第11話

第十一回

 その十一

 「エポの歌はいいなあ」

小川田まことは重役用の椅子に寝そべりながら目の前にはられたあの女の寝姿を大きく伸ばしたポスターを眺めながら言った。重役用の椅子だけは立派だがあとの机やロッカーは廃棄処分にするようなものばかりである。裏捜査一課が会議室の一つを勝手に占拠している。そこが裏捜査一課のたまり場のようになっていた。

「結局進展はなしか」

「この女はどこに雲隠れをしたのかしら」

中国の映画スターのそっくりさんの写真を見ながら刑事石川田は舌打ちをしながらつぶやいた。

「出前です」

ドアをノックする音がしたので石川田りか警部がドアをあけるとカリフラワーみたいな変なヘアースタイルをした新垣田りさ警部補が立っている。

「お姉さんたち、相変わらず仕事不熱心やないか」

「うるさい。出前が来たと言うならカツ丼でも持って来なさいよ、さもないとどたまかち割るわよ」

「お姉さん、そんなに怒らないで下さいよ。いい情報ですよ。いい情報」

「なんだわよ。言ってみなさいよ」

「ブリジット・リン。わかりましたわよ」

「本当なの」

「本当でがんな。お姉さんたち、ブリジット・リン、ブリジット・リン、言うやさかいブリジット・リンが見つからないのやないですか」

「うるさいよ。お前」

石川田りか警部は捜査一課に赴任してから三ヶ月しか経っていない新垣田りさ警部補に言われてむっとした。

「お姉さんたち、機嫌なおしてくださいよ。わてお姉さんたちを尊敬しているのやさかい」

「とにかく、ブリジット・リンって何者なんだわよ」

「ブリジット・リン、わかりましたで」

「誰なんだ」

「石田川ゆり子と心中した草なぎ山剛」

「ええっ、なんだって」

石川田りか警部と小川田まこと警部補は同時に驚きの声を上げた。

「草なぎ山剛は男でしょう」

「わてかてブリジット・リンが本名なのかどうかわかりませんで。とにかく草なぎ山剛はブリジット・リンという名前を持っていた。それがあのホステスの本家本元の映画女優の名前だと思っていたら大間違い。草なぎ山剛はくわせものでっせ。あいつ、学生の身分で商社を持っていたんでっせ。それもあやしい会社でがんな。収支がめちゃくちゃでね。中国に日本から特殊な金属を輸入していたんですよ。その金属のこともなんやむずかしい理屈でよくわからないんですけどね。その金の決済をやるときの名義がブリジット・リンになっていたんですがな」

「なんだ。草なぎ山剛がブリジット・リンだったのね」

石川田りか警部は一応納得した表情をしてみたがそのくせ全然ことの真相を理解していたわけではなかった。なんのことやらさっぱりとわからない。

「そうじゃないわね。草なぎ山剛が架空名義を作るために作った名前でつまり実体は存在しないと云うことなのよね」

「ちぇっ、つまんないわ。この絶世の美女がブリジット・リンだと思っていたわよ。まあ、それはそれで正しいんだけど。それが事件の核心だと思っていたのに、少しずれているかも知れないの。少しは夢を持たせてくれたらいいのに」

「お姉さんたち、かえってその方が重要じゃないの。そうなると心中事件というのも、もう一度ちゃんと調べてみる価値はあるんじゃないの。これは心中事件やないで」

するとまたドアが開いて後藤田まきの一の子分の紺野田あさみ警部が顔を出した。

「あなたたち、ここを不当占拠しているんでしょう。今日の午後までに出て行くのよ。今日からお客さまの控え室になるわ」

「何よ」

「何よとは何よ」

「ほら、かっかとしている」

石川田りか警部がドアの向こうを見ると制服を着た人間が立っている。しかし警察の制服ではない。

「なんだ。いらしていたんですか。捜査一課の方で休んでいてください。すぐ控えの部屋も出来ますから」

その制服は海上自衛隊のものだった。紺野田あさみ警部は自衛官をつれて向こうに行った。

 それから警視庁捜査一課の中に自衛隊の人間が出入りすることが目につくようになった。ときどきは政治家もやってくる。それらの人間は「ブリジット・リン特別捜査本部」の中に吸い込まれていく。

 しかし裏捜査一課の連中はその中に入ることが出来ないのでその理由はわからない。

「おい、聞いた。今晩、大捕物があるという噂だわよ」

「どこで」

「場所はわからない。ブリジット・リン事件に関係していると云う噂だわよ」

「なんだって」

石田川ゆり子の事件が全く解決していないのにブリジット・リン事件が大きな展開を迎えるなどとは許せない。石川田りか警部はさっそく後藤田まき警視正のところに談判に行った。今晩おこなわれる大捕物に参加させろとだ。後藤田まきはしばらく腕を組んで考えていたが見学ならいいだろうと云うことで今晩の大捕物に参加することを許可した。裏捜査一課なりに足を棒にして裏をとっていたことを知っていたからだ。少しは同じ職場としての思いやりを見せたのか、それとも裏捜査一課のことなど眼中にないというゆとりを見せたのか石川田りかにはわからなかった。

