第九話 ときめきディスタンス
「なんですかこれ!? なんですかこれ!? 五月たちはこんなにおいしい蕎麦をいつも食べていたのですか!? すごすぎですよ!! 何でこんなにおいしいんですか!? 想像以上ですよ!?」
この間聞いた言葉のリフレイン。
「橘のそばで」に着いた五月たちは、さっそく蕎麦を頼み、出来上がったものを口にしたのだが……。
(食べすぎだよね……)
五月は心の中で突っ込む。
先日食堂で大騒ぎして以来、すっかり食いしん坊になってしまった桜空は、普通の人でさえ虜になってしまうこの蕎麦に、その時以上の興奮を見せた。
……そのせいか、最近、桜空が体重計に乗るたび、青い顔をするようになってしまったが。それでも食べるのをやめられず、悩んでいるみたいだ。
ちなみに、初めて食べた友菜ちゃんたちも、あまりのおいしさに、すっかり魅了されている。
「本当だね。すっごくおいしいよ!」
「そうね。……意外とネギもおいしいわね」
「もぐもぐ」
「……アタシ、お代わりしよっかな」
そんなみんなを見て、綾花はとてもうれしそうだ。
「そうでしょう? お父さんの作る蕎麦は世界一!」
「あんたの蕎麦もおいしいだろ? いい加減、この店も継がないのかい?」
橘家前当主の雄一郎が今もこの店を切り盛りしているが、綾花は当主の座を引き継いだ今も、自分で作った蕎麦をふるまえていない。
そのため、綾花は苦笑しながらお義母さんに応えた。
「そうしたいのも山々なんですけど……、未だにお父さんから認められないんですよね」
「そうはいっても、もう数十年もここで働いてるだろう? もう一人前なんじゃないのかい?」
五月は詳しいことは知らないが、お義母さんの言う通り数十年もやっていれば、もう一人前といっても過言ではないと思うのだが。
綾花は、さらに苦笑を深める。
「まあ、一応店に出せるほどにはなっているんですけど……。ここだけの話、お父さん、当主を引退したじゃないですか? それで、この店以外にやることがほとんどなくて、結局私はまだ継げていないってわけなんです」
「はあ……。あのおやじ、若い力がこの村には必要だって言っておきながら……」
呆れたようにお義母さんがつぶやく。
つまり、……ボケないようにということか?
意外な理由にみんなもあきれ顔だが、桜空だけはうんうんと頷いている。
「なるほどですね。確かに、何もやることないと、本当につらいですから……」
ずっと一人で、誰にも見聞きされず、触れられなかった頃のことを思い出しているのだろう。
周りの時間だけどんどん流れていくのに、桜空だけたった一人、娘との呪いに囚われ、何もできず、前に進めない。
楽になれない。
そんな地獄のような時間。
それを想像してみると、かなり残酷な目に遭ってきたのが、改めて分かった。
それでも。
「今はあたしらがいるだろ? サラ姉?」
食事中ではあるが、かなちゃんが桜空の肩に手を回す。
すかさずマリリンも笑みを浮かべて言った。
「そうだよ。桜空ちゃんもワタシ達の大切な友達。ずっと見守っててくれたんでしょ? だから今度は、ワタシ達が桜空ちゃんの手助けをするよ」
ズッ友が手を差し伸べてくれる。
五月にしてくれたみたいに。
もう、桜空のことを五月と同じ、ズッ友のように思ってくれている。
桜空は、改めて二人の存在の大きさを感じていた。
「はい。これからもよろしくですよ。佳菜子、麻利亜」
満面の笑みで応えた。
――ちょうどその時だ。
「こんにちは。ああ、よかった。みんなまだいた。……ふう、間に合った」
息を切らせて店に入ってきたのは……。
「……裕樹」
見間違えるはずがない。
正真正銘、裕樹だった。
あの病室での別れからずっと会っていなくて、久しぶりに見た裕樹は以前よりもかなりがっちりとした体格になっていたが、その声や顔、なぜか傍にいると落ち着く雰囲気は間違いなく裕樹のものだった。
「……五月ちゃん、久しぶり」
裕樹の視線が五月へとまっすぐ注がれる。
五月もその瞳を見ると、なぜか鼓動が早まるような、緊張するような、それなのにとても心が弾むような、不思議な感覚に襲われる。
それでも、やはり裕樹とまた会えたことへの、言葉にはならない歓喜の叫びが心の奥底から発せられる。
そしてそれは、裕樹がゆっくりと五月の目の前まで来ると、さらに強くなる。
心臓が破裂しそうなほど、激しく鼓動を刻んでいる。
これはいったい、なんだろうか。
「……その組紐、つけててくれたんだな。ありがと、五月ちゃん」
裕樹は五月の髪を撫でながら組紐へとその手を躍らせるが……。
突然裕樹に触られた五月は、もうパンクしそうなほどだ。
