第四十七話 最後の奮戦
田管に負傷させられ逃げ出した後、魏遼は南へ南へと逃げ、同じ普軍であった黄歓の元へと身を寄せた。だが、黄歓は張石軍に降伏し、居場所をなくした魏遼は再び逃亡生活に入った。目指すは張石と不仲の呉子明が君臨する魯である。
長きに渡った逃亡生活によって、あれ程勇猛であった魏遼隊も
魏遼が魯に入り呉同と接触した理由は単純明快、田管と戦い、その首を取るためであった。そのためならば、千里の道であっても遠いとは思わない。その執念が、彼を田管と再び引き合わせたのだ。
しかし、魏遼の望みは、あと一歩の所で果たされなかった。討ち取られたのは、魏遼の方だったのである。
田管が食らわせた腹部への一撃が致命傷であることは、魏遼自身が理解していた。自分はもう、何をしても助からないし、さりとてここから田管に一撃を食らわせて道連れにすることも、もう叶わない。
「田管、
地面に膝を突いた魏遼は、田管に向けて言った。自分は負けたのだ。敗者は潔く討ち果たされるべきである。
「言われずとも」
田管の方も、左腕の負傷が相当効いているのか、その動きは何処か緩慢である。それでも、右腕に力を込めて剣を振り上げ、幾度となくぶつかり合った因縁の相手の首へと、それを振り下ろした。
「楽しかったぞ、田管」
言い終わるのとほぼ時を同じくして、その剣が、首を斬り落とした。
一方、魯軍と戦う田管軍は、指揮を預かった蘇斉の下で必死に持ちこたえていた。彼らには、勝算がある。何としてでも、ここを耐えねばならない。耐えれば、勝利は目前である。
濁流のように押し寄せる魯軍。こちらに倍する矢を放ち、戟を一本突き出せば三本の戟がこちらに伸びてくる。唯一、互角以上に戦えているのは、騎兵同士の戦いであった。騎馬の部隊だけは、梁が優越している。数では魯軍がやや多い程度であるが、その練度では梁軍に軍配が上がる。
それは、日が中天に昇った頃であった。
魯軍の後方の兵が、妙な物音が近づいてくるのを聞いた。いや、音だけではない。何かが、自軍の背後から、確実に近づいてきている。それも、半端でない数が――
「てっ、てっ、敵襲!」
それを見た兵士が、顔面蒼白になりながら叫んだ。その様子は、殆ど半狂乱に近かった。魯軍の背後から姿を現したのは、馮恭が預かった歩騎併せて十万の軍だったのである。田管が馮恭に別行動を取らせたのは、背後に回り込ませるためであった。
「敵を逃がすな!」
馮恭が吠えながら兵を煽り立てる。全身に煮えたぎった血を巡らせて力を
魯軍の動揺は大きかった。勢いのままに突撃してきた強壮な馮恭軍に対して、魯軍はろくな抵抗ができなかった。飛来する矢弾に、突貫する戟兵、それらが大慌ての魯軍に襲い掛かり、彼らを死体に変えてゆく。最早それは戦闘というある種対等な営みではなく、虎が兎を狩るような一方的な狩猟に近かった。
魯兵の頭には、もう、自分が如何に逃げおおせるか、ということしか頭になかった。
魯軍五十万の兵は、三種類に分けられた。命を落とす者と、逃亡する者、武器を捨て降伏して捕虜になる者、である。最早戦闘を行う集団としては、機能していなかった。
戦場は、まさに
総大将の呉同は、馬車を必死に走らせて逃げていた。だが、目立つ馬車はすぐに騎兵に捕捉され、取り囲まれてしまった。馬車は目立つ上に、騎馬よりも鈍重である。逃げるのであれば馬に跨った方が良いのであるが、
捕虜となった呉同は、縄打たれて本陣へと連行された。その目の前に田管が姿を現した時、呉同の顔は青ざめた。
「ま、待ってくれ! い、命だけは!」
流石の呉同も、田管が自分を恨んでいるであろうことは理解していた。田管の、憎悪に満ちた眼差しを見ては、察せずにはいられない。今、自分の命は、かつて自分が辱めたこの美貌の将の掌の上で転がっているのだ。
「
田管の言葉は、予想外のものであった。呉同の頭の中を支配していた恐怖が、だんだんと、安堵に塗り替えられてゆく。
「わ、分かった! 何でも協力する!」
もう、こうなったら、尻尾を振り通すしかない。助かるためなら、国を裏切ることになっても構わない。
「それでは、知っていることを話してもらおう」
そこから、呉同は尋問にかけられた。呉同は、何も抵抗しなかった。寧ろ、よくもここまで饒舌になれるものだ、と、田管は感心した。
呉同が洗いざらい知っていることを話し終える頃には、すでに夜闇が空を覆っていた。
「さて……」
田管は、呉同の前に向き直った。その目は冷たく、この捕虜となり縄打たれた敵将を見下ろしている。その田管が、腰の剣を抜いた。
「え……」
見せつけるように白刃の切っ先を向けられた呉同は、何やら背筋に冷たいものが走ったのを感じた。田管の美しい顔貌も、今の呉同の目には、何処か冷血で恐ろしげなものに映った。
「待て! 助けてくれるのでは……」
「利用価値はある、と言ったが、殺さぬ、とは誰も言っていない」
瞬間、呉同の頭の中は漂白された。剣が首に向かって振るわれる頃には、もう、呉同の表情は恐怖で硬直してしまっていた。
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