第二話 母
桜空が話した、バノルス王国の話。まずは、桜空の恋人の話を聞いた。
恋人、というよりも、婚約者の方が正しいか。
王女として過ごす中で、疎外感や、自分を利用しようとする悪意を日々感じ、ずっと一人だった桜空に、ある日突然舞い降りた縁談。
その相手が、リベル・サルバドール。
彼は、桜空と対等な関係でいようとした。
それは、桜空にとって、王女としていなければならない自分を忘れ、一人の女の子として扱ってもらうことと、同義だった。
桜空にとって、一番してほしかったことだ。
だからこそ、その縁談を受け入れるのは当然だった。
十五で大人とみなされ、結婚する。わたしはすごく早いと思うのだけれど、これが普通のことらしい。むしろ、二十を過ぎて結婚する方が珍しいのだとか。
それでも、王家では、王女を六代続けて、母親が十代で出産しているというのだから、さぞかし子供が多いのだろうと思った。
実際は、みな出産後に病気になり、それぞれ一人ずつしか子供をもうけられなかったのだが。
だからこそ、桜空しか王位を継げなくなった。
それが桜空の悩みの原因となり、不幸の元となってしまった。
そして、源家が存在する理由へとつながっていくのだ。
※
「おはようございます、母上。本日のお体の調子はいかがですか?」
食事をするため母上の私室に入る。本来ならば食堂で食べるのだが、母上の体は弱く、体調を崩しがちで、二年前からは寝たきりになることが多く、一部の儀式以外では、人前に立たずに、寝たきりの状態で王としての役割を遂行していた。
母上、ステラ・トゥルキア・バノルスは、現在三十にもなる。平均の寿命が四十代後半のバノルス王国から考えると、若い、と思うかもしれないが、禁忌を犯したリベカ様と添い遂げた、六代前の王、イサク様の、娘である次代の王、フローラ様から、アンネ様、リリス様、ラケル様、ジュリアおばあ様に至るまで、それぞれ三十一、二十七、二十二、二十五、二十八でその生涯を終えており、母上の体調を考えても、残りの時間は短いのだろうと思っていた。
それらのことから、食堂で食事をするのは母上には困難だったため、私は、母上の私室で一緒に食事をとることにしていた。財務大臣である父上、ペテロ・トゥルイ・バノルスは忙しく、なかなか家族の時間を取れないため、せめて私だけでも母上と一緒に過ごしたかった。
「おはようございます、サラファン。今日の調子ですか。そうですね。自分で起き上がれるくらいにはいいですよ」
そう言って、母上はそれを証明するように、体をベッドから起こした。その顔は、母上の言うとおり、多少顔色は良かったが、体はやせ細っていて、見ていて痛々しい。
「無理はしないでくださいね。また体が痛むようでしたら、私に言ってくださいね。母上には無理させられませんので」
そう言って、私は母上に鎮痛魔法、「ミュー・オピオイダー」を施す。緑魔法、黄魔法の複合魔法で、体の疼痛を抑える魔法だ。一日数回、定期的に使用し、突発的な強い疼痛には、その都度より強めに使う。
「昔みたいに無茶はしませんよ。いざとなったら私も頑張りますけど」
たしかに、母上は体が弱いだけで、魔法を使えないわけではない。むしろ、最強とまでされる私に次ぐ実力で、軍や私で対処しきれない場合、母上も加勢することになる。実際、私が生まれる前の、隣国、マスグレイヴ帝国の侵攻の際は、母上が参戦したことで早期に撤退させることに成功した。それは体が弱かったこれまでの王もそうで、「オラクル」が滅びたものの、個人個人の魔法の実力で、国を守ってきた。
それが原因なのか、みな短命だったが。
おそらく、それが魔力消費性疲労症の、終末像になるのだろう。
私も、そうなってしまうかもしれない。そんな不安もある。
「そうならないように、私も頑張りますね。いい魔法が見つかれば、母上たちのように無茶せずに済むかもしれません」
