第九話 風
次の日、授業の開始日であると同時に、友菜ちゃん、リーちゃんと陸上部に見学に行くということで、授業の準備と、部活の準備を五月はしていた。
「あ! それって、スパイク!?」
友菜ちゃんが五月の手元の白い靴について尋ねる。
「うん。『ホワイト・ウィング』っていう、短距離用のスパイクだよ。かなりいいんだけど、実はまだこれで走ったことがないんだよね」
かつて、まだ呪いのことを信じずに、ひたすら裕樹との約束を果たそうとズッ友たちと過ごしていた、今となっては遠い記憶。
その頃は、ズッ友にはまだなってなかったが、学校も楽しくて、とても懐かしい。
その時に、ズッ友たちと買ったスパイクだった。
大会のメンバーになれず、その直後に呪いに苛まれ、部活動をやめたために、まだこの子で走れたことがなかったのだ。
もしまた部活をして、陸上部に入ったなら――。
この学校に入学が決まった時、色々妄想する中で、そんな風に思った。
今度こそ、この子と一緒に走りたいと。
あわよくば、かなちゃん、マリリンとも……。
大切な思いが詰まったスパイクなのだ。
「へえ! そっかあ、スパイクかあ! まだ準備してないけど、大丈夫かな!?」
「今日はさすがに大丈夫だと思う。いきなりバンバン走らないと思うし。でも、スパイクを選ぶなら、怪我の元にもなるから、最初の内は初心者用の方がいいよ。なれたら種目とか走り方にあわせて選んでね」
「そっかあ! ありがとね、五月ちゃん!」
友菜ちゃんとのやり取りをしていると、ふと前もこんな会話をしたなとしみじみと感じる。
あの時は、かなちゃん、マリリンにいろいろと教えてもらいながらやっていた。
今度は、その逆。
あまり陸上をやってはいなかったが、それでも感慨深い。
今度こそ、幸せを掴めそうだ。
……いや。
幸せをつかむんだ。
五月はそう決意した。
※
その後、五月と友菜ちゃんは校舎に向かい、まずホームルームで連絡事項を高井先生から聞き、礼拝堂に移動して、全校生徒で礼拝をした。
礼拝は毎朝行うことで、ミッションスクールである奥州女学院ならでは。
それからは授業を行い、あっという間に放課後になった。
「で、部活動紹介、ね」
五月たちは、礼拝堂に他の生徒たちとともに向かっていた。
礼拝堂は、礼拝だけでなく、全体的な連絡や、集会などをやる場としても利用されているのだ。
「まあ、うちらは決めてるから、あくまで参考に、ね!」
「そうね。どんな雰囲気化だけでもつかんでおけば、なじみやすいだろうから、陸上部のはきちんと聞かないとね」
三人で話しながら礼拝堂の中へと入る。
席は決まっていて、ある程度離れてしまうので、三人は話を切り上げる。
しばらくして、部活動紹介が始まったが、以前中学校の時に見た者と同じく、部によってさまざまだ。
しかし、今回はあらかじめ陸上部に焦点を絞っていたので、他のは流しながら見ていた。
「それでは、次は陸上部です。陸上部、お願いします」
そうしている間に順番が来たので、五月は耳を傾ける。
「こんにちは、陸上部です。顧問の高井先生の指導の下、日々練習に励んでいます。女学院には全天候型のトラックがあるので、雨の日でも練習できます。ナイター設備もあるので、夜も練習が可能です。中学生、高校生が一緒になって練習し、時々大学生も練習を一緒にすることがあります。
また、日曜日、大会の翌日などは基本休みなので、文武両道が可能で、実践している部員、OGが多くいます。
走ることがすべて、と思う方も多いかもしれません。ですが、走る以外にも、跳んだり、投げたりと、さまざまな種目があるのも、魅力の一つです。目標の記録を達成したときとかは、もう本当に最高です。見学だけでも大歓迎なので、一度、トラックへ足を運んでみてください。ご清聴、ありがとうございました」
まじめな紹介をして、代表者は去っていく。
どうやら、陸上部は比較的まじめな方のようだ。
それに加えて、文武両道しやすいように、日曜日が休みなのもかなり大きい。
魔法の練習もしなければならない五月にとって、体を休めるというのは理想的だった。
