第3話

第三回

その三

 「お姉さん、ここに鰻のうなせいと云う店があるのを知らない」

「ふん、知らないわよ」

「あっ、あるわよ。あそこ、あそこ。けい子、あそこよ」

「なんだ。あの黒塀から柳の木が出ている店ね。なんだ。お姉さん、目の前にあるじゃないの。注意力散漫よ。おねえさん」

「もう、ばかにしてぇ。アベックだからって何よ。本当に頭にきちゃうわ」

・・・・ふん。あんたたちなんか、昼のサービス鰻丼を食べるんでしょう。わたしなんか招待されて肝吸い付きを食べるのよ・・・・

・・・いきな黒塀、みこしの松に・・・

石川田りかは思わず鼻歌を歌った。捜査一課の上司から心中事件の再捜査の担当と云うことになったと告げられた。昼にサービスで鰻丼を安く提供しているうなせいと云う鰻屋がある。ふだんは高くて刑事石川田りかのさいふではそこで肝吸い付きのうな重を食べることなど自腹で払う限り不可能な相談だった。今度の事件の捜査依頼している家族からうなせいに来るようにと連絡があった。そこでこんどの事件のことを話すと家族は言った。

 石川田りかは髪が日本人のくせに金髪ぽくに見える女の子である。そして同時に警視庁捜査一課の刑事だった。

 うなせいの入り口に行くと番頭のような人物がいたので

「石田川と云う人の招待だわよ」

と言うとうなせいの人間は

「石川田さまですね」

と言って左のほうで昼のサービス鰻丼を食べるために並んでいる列の逆のほうへ案内した。風呂屋の縁台のような廊下を通って行くと日本庭園の前に広間のような部屋があり、足のところが竹で出来ている机が五、六並べられている。そこに二組ぐらいの客がすでに来て座っていた。片方は高校生のようにみえる。しかも一人だけだ。もう一つのテーブルには小柄で丸顔の五十くらいの男と四十くらいのこぎれいな顔をした女が座っている。

 石川田りかは当然、事件の関係者は高校生のほうではないと思ったから夫婦らしいほうに近寄った。

「石田川さんですか。今度担当することになった刑事石川田です」

「わたしが石田川ゆり子の父親の石田川庄三です。こっちが妻の加世子です。わたしは川路でゴルフ場とホテルを経営しています。これが名刺です。受け取っていただけますか」

「川路からいらっしゃったのですか」

「ええ、頼んでいたうな重を持って来ておくれ」

石田川庄三という男は江戸時代の豪商のように手を叩いた。

店のほうで石川田がこの店に着いたときうな重を出すことが出来るように石田川庄三は頼んでおいたのだろう。すぐにうな重は運ばれて来た。

「まずは食べてください」

「遠慮なく、もらいますわ」

刑事石川田ははしを手にとると急に立ち上がった。石田川夫妻はなにが起こったかわからなかった。石川田は瞬間的にその広間にいたもう一人の客の高校生のところへ行き、その右手をねじ上げた。

「あなた、誰に頼まれたのよ」

高校生の右手には本に小さな穴を開けて小型のデジタルビデオカメラが隠されていた。

「だいたい誰が差し金だか、わたしにはわかっているわよ。これは預かっておくわ、さぁ、さっさと帰るのよ」

高校生は何も言わずにすごすごと帰って行った。石川田が席に戻ると石田川夫妻は目を丸くしていた。

「いいんですか。高校生にあんなことをして。一般人ですよ」

「残念ながら、彼は高校生でもなければ、一般人でもありませんわよ。ある連中がやとっているスパイなんですわ」

「今度の事件の再捜査を開始することになったからなんですか」

石田川加世子は不安な表情をして石川田に尋ねた。

「もちろん、今度の事件を再捜査することになったから、わたしは盗撮されたわけですが、おふたりにも石田川家にもなんの関係もありません。きわめて個人的な問題なんですわ」

