第十七話 宝物 後編

 桜空さくら伝を読み、真実を明らかにして、解呪のきっかけをつかむ。

 そう五月は決めたのだが、それでも、次の日からも学校に行くのは止めなかった。それは、五月はまだ中学生で、出席していない場合、ゆかりの耳に入り、桜空さくら伝の解読に支障が出ると考えたためである。


 佳菜子と麻利亜や、裕樹との関係については避けられなかったが、それは適当にごまかしていた。具体的には、いつも佳菜子と麻利亜、もしくは裕樹と遊んだり、勉強したりする時間には、源家で桜空さくら伝を解読し、それをみんなと一緒に遊んだり、勉強していたとゆかりに話すというものだった。

 みんなゆかりに話していないのか、それともゆかりが気を遣っているのかわからなかったが、五月が問い詰められることはなかった。


 サラとも、あまり話さなくなった。気を遣ってくれたのかどうか、わからなかったが、正直、あまり騒がれなくて、気が散らずに済んだ。

 学校では、佳菜子と麻利亜が同じクラスにいるが、話さなくなった。もっとも、二人は五月の気持ちは一時的なものと信じて、五月に話しかけていたが、それを五月は拒絶していた。


 加美山らによるいじめは相変わらずで、物がなくなるということはしょっちゅうだったので、桜空さくら伝を学校で読むのは不可能だった。そのため、学校にいるときは、桜空さくら伝を読む練習のために、専ら教科書の古文を読んでいた。しかし、それすらもなくなることがあったため、学校は、ただの苦痛でしかなかった。


 桜空さくら伝の解読も、思ったように進まない。昔の言葉の上に、崩れた字体。それを読むのは至難の業だった。

 魔法の練習もした。一度は「オラクル」の練習もしようと思ったのだが、再び高熱に襲われたうえ、失敗したのか、何も見えなかったため、「プレディクション」の練習をするしかなかった。あまりにも倒れ続けると、どうしようもないことになると思ったからだった。何か役立つことを見られないか期待していたが、意味のあることを見られず、最初の決意も苦痛になり、日々をただ決められたことを無気力になって、機械的に過ごすだけだった。


 もう、なにもかもどうでもいい。

 そう思った。



 ※



 一か月後、ゆかりからイワキダイキの死を知らされた。

 先日の大災害で死んだという。


「ざまあみろ」


 そう五月が口にして嘲笑った時、ゆかりはどう思っただろうか。五月は、ゆかりのことを見てはいなかった。


 愉快だった。

 自分の呪いで、幸せをぶち壊しにした屑野郎を殺したのだと思うと、報いられたようで、愉快で、笑いが堪えられない。屑から付きまとっておいて、勝手に自分と関わったせいで呪われて自滅するのは、滑稽で、笑える。

 自分たちが受けた苦しみを等しく受けたとは思えなかったが、少しでも仇を討てたような気がした。


 しかし、自分の部屋に戻り、ふと気づくと、自分の醜さに気付き、嫌になる。

 そして、いつの間にか涙でぐしゃぐしゃになっている。

 とても、惨めだ。

 まるで、まっさらな布地が、泥に濡れて、汚れていくかのよう。

 黒い感情で浸食されていく。

 どんどん穢れていく。

 どんどん壊れていく。


 一か月前に決意したことは、何一つ進展していない。それどころか、周りはあまり気付いていないようだったが、五月は自己嫌悪の繰り返しで、自分が壊れていくのがわかった。

 それでも、学校に通ったり、桜空さくら伝を解読しようとしたりと、一か月前にやると決めたことは、いまだに続けていた。壊れていく自分の中に、わずかに残る理性を保ち、何とか過ごしていた。


 それは、かつての幸せの日々が、裕樹との約束が、ズッ友だと言ってくれた佳菜子と麻利亜が、五月が大好きな人たちが、恋しかったからかもしれない。

 そんなことを望んではいけないなと思いながらも、その未練を断ち切ることはできない。

 自分と関わったら呪われるから。

 いっぱい、ひどいことをしたから。

 それでも幸せな日々がほしかったから。



 ※



 いつものように、意味のない学校に着く。下駄箱で靴を履き変え、薄暗い廊下を通り、教室に入る。

 佳菜子、いや、かなちゃんが、ハサミを持った加美山に、髪を切られようとしていた。

 かなちゃんは、クラスの連中に取り押さえられ、身動きできない。マリリンも同様だった。

 クラスの連中は笑っていた。

 イワキダイキと同じような、屑だった。


 そいつらに、かつてのズッ友が、傷つけられようとしている。

 目に涙を浮かべて、周りに助けを求める。

 だれも、かまわない。

 それどころか、皆で見世物を見るように煽っている。


 加美山が、ハサミをかなちゃんに向ける。

 かなちゃんと、マリリンの絶叫が響く。

 それが、五月を正気に戻す。

 助けなくてはならない。

 でも、五月にはそうする手段がない。


 ……いや、一つだけ、賭けることができるものがある。

 それは、五月が魔女だと証明するもの。

 助けられる保証がなくて、自らの首を絞めるだけになるかもしれないもの。

 一回しか成功していないもの。

 体を壊すかもしれないもの。

 五月が「巫女オラクル」であることを証明するもの。


 それでも。今までは、このような瞬間のために、練習をしてきたのだ。

 「プレディクション」には、必要なものを見られないことが多く、期待できそうにない。

 だから。大好きな人たちを守るために。

 五月は、小さく、それを言った。


「オラクル」


 視界が金色に染まる。体から何かが出ていき、力が抜け、疲労感が押し寄せる。

 そのとき、頭にイメージとして流れ込んできた。

 それは、映像ではなかった。何かの感覚のようだった。その感覚は、「オラクル」や「プレディクション」とも違う二つ。そのうちの一つは、すでに知っていたものに似ていた。

 それは、最初に「プレディクション」を使った夢で、その前に使った、「アクアアロー」に似た感覚。


 そして気付く。「アクアアロー」の感覚と、「オラクル」と「プレディクション」の感覚には、違いがあることに。そして、今イメージとして流れてきた感覚は、「アクアアロー」に似たものと、今までとは全く異なるものが、組み合わさったものだということに。