その不安を、負担を和らげるため、私は魔法、特に白魔法の一種の、空間魔法の研究をしているわけだ。
その成果として、結界を作る魔法や、瞬間移動できる魔法を見つけることができたが、それは、その場しのぎにしかならないので、他の魔法を見つけようとしたり、すでに見つかっている魔法を生かせないかを模索している最中だ。
「でも、サラファン。魔法の研究ばかりでなく、他にもやることがあるでしょう。あなたは将来の王なのですから、少なくとも国内の状況や、ガリルトやマスグレイヴのこともわからないと、政治ができませんよ」
ただ、母上は魔法の研究に反対はしていないが、それよりも政治の方を重要視していた。内政が不安定なため、それに対応できないことには、国が崩壊しかねないからだ。
「大丈夫ですよ。きちんとその点については勉強しております。
現在、バノルス王国は母上の方の派閥と、自分たちが王にふさわしいと考えている、反政府派、通称、ノア派に分かれています。これは、現在の王家は、私と母上、そしてジュリアおばあ様の夫で、経済省の大臣、ヨハネおじい様、そして、父上で、財務省の大臣、ペテロだけで、王位に就く資格があるのが、母上、私だけと、大きく力を落としていることにあり、そうなったのは、ガリルト王国の巫女で、オラクルのリベカ様が、六代前の王、イサク様の、妻となる禁忌を犯し、その子供たちがみな短命だったことが大きな理由になります。
そのため、王が短期間の間に崩御され、国力が落ちてしまいました。そうなったのは、イサク様がリベカ様を娶ったことで、穢れてしまい、オラクルが滅びて、ガリルト神王国側で先に内戦が勃発、それを好機として攻め込もうとしたマスグレイヴに対し、リベカ様が、現在のバノルス王国のゴルゴタで、神器『ケセフ・ヘレヴ』を使用して、撤退させ、さらにガリルトの内戦を終結させ、バノルスがガリルトを実質的に支配するようになり、バノルス側にも負担がかかっていることが要因にあります。
一方、ガリルト側でも、神聖な自分たちをバノルスが実質的に支配していることに対して、不満が高まっており、これに対しても何らかの対応をしなくてはなりません。
なぜガリルトが神聖なのかというと、ガリルト、バノルス両国の歴史が関わります。ガリルトは、魔法を人々に授けたとされる神、ガリルトを祀り、その地を守る国で、そこがマスグレイヴ帝国から攻め入られそうになった時、時の巫女で、オラクルだった、ペトラが、その親友に国を守るように、前線に配置し、見事に退けました。
その褒美として、その親友に、国と、名前を授けました。もともとその親友には、トゥルイという名前がありましたが、家名のない一庶民でした。その家名として贈られたのが、『バノルス』という、竹馬の友を指す名前でした。彼は、贈られた名前のバノルスを国名にして、バノルス王国を建国しました。そして、トゥルイ・バノルスと名乗り、妻にはトゥルキア・バノルスと名乗らせ、王として国を守り、また、ガリルトを守るようになりました。
トゥルイは、ペトラに感謝し、バノルスに、ガリルトを礼拝する礼拝堂、『ペトラ礼拝堂』を建築しました。以来、国民が礼拝する場になり、心の拠り所になりました。
そのため、ガリルトがバノルスを建国させたといってもよく、バノルスに防衛させたため、王の出自が庶民のため、立場的にはガリルトが上といえます。
つまり、バノルスとは本来、ガリルトを守るために血を流す、穢れを引き受けた国で、その王と神聖な巫女であり、オラクルである、リベカ様が、当時バノルスの王子であったイサク様に嫁ぐことで、オラクルが穢れると人々は恐れたのです。
結果、オラクルは滅びてしまい、バノルスの王家はみな短命で子もほとんどいない状態になったのです。
では、巫女とは、オラクルとは何かというと、神、ガリルトから神託を受け、そのうえで
