3、時計が時を刻むとき
某日午後7時、都内某寺の境内にて、某旧家に伝わる120年前のグランドファーザークロックの修理が行われた。
時計をここまで運んでくるのは大変で、重量は75キロあった。
古い機械時計専門の修理師が呼ばれ、ずいぶん体格のいいおじさんがやってきたが、依頼された当初は、
「そんな数時間で修理できるような簡単な物じゃないだよ?」
と文句を言い、スタッフから「とにかくやってみてください」と頼み込まれて、仕方なく出張してきてくれたのだった。
来たはいいが、仕事場である寺の本堂の様子にはギョッとした。
テレビの取材で、どうやらお化けが取り憑いているらしい時計というのは聞いていたが、お坊さんが5人、観音菩薩、勢至菩薩をお供にした阿弥陀如来のご本尊を背にずらりと正座している。
カメラの為に表の戸は開け放して、眩しい撮影用ライトの熱で寒くはないが、向こうに墓所が広がっている。
異様な雰囲気にすっかり気をのまれてしまったが、撮影の責任者である三津木ディレクターに挨拶され、職人としてのプライドを取り戻すと修理師・岩崎氏は改めて説明した。
「時計の修理というのはそんなに簡単にできるものではなくて、大型のボックスクロックの場合ですと、まずお宅にお伺いして、分解して機械部分を取り外します。状態を確認して、見積もりを作って、修理してくださいとなったら機械を持ち帰って、修理して、完了したら再びお宅に機械をお持ちして、調整をしながら組み立てます。1台につき、だいたい3週間から4週間かかります。ですからここでは、分解して状態を見るところまでしかできませんよ?」
「ちょっとお待ちください」
と三津木は携帯で紅倉にかけた。
紅倉は母屋で芙蓉と一緒にモニターを見ている。
「ということです。どうしましょう?」
と三津木に問われた紅倉は、
『まあ、とにかく専門家に見てもらいましょう?』
と答え、三津木は、
「ともかく、お願いします」
と岩崎氏を促した。
岩崎氏は仕方なく作業を始めた。
そもそも本当に故障して動かないのか?、から確かめなくてはならない。
道具の入った鞄を板間に置くと、時計を調べ始めた。
第一印象は、ずいぶんきれいな物だな、というものだった。
文字盤に3つのネジ穴がある。
ゼンマイ式か、と思って何気なく文字盤脇の扉を開いた。たいていここにゼンマイを巻く鍵がかけられている。
案の定、鍵はかかっていたのだが。
開いた扉から機械部分を覗いた岩崎氏は、
「あれ?」
と思わず声を出してしまった。
「どうしました?」
と三津木が声をかけると、岩崎氏は困惑した顔を向けた。
「これ、故障してるんじゃなくて、わざと動かなくしてあるんじゃないかなあ?」
ポケットで携帯が震えた。紅倉からだ。
「はい?」
『お探しの物は後ろの扉の中です』
「はあ。岩崎さん、後ろの扉の中だそうです」
「ええ?」
時計は本堂の真ん中に厚いタオルを敷いた上に置かれている。
後ろに回った岩崎氏は下から上まで全面の扉を開けた。
そこには教会のパイプオルガンのように音階に合わせて順々に長い物から短い物へ銀のパイプが9本並んでいたが、その下に、何か布にくるまれて納められていた。
ずしりと重い。
手に取った岩崎氏が中の物を落とさないように慎重に布をめくると、3本の金の円柱が現れた。
「やっぱりね」
得心した岩崎氏は、携帯を耳に当てたままの三津木に、電話の相手は全部知ってるんだろうなあ、とちょっと腹立たしいような顔をして、専門家の説明をした。
「この時計は重錘(じゅうすい)式、つまり、錘(おもり)の下がる力を動力とした時計です。これがその錘です。フックがあるでしょう? これを、時計の歯車に連動した鎖に掛けて、時計を動かします。その鎖はちゃんと付いているようです。ですからおそらく、この錘を鎖に掛けてやれば、時計は動くんじゃないかと思います。錘が3つという事は、時計の針を動かすのと、時報を打つのと、オルゴールを鳴らすのでしょう。文字盤のネジ穴はゼンマイを巻く為の物ではなく、鎖を巻き上げる為の物です。錘はどんどん下がっていきますから、そうですね、この大きさだと、週に1度くらいは巻き上げてやらなくては、下がり切って、止まってしまいますね。
ついでに振り子についても説明しましょうか?
