第10話

第十回

  その十

 石川田りか警部、小川田まこと警部補、ロボット刑事の三人は覆面パトカーに乗り込んで朝の六時にそのレズビアンバーに向かった。ふたりは前の席に座り、ロボット刑事は後部座席に座った。ロボット刑事はシートの中央に座ったが二人分の場所をとり、その重さで深くシートは沈んだ。

 そこに来る途中何度もからすがゴミ箱を漁っているのに出くわしたがそのうちの何羽かはハンドルを握っている刑事石川田りかと目が合い、からすはじっと石川田りかの顔を見た。石川田りかはなぜか本来は人間に使われる言葉、目は心の窓であるということわざを思い出した。

 代々木にあるそのレズビアンバーは警察が突入するのには都合がよかった。警察と言っても三人しかいないが。左手は空き地になっていてぶた草が生え放題に生えている。右手は細い路地を一本はさんでキャバレーになっている。表は道路に面していて見通しがよく、後ろは三メートルぐらいの崖になっていて石垣が組まれていてその崖の上には小さな神社がある。しかし神殿だけがあって人は住んでいない。まだそのレズビアンバーはひっそりと静まり人も起きていないようだった。左手のほうに出入り口はなく、道路に面した正面に客用の出入り口、右手のキャバレーに面したほうに勝手口がある。

 計画としては正面からは小川田まこと警部補と刑事ロボットが踏み込んで行く。勝手口からは石川田りかが突入するという段取りだった。それ以外に中の人間が外部に脱出することは出来ない。二階でさえ窓はなかった。その女が中にいることは確認してある。

 覆面パトカーをそのレズビアンバーの前に音もなく停めると石川田りかはキャバレーの前に四輪駆動のオフロード車が停まっているのを認めた。中には誰もいない。石川田りかは警察無線を切った。警視庁に今回の作戦を知らせることはできない。秘密裏の計画だった。裏捜査一課のまたの名は無法者刑事である。そうでもなければこの法治国家の日本で麻薬所持のでっちあげで署に容疑者を引っ張ってくるなどという発想は浮かばないだろう。

 ふたつのグループはそれぞれの戸口の前に陣取った。刑事石川田りかの腕時計の秒針はかちかちと時を刻んでいく。「ちょうど時間だ」石川田りかは前もって作っておいた合い鍵で勝手口のドアを開けると静かに中に入り外からも内からも出られないようにする器具を取り付けた。暗がりの中で玄関のほうを見ると小川田まこと警部補も同じことをやっている。ふたりは手で合図をした。中にいる人間は深い眠りに入っているらしい。めざす容疑者は三階に寝ているという情報は確かだ。

 三人は階段を上がって行った。そして三階に上がるとドアをあけた。畳敷きの部屋の中に場違いな豪華なベッドが置かれ、早朝の窓から差し込む光の中に軽い寝息が聞こえる。三人はそれの目を覚まさないようにそのそばに近づいた。

 つぶった瞼の上に強い線のまゆがある。かたちのよい鼻の線がある。筆で書いたような優美な線の唇があった。カーテンを通して入ってくる朝の光の中でまるでミルクの固まりのように見える。それは石田川ゆり子のマンションの隠し金庫の中から発見された写真とも女子大生が持って来た写真ともよく似ている。映っている角度は違うが同じようなものだった。

「なに、見とれているのよ」

その女の寝顔をじっと見ている小川田まこと警部補を石川田りか警部が叱責する。

小川田まこと警部補はあわててポケットの中から白い粉の入ったビニール袋を取り出すと枕もとにある電話台の引き出しの中に入れた。

「よし、準備は万端だわよ。起こすわよ。手錠の用意はいいわね」

「もちろん」

「文句は麻薬所持容疑で逮捕するだわよ」

石川田りかは警察手帳を取り出した。石川田りかが耳元でささやくと容疑者は目を開けた。

まだ自分の置かれている状況を理解できない女は目を開くとじっと石川田りかの顔をにらんだ。美しい瞳だ。声は出さない。

「麻薬所持容疑で逮捕する」

すかさず小川田まことが電話台の引き出しをあけてビニールの袋を取り出す。

「これが証拠だ」

「ブォー」

ロボット刑事が排気音を出した。石川田りかは手錠を取り出す。

 すると怪鳥音が聞こえて入り口のところにつなぎの体操着を着た人影があった。

「チョエー」

またその男は怪鳥音を発するとロボット刑事に向かって飛んで来た。直線距離で三メートルもあるだろうか。

 なにか、中国語を発した。ロボット刑事はびくともしなかったがこの異常な事態に石川田りか警部と小川田まこと警部補はうろたえた。その男のほうに目を奪われていると裏手の窓を開けて女は飛び降りようとした。そして飛び降りた。しかし随分と高いはずである。裏手から逃げられないと計算したのは誤算だった。飛び降りたと思ったのは実は違っていて裏手の崖の上にある人手のない神社からはしごのようなものを渡して女はそれを伝わって向こう側に渡りきっていた。そこには車が用意されている。

