第2話
第二回
「また、あの親子は飯を食うというのかえ」 台所の釜で飯を炊いていたじむぐりのおさきが仲間と話していた。
「親子ではないらしいぞ」
「そうじゃろう。片方は白装束の長い髪を背中で束ねた十四五の娘、もうひとりは紬の着物を上品に着こなす、まるで大名の奥方の風情のある三十前後の女。年齢的には不自然さはないが顔の系統が違う。娘と名乗る方はたしか大島優子と名乗っていたが、奥方風の方は」
「篠田麻里子と言う名前らしい。いとこ同士だと言っていたわ。てずまを見せながらそれで旅をしているらしい」
「どんなてずまをみせるのだ」
「不思議なことだが千里眼じゃ。大島優子を目隠しをして周囲を板で囲う。そして離れたところの見物が持っているものを当てさせるのだが百発百中だそうだ。それよりも不思議なのは魔弓のわざじゃ。点としか見えない鳥に見えない弓をかまえ見えない矢をつがえ打つと点と見えた空飛ぶ鳥が地上に落ちて来る。そして確かに鳥の胸には穴が開いているそうじゃ。おそろしいことよ」
「まやかしじゃ、まやかしじゃ。それよりあのふたりのつれは飯を食い過ぎる」
そこへ頭領の雷也斎がやって来た。
「おさき。あのふたりがどんなてづるでこの郷に来たのか、知っているのか」
「なんだ、頭領、台所に入って来るなら、入って来ると言って下さるものじゃ。びっくりするじゃないか。もちろん、あのふたり親子が何者かは知っておる。まず第一にあのふたりは旅芸人じゃろ。そしてさらに雷魔一族の客人だということは知っているがな。山の中でやせた畑しかなかったこの郷でわれら一族はむかしから火薬の製造で生計を得ていた。それだけだったら、侍たちに幽閉されて侍たちの鉄砲や爆薬を作ることにしか生きる道はなかった。そして侍たちの天下とりの道具として生かさず殺さずの虫けらみたような運命しかなかったのじゃ。しかし、剣聖の神池信濃守さまがわれらの前に現れた。そこに神池信濃守さまが剣術を教えてくれて忍者として生きていくことが出来た。その三代目の信濃守様がこの親子が立ち寄るかも知れないので、そのときは手厚くもてなしてくれというたよりが来たという話しじゃろう」
「そのとおりじゃ。神池信濃守さまは剣の神様じゃ。そして、わが一族の救い主でもある。その信濃守さまが大事にしろという客人が来たのだぞ。わが一族はなにがなんでも客人を手厚くもてなすのだ」
「頭領のその話しはわかる。しかし、あのふたりづれは飯を食い過ぎる。飯だけではない。菜のものもだ。少し手をつけただけで捨ててしまっているのかも知れぬぞ。わが郷はそれほど裕福でもないのにもってのほかじゃ」
「余計なことを言うではない。おさき、お前は黙ってあのふたりづれの飯を作っていればいいのだ」
ここは備前藩内の隠れ民の郷、備前藩にはその存在も知られていない。忍者の郷でもあった。古来より農作物もあまりとれないやせた土地だったが先人に伝えられた火薬製造の技術により、戦国時代には爆薬の販売によって金を得ていた。そして、その技術を独占するために一族全部が侍にとらえられようとしたとき、剣豪、神池信濃守が一族に剣の極意を伝え、それがためにただの匠の集団から忍者の集団になった。そしてさらにひそかに山の奥の隠しの郷に移り住み、備前藩の統治から解き放されたのだった。
剣聖、神池信濃守の何代かのあとの同じ名前の三代神池信濃守の自筆の手紙をたずさえたふたりづれが誰も知らないはずのこの忍者の郷を訪れてきたのは五日前だった。
そしてこのふたりを手厚くもてなして欲しいという手紙がそえられていた。
