2、祟る古時計

 紅倉家の玄関は、土間も広いが、靴を脱いで上がる廊下がまたホテルのフロント並みに広い。その広い廊下の奥の壁に問題の時計が置かれている。

 英国からの輸入品だそうだから、ロングケースクロック、と呼ぶべきだろうが、


 グランドファーザークロック


 いわゆる


 おじいさんの大きな古時計


 と言うアメリカ式の呼び方の方がしっくりくるだろう。

 おじいさんの時計があるならおばあさんの時計もありそうなもので、

 大人の背丈より大きな物をグランドファーザークロック、それより少し小振りで装飾の派手な物をグランドマザークロックと呼ぶ。

 現在はみんなひっくるめてホールクロックと言うのが一般的らしい。

 縦に長ーい箱の、上部に時刻を示す文字盤があり、その下のガラスの窓の中に動力源である大きな振り子があるのだが、残念なことに振り子は止まっていて、時刻は刻まれていない。どうやら故障してしまっているようだ。

 高さはおよそ2メートル30センチ。重さも相当あるだろう。

 ケースは茶色いどっしりした木製で、ロンドンのおしゃれなマンションみたいな屋根がついていて、アンティークな高級家具の風合いを醸し出している。実は昔の輸入物はフランス製の機械だけ輸入して、外の箱は日本の家具職人が作った物が一般的で、これは日本に限らず世界中でこのスタイルで売られていたらしい。

 文字盤は普通に白い丸に黒いローマ数字のシンプルな物だが、その下のガラス窓の中の振り子は大きな金メダルが竪琴を模したような金のアームにくっついていて、実に堂々として美しい。

 中の金色も輝いているし、外の箱もよく磨かれてつやがあり、状態はまだ新しい物に見えるが。

「これ、明治時代の物で、120年前の時計ですって」

 と紅倉に説明されて、

「へえーーー」

 と重永は感心した。

「そんな昔の物じゃあ故障しちゃうのもしょうがないですねー」

「そうねえ。

 元々はさる華族の政治家の家の物だったそうだけど」

「さるかぞく? ああ、政治家一家ですか、世襲の」

「かぞく違い。明治維新でそれまでの身分制度が廃止されて、新たに元貴族や大名たちに与えられた貴族階級のことよ」

「ああ、その華族ですか。はい、ちゃんと歴史の授業で習いました」

「じゃあ、鹿鳴館も分かるでしょう?」

「ええーとお……、高級ホテル……でしたっけ?」

「明治政府が西洋人のVIPを接待する為に作った公の社交場よ。それこそ華族のご夫人やご令嬢がスカートの思いっきり膨らんだドレスを着た絵とか見たことない?」

「あー……、あります、多分……」

「んじゃあ、三島由紀夫の戯曲『鹿鳴館』は?」

「えーと……、すみません、知りません」

「鹿鳴館を舞台にした恋と陰謀の悲劇でね、政治家の暗殺事件が描かれているのよ。明治10年に西南戦争が起こって、11年に大久保利通が暗殺されて、14年に板垣退助が暴漢に襲われて、色々と物騒な時代だったのよ」

「はあ……」

 重永は、

(めんどくさ。さっさと三津木さんに報告に帰ればよかった)

 と思い、あっ、と慌てて携帯のカメラで撮影を始めた。

「でね、この時計のあった華族政治家の家も過激派青年に押し入られて、主はあわやというところで助かったんだけど、代わりに若い女中さんが殺されてしまってね。その時計は、L字型に折れた廊下の奥に置かれていたんだけど、その事件以来、その女中さんの幽霊が現れるようになったそうよ」

「へえー……」

 時計は1時58分で止まっている。もしかしてこれがその女中が殺された時刻だろうか……

「で、その後その華族の家は取り壊されて、この時計はあちこち放浪することになったんだけど、代々の持ち主に受け継がれている言い伝えがあってね、いわく、


『決してこの時計を動かしてはならない。動かせば、恐ろしい事が起きるぞ』


 ですって」

「へえー。動かしたら、何が起こるんでしょうね?」

「さあ? 何が起こるのかしら? ……知りたい?」

「ええ~~……」

 さっきの事もあって重永は警戒した。

「なんなら、番組にしてもいいわよ?」

「本当ですか? えーと、どうしましょう?」

「ああ、ここは駄目。そうね、どこかのお寺の本堂を借りて、お化けが現れた時に備えてお坊さんを5、6人も待機させておいてちょうだい」

「えー? お化けなんて、先生が一人いれば十分じゃないんですかあ?」

「いえ。わたしは画面には出ません」

「ええー? 先生、出てくれないんですかあ?」

「だってえ、ばれたら怒られるもん」

「はあ……」

 面倒くさいなあ、と重永は思った。紅倉が出演しないんじゃ華やかさがない。お寺で古時計の解体修理の様子を写して、それで何も起きなかったら……坊主たちをどうすりゃいいんだ?

「先生え、本当に何か起きるんですかあ?」

「疑うのお?」

「えええ~~……」

 どうもただからかわれているだけのような気がして半信半疑だったが、

「分かりましたあ。ありがたく上司に報告させていただきますう。追ってご報告とお願いをする事になると思いますのでよろしくお願いします」

 とお願いして、重永はキョロキョロした。時計がない。無駄に大きい止まった時計があるのに、まともに時刻を刻んでいる時計がない。携帯を見ると午後0時20分だった。

「先生、普通の時計は置かないんですか?」

「あ、そっか。あった方がいいかなあ?」

「そうですね。つい、この時計を見ちゃいますから」

 紅倉の問いに芙蓉が答え、

「そう。じゃあ今度適当なの買ってきて」

 と、玄関にまともな時計が置かれる事になったようだ。重永は今さらながら訊いてみた。

「この時計、なんで置いてるんです?」

「さあ? アンティークなんじゃないの?」

 この家同様、まったく無駄な存在だなと思ったが、家と物と住人と、実に似た者同士が揃ったものだ。

「ところで先生、お昼、過ぎちゃいましたね? すみませーん、こんな時間までおじゃましちゃってえ。お二人は、お昼はあ?」

 一緒にごちそうしてほしい気満々で嫌らしく訊ねると、紅倉も芙蓉に、

「そういえばお腹すいた。ご飯ちょうだい」

 とおねだりした。

「では、煮麺でも作りましょうか」

「に、にゅうめん?」

 なにゆえ今どきわざわざそうめんを温かくして食べるような半端な食べ物を?

「先生は色々NGの食べ物があるんです。熱い物、冷たい物、脂っこい物は駄目です。そばは消化に悪いですし、うどんは喉に詰まらせます」

 ほんっと、めんどくさい人だなあ、と重永は目を線にした。

「お腹すいたあー、すぐ食べたい~」

 紅倉が駄々をこね、

「では、サンドイッチにしますか?」

 ということで、三人で近所の評判のパン屋まで散歩がてら買いに出かけた。

 おごってもらったパンは評判通りとても美味しかったのだが、重永は、

(紅倉先生とのおつきあいで過剰な期待をするのはやめにしよう)

 と自戒したのだった。

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