一同が解散した後、再び友菜ちゃん、リーちゃんと集まって、一緒に陸上部のグランドに行きながら話していたが、二人も文武両道という点に大きく惹かれたようだ。
そうやって歩いていると、五月たちはグラウンドの目の前に着いた。
グラウンドでは、数十人ほどが練習している。
どうすればいいのか三人は迷っていると、二人の女子生徒がやってきた。
ただ、三人は目を疑った。
二人は、どう見ても同一人物にしか見えないほど、同じ顔、同じショートヘア、同じピンクの服だったのだ。
違うのはその体格。
背が高い子が、細身で、失礼かもしれないが胸があまりない。
反対に低い子が、少しがっちりしていて、胸が、五月ほどではないが、豊かだ。
「すみません。もしかして、見学ですか?」
背の高い子が五月たちに尋ねる。
「あ、はい。よろしくお願いします」
五月たちが見学と分かると、背の低い子が笑顔を爆発させる。
「ほら! 言ったじゃん、
「そうだね、
「はいよ! 柚季!」
そのまま背の低い子――亜季と呼ばれた子が、トラックの外にある、倉庫のようなところへとかけていった。
まるで嵐のように感じ、終始三人は圧倒されていたが、その三人を見て、微妙に困ったような表情をしながら背の高い子――柚季と呼ばれた子が頭を下げる。
「すみません。ちょっとびっくりしましたよね。あたし、松岡柚季といいます。高一です」
「高一なんだ! 同級生だね! よろしくね! 柚季ちゃん!」
「……っ! よ、よろしく、です……。えっと、とりあえず、あたしは、この陸上部では短距離です。さっきの子は、あたしの双子の妹の、松岡亜季です。あたしと同じく、短距離です。それで、見学ですよね。こちらへどうぞ」
柚季ちゃんは友菜ちゃんに少し押されながらも、五月たちを倉庫へと案内する。
そこにはすでに、赤いマットを準備していた亜季ちゃんが待っていた。
「ささ! どうぞどうぞ!」
亜季ちゃんはマットに座るように促す。
「じゃあ、遠慮なく……」
三人は荷物を下ろしてマットに座る。
「そういえば、三人は何年生?」
亜季ちゃんが尋ねてくる。
「リーたちもあなたたちと同じ、高校一年生よ。高校から入ったのだけれど、ひょっとしてあなたたち、中入生かしら?」
「うん。そう。あたしと亜季は中学のころから陸部に入ってる。ところで、名前を聞いてもいい?」
「うちは白鳥友菜っていうの! よろしくね!」
「リーは鷲尾李依というわ。 よろしく」
「わたしは暁五月。よろしくね。ところで、柚季ちゃん」
軽い自己紹介をしたところで、五月は質問をする。
「今日、ちょっとだけ走っていい? 中学のころすぐやめちゃったんだけど、高校では今度こそちゃんと陸上部をがんばるって決めてて、ずっと走ってたの」
「五月ちゃんが走るなら、うちも!」
「リーもいいかしら?」
どうやら、友菜ちゃんとリーちゃんも、ランニングシューズや服などは準備していたようだ。
三人の言葉を聞いて、亜季ちゃんが破顔する。
「よし! まずは三人確保!」
「こら! そんな言い方をしない! ……ごめん。でも、本当に今日走るの? 見学もできるけど」
まずは段階を踏んで、ということを考えてくれているのだろうか。三人のことを思ってのことだとは思うが、五月はもうすでに走ろうと思っていた。
「わたしはだいじょうぶです」
「うちも! ちゃんと靴とかも持ってきたし!」
「リーも大丈夫よ」
五月は一人だけでも走ろうとは思っていたのだが、どうやら昨日の話で、二人も走ろうと思ってくれていたらしい。
五月たちの準備ができていることがわかると、柚季ちゃんが首を縦に振った。
「……わかった。とりあえず、体験入部という形で。もしここにするって決めた時は、先生に言えば入部届がもらえるから」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、部室を案内するから、そこで着替えよう! ついてきて!」
そのままトラックのそばにある、部室棟へと移動する。
「ここが陸上部の部室だよ!」
大げさなくらいに亜季ちゃんが案内した部室は、ちょうど三階建ての部室棟の、一階の端の方だ。
手前から奥まで扉がたくさんあるので、一つ一つが様々な部の部室なのだろう。