オラクルは、白魔法『オラクル』を使えるものしかなれない巫女です。『オラクル』によって、未来や、魔法などを知ることができますが、それは、神、ガリルトが語り掛けたものとしてとらえられ、神聖なものとして扱われます。巫女は『プレディクション』を使えればなれますが、『オラクル』とは天と地ほどの差があります。
ですが、リベカ様がイサク様に嫁がれる際、後任のオラクルを指名しましたが、そのオラクルがなぜか『オラクル』を使えなくなってしまい、リベカ様、イサク様によって、オラクルを穢されることとなりました。そして、リベカ様が、長女で、イサク様の次代の王、フローラ様を出産したのち、リベカ様でさえも『オラクル』を使えなくなり、一層オラクルを穢したという声が強まりました。その後の王の短命さからも、その後に『オラクル』の適応者が一切現れないことからも、そのように思う人々は多くいます。
防衛するためのバノルスによって、オラクルが滅び、内政が不安定になり、バノルスに支配される。そのような屈辱を味わっていると、ガリルトの人々は考えているわけです。だからこそ、バノルスに厳しい視線が注がれるのです。
また、現在のバノルス王家は、リベカ様の血を引いております。そのために王が短命だと考える人々は多く、リベカ様の血を引いていない、イサク様の弟、ノアの血を引く子孫の方が王にふさわしいと考えている人々がいます。それが反政府派で、ノア派ともいいます。
それ以外にも、隣国、マスグレイヴ帝国にも注意しなければなりません。バノルスや、ガリルトは肥沃な土壌が広がっているため、また、高度な魔法文化であるため、化学的にしか発展していないマスグレイヴにとって、この土地を支配することが、長年の目標になってしまっています。その脅威から、バノルスを、ガリルトを、守らなければなりません。
そのため、バノルスでは、魔法に依存しているのを、リベカ様が化学を発展させようとして、イサク様の代からそれに多くの予算をかけております。また、ガリルトに対する支援額も年々増加させています。
一方、ノア派の人たちには、有効な手を打ち出せておりません。ですが、私は、王位継承者が長年一人しかいないのが一因と思っているので、私が多くの子を産み、育て、一人でも王家を増やすことで、国民を安心させる必要があると考えています。その責任は大変重いですが、国民が安心して暮らせるように、日々学び、健康で、夫となるリベルと円満であることがその近道であると思います」
私は、このバノルスが置かれている状況を、ガリルト、巫女、オラクル、マスグレイヴ、ノア派の観点から、繰り返したところがあってまとまりがあるとは言えないものの、母上に答えた。それと同時に、対策や自らの考えを述べた。
それに母上は口を挟まずに耳に入れていた。
「確かにそうですね。ですが、サラファンが言ったことをそのままで理解するのは難しいと思いますよ。もっとわかりやすく、要点をまとめて言ってみなさい。それができないと、みんな話が分からなくて、聞きたくなくなってしまいますよ」
母上は理解しているうえに、当事者でもあるから、私が言ったまとまりのない言葉でもわかるが、そうでないものには母が言うとおり、話を理解できないだろう。
「えーっと、つまり、ガリルトと関係が深いけど、そこの巫女で、オラクルだったリベカ様が、バノルスに嫁いで以降、いろいろ悪いことが起きて、そのせいで今の政府に反対するノア派が誕生、ガリルトとの関係が悪化、それ以外にマスグレイヴ帝国がバノルスに侵攻しようとしている。
こんな感じかなと思います。
それを解決するために、大きくガリルトに対する政策、ノア派に対する政策、マスグレイヴに対する対抗策を打ち出す必要があります」
できるだけ簡潔にまとめようと思ったが、正直自信がない。それくらい複雑で、難しい問題を抱えているのが今のバノルス王国なのだ。
「まあ、それくらいなら、先ほどよりはましだと思いますよ。こう言う私もまとめるのが難しくて、サラファンのようになってしまいますけど。
