第14話 小学五年生 野生のヒートに遭遇した。刺した 中




 暗闇へ順応しゆく視界に広がった光景。




 学生服の市松人形の様な綺麗な女子中学生か女子高生らしき子が、路地裏の奥でぐったりと蹲る大神の腕を捉えて何処か熱に浮いた様な目で見下ろしていたのである。


 大神の腕を掴んでいる手は傍から見ても痣が出来そうな程強く握られている。しかし、その足取りはふらふらと頼り無く、吐く息も大神とは真逆の意味で病人の様に熱っぽく荒々しく、なのに目だけは虚ろに霞ながらも爛爛と輝いているのである。


「私はオメガじゃない、アルファなんだ…」

「ッ! 大神! 動ける!?」


 誰に聞かすでもなく、呟く様に、宣言する様に虚ろな熱を持った声音。

 大神は名前に反応してか弱弱しく動こうとしたものの、すぐに力が入らないかの様に全身から力を抜いてしまった。顔色は更に悪くなり、意識が飛びそうになっている。


「いい、匂い…」

「は、……な、せ」

 

 まるで女郎蜘蛛が獲物を捕らえる様にするりとその細く白い腕を回す。瞬間、大神の顔が泣きそうに歪んだので思わず推定女子高生へと突進してしまった。


「ちょっ、タンマ!! やめてあげてください!!」

「邪魔ッ、しないでよッ!」


 悲鳴の様な叫びと共に乱暴に振るわれた腕が、米神に当たる。

 うぐぅ、だから運動神経なんて持ってないんじゃーい!!

 哀しきかな推定女子高生とはいえ、こちらは小学生女子。狭い路地裏の壁にそのまま叩きつけられて思わず呻く。幸運だったのはランドセルが衝撃を大分吸収してくれた点か。


「ッ、……、り、こ。逃げっ」

「っつう…。だから、大神を置いて、逃げれるかーい!」


 目を見開き傷付いた顔しながら…、真っ青な顔で脂汗流して今にも倒れそう顔しながら、自分のことじゃなくて私の心配する大神を見捨てられる訳がない!


 事情は呑み込めないが、これはすぐに大人を呼んだ方がいいと防犯ブザーの紐を引こうとした瞬間、女子高生が悲鳴と共に大神から離れ、自分の身体を抱き締める様にしてその場に蹲った。


 思わず呆気に取られて防犯ブザーから手を放すも、今だ!と急いで大神の傍に寄る。


「大神! 起きて! 動ける!? 大丈夫!?」

「わ、……りぃ」

「いいからっ」


 力が入らないのか立てない大神を何とか路地裏から出そうと腕を引っ張った瞬間、耐え切れなかったのか大神が吐瀉物を吐きだす。

 モロに服に被るが、ええい、非常事態じゃなんぼのもんじゃーい!

 火事場の馬鹿力で大神を担げたら良かったのだが、そういう力も残念ながら湧かず、とはいえ吐いて少し楽になった大神がふらふらと壁に腕を当てて立ち上がった。

 瞬間、後ろの方からまるですすり泣く様な鳴き声が路地裏に木霊する。


「やだ……、たす、けて」


 そう言ってまるで苦しむ様に路地裏の地面へと汚れも気にせず女子高生が蹲った途端、大神が憎しみ混じりの視線で弱弱しく腕で鼻を覆ったことでようやく理解が及んだ。


「まさか、オメガのヒートッ!? しかも抑制剤なし!?」


 言動を思い出す。こんな時でも萌えが頑張るのか、思考がもしかして「美しい美貌を持つ自分がアルファだと適性検査の後も信じてたけどオメガだったとかで、今回初ヒートとか…!!」と脳内解答をだす。本当かは神の味噌汁である。だがあるぞ、一回設定で読んだことあるぞ…! 前世山田 莉子もちゃんとこのパターンまで嗜んでいたぞ…! 美味しいうっひょおとか叫んでた記憶あるぞ…!