ひとりは十四五のまるで白拍子のような、白い衣装を身にまとった長い髪をうしろでまとめている少女だった。名前は大島優子。背中には平安貴族が持っているような長刀を背負っている。女だったが稚児のような印象だった。
もうひとりは三十前後の美しい女だった。この女が高い地位にいたことは誰の目にもあきらかだった。名前は篠田麻里子という。の印象を持った美しい女だった。
大島優子のほうは稚児のようだった。祭りがあれば白くおしろいを塗られて山車の上に上げられただろう。この娘が鎌倉時代のはじめの方に生まれていたら、京の五条の橋の上で弁慶と戦って橋の欄干の上を自由に飛んで擬宝珠の上で横笛を吹きながら弁慶のなぎなたをやり過ごしたかも知れない。このふたりはこの郷の離れの客人をもてなす草庵で寝泊まりしているのだが、そこにじむぐりのおさきという女が飯を運んでいる。その飯を何度も催促して何度も飯を食う。腹がへった。腹がへったといい、飯を食うと、おさきはぶつぶつ言っている。
おさきと雷魔一族の頭領の雷也斎がその親子のことで言い争っていると戸板の影に控えている男がいる。
「頭領、戻りました」
「備前藩の様子をつかんできたか」
「池田行永の姿も直接見てまいりました」
「よし、これからお前の見聞きしたことをもよく考慮して、われら一族の行く末を決めるのじゃ」
雷也斎のもとに来た男は試合の場にいた男であり、歌舞伎踊りの女であり、新内流しの男だった。雷也斎の命を受けて備前藩の事情を探ってきたのだった。一刻経ったあと雷也斎の藁葺き屋根の屋敷の大広間に雷魔一族のおもだった者が集まっていた。
雷也斎がはなった忍者も彼のそばに控えている。
「戦国の世も終わり、われらの忍びのわざもいまや用のなきものとなった。これからわれらの匠のわざを磨き、鋤や鍬を作って世に隠れて生きていくべきか。やせた土地を耕しながら細々とやって行くべきか。ここで皆の衆に集まってもらったのはそのことを決めるためだ」
「われらには火薬のわざがある。これを使わぬのは惜しいではないか。雷也斎よ」
「われらの火薬のわざは城の石垣も砕くことが出来る。しかし、世は泰平の世じゃ、そんなわざがどんな役にたつというのだろう」
「われわれのわざはそれだけではないだろう。姿かたちを変えて城下に潜入することもできる。ここで野菜を育ててもよい野菜はそだたんぞ。雷也斎」
「お前の言いたいことはわかる。われらは皆、雷魔一族、忍びの者だ。われらの親もまた忍びに生き、忍びとして死んできた」
土蜘蛛の平助という土潜りの技を得意にしているせむしの男が雷也斎の顔を仰ぎ見た。
「頭領、頭領が備前藩に百面鬼をつかわしたことは知っておる。なんの考えもなく、百面鬼をつかわして藩内のことを調べているのではおるまい。藩主の池田行永の動勢を調べたのはそれなりの理由があるのじゃろ。われらにその話しをしてくれるというのが人情じゃ」
雷也斎の横には百面鬼が控えている。雷也斎はわらで編んだ丸い座布団の上に座っている。大広間には雷魔一族のおもだったものが集まり、外から覗かれぬように戸は閉め切ってある。
「忍びとして生きていくこともまたわが郷の一族には残されているということだ」
「それはどういうことだ」
土蜘蛛の平助は上下にひしゃげた顔をにやりとさせて聞いた。
「備前藩主、池田行永は公儀隠密を恐れている。藩内の落ち度をねたに幕府から処罰されることを恐れておるのだ。備前藩の中にいる公儀隠密を根絶やしにすることは不可能だとしても、くまなく見つけだしたいと思っている。思っているだけではない。そのための組織を作ろうとしておる。もちろん、そのものたちは腕が立たねばならぬ。そのために武芸練達の催しという表向きの名分をこしらえて剣の試合をやっておる。そこで強い剣士を見つけて公儀隠密を見つけるための適任者を選ぼうとしておる」
