第4話
第四回
その四
橘大学に行くと石田川ゆり子の友人という調理栄養士学科に属している女子大生のところに刑事石川田りかはまず向かった。すると自分は彼女の友達ではなく、彼女の友達は恵比寿のレストランでバイトをしているというのでそのほうに行った。
レストランと云っても酒をメインに飲ませる店で良家の子女がなぜこんなところにつとめているのか石川田りか警部にはわからなかった。店の裏口は公園に面していてそこは鬱蒼と木が生えている。裏口に出てきた女子大生の化粧は濃く、夜の女のようだった。
「石田川ゆり子さんが草津で変死したことを知っていますよね。石田川ゆり子さんのことを少し教えてもらいたいんですが」
女は刑事というのが自分とあまり年の変わらない女なので最初びっくりしたようだったが、気楽に答え始めた。
「刑事さんね。ゆり子のことを聞きにきたの。ゆり子は中国人の留学生と心中したんですって」
「いや、まだそういう結論になったわけではないんですよ。殺されたと云う可能性もあるのよ」
「誰に。その中国人にですか。あはははは」ここで女子大生は急に笑いだした。
「刑事さん、そういうのは、いけないんだ。そういうのを誘導尋問と云うのよ。事実を恣意的に引き出すためによく警察がやる手口ね」
「恣意的」
刑事石川田は首をひねった。そんな言葉を使うこの女子大生の真意を計りかねたからである。
「警察は事実を引き出すことによって、捜査をする。刑事さんにそんな能力があるかしら」
「・・・・」
「刑事さんは最初から、その中国人にゆり子が殺されたと仮定して前のほうの経緯を引きだそうとしている。だいたいわたしがこの店で働いているのを見て、良家の子女が集まる大学でも貧乏な学生がいるものだという推論をしたでしょう。それが刑事さんの頭の固い証拠なのよ。可愛い顔をしているわりには刑事さんって単純ね。これでもわたしの父は大企業の社長なのよ。そのわたしがここで働いているのは好奇心がもとになっているの」
「好奇心」
石川田りかは少し可愛く首をひねった。
「そう、好奇心」
好奇心と云っても何に興味を持つかでだいぶ評価は変わってくるが。
「まず、かぶとを脱いておくわ」
刑事石川田りかはたいして年齢の違わないこの女子大生に毒気を抜かれた気分だった。
「たしかにそういう疑問を持ったのは本当だわよ。あなたは石田川ゆり子の交友関係を知っているのね。あなたしか友達がいないとまわりの人間はみな言っているわ。もっと詳しく教えてくれないかしら」
「知らないわ。その中国人の留学生とつき合っていることも。ほかのこともみんなよ。ゆり子の交友、つまりセックス関係は広すぎて。知り合ったその日のうちにセックスをするような女なのよ」
「なにか、あなたは彼女の友達でもないような口振りじゃないの」
「別に友達でもないわ。なんなのかしら、一種の遊び仲間」
石田川ゆり子の生活を学友たちはうわべだけしか知らないようである。しかし、相当に遊んでいたことは事実であるらしい。刑事石川田りかは石田川ゆり子が旅先でたまたまその中国人留学生と意気投合して遊んでいるうちにその人物に殺されたと仮定してみた。
とにかく彼女の日常をさらに詳しく知らなければならないと思った。大学の人事課で聞いた石田川ゆり子の住むマンションに行ってみることにする。
そこは都下の大きな植物園のそばにあった。白亜の豪邸と云う表現がぴったりの大きくて立派なマンションだった。壁なんかにも大理石が多用されていて田園地帯の中に白い大きな彫刻のように建っていた。貧乏石川田りか警部のマンションとは大きな違いだった。
そこは化粧品で大きな成功をした女性実業家が生活と美を調和させると云う題目を唱えて建てたマンションで金持ちしかその中に入ることは出来なかった。日本には場違いの大きな外車がその建物の地下駐車場に入って行くのを近所の住民はうさんくさいものを見るような目で眺めていた。
部屋は普通のマンションの二倍くらいの大きさがあるらしい。噂によるとその中には大理石の大きなジャグジーがあるそうだ。
マンションの入り口に入ってすぐ左側がマンションの管理人の部屋になっている。管理人の部屋の中に入るとモニターがあってマンションの廊下や入り口をテレビカメラで写している。管理人の部屋の窓は小さく、鑑賞植物で覆われていてマンションの住人とは接触しないようになっていた。このテレビカメラを通しての関係しかないようだった。