 たとえるなら、「アクアアロー」は、流れる水のようなもの。

 「オラクル」と「プレディクション」は、表現しようのない、今まで感じたことがないもの。

 そして、今イメージとして流れてきた感覚は、「アクアアロー」の感覚に、燃える火のような、熱い感覚も加わったもののように感じた。


 そして、その感覚の後に、小さく言葉のようなものが聞こえた。

 「オラクル」が終わる。

 まだ、かなちゃんは無事。

 その言葉を、流れる水の感覚、燃える火のような感覚を意識しながら、突風が吹くイメージで唱えた。


「ブラスト」


 その時、突風が吹き、窓ガラスが割れる。驚いた加美山やかなちゃん、マリリン、クラスの連中は、窓のほうに視線を向ける。それをよそに、五月は加美山に突進して突き飛ばし、かなちゃんを窮地から救う。


「五月?」


 驚いたかなちゃんにかまわず、かなちゃんとマリリンを捕えている連中を五月は睨み付ける。


「かなちゃんとマリリンを開放して。じゃないと、痛い目にあわすよ」


 しかし、連中は聞き入れない。


「は? あんた、何言ってんの? 何もできるわけ……」

「ブラスト」


 再び連中に攻撃する。かなちゃんの周りの連中が吹き飛ぶ。

 初めて使う魔法だが、扱いがよくわかる。手になじむ。

 今まで知らなかったのが信じられないほど。

 それをいいことに、再び脅しをかける。


「さ、開放して」


 しかし、連中は強がって、応じようとしない。

 それどころか。


「う、うわー! こ、この、化け物!」


 加美山がハサミの刃先を向けて五月に突っ込む。


「五月! よけて!」


 かなちゃんとマリリンは悲痛な声を上げる。

 それでも、五月は動じない。もう、「ブラスト」の扱いが、手に取るようにわかる。

 ……これを使えば。

 かなちゃんを、マリリンを。

 五月の宝物を。

 守ることができる。


 恐怖におびえながら突っ込んでくる、哀れな加美山は、隙だらけで、たやすく意識を葬り去ることができるだろう。


「ブラスト」


 加美山が吹き飛び、壁にぶつかる。動かなくなる。

 割れたガラスで傷ついたのか、加美山の頭からは紅いものが流れる。

 それがあまりにも美しくて。

 五月の心は、歓喜に震える。



 ※



「さあ、次はだれがやられたい?」


 連中は蛇ににらまれた蛙のように動かない。圧倒的な優越感に浸り、笑みがこぼれる。

 この「ブラスト」を使えば。

 このようなごみ屑を、徹底的に痛みつけ、甚振ることで、恐怖におびえる目を、悲鳴を、滑稽な見世物のように、わたしの鼓膜を震わし、目に焼き付けるだろう。


 言いようのない快感だ。いい気味だ。

 心が高揚感で満たされて、胸がドキドキする。

 まるで、裕樹と抱き合った時のよう。


 いや。

 それ以上かもしれない。

 気持ちよくて仕方ない。

 心が震えて、その快感に、いつまでも浸っていたくなる。

 いつまでも溺れていたい。


 ……そうだ。

 いいことを考えた。

 こいつらを、「ブラスト」で、窓から突き落としてみると、面白そうだなあ。

 ……ひっひっひっひ。

 頭から地面に突っ込んで。

 グチャッと。


 そして、噴水のように紅いものが噴き出す。

 ドクっ、ドクっと。

 そのたび、びしゃっ、びしゃっと、地面にこぼれ落ちる音。

 どんどん石のように固く、冷たくなっていく。

 そして、ただの物に成り果てる。


 ああ……。

 なんて……。

 うっとりしちゃう……。

 奴らを徹底的に痛みつけて、復讐するのを想像するだけで。

 こんなに気持ちいいなんて。

 知らなかったなあ……。


 ……そうだ。

 実際にやってみたら、どうなるんだろうな……。

 面白そう……。

 あはははは。

 笑みが抑えられないや。


 ねえ。

 ……見せてよ。

 てめえらの、その紅いものを。

 聞かせてよ。

 てめえらの、苦しみ、悶える声を。

 紅いものが噴き出し、零れ落ちる音を。



 ※



 しかし、不意に体から力が抜ける。

 ……いや。

 「幸いなことに」というべきだが。

 過ちを犯さずに済んだのだから。

 そして、わたしを支えていた、足が崩れ落ちる。

 体が、熱い。それなのに、寒い。

 悪寒なのかな、と思った。


「五月!」


 かなちゃんとマリリンの声が遠い。

 痛い、と思った。

 そのまま何も見えなくなり、気を失った。

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