第五話 明日への羽ばたき 前編

「さーつーきー……。全然わからないですぅ……。教えてください……」

「ああ、もう、わかった。わかったから、離れて、桜空」


 六月の中旬となり、どんどん蒸し暑くなっているというのに、桜空は五月に泣きながらしがみついている。正直言ってかなり迷惑なので、離れてほしいが、ここまで桜空が壊れるのはある意味当然かもしれない。

 それは、中間試験が近づいているためだ。

 部活は休みとなり、五月と友菜ちゃんの部屋で三人集まって勉強していたのだが、高校初のテストということもあり、友菜ちゃんからも聞かれることは多い。

 ただ、それにもまして、桜空は……、まずい、いや、ひどい。


「なんですかあ、このxとかyってぇ……。バノルスにいた時こんなのなかったですよぉ……」

「はあ? 桜空、あんた王族だったんでしょ? これくらいわかんないの?」

「私がやってたのって当時の政治とか経済とか中心で、こんな文字、一つもなかったんですよ……」

「じゃ、じゃあ、さ、……方程式とかって、桜空ちゃん聞いたことある?」


 泣き言ばかりの桜空に、恐る恐る友菜ちゃんが尋ねると。


「……なんですか、それ? おいしいんですか……?」


 ……。

 沈黙に包まれ、五月と友菜ちゃんの目が点になる。


「……もう一度、いい?」

「聞いたこともないです……」


 うなだれる桜空を横目に、五月と友菜ちゃんは互いの視線を合わせる。


「……やばい、よね?」

「やばいね」


 五月がはっきりと言い直すと、桜空が泣きついてくる。


「お願いですぅ、五月、教えてください! 勉強、できますよね!? なら、教えられますよねぇ!? 補習なんて嫌なんですよぉ……」

「わかったから! それで……、どこからわからないの?」


 五月の教えるという意思を受け取り、ようやく桜空は泣き止み、晴れやかな笑顔で、包み隠さずきっぱりと言った。


「全部です!」


 ……。

 再びの沈黙。

 正直五月も友菜ちゃんもあきれるしかない。


「……どうする、五月ちゃん?」


 やっとの思いで友菜ちゃんが口を開く。


「このままじゃ、桜空ちゃん、勉強が一切できないよ……。下手したら、留年とか、……退学、とか、そんなレベルだよ」

「……だよね」


 思いっきり五月はため息をつき、どうすればいいのか考える。

 先生に教えてもらうというのはどうだろうか。

 五月は、よくないと思う。

 そもそも、桜空には中学校までの教養が身についていない。

 一応、常識とかは教えていたのだが、勉強のことに関してはできると思っていたので、ノータッチだった。

 つまり、桜空には、この奥州女学院に入学する力すら、現役の生徒であるにもかかわらず、ない。

 それがばれてしまっては、不信感を与え、魔法のことがばれてしまうかもしれない。そうなると面倒だ。


 そうなると、自分たちで教えるしかないが、みんな勉強で忙しい。

 友菜ちゃんも必死に頑張ってついていっているくらいだ。

 そのような状況で一から桜空に教えるよう頼むのは、気が引ける。


 ただ、五月自身が教えるなら、「タイム・コントロール」などの魔法を使うという、イカサマのような裏技もあるが、すでに今回のテスト範囲のことは今までの勉強で身に着けていたので、教えるのは可能だった。

 ……もしイカサマを使ったら、体が悲鳴を上げたり、ずるしたりしていることになるので、できればそんなことにはなってほしくないが。

 一応、五月のご先祖様で、王族なのだから、才能はあるはず。

 そう信じるしかない。


 ……それに。

 かなちゃん、マリリンの時からそうだったが、人に教えるというのは、意外と楽しかった。時々友菜ちゃんたちにも教えているが、その時もそうだ。

 もしかしたら、人に勉強を教えるのが、好きなのかもしれない。

 そう思うと、桜空に勉強を教えるというのは、苦ではなく、むしろどれくらい桜空が伸びてくれるかという楽しみとか、教えること自体の楽しみの方が大きいことに気付いた。


「……じゃあ、わたしが全部教える」


 そのため五月は教えようと考えたが、友菜ちゃんが驚いたように尋ねた。


「え!? 大丈夫なの、五月ちゃん? 全部って、ホントに全部だよ!? 小学生の時から中学、高校まで! そんな時間と桜空ちゃんのスペック、あるの?」


 五月は苦笑するが、すぐにまじめな表情になる。

 ……確かに教えたいというのもある。

 でも、それだけじゃない。

 お返しを、したかったから。


「……友菜ちゃん、私は大丈夫。できるかどうかの心配より、やってみなきゃ。信じなきゃ。桜空ならできるって。それに、桜空もわたしを信じてくれたんだもん。色々教えてくれたんだもん。お返し、しなきゃね」


 そうだ。

 信じなければ。

 桜空も、五月を信じてくれたのだから。

 それに、魔法とか、バノルスのこととか、血腸村のこととか、色々教えてくれたのだから。

 なにより、ずっと共にいてくれたのだから。

 そのお返しとして考えると、それでも足りないくらいだ。

 だから。


「桜空。少しずつ、だけど、いいかな? いっぱいお世話になったけど、そのお返しがしたいの。わたしに、勉強を教えさせてくれない?」


 その時には、桜空も冷静さを取り戻して、しっかりと五月と向かい合ってくれていた。きちんとその言葉を聞いていてくれた。

 正直、桜空にとっては五月に申し訳ないことをしていたと、ずっと思っていた。

 どんな形であれ、五月を不幸へと叩き落した、きっかけを作ってしまったのだから。

 それに対抗できるよう手助けするのは当然で、お礼をしてもらえるような立場ではないはずなのに。

 それなのに、そのお返しをしてくれるだなんて……。


「……五月、私に、恨みはなかったのですか?」


 だから、桜空は聞かずにはいられなかった。

 それに五月は、笑顔で首を横に振ってこたえた。


「……ううん。恨んでないよ。みんな死んじゃったけど、呪いに巻き込んじゃったけど、ズッ友とか、友菜ちゃんたちに会えたんだもん。……もう、わたしは後ろを向かないよ。それを支えてくれたのは、桜空なんだよ。だから、今度はわたしが、桜空を助けたいの」

「……そう、ですか」


 その答えを聞いて、桜空はわかった。

 ……もう、五月は呪いを乗り越えられるほど大きくなったのだ。

 この間だって、桜空が最初に手伝っただけ。

 ほとんど五月がやってのけた。

 それほどまでに強くなってくれた。

 その五月が、自分のおかげというのならば。

 それを、ありがたく受け取るべきだろう。

 その五月の想いを、拒みたくなかった。


「……ありがとう、五月。その、これからよろしくお願いします」

「うん。よろしくね、桜空。……それから」


 五月は友菜ちゃんに向き直る。


「ごめん、友菜ちゃん。ちょっとこれから桜空にかかりっきりになっちゃうけど、もし聞きたいこととかあったら、ちょっと遅れるかもしれないけどいい?」

「もちろんだよ! うちもがんばるから、二人もがんばって! 教えられるように頑張るから!」


 友菜ちゃんが眩しい笑顔を浮かべてくれる。

 その明るさにも後押しされるような気分だ。


「じゃあ、これから桜空はきっちりやろうね。……地獄の特訓、さっそく始めようね」

「は、はい。がんばります」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る