第3話 はちあわせ

 入社してから初めて、一日中ずっと待ちわびていた定時退社時刻を知らせるチャイムが満を持して社内に響き渡る。

 いつもは無心に目の前の書類と格闘しているうちいつの間にかそんな時間、なんて事ばかりだったのに。

「お疲れ様でしたー!」

 片付けを手早く済ませると同時に全力で待ち合わせ場所へと向かう僕。

 集合場所はモモちゃんが指定したお店の前なんだけど急がないと一斉に退社時刻を迎えたサラリーマン達で駅の構内が溢れかえってしまう。

 何せ僕の働く会社は東口で、今日モモちゃんと行くお店は西口なので駅の中を突っ切るのが一番の近道だ。

 今日の僕はモモちゃんのご両親から保護者代行の役目も仰せつかっているので何とか18時までには合流しないとなんだ。

 帰り支度をして社屋を出るまでに5分、会社から駅の東口までが10分、駅構内の横断に10分と考えたら合流するまであまり時間は残されていない。

 やっぱりと言うか既にオフィス街は駅へと向かうスーツ姿の集団で溢れていてその流れに乗って遅々とした速度で進むしかなかった。

 ともすればイライラしそうになる気持ちを抑えようと意図的に大きく息を吸い込んでは吐きながらその流れになるべく逆らわないように目的地を目指す。

 僕が駅の中に飲まれた方角と、それ以外の方角から飲まれた複数の集団が入り混じって構内はどこをどう歩けば行きたい方向に進む事が出来るのかも一見わからない程混沌とした状況を作り出していた。

 普段はもっとゆっくりと帰り支度をするから、こういう先陣を切って家路を急ぐ人達を見るのも初めての事だったので僕はちょっとアウェーに来てしまったかなぁなんて毎日見ている景色の別の顔を見た気になってしまう。

 よく知ってる所でも、そこを行き交う人が、その人達の目的がちょっとだけ違うとこんなにも変わるものなんだなぁ。

 おっと、今はそんな事よりモモちゃんだ。

 ブルッ、と手首に軽い振動が走る。

 スマートウォッチに『今どの辺? お仕事終わった?』とメッセージが表示される。

 もちろんそのメッセージの差出人は『モモちゃん』と記されていた。

 一瞬、返信しようかと迷ったけどそのために立ち止まれる場所は見当たらないし歩きながらスマホを操作するわけにもいかないので、心の中で一言『ごめん!』とお詫びを入れて西口出口へと急ぐ。

 普段あまり訪れない西口ゾーンに突入したので、うろ覚えで頼りない脳内マップで確かこっちに地上へのエスカレーターあったよな……と進むと。

「セイちゃん!」

 まだまだ僕の記憶力も捨てたもんじゃないな、ちゃんとエスカレーターまで来れたじゃんって思った所で……最近は特に毎晩スピーカー越しに聞いている良く知った声が僕を呼ぶのが聞こえた。

 いや、スピーカーから聞こえて来る声よりももっとずっと澄んだ、よく通る声と言うべきか。

 なにせ今はイヤホンもスピーカーもなく生の声が聞こえたのだし。

 辺りを見回して声の主を探してみると……いた。

 エスカレーターの脇、人通りのない場所に学校指定のバッグを両手で持つモモちゃんの姿が。

「ごめん、人多くて返事返せなかった」

「いいよぉ。多分そうかなって思ってたし。さ、いこ?」

「うん」

 モモちゃんが指定したお店は食べ盛りの中学生らしいというか、でもチョイスが渋いというか。

 赤字に白抜き文字で『ほるもん屋』と書かれたそのお店はあと数分後に迫った開店の準備で中はさっき通って来た駅の構内みたいに人が右往左往していた。

「あとちょっとだしここで待ってよう」

「うん、そうだね」

 この後の事を想像してか、やけに嬉しそうな表情のモモちゃんと一緒に店の外壁を背にして並んで開店の瞬間を待つ。

 そうして通りを眺めていると、駅とは逆の方角から僕を呼ぶ声が聞こえて来た。

「あれ? 小和田君……?」

 その声は僕が良く知っているあの人のものに間違いなかった。

いつもはまとめ上げている金髪をオフの時間だからなのか、前に家に来た時にそうだったように下ろしている友田さんが意外そうな顔で僕を見ていた。

 と、言うかこんなに近づかれていたのに、どうして気づかなかったんだろ。

 容姿は多分僕やモモちゃんより全然目立つ人なのに僕の視界の隅に入っていたのに全くそれが自分の知っている人だと認識できなかったんだろ。

「友田さん……なんでこんなところに」

 小さく手を振りながらこちらに近づいてくる金髪の先輩。

「ん~横浜まで帰るの面倒になったから直帰連絡だけして何か食べて帰ろうかなって……そっちは……それが約束の?」

 隣で一人話題に乗れずぽつんとしていたモモちゃんの方を見た友田さんは……。

「えっと、妹さん……かな……」

 普通この組み合わせだと十中八九そう見えるとは僕も思うんだけども。

 妹発言にちょっとムっとしたのか、モモちゃんは僕の腕にしがみつくと友田さんの方に視線を向けてこう言い放った。

「いえ彼女です好き合ってますラ・ヴ・ラ・ヴ♡ですあたし達」

 僕まだ自分がどう想っているかわからないって言ったよね!?

 なんでそういう事いうかなぁ……。

「へ? 何言ってんのモモちゃん!?」

「小和田君……?」

 僕が抗議の声を上げたのと友田さんが疑いの眼差しを向けて来たのはほぼ同時。

「あ、そっかぁ。こういう所来る時は仲のいい兄妹って事にしておこうねって話したよねぇ。ごっめ~ん」

 そうやって僕に追い打ちをかけてくるモモちゃんの発言は口調がわざとらしいくらいにわざとらしくてもはや友田さんを挑発しているようにしか聞こえないんだけど……?

 いや実際そうなんだな……。

 友田さんの顔が赤くなって青くなってを繰り返していて何を考えているのかは僕にも何となく想像できてしまう。

「やめなさいって。ほら、開いたよ」

 大人げないなぁモモちゃん……ってまだ中学生だったっけこの子。

 とにかく自分の倍くらい生きている人生の先輩に対する子供じみた挑発をやめさせてとにかく店内に入らないとと思った僕はたった今開いた店の入り口へとモモちゃんを誘導しようとしたけど。

「友田さん、でしたっけ? 一緒にどうですか?」

「えっ?」

 ついさっきまで敵意を向けていたのはどこへやら、一転して友田さんを誘うモモちゃん。

 この二人が一緒だとどうなるか、ってさっきちょっとだけ垣間見えたようなような気がするんだけど……。

 ほらぁ、なんが表情硬くして『何言ってるんだろう?』みたいな顔してるじゃん、友田さんも。

 でも。

 女性はよくわからないなぁ、って僕に思わせるような答えが返ってくる。

「うん……お邪魔じゃなければ」

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