その扉を開けると。
「ば、バケツ!?」
友菜ちゃんが声を上げて驚く。
友菜ちゃんほどではないが、五月とリーちゃんも多少驚いた。
すぐ手前にあるいくつもあるバケツが、まず五月たちを出迎えたのだ。
「ああ、このバケツは、アイシングとかに使うやつだよ。ちょうどこの部室の隣に水道があったでしょ? そこでやるわけさ!」
亜季ちゃんがバケツを指さしながら説明する。
おそらく、バケツの中に水を入れてアイシングをするのだろう。
それを聞いて、三人はなるほどと納得する。
「で、この棚に荷物とか置くわけだけど、みんなの場所はまだ決まってないから、とりあえず椅子の上に荷物置いてね」
亜季ちゃんの言うとおり、部屋の奥に向かって、部屋の右左の両側に、一つずつ棚があり、そこに荷物がいくつも無造作に置かれていた。
おそらく、その一つ一つが部員の荷物を場所となっているのだろう。
そして、その棚の前にはいくつか椅子がある。
まだその場所が決まっていないので、亜季ちゃんの言うとおり、五月たちは椅子に荷物を置いて、着替え始めた。
「……五月って、昨日からうすうす思ってたけど……、胸、すごいわね……」
そのとき、リーちゃんに胸をじっと見られながらつぶやかれた言葉に、五月は赤くなりながら胸を隠すように手で覆う。
「そうだよねえ。なんか、うらやましい」
寮が同じ部屋であるはずの友菜ちゃんにまでじろじろ見られる。
「や、止めてよ……。それよりも、早く着替えよ……」
弱々しく抗議する五月。
「あ、ごめんなさい。待たせてしまっているものね。急ぎましょう」
「ごめんね、五月ちゃん」
二人は謝ってくれ、それで終わりにしてくれたので、五月もさっさと着替えながら物思いにふける。
以前も、こんなことがあった。
あれは、初めてズッ友たちと温泉に行った時だったか。
なんだか、昔の楽しかったころと同じような気がして。
……少し、怖い。
あの頃をそのままなぞるようだ。
また、呪いに巻き込まれてしまうのではないだろうか。
そんな不安が付きまとう。
「五月ちゃん? どうしたの?」
友菜ちゃんの声でハッとする。
「……あっ、ごめん。考え事」
そう返すのが精いっぱい。
「そう? 何か困ったことがあったら言ってね。力になるから」
微笑みながら友菜ちゃんが言った。
なんだろう。
友菜ちゃんの笑みを見ていると、すごく勇気づけられる気がする。
呪いがあったとしても、何とかなりそうな気がする。
そんな不思議な力を感じた。
「リーも忘れてもらっては困るわ。せっかく友達になったのだから、リーも力を貸すわよ」
リーちゃんも胸を張る。
なんだか、とても心強い。
まるで、ズッ友の二人のように。
「……ありがと。わたしも二人に何かあったら何とかするから」
そんな二人の存在がありがたくて、つい微笑んで言った。
大丈夫。
……今度は、魔法がある。
この力で、絶対にみんなを守ってみせる。
幸せになってみせる。
……そして、魔法を滅ぼす。
その決意を新たにして、胸の内に誓った。
※
その後、グラウンドに向かい、柚季ちゃんの指導の下、ジョグをしたり、体操を教えてもらったり、ドリルを教えてもらったりした。
かつて、かなちゃん、マリリンに教えてもらったことをなぞるように。
妙な感慨にふけりながらも、指導された通りの動きを意識してやった。
「うん。いい調子。特に、五月。動きがいい。そのまま何回もこなせば、大丈夫」
「あ、ありがとう」
「友菜は陸上未経験なんだよね? それにしては上出来だけど、まだまだだから、これからも先輩の動きとか、五月の動きとか見て学んで」
「了解です!」
「李依はなんか不器用だね。意識していることは伝わるけど、動きができてないから、これからしっかり頑張ろうね」
「ええ……。わかったわ」
三人のうち、リーちゃんはあまりドリルがうまくできず、タイミングがずれたり、足が流れたりと、走りの基礎がまだ未熟なようだ。
友菜は、未経験ではあるのだが、センスを感じられた。
おそらく、二人は練習してきちんとした動きを身に着ければ、かなり伸びるだろう。
一方の五月は、一人でやっていたとはいえ、かなりのブランクがあったのにもかかわらず、合格点をもらえる出来だ。