「しまった」

石川田りか警部は裏手の窓から向こうにいる女が車に乗り込むのを見て舌打ちをした。もうはしごははずされている。

「その男をつかまえるんだわよ」

小川田まこと警部補はロボット刑事に命令した。しかしロボット刑事は鈍重な動きでいいようにあしらわれている。刑事石川田りかは拳銃をとりだした。すると男は何かわからない中国語をはっすると階段をかけおりて行った。ふたりもそのあとを追って階段を下りて行くとその男はキャバレーの前に停めてあった四輪駆動車に乗り込んで走り去った。

 そのあとにロボット刑事も一階に下りて来た。

「わたしたちも逃げるのよ。なんの許可もなくこの捕り物をやっているとわかったら大変だわ」


 「手榴弾を持たせて爆発させてもびくともしないんだけど、・・・」

警視庁の地下室の中でロボット刑事の腕のあたりをぺたぺたと叩きながら小川田まこと警部補が言うとロボット刑事は排気音を出して「ウゴー」と返事をした。

「あんなに動作が遅いんじゃ、捕り物の役に立たないわよ」

石川田りか警部は地下室の椅子に腰掛けて不良のようにたばこを吸うと小川田まこと警部補は猛烈に抗議をすると思いきやいやにゆとりのある態度を示した。

「腕力が強いだけならロボット刑事とは呼ばないわよ」

「じゃあ、どんな取り柄があるというのよ。教えてくれる」

小川田まことは部屋の隅にあるモニターを机のそばに置いた。そしてロボット刑事の作り物の頭部をはずした。それは全くなんの機能もない頭部でたんなる装飾の意味しかない。それから首のつながっていた肩の部分をいじっているとふたが開いてなにかの端子が出てきた。彼女はそこにコードをつないでモニターの電源をいれる。

 するとあの女の寝姿が出て来た。

「おっ、あの女じゃないですか。するとこいつが見たものはすべてこいつには記録されていているんですね。少しは役に立つじゃないの」

「それだけではないわさ。ほんのちらりと見ただけでもその映像は記録されていて過去に何回それを見たかも調べることが出来るんです」

それから小川田まこと警部補はまた機械を操作した。するとモニターにはあの捕り物の場面が出てきて捕り物の邪魔をしたカンフー野郎の顔が映し出された。

「おっ、あいつだわ。下に二回と表示が出ているわ」

「過去にもう一度見たことがあるということだわ」

「いつ、見たのよ」

「戻してみようか」

その映像の中には正統捜査一課の後藤田まき警視正の姿も映っている。

「後藤田まき」

「そうだ。後藤田まきも一緒に映っている」

「いつ映したのよ」

「今度の捕り物で打ち合わせにコーヒーカウンターで座ったわよね。そのとき後藤田がカウンターのはじのところで冷やし中華を食べていたわ。そのあと中国人らしいのが後藤田を呼びに来た。ふたりは落ち合って出て行った」

「ということは後藤田がわたしたちの捕り物の邪魔をしたということなの」

「暴露本を書く必要がなくなったわ。後藤田のところに恐喝に行くのよ」

重要な参考人を逃す手助けをしたということは後藤田もうしろめたい部分があるに違いない。

ふたりは捜査一課の後藤田のところへ行くことにした。もちろんあのカンフー野郎と正統捜査一課後藤田まきが一緒に写っている写真を持ってである。

 しかし後藤田の部屋まで行く必要もなかった。あのものものしい「ブリジット・リン事件捜査本部」の前を通ると疲れ切った顔をしてとうの後藤田まきが出てきたのだ。

「後藤田警視正、話したいことがあるんですが」

「後藤田警視正、ずいぶん今までわたしたちのことをこけにしてくれたわよね。一緒に来てよ、訊きたいことがあるんだから」

「ふん」

後藤田まき警視正は無視をして口も聞かなかった。

「こんなものがあるのよ」

小川田まこと警部補は例の写真を取り出した。

「話だけは聞きましょう」

後藤田まきはどっかの役人のような口をきいた。

三人は空いている会議室に入ると入り口のドアを閉めた。

「後藤田さんよ。ずいぶんふざけたまねをしてくれるわよね。お前さんがカンフー野郎と結びついているのは明白だわよ。カンフー野郎はいかがわしい奴だわよ。それがお前さんみたいな正統捜査一課と結びついていることがわかったらどうなる。お前さんの輝かしい経歴に泥がつくだけじゃないだわよ。お前さんには子供も親もいるんだろう」

小川田まこと警部補はよたった。

しかし後藤田まきはまだ二十歳を少し出たばかりで結婚もしていなければ子供もいない。

「後藤田さんにそんな言葉を使うもんじゃないわよ。わが課のホープなんだからな。わたしたちは捜査一課の話だけをしているんじゃないんですよ。警視庁の威信と云うか」

「それだけですか」

「えっ」

「それだけですかと言っているのよ。きみたちが捕り物ごっこをやったらしい話は耳に入っているわよ。しかし、許可を受けたのかな。許可だけじゃない。法律にしたがってことを運んだのかな」

「・・・・・」

「それに代々木のほうにあるバーの内部が壊されて住人が失踪しているという報告を受けている。それにとなりのキャバレーの支配人があの女がブリジットと呼ばれていると言っていたろう。それは間違い。あの女の本名はビクトリアだわよ。わたしの話すことはそれだけよ」

後藤田まきは黙って部屋を出て行った。




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