 

 そうなると……ランドセルにある防犯ブザーは使えない…。というか、こんなに苦しんでるのに、大神には悪いけど一方的に警察に突き出せない…


 現実で見るのと小説や漫画で見るのとはこうも違うのかと舌打ちしたくなる。教科書め、読んでも個人差ありますしか書いてなかったぞ! 起死回生の手が浮かぶも、でもあれを使うと…と一瞬自己保身が頭を過ぎる。


 しかし悩みは推定オメガ初ヒート女子高生が、苦しそうに恐らく発情期の衝動を耐えて、ヒートを少しでも抑える様に泣きそうな声で呻いた瞬間吹き飛んだ。


「抑制剤、持ってますか! 抑制剤! 鞄に!」


 何度か聞けど、弱弱しく首を振られるばかり。

 予想は付いていたので、ランドセルを下ろして大神へと振り向けば、何してるんだと言わんばかりに此方を射殺すくらい強く睨みつけていた。


「大神、弱ってる所悪いけど頼んでいい?」

「なんだ」

 

 勘の鋭い大神に、あははーと場を和ます様に軽く頼んでみる。

 

「今からひとっ走りして、私の部屋にある机の引き出しの、真下に貼って隠してるやつ取ってきてくんない?」

「嫌だ」


 反論は被さる様にだった。次いで、唸り声を上げてまるで噛み殺すみたいに強く睨まれる。


「そんな自業自得な奴見捨てろ」

「駄目だって。下手したら今度は逆にこの子が襲われちゃう」

「お前みたいなガキが助けてやる必要が何処にある!!」


 苛立たし気に、泣きそうに、脅して吠えるみたいに、まだ回復しきってない顔色で強く叫ぶ大神に私もつい眉を下げて困ってしまった。


 本当はこの子よりも大人だからなんて言える訳もなく、前世山田 莉子の記憶を強く持つからこそ同情してしまったからなんて言える筈もなく。


 私みたいな見掛けが子供じゃない人なら…、例えば今が夜も前の夕暮れじゃなくてもっと人通りが多い帰り路だったらとか…、ここが薄暗い路地裏の奥じゃなかったらとか…、家までの距離とか…。


 ヒートの匂いに釣られてくるベータやアルファが理性的な人である確率が高ければとか…、でも大神が動けなくなる程のフェロモンなんて多分とんでもないんだろうなとか…、なるべく穏便に済ませてあげたいとか…。


 色んな可能性を考えて、一番私が望む理想に近い方法がそれだったからである。


 だから、ずるいと思いつつも私は大神へとねだる様に苦笑した。

 大神はこんな見掛けの癖に、何処のヤンキー漫画の不良少年だよってくらい性根は優しいから。


「大神にしか頼めない。お願い」

「ッ」

「あー、あれだよ、このゲロも今なら大目に見る! というかこんな格好じゃ私出歩けないし! えーっと、分かった、後日アイスも買ってあげる!」

「いるか馬鹿ッ」

「ええー」


 何とも凄い幸か不幸か効果というか、このゲロが匂いを紛らわすのか、大神もさっきの歩けない状態よりは大分回復しているし、推定女子高生の方も、近付いて背をさすってやってると少し気が紛れているようなのである。

 ゲロくせぇよ!って意味かもしれんが。


 ゲロよ! 馬鹿にして悪かったな! 大神今度から自己防御も余裕そうだな!

 

「ほら、大丈夫だからさ、十五分位で戻ってくれると嬉しい。大神なら余裕でしょ」


 険しい顔して睨み付けてくる大神に、態と軽く挑発するようににやりと悪戯気に笑って言えば、大神は舌打ちして俯いた後、真っ直ぐ私を見つめた。


「五分で戻る」

「ははっ、期待してる」


 それに無言で頷いた後、ふらっと身体を壁から離したと思った瞬間、ドサッという音と共に真っ黒いランドセルだけが路地裏に転がった。

 夕日に照らされていた姿はもう影も形もない。


「う、ぐぅ……、ごめ、ごめんなさいね。わたし…」

「大丈夫ですよ。ゲロ臭いですけど吸って、吐いて…、落ち着いて…」


 瞬間、ぎゅうッっと爪を立てられながら両腕で縋る様に掴まれ思わず呻いてしまったが、大人しく背中をさすってあげる。

 そりゃ腕痛いけど、こんな泣いて苦しんで必死に藁みたいに縋られちゃ離せないっしょ


「カップラーメン二個分より早く終わりますから、大丈夫ですよ」


 ただ自分と格闘するのに必死で聞こえていないだろうけど、何度も大丈夫だと声を掛けておく。

 大人~なりこちゃんはちゃんとあの大神持ち帰り事件の時から勉強していたのである。猿でも分かるはじめてのヒートから始まり保健の教科書とかもちゃんと立ち読みした程度には勉強したのである。えへん。