管理人は五十くらいの男だった。
「今度、変死した石田川ゆり子さんのことを調べに来たんです」
管理人は捜査一課の刑事というのが自分の娘よりも若い女の子なのでびっくりしているようだった。
「石田川さんは中国人と心中したと云う話ではないんですか。別の刑事さんからそういう話を聞きましたよ」
「そういう話ではないんですわよ。ここで石田川さんが出入りをするのをテレビカメラで見ていたんでしょう。彼女の交友関係を何でもいいから教えてもらいたいんです。あれだけの美人だから、目立つでしょう。いつも何時頃家に戻って来たんですか」
石川田は赤い口紅のついたくちびるの上を鉛筆のさきで少しだけ触った。
「まちまちでしたよ。早いときもあれば遅いときもありました。でも学生らしくはありませんでしたね」
「この中国人が来たときはなかったんですか」
刑事石川田りかは心中したというその中国人の写真をとりだした。管理人は前にもその写真を見たことがあったが、いちおう驚いてみせた。
「マンションの住人が管理のほうになにかあったらどうやって連絡するんですか」
「最初は本部のほうにつながるようになっているんですよ。それからこの管理室のほうに連絡がくるんです」
これがIT革命というものなのか、刑事石川田りかはずいぶんと面倒なことをやるものだと思った。
「このモニターはマンションのおもな共用部分を映しているんですね。個人の部屋の中を映すことはないんですか」
「ありませんよ。そんなこと」
「この映像は記録しておくんでしょう」
「本部のほうに記録装置があってそこに記録されています。でも一週間でその記録は破棄されてしまいます」
「この一週間で不審な人物が入りこむということは」
「ありません。マンションの入り口も個人の部屋の入り口もICカードで入るようになっています。それを忘れたときはここで予備のカードを使って開けます。もちろん、カードを持っている人間がドアを開けたとき、さっと横から入れば入ることは出来ますよ」
ここで刑事石川田りかはある想像を浮かべていた。石田川ゆり子は写真で見たとき相当な美人である。この管理人も石田川ゆり子には相当な興味を持っていたに違いない。この管理人と特別な関係がないだろうか。石田川ゆり子の行動になにか目をつぶっていたというようなことが。
「石田川ゆり子にどんな印象を持っている」
「遊び人でしたね。しょっちゅう男をつれて来ていましたよ」
意外と管理人は石田川ゆり子をかばわなかった。
「化粧も水商売の女のようでした」
「とにかく、石田川ゆり子の部屋を見せてくれませんか」
管理人はICカードをとりだした。マンションは三階建てになっていて豪奢なエレベーターで上がることが出来るようになっている。石田川ゆり子の部屋は三階にある。一つのフロアーにはふたりしか住民がいない。
「ここが石田川さんの部屋です」
管理人は予備のカードを使って厚いドアの横の読みとり機にカードをふれると部屋のドアがひらいた。廊下を歩いて行くと十畳ぐらいの部屋があって窓に面して大きなソファーが置かれている。そこに座って外の景色を見ていたのかもしれない。そのほかにはごくふつうの女子大生のような家具類が置かれている。しかし個人で買った家具の印象のことを言っているだけであってみんな豪奢なものである。タンスの中にはブランドものの服がたくさんつめこまれていた。そして部屋のすみには大きなマントルピースが置かれている。それが少しアンバランスな感じがする。
それもそのはずでそこで火を炊くわけではなく、隠し金庫になっているので部屋とのバランスがとれないのだ。
管理人の話によるとその金庫の中も警察で最初の捜査のときにすみからすみまで調査したそうだ。
「そんなことも教えないで」
刑事石川田りかは低く憤った。
その部屋を抜けて行くと大きなジャグジーが置かれていた。まるでアメリカの女優の入るようなものだった。
「立派な部屋でしょう。わたしらなんかには一生かけても住むことも出来ませんよ。そしてこの部屋はこの部屋で、みんな他の部屋は違う仕様になっているんですよ」
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