いつの間にか顔から火が出るのではと思うほど熱くなるが、裕樹が髪を撫でる感覚がくすぐったいような、気持ちいような、とても変で、すごく心安らぐ気持ちになり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
そのため、ただただ俯いてされるがままに、裕樹が髪を撫でる心地よさに五月は酔う。
「……五月ちゃん、大丈夫? 顔赤いし、黙ったままだし……。もしかして、具合が悪いのか?」
そう言いながら裕樹の顔が五月の目の前まで迫り、五月はもうショート寸前だ。
「……裕樹、そこらへんにしておいてください。五月から湯気が上がってますよ」
裕樹はその声の方に振り向き、五月はようやく解放される。
五月もそちらの方を見ると、桜空が苦笑いしていた。
「君は?」
桜空を見たことがないので、裕樹が首をかしげるのも無理はない。
「私はずっと見てましたので、初めてのようには思えないんですけど……。まあ、初めまして。私は源桜空。今は五月と同じく、『暁』を名乗っていて、双子の姉、ということになっています」
その自己紹介を聞いて、裕樹は納得したようだ。
「ああ! 君なんだ。ずっと五月ちゃんのそばにいた子って。初めまして、望月裕樹です。……それで、俺、なんかした?」
裕樹は何も気づいていないようだ。
「……鈍いですね。しばらく会ってないし、中学の時も全然連絡よこさないから、なんとも思っていないのかと思ってたらバレンタインの夜にあんなことをしてましたし……。いろいろあってずっと会ってなかったですけど……。前途多難ですね……」
「……どういうことだ?」
桜空の言葉に、裕樹は全く心当たりがないようだ。
五月もさっぱりだったが。
「……サラ姉、『あんなこと』って、なに?」
かなちゃんが桜空に尋ねる。
「あれ? 佳菜子と麻利亜は知ってたんじゃなかったんですか?」
二人は首を横に振る。
「ううん。ワタシたちは、夜に二人で会っていたということだけ知ってるの。さんざん佳菜子がからかってたから、よく覚えてる。てっきりチョコを渡しに行っただけだと思ったんだけど」
「ちょっと、それってあたしだけってこと? 麻利亜もからかってたんじゃ……」
「……覚えてない」
麻利亜がごまかし、あーだこーだと言いあう二人は、口喧嘩ではなく、ただ仲がいいだけだ。
しかし、その夜のことを思い出し、五月は再び顔を真っ赤に染める。
「あ、あのさ……、その、チョコを渡しただけだった、よ? ね、ねえ? 裕樹?」
「……? ああ、そうだな。それで……」
「あああ!! ストップ!! それ以上はダメぇ!!」
慌てて五月が裕樹を止めるが。
いつの間にか桜空はみんなを集め、盛大な爆弾を投下した。
「その夜、ギューッとしたり、チョコをあーんってしてたんですよ」
……。
沈黙が流れる。
盛大な暴露をされた五月と裕樹は固まったままで、五月は心の中で声にならない叫びをあげるしかなかった。
「……サラ姉、それって本当かい?」
かなちゃんが桜空の肩に手を置く。
以前同じようなことをされたなあと、どこか他人事のように五月は思った。
「本当ですよ」
「違うでしょ!? 一緒に食べただけだよ!?」
とっさに五月は打ち消そうとするが。
「……ミーちゃん、それ、関係ない」
マリリンが、にんまりとして告げる。
「五月が……。意外ね」
リーちゃんがあっけにとられ。
「……ごちそうさま」
なぜか柚季ちゃんは手を合わせ。
「……うらやましい」
亜季ちゃんは何をうらやんでいるのか、五月はわからない。
そして、友菜ちゃんは。
「……もしかして、二人って、付き合ってるの?」
最大の爆弾を投下され、五月は一気に頭がショートする。
「うーん、付き合ってはないんですけど、ね。ずっと会ってなかったですし。でも、あの光景を見てると、お互い、気があるんじゃ……」
「え、えっと、……ソンナンジャ、ナイデスヨ」
裕樹は慌てたように顔を真っ赤にしながら否定するが、みんなのニヤニヤは収まらない。
五月も考えることができず、真っ赤になって俯くだけ。
「はいはい。それくらいにしましょう。ちょっと騒ぎすぎですよ」
そんな五月たちに、綾花という助け舟が現れた。
「それと、裕樹君、ご注文は?」
「あ、えっと、野菜かき揚げ蕎麦大盛りで」
「わかりました」
そのまま綾花は厨房へ向かう。
「……ヘタレだね、二人とも」
小さくお義母さんがつぶやくが、それは二人には届かない。
そのまま五月と裕樹はまともに話すこともできず、黙々とそばを食べ続けるしかなかった。
※
