会う事になったんだ。

 今いるのは地元駅前にある古い酒場の個室。

「ウチは桜ちゃんの一件以来女性特有のガンについては日本でもトップクラスに研究が進んでいるのよ。だから……検査結果が間違いである可能性は低いし、何よりこれだけ早く結果が出せたのはスポンサーから猛烈な要請があったからだし……」

 おじさんにお酌をして、ついでに自分のお猪口も一見ただの水みたいに見える日本酒をとくとくと注ぎながら香織さんは淡々と語る。

 スポンサー、つまり一ノ瀬一族の頭領さんかぁ。

 いったいどんな人なんだろう?

「じゃあさ」

 僕は言いづらいけど、でも聞いておきたい事を確認の意味を込めて質問する。

「フブキちゃんも……その……桜みたいに……なるの?」

 桜の辿った運命を他の誰でもない彼女の従姉妹すら辿るのかと思うと目頭が熱くなって視界がぼやけてくるけど僕はそれを無理やり力を込めて抑圧する。

 飲みたい訳ではないけど喉に無理やり流し込んだオレンジジュースの冷たさが全身をぶるっと一回震わせた。

「言ったでしょ、この10年でウチの病院は変わったって。今すぐ手術するなら全く問題ないし子供も産めるのよ。でも……その判断を先延ばしにすればするほど状況が悪化するのは桜ちゃんの時と同じだけどね」

 どうやら一ノ瀬家の女性に受け継がれる病気は一度発症してしまうと極めて速いペースで侵攻してしまうらしかった。

「分からないのは香織さんがボク達を呼んでその話を……桃には聞かせたくないというのはどういう意図があってなのかな? って事だけども」

 おじさんがお酌された日本酒を上向きに一口で煽る。

「だいたい察しはついているけどね。それについて聞かせてもらえるかな」

 怒るでも悲嘆に暮れるでもなく、やっぱり淡々と質問をするおじさんだけど、少しは同様したのかお猪口を上手く卓上に戻せずカラリと乾いた音を立てて小さな杯がくるりと半円を描く。

「おっと」、と勢いの弱まった独楽みたいに周るお猪口を拾い上げ今度こそ底面を卓上にぴたりとくっつけると「ん~、平静を装うとしたけど無理だねえこれは」と独り言のように吐き出す。

「貴文さんの質問は最もだわ。つまり……」

 そして。

 香織さんは要約するとこんな事を説明した。


 ・検査当日、『手術は嫌だ』と言う本人の意思を聞いている。

 ・しかし一ノ瀬家からは個室入院費用や手術代を差し引いてもお釣りの方が高額になるくらいの費用が既に振り込まれてしまっている。

 ・数日以内に本人には手術が必要な事と、そのメリット及びデメリットが説明されるが、その時やはり手術が嫌だと言いだす可能性がある。


「だからね。貴文さんと誠一君には……その『もしもの時』に説得をお願いしたいのよ……」

「…………」

 呼び出された2人の共通点、それは『桜の死で重度の傷を負った』事だと僕でも気づいた。

 でも一口に説得と言ったってどうすれば、何を話たらいいのかぱっと浮かんでこない。

「桜ちゃんの事がまだ心に生傷のまま残っているのは私だって理解してるのよ? でも他に適任者がいないのよ。あのICレコーダーを聞いた私としては……『今を生きて』と言うメッセージを聞いちゃった人間としては……誠一君にも協力して欲しいなって言う私の我儘だけどね」

 わがまま……。

 確かセシルさんが『女の我儘ってのはちゃんと向き合ってあげるもんだ。でももしそれをウザいと感じたらはっきりと断るべき』と言っていたっけ……。

 僕は香織さんがわがままと表現した事に対して何の抵抗も感じなかった。

 それはつまり『向き合う』、言葉を変えれば『もしもの時は説得をしたい』と言う事なのかな?

 ここでもやっぱり僕の人付き合いの浅さは色々と影響が出てしまう。

「おやじゃあボクはどうなるんだい?」

 手酌で日本酒を注いでは飲み、飲み干しては注いでを繰り返すおじさんは酔いが回って来たのか普段よりも少し細くなった目を香織さんに向ける。

「貴文さんを呼んだのは強制的に巻き込むためよ?」

「はいはい……どうせそんな事だと思いましたよっと……すいませーんおかわりー」

 お銚子を高く掲げぶらぶらと振るおじさん。

「はーい」と威勢の良い返事が返ってくるのを確認してからおじさんはお銚子を置く。

「僕は……」

「うん?」

 一呼吸置いてから、ゆっくりと話す。

「僕は。説得しても良い……いや、しなくちゃいけないんだ」

 謎の使命感、と言ってしまうとアニメとかによくいる勘違い熱血野郎みたいに聞こえるけど。

 桜の遺志……じゃないや遺言……? 最後の願い? を叶えようと思ったらこれを避けてはだめだと思う。

『他人のためになるのなら』なんて高尚でもっともらしい理由を掲げた所でそれは嘘……ではないかもしれないけど少なくともそんな自己犠牲と自己満足に塗れた感情で説得にかかった所できっとフブキちゃんは見向きもしないんじゃないかな。

 なら、人付き合いと言うモノを軽視し、蔑んだりまでしてきた僕にできる『説得』とは。

 香織さんがこんな僕に望む事、とは。

 たぶん『そういう事』で。

 そして、それはまだ今の僕にはキツいどころの話ではなく。

 出来れば今はまだ避けたい道でもある。

 でも、やる。

 マゾヒストではないけど。

 僕の裸の心を抉って、折って、踏みにじって、砕いて。

 過酷なイベント……いやアクシデントと言うべきかな、そういう経験を少しでも積まないと桜の望んだ僕にはなれないんじゃないかと。

 桜の期待に答えるためにも今は多分踏ん張りどころだ。

 そう自分に言い聞かせて、残ったオレンジジュースをぐいっと一気に飲み干した。

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