さ、食事しましょう。ずっと話してばかりで、手を付けてませんでしたからね」
母上の言葉で、食事をしていなかったことを思い出す。
それに気づいた瞬間、私のおなかが鳴った。母上とはいえ、聞かれてしまい恥ずかしい。
「そ、そうですね。忘れてました。では、いただきます」
「ふふふ、いただきます」
少し遅くなった食事を、私たちは始めた。
※
「そういえば、サラファン、リベルとはどうですか。仲良くしてますか?」
母上と会話しながら食事をしているとき、思い出したように母上が聞いてきた。
「仲良くしているに決まっているじゃありませんか。夫婦になる日が待ち遠しいです」
それを聞いて、母上はうれしそうに微笑む。
「よかったです。ノア派の息子でしたが、リベルがいい人で助かりました。リベルなら信用できるので、サラファンの旦那様にぴったりです。これを機に、ノア派との関係が改善されるといいのですけどね……」
ノア派が引っかかるのか、母上は苦笑いしながら喜んでくれる。
「でも、王家の存続の危機には変わりありません。サラファン。……子供たちの顔、早く見せてくださいね」
「子供たち」と聞いて、顔が火照るが、子供の顔を見せる、というのが、果たして可能なのか、という疑問が浮かんでしまった。
母上は、それまで生きていられるのだろうか。
「……サラファン?」
私の様子に気付いたのか、母上は私の顔色をうかがってきた。
「あっ……」
自分がどういう顔をしていたのかわからなくて、思わずそむけてしまう。
「サラファン……」
母上の方に振り替えると、寂しそうな表情をしている。私が考えていたことを、自分の体のことを、理解しているのかもしれない。
「サラファン、こっちに来なさい」
いわれるがまま、母上の顔の近くに、椅子を動かす。
すると、母上は手を伸ばして、私を包み込むように抱きしめてきた。
私は、されるがままに、母の胸に体を預ける。
大きくて、柔らかい胸。私の不安が、包み込まれていくようで、心が安らいでいく。
「……大丈夫ですよ、サラファン。
私だって、わかってるんです。もう、長くはもたないって。
でも、思うんです。
サラファンとリベルなら。あんなに仲睦まじいあなたたちなら。
きっと、幸せになれるって。
きっと、たくさんの子供たちに囲まれて、もっと幸せになれるって。
私だって、母上、ジュリアおばあ様に、あなたの顔を見せたかった。
でも、その三年前に、逝ってしまわれた。
でも、母上は笑っておりました。
私と、ペテロが、あなたたちと同じく、婚礼の儀の前だったけど、仲睦まじかったから。
不安なんて、無かったのでしょう。
それは、私だって同じなんです。
だから、そんなに悲しまなくても、大丈夫ですよ。
私のことを思ってくれているのがわかるから、とっても嬉しいですけど。
私は、あなたが幸せなら、それがどんなに素晴らしいことか、どんなにうれしいか。
あなたも、いずれ、きっとわかりますよ。
だから、そんなに無理しなくても、大丈夫ですよ。
この部屋には、私しかいません。音が漏れる心配もありません。
だから、いいんですよ」
母の一言一言が、胸にしみる。
そして、やはり、母には子供の顔を見せられそうにないと思った。
母が、遠いところに行くのは、そう遠くない未来なのだから。
目頭が熱くなる。
そのまま、人前であれば、自分の気持ちを押し殺した。
でも、ここには、母しかいない。
自分の気持ちに、素直になっていい。
そう思うと、もう、自分の思いが、そのままあふれる。
川のように。
次々と。
母の胸に抱かれながら、母の愛に包まれながら。
母に、素直になれた。
母は、やさしく私の背を撫でながら、私を包み込んでくれた。
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