その後、蕎麦を食べ終わった一同は、綾花と別れ、千渡温泉へとやってきていた。
ゆっくりと五月たちはくつろいだが、先ほどの裕樹との関係について、みんなから質問攻めにあい、五月はくつろいだはずなのにかなり疲れてしまった。
そのため、みんなよりも早めに温泉を上がり、休憩室で涼んでいる。
裕樹はみんなと別れて、男湯に入っているが、まだ上がっていないようだ。
どうやらみんなは恋バナだと思っているようだが、そんなことはない、……と思う。
正直なところ、これが「好き」という感情なのかはわからないが。
ただ、裕樹との「絶対に幸せになる」という約束があったからこその今で、呪いを乗り越えられるようになり、その約束をもうすぐ果たせそうなので、ようやく裕樹と一緒に過ごすことに抵抗がなくなった。
それは、ズッ友やみんなも同じ。
最初は桜空とだけだったのが、いつの間にか、こんなに多くの仲間ができた。
それも、お父さん、お母さん、楓、雪奈もいてくれたからだ。
もう会えないけれど、一緒にやりたかった、遊びであったり、お話しであったり、勉強であったり、蕎麦を食べたり、温泉に入ったりが、みんなでできた。
きっと、これからもそうだろう。
欲しかった幸せは、もう目の前だ。
そんな心躍る未来に思いをはせていると。
「あれ? もう上がったのか? 五月ちゃん」
心安らぐ声音に五月は振り向くと、案の定、裕樹が傍に立っていた。
「はい。ちょっとみんなに色々聞かれちゃって……」
苦笑いしながら五月は返すが、裕樹と二人きりという状況に、心臓が跳ね上がりそうだ。
苦笑いだとは思うが、どうしても頬がだらけるように緩んでしまう。
「となり、いい?」
「はい」
裕樹が隣に座る。
距離、五十センチメートルほど。
その微妙な距離がもどかしい。
……もっと、近くがいい。
「さっきは大騒ぎになっちゃったけど、久しぶり。元気してた?」
目を合わせられず真正面を向いていた五月の耳元が、落ち着く声音にくすぐられる。
低い声だけど、心が甘くなる。
ずっと聞いていたいほど、好きな音色だ。
「うん……。ずっと、……がんばってたよ」
そのまま振り向けず、五月はつぶやく。
「呪いに、勝てるようになったんだよ。新しい友達も、いっぱいできたんだよ。……全部、裕樹のおかげ。あの約束があったから。……ありがと、裕樹」
何度も、くじけそうになった。
そのたびに、みんなに救われた。
でも、やっぱり、裕樹がいたから、約束があったからこそ、幸せを思い描いて、そこに歩いて行けた。
……裕樹がいないと、たぶん……。
もはや、裕樹が五月の心を根元から支えてくれているといっても過言ではない。
狂おしいほど、裕樹の温もりに浸っていたい。
……。
もどかしいほどの沈黙。
抗えない自分の気持ち。
もう、我慢できない。
「……五月ちゃん!? どうしたの!?」
素っ頓狂な声を裕樹が挙げる。
五月は、裕樹の肩に体を預けていた。
「……いや?」
見上げると、目の前に裕樹のうろたえた表情がすぐそばにあった。
顔が赤い。
おそらく、五月もそうだろう。
やはり、これは……。
「……いやじゃない」
目線を外しながら裕樹はつぶやく。
「じゃあ、さ。しばらく、このままでいい?」
「……ああ」
五月は体をもっと裕樹の近くに寄せ、その大きな体に身を預けた。
しばらくそうしていると、不意に五月の手が大きなぬくもりに包まれる。
それは、裕樹の手だった。
五月は再び裕樹に顔を向ける。
「……いやだったか?」
「……ううん。うれしい」
そのまま、裕樹の胸元に頭を動かすと、裕樹は抱きしめてくれる。
五月は、心の奥底から、あふれんばかりのときめきが、自分の体全部に満たされていくのを感じる。
……ああ。
幸せだな。
もう、ごまかせない。
理解するしかない。
五月は、裕樹のことが大好きなことを、愛していることを、全身で感じた。
「……いつまでここに帰ってるんだ?」
「……お盆が終わるまで。だけど、杯流しの時も来るよ」
「そうか……。じゃあ、さ」
そこで裕樹は言葉に詰まる。
なにか、思い悩んでいるのだろうか。
顔を上げようと思ったが、すぐに裕樹は言葉を紡いだ。
「その……、会える時間はないかな? ……二人きりで」
また、裕樹と二人きりに……。
胸の奥から、歓喜の声が上がるのを感じる。
いま味わっているこの心地よさを、また味わえる。
それも、裕樹と二人きりで。
「もちろんだよ。ありがと、裕樹」
満面の笑みを浮かべると、裕樹もとてもうれしそうだった。
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