振り子は時計を動かす動力ではありません。振り子というのは重さと長さが同じであれば常に振れる周期は一定です。この性質を利用して、時計を動かす歯車の動きを一定に制御して正しい時間を刻むようにしているのが、脱進機という仕組みです。時計がカチコチと言うのはこの脱進機が歯車を一瞬止めている音です。
さて、それで、どうします? 時計は、もう動かしちゃっていいんですか?」
岩崎氏に呆れ返ったような視線を向けられてお坊さんたちがはっと緊張した。
三津木はニヤリとして言った。
「ええ。お願いします」
三津木に、しっかり撮れよ?、と視線を向けられて、カメラを構えるスタッフたちも緊張した。
岩崎氏は前の扉から機械部分の底を覗き込んで、3本の鎖がそれぞれどの役割を担っているのか見極め、金の錘を掛けていった。
「時刻はこのままでいいんですか?」
「ええ。そのままで」
1時58分だ。
岩崎氏は3番目の錘を鎖に掛けると、それを左手で固定して、右手で振り子を一方に寄せて、神経を集中させて中の機械の状態を探り、そっと、両手を放した。
コッチ、コッチ、コッチ、
秒針が無いのではっきりとは分からないが、振り子が左右に振れるのに合わせてリズミカルに音が刻まれ、どうやら時計は動き出したようだ。
じっと針を見つめていた岩崎氏も、
「はい。ちゃんと動いてます」
と太鼓判を押した。
コッチ、コッチ、コッチ、
1時59分。
三津木の指示でライトが落とされ、灯りは堂内のろうそくだけになった。
現在の本当の時刻は7時50分になろうというところだが、
本堂のこの空間は、規則正しい音によってまるで催眠術にかかったように、おそらくは、深夜2時、
丑三つ時になろうとしている。
時計は動き出した。
はたして。
じっと集中していると分針がじわじわ動いているのが見えるようになってきた。そして、
リンゴンリンゴンリンゴン……
思いがけず華やかな、けれど柔らかな響きの鐘が鳴り、聞き慣れないヨーロッパ的なメロディーを奏で、
ゴーン、ゴーン……
2つ、重い鐘が鳴った。
「わっ」
岩崎氏が驚いた声を上げて飛び退いた。
時計の文字盤から、振り子のガラス窓から、ボックス全体から、
緑色の煙のような光が漏れだしてきた。
5人のお坊さんたちが揃ってお経を唱えだした。
緑色の光はいくつもの玉になって宙を飛び交いだし、お坊さんたちの声が高くなったが、必死の感じがありありして、ビビっているのが丸分かりだ。
光の球は尾を引いて飛び回った。人魂だ。
人魂はどんどん時計から吐き出されて、その数、30か、40か、50もありそうで、本堂はまるで大きな蛍の群れに占拠されたような有様になってしまった。
岩崎氏はひいっと表に逃げ出し、逃げ出すわけにはいかないお坊さんたちはますます必死にお経の声を張り上げた。
人魂たちは水槽にでも入れられたみたいに堂内を飛び回るばかりで、なかなか消える気配を見せない。緑の光の群れの向こうに隠れがちなお坊さんたちの声もそろそろ限界かと思われた頃になって、
墓地に大きな光の球が浮かんだ。
すると緑の人魂たちはそれに向かってなだれを打って開け放たれた出口から飛び出した。
人魂たちが光の球に飛び込んでいくと、球からは天に向かって光の柱が立ち、その中を白く浄化された玉が次々高速で打ち上がっていき、ほんの十数秒ですっかり人魂がいなくなってしまうと、光の球も消え、寺はしんと静まり返った。
コッチ、コッチ、と、
時計の時を刻む音だけが響いていた。
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