「じゃあ、この後流しを三本。七割でいいから、トラックの横の芝生のところを、100メートル走って。あそこのスタート地点の横だから。ゴールのところは、カーブになる直前だから。もし痛みとか出たら、無理せず休んで」
続いて、柚季ちゃんから流しをするよう言われる。
流しは、全力で走らず、軽めに走りながら、自分が意識したいことを重視するなどする練習となる。
それをする場所は、トラックの周りにある芝。
三人は柚季ちゃんに返事をした後、100メートルのスタート地点付近の芝へ向かった。
(久しぶりだな)
このような、みんながいる場所で走るのは三年ぶりで、そのように五月はしみじみ思う。
そして、前傾姿勢を取り。
先ほどのドリルの動きを意識しながら、一気に加速する。
……体が、軽い。
やはり、指導してくれる人がいて、その人が教えてくれたドリルをしたからなのか、一人で走るよりも、桁違いに足が前に進む。
一人の時に、全力で走ったようなスピードが、七割ほどの力で出た気がする。
五月に遅れて友菜ちゃん、リーちゃんがスタートするが、どんどん突き放していく。
風を切るような感じがして、とても気持ちいい。
そんなそう快感を味わいながら、あっという間に夢のような100メートルは終わった。
残り、二本だ。
「……はあ、はあ。五月ちゃん、速いねえ」
遅れて到着した友菜が、息を切らせながら言う。
「……はあ、はあ。本当。五月、全力じゃないわよね? あなた、速すぎよ……」
「……? 全力じゃないよ」
「え? 全力、じゃない!?」
経験者であるはずのリーちゃんも五月の速さを絶賛するが、全力でないことを聞いて、驚いた。
ただ、残り二本残っているので、それも同じ意識で、それに加えて腕振りも意識して、五月はこなした。
そして、柚季ちゃんのところに戻ると。
「……五月、本当にブランクあったの? スパイクなしなのに、十三秒の前半出てるんじゃない? スパイクはいたら十二秒出るんじゃ……」
「え? 十二秒って、そんなに速いの?」
未経験者の友菜ちゃんが首をかしげる。
「速いも何も……。十二秒台って、この県だと準決勝くらいだよ? 中学生だったら、トップスリーくらい……」
柚季ちゃんの言葉を聞いて、その場のみんなが驚く。
「周りを見てみなよ! みんな、おったまげてるよ!」
そこに亜季ちゃんが興奮したように周りを見るよう促す。
五月たちは周りを見ると、部員たちの注目を一斉に浴びていた。
そのとき。
「……っ! こんにちわ!」
部員の一人が、明後日の方向を向いて、早すぎて「ちわっ!!」としか聞こえなかったが、大声であいさつする。
そちらの方向に、五月たちも含めて、部員が向くと。
「こんにちわ!」
一斉にあいさつ。
困惑している五月、友菜ちゃん、リーちゃんに、挨拶を終えた亜季ちゃん、柚季ちゃんが説明する。
「顧問の先生の、高井雅弘先生だよ。挨拶しに行こう」
なんと、五月たちの担任の先生が顧問の先生だったのである。
三人は驚くが、それをよそに、柚季ちゃん、亜季ちゃんに連れられ、先生の前へ向かう。
「高井先生、体験の子たちです」
「おお、お前らか。どうだった?」
「あ、もともと入ろうとは思ってたんですけど、なんか、すごく気持ちよかったです」
「うちもです!」
「私もそう思いましたわ。この部に入ろうと思いました」
それを聞くと、高井先生は嬉しそうに笑った。
「そうかそうか。それは良かった。ところで柚季。この子たちはどうだった?」
「結構いいと思います。特に、五月なんか、県大会の準決勝に今の段階で行けそうなほど速かったです」
「そんなにか!?」
高井先生も驚く。
「はい。あいにく、今日は流し三本もう走ったので、あとはダウンしてもらおうと思っていたのですが、実際に見ると、すごいとしか言えないです」
「そうかそうか。それはすごいな。……暁」
「はい?」
「……入部、してくれるか? 白鳥、鷲尾も」
答えは決まっていた。
「はい!」
こうして、三人は陸上部に入部したのだった。
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