 というわけの作戦なのであるがな。この声掛けも妊婦さんと同じ方式で効果がない訳ではないそうなのだぞ。えへへん。


 血の気の失せる左腕に苦笑しながら、大神早く戻らないかな~とか、変な人誰も来ませんようにとか、ハンバーグ食べたーいとか考えて気を紛らわせ、長い様な短い様な時間が過ぎるのを待つのだった。







「理子!!」

「おー、大神いいところにっ」

「…、何してんだこの馬鹿!」

「えーっと、どっちかっていうとっ、され、中?」


 実は呑気に返しているが、絶賛圧し掛かられて抱き着かれ中である。いやん、恥ずかしいん。という余裕もまだあるので大丈夫である。力加減はゼロだが、まぁ元が女性の細腕だし、発情期中だと筋力は下がり気味になるし、何より抱き着いてるのも大神が近くに居たから染み付いたであろう残滓に近寄ってきてしまってるだけであるし。


 とはいえ傍から見たら女子高生に路地裏で押し倒されて襲われてる小五女子という倒錯的な感じに見えなくもない。というか絶賛見える。やっふーい百合百合大好きだけどまさか当事者になるとはりこちゃんびっくり仰天わっふーい。


「よく、ふふっ、くすぐったっ、五分位で帰って、うひゃっ、これたね」

「何か気が抜けるからやめてくれ」

「えー、出来れば助けて欲しっ、わわっ」


 地面に寝っ転がされながら、反転した視界で大神を褒めれば、大神は我が家のタオルで顔を覆い、あの大神が汗水を額に浮かべながら呆れた風にこちらを見ていた。


 何か強盗して逃げて来た犯人みたいである。でも、本当に必死になって体調悪いのをおして取って来てくれたと分かるので感謝と感動しかない。


 くるりと地面から起き上がろうとした瞬間、先に圧し掛かっていた女子高生がふらっと立ち上がった。

 重みがどいたので動きやすくはなったが、その顔を下から見上げて思わず幽鬼の様な顔にぞっとする。


 やばっっ、完全に意識ほぼ無くして暴走してるっっ


 慌てて大神へと向けて声をあげていた。


「大神! 意識なくしてる! それ置いてあんたは逃げといて! ありがと! 後はやっとくから!!」


 後はりこちゃんの出番だとふらふらと大神へと近付く女子高生の横をすり抜けて大神へと腕を伸ばせば、その腕を掴まれた。まるでいつかの逆みたいだ。その強さに、思わず女子高生ちゃんに掴まれていた部分が痛んで顔を歪めてしまった。


 くっそう、ピンポイントで狙いおってからに…! こんな時も無駄に野生の狩猟勘を働かせるんじゃないよ…! というか何故今掴んで虐めてくるか…! こちとら精神年齢の都合上アドレナリン出るまで時間掛かるんですよ!!


「血、出てる」

「あー、舐めとけば治る治る。あんたの口癖でしょ。というかむしろ流血ってるんで離してくだせえ」

「…俺も残る」


 そのセリフに思わず眉間に皺が寄るし、むしろすぐノックダウンされてゲロの再来じゃないかと突っ込みたくなるも、後ろから聞こえる呻き声と足音にもう時間はないかと諦めて女子高生の方へと向き直った。

 ええい、何処のゾンビ映画だ。絶対売れないに違いない。


「あーもう! ゲロ吐いても今度は無視するからね!」

「吐かねーよ。忘れろ」

「はいはい。じゃ、大神、早速あんたはそれを私にパスして……、女子高生ちゃんへタックルゴー! そのままちょっと間確保よろしく!」

「なっ! 人使いの荒い奴め!」

「ふふん、残るって言ったんだから言質は貰ってるもんね! はいはいレッツゴー」


 舌打ち一つ、けれどそれ以上は何も言わず体格差のある女子高生を見事に抑えというか、抱き着かれ気味で拘束している。タオルをしているとはいえ、みるみる気分が悪そうになっている大神を横目に捉えて、私も最速で準備した。


 はい、たららたったたーん! オメガのヒート抑制剤簡易せっと~


 じゃじゃーんと某青い狸さんイメージを脳内で再生しつつ、手際よく準備する。


 ふふん、諸君言ったであろう?これでも勉強してきたとな…!


 いやぁ、まさか私もお花ちゃん対策とか、自分の調べ始めたら止まらなくなった好奇心の矛先であるヒート抑制剤簡易セットをこんなにも早く、しかも実践本番一発目で見も知らぬ他人に使うとは夢にも思わなかったがな…! 人生何が起こるか分からないものである。転生したが。

  


 はい、という訳で―――



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