 石川田りか警部、小川田まこと警部補、ロボット刑事の三人は覆面パトカーに乗り込むと後藤田まき警視正の乗る覆面パトカーのあとをつけた。環線道路のところどころで警察が網を張っているのがわかった。ライトを消した仲間うちではそれとわかる車が物陰に停車している。最後まで行き先は伝えられなかった。後藤田まき警視正の乗った覆面パトカーは東京を過ぎ、神奈川に入った。石川田りか警部はこの車が三崎のほうに向かっているということはわかった。案の上、車は横須賀のさきにある小さな漁村に入って行ったがところどころに警察の車が停まっていてその上、自衛隊の軍事車両まで停まっている。松林をおれて後藤田まきの車は海岸に向かって下りて行った。ここは漁村といっても遠い昔に海軍の施設があって海岸線は深くえぐられている。

 警察車両のあいだをすり抜けて後藤田まき警視正の覆面パトカーは停まった。

 石川田りか警部の車も停まった。

「きみたちは見ているだけでよい」

「なんで」

「もう失敗のしようがない。大きな計画ほど融通が利かないということよ」

「おい、あそこ」

小川田まこと警部補が指でつっくのでそのほうを見るとパトカーの中に白滓有伸が手錠につながれて押し込まれている。そしてもう一台のパトカーの中にはあの写真のそっくりさん、妖艶な中国美女がやはり押し込まれている。隣の席には婦人捜査官が座っている。手のあたりには布がかけられていてわからないがその手には手錠がかけられているのだろう。

「おい、後藤田警視正、あれ、あれ、あのパトカーに押し込まれている女」

小川田まこと警部補がパトカーのそばに立って後藤田まき警視正に話しかけても無言のままでちらりとその逮捕された連中を見てほほえんだだけだった。それから後藤田まき警視正は堤防のそばに行き、誰かと話している。

 石川田りか警部は驚いた。それはあのカンフー野郎ではないか。

 変な部分はそれだけではない。三人が堤防のそばに行って下を見るとドラム缶が堤防の壁に沿ってずらりと浮かんでいる。

 石川田りかの眼下の暗い海の上でドラム缶が一列に並んで波間に上下に揺れている。小川田まこと警部補もロボット刑事もそのドラム缶をのぞきこんだ。どうやら水中でそれらのドラム缶はつながれているらしい。ドラム缶の動きは連携している。微妙に周期をずらして上下動している。

「あなたたちの頭じゃ、これがなんのドラム缶だか、わからないだろうな。こんなガラクタしか作れないじゃ」

「なにを言うのよ」

「・・・・」

うしろには紺野田あさみ警部がにやにやしながら立っていた。ロボット刑事は自分のことを言われているということがわからずにぽかんと警部の顔を見ている。

「これはソナーだわよ。水中の未確認物体を特定する。自衛隊で演習に使っているときの十倍の機材を投入しているのよ」

後藤田まき警視正が答えるかわりに紺野田あさみ警部が答えた。

「なんのために」

石川田りか警部が紺野田の顔を見ると後方のパトカーで警察無線のマイクを握っている後藤田まき警視正の方に目配せをした。

 「予定ポイントの三十メートル手前に入りました」

後藤田まき警視正はマイクのトークボタンを押した。後藤田の横には自衛隊の幹部が立っている。そのパトカーのうしろの木の下にテントが張られていてその下にレーダーのような機材が置かれていて自衛隊の人間がたむろしている。その自衛隊が何かの命令を下した。

 石川田りか警部が海上のほうを見ていると夜の海の中に水柱が立った。

「これを使って見て」

紺野田あさみ警部が双眼鏡を渡した。双眼鏡だと思ったのは実は漆黒の闇夜でも使える暗視装置で夜の海がみえる。

 石川田りか警部が水柱の上がった海面のあたりを見ているとてらてらと輝いているが、海中に浮かぶプランクトンでもくらげでもなく、機械油が海上に浮かんでいるのかも知れない。さらに海中で爆発したらしい残骸が海上に浮かんでいる。石川田りか警部は暗視装置の倍率を上げた。岸に控えていた処理船が近寄って行く。その残骸の一部に文字が書かれている。彼女にはそれが何と書いてあるか読むことが出来た。

「B・・・、それからなんだ。BのつぎにはR」

石川田りか警部は海上に浮かんでいるその文字を読んで言った。

「おっ、おっ」

石川田りか警部は思わず声をあげた。

そこには英語でブリジット・リンと書かれていたのである。


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