「それはわれらにとって良い知らせではないか」
「その試合に勝った者が備前藩に召し抱えられるのだな」
「そうじゃ。その試合の様子を百面鬼がすべて見ておる」
「百面鬼、その試合の様子はどうなのじゃ。神池信濃守さまの直伝の剣のわざを持つ、われらから見れば笑止千万の試合だったんじゃろうな」
そこで雷也斎の横に控えていた百面鬼がはじめて口を開いた。
「最初に出て来た剣士はそれなりに強かったが、明らかにわれらの敵ではなかった。しかし、翌日に出て来た剣士は」
そこで百面鬼は口をいったん閉じた。
「割心流を知っておるか。夜陰に乗じた奇襲を第一義にこころえておる邪道の剣じゃ」
「噂には聞いておるが、実際には見たことはない」
「その剣の工夫をさらに磨いて、師匠を超えたと言っている」
「その剣士の名前は」
「影目邪心。薄気味悪い容貌をしておる。さらに変わった得物を用いるのじゃ」
「どんな得物じゃ」
「六尺五寸の長物じゃ。それもただの長物ではない。切っ先の二尺は普通の名刀じゃ。しかし、残りの四尺五寸は蛇の胴のように自由に曲がる。曲がるだけではない。そのために影目邪心が自由に切っ先をあやつり、空中の至るところ自由に切っ先が飛んで行くのじゃ。それはまるで鷹匠の鷹が獲物を自由にとるがごとしじゃ」
「ふん、邪道じゃ。そんな子どもだまし。わられらの剣は剣聖、神池信濃守さまの直伝じゃぞ。雪笹六郎と手合わせをするほどのことでもあるまい」
そこで百面鬼は少しむずかしい顔をした。
「雪笹六郎でも負ける」
「嘘をつくな」
「本当じゃ」
雪笹六郎でも負けると百面鬼が言ったとき、その寄り合いではざわざわした空気が漂い、そして沈黙があたりをおおった。
雪笹六郎は剣聖にも肉薄するという雷魔一族きっての剣の使い手だったのである。
百面鬼も剣の道はこころえている。正しくない判断をしているということはないだろう。相手の力量を正しく把握できるはずである。その百面鬼が言うのである。
閉塞感があたりを包んでいたとき締め切っていた戸の一部ががたりと音をたて、その隙間から昼日中の光がこぼれ入ってきて、真っ暗の中にろうそくの明かりだけをたよりにしていた大広間を少しだけ明るくした。
「申し訳ありませぬ。聞く気はありませんでした」
そこには大名の姫君のような美しい女が立っていて、その横にはあの稚児のような娘が立っている。大島優子のほうは無表情だった。篠田麻里子の方はのぞき見がばれてばつが悪いのかしきりに恐縮している。
これが客人ではなかったら、手裏剣の雨が降り、このふたりは絶命していたことだろう。
その状況もこのふたりづれは認識していないようだった。
「勝てませる」
その意表をつく一言にその場のものたちは何をこの女が言ったのか、わからなかった。そこでもう一度篠田麻里子は言った。
「勝てませる」
そう言ったときみんなの視線が篠田麻里子に集まったので恥ずかしそうに頬を染め、下を向いた。
「なんとおっしゃったのかな」
雷也斎は自分の耳を疑った。
「勝てませると言いました」
そこでまた沈黙が起こった。そしてそのあとにこらえ切れぬ嘲笑が咳をこらえている病人がいるようにもれ聞こえてきた。
「あなたさまには踊りの心得があるかもしれませぬが、剣の心得があるとは信ぜられません」
「わたくしではありません。この大島優子のほうでございます」
そう言って女は隣に立つあどけない白装束の乙女の方を向いた。