もちろん石川田はビデオカメラで彼女を撮ろうとした犯人を知っている。それは捜査一課のあいつである。たとえ捜査のためだと云え、個人的に五千円もするうな重で接待を受けることは公務員として処罰の対象になる。うな重で饗応されている姿を録画して警視正が石川田を首にすることを計画していたのである。しかし、その計画を石川田は阻止した。

「敵は内部にあり」

「なんのことですか」

「いえ、こっちのことです」

「とにかく、うな重を食べてしまいましょう。あっ、お茶がなくなっている。お茶を持って来ておくれ」

石田川はまた御用商人のように手を叩いた。

「やはり、このうな重はうまいですね。いつもこんなものを召し上がっていらっしゃるんですか」

刑事石川田りかは犬食いをしている。

「そうですな。さいわい、金には困っていないので」

「嫌みに聞こえないところがすごいですわね」

「そうですか。あはははは」

その笑った声は儀礼的だった。しかし石川田りかはただで高級なうな重を食べられるので機嫌が良かった。

「亡くなられたお嬢さんが通っていられたのは橘大でしたね」

「ええ。ゆり子は一人で上京して大学に通っていました」

「橘大は男女共学でしたね」

石田川庄三は少しむっとしたようだった。刑事石川田りかは何の意味もなく言ったのだが石田川庄三は自分で悪意を持って解釈したようだった。

「わたしはあの子をキャリアウーマンにしようと思って東京にひとりで来させたわけではないんですよ。あの子にいい機会を与えようと思ったんですがね」

「と言うと」

石川田りかにも石田川庄三の言っている意味はよくわかる。橘大は良家の子女が集まることで有名である。その親で貧乏人はまずいない。貧乏石川田りかには遠い世界だった。

「いい出会いがあると思ったんです。日本には金持ちの集まる社交界のようなものがないでしょう」

すると横にいた少し小綺麗な女が口を開いた。

「主人もそういう考えだったんですが、私たちの考えが甘かったんですね。東京にいるのは橘大の学生ばかりだと云うわけではないんですから」

「お前、なにを言うんだ。ゆり子は無理矢理ストーカーのような人間に殺されたんだ。そしてそいつが最後に自殺したんだ」

石田川庄三は内心の憤りを押さえて顔を真っ赤にしていた。

「警察はなにを考えているのですか。ゆり子が男と心中なんかするわけがないじゃないですか。それも相手は中国人の留学生だなんて、きっとその男はゆり子のストーカーだったんですよ。警察はしっかりと捜査して欲しいですな。わたしも独自に調査しますから。わたしは国会議員にも知り合いがいます」

・・ちぇっ、今度は脅しなの。・・・

石川田りかはただでうな重を食べた喜びも半減した。

「週刊誌の編集長にも知り合いがいるんですよ。とにかく心中事件ではないということだけははっきりと証明してください。うちの名誉にもかかわることですから」

「じゃあ、娘さんは彼とはなんの関係もないということですね」

刑事石川田りかは父親の目をじっと見つめた。日本人には珍しい金髪みたいなふっさりとした柔らかい髪が少し揺れた。つい二三日前に美容院に行ったばかりだった。

「当たり前ですよ。ゆり子には男も、いや男友達もいませんでしたよ。わたしたち夫妻はそういうふうに育ててきましたから」

石川田りか警部は両親にいくつかの質問をしてそれをノートに書き留めた。つまらない事件のようである。まったく凡庸である。これでは自分が将来ミステリー作家として世の脚光を浴びるためにはなんの題材にもならない。親には内緒で娘が乱れた交友関係を持つということは充分に考えられるし、旅先で売春まがいのことをしてそのトラブルで殺されるということもありうるのだ。この事件の被害者の石田川ゆり子がたとえ大金持ちの娘だとしてもだ。女に特異な好奇心というものがあるかぎりその可能性はある。自分自身、変な好奇心のかたまりのような石川田りかは自分を振り返ってそう思った。しかし、少し気になることもある。自分の娘が変死したというわりにはいやに冷静な態度を彼女の両親がとっているということである。むしろ、この変死事件で地元での自分の評判が気になるというふうだった。

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