「そう申しております」
「まだ、乙女ではありませんか」
「いいえ、こののぞみ乃進なら勝てませる。げんにこの子は二百七十六度、試合をして一度も負けたことがありません。神池様も剣の腕は拙者よりも上だと申しておりました」
「なにをたわむれを」
「わたくしの話が信せられぬならこの娘と誰ぞ手合わせをしていただけませぬでしょうか。のぞみ乃進、そうなのであろう。ただし、真剣で。この娘は真剣でなければ立ち会いませぬ。ただこの娘が勝つのは当然のことなれば相手のかたには胴のところに鋼の鎧をつけておいてくだされませぬか」
「ではその娘は相手の胴のところしか打たぬと」
「そうでございます」
「相手はその娘のどこでもかまわず打ってくるかも知れませぬぞ」
「結構でございます」
「そんなに言うなら」
その娘の剣の腕をはかるために雷魔の郷では試合がおこなわれることとなった。刈り入れが終わってなにも生えていない畑の上で試合はおこなわれた。畑の横に立っている柿の木が通りすがりの異郷の人のように畑の中に立つふたりの試合者を寒々と見ていた。畑のまわりには雷魔の者たちがその試合を見ている。篠田麻里子は安心仕切った表情と少しの不安がないまぜになった表情をしながら立っていた。その娘が背中に背負っている刀は長さが一尺五寸、渡世人のさしている道中長脇差しよりは長いが実戦には向かないような気がする。その鞘はいろいろな象眼細工がほどこされてまるで宝物のようだった。そんな刀でどうやって相手と戦うのだろう。子供の向こう側に立っているのは長身の鋼のような肉体を持った男だった。これがこの郷で唯一の剣の使い手と認められている雪笹六郎だった。その六郎の胴のところには刀も通さない鋼の鎧がまかれている。
しかし、いっこうに剣をあわせようとしないのでじむぐりのおはつはいらだった。
「早くやってしまいなよ」
「相手が打ってこないかぎり辻はしかけません」
隣に立っている雷也斎のほうを向くと母親はささやいた。
「うぬ。そうか。六郎、打ち込むのだ」
前を向いたまま雪笹六郎はその言葉にしたがい、剣を振り下ろすと、娘の姿はなくなっていた。畑のまわりを取り囲んでいた人間すべての目から見えなくなった。それだけではなく試合の相手の六郎の目からも消えていた。そして一瞬消えていたと思われた娘の姿が六郎の背後に現れたとき、六郎は片膝をついた。
「まいりました」
娘はいろいろな宝石の飾りのついた真刀を刀のさやに納めた。
「のぞみ乃進が影目邪心というものとの試合に臨みましょう。そしてそのものを倒したとき、雷魔一族が備前藩に召し抱えられることとあいなりましょう。ただし、試合のときと場所についてはのぞみがあります。誰でもその試合を見ることができるよう、備前の町に立て札を立てて見物人を呼び寄せて欲しいのです。それも町人でも農民でも誰でも委細かまわずです。その準備が出来たならいつでものぞみ乃進は試合にのぞみます」
かなり奇妙な希望だったが、雷也斎は承知した。しかし、雷也斎にはまだ不安があった。百面鬼に六郎がつけていた鋼の鎧を持ってこさせた。雷也斎はその鎧をしげしげと眺めた。手の平の半分ほどの厚さの鋼の板に半分ほどの深さまで、切り込みが出来ている。娘の剣のわざだった。
「あの鉄瓶を持ってまいれ」
百面鬼が注ぎ口の切り取られた鉄瓶を持ってきた。雷也斎はその切り口をしげしげと眺めた。そして不安げな表情をした。
「太刀筋は、太刀筋は」
百面鬼が聞いた。
「どうでございます」
「邪心のほうが速い」
それは備前の居酒屋の前で馬場伝三郎に襲われたとき影目邪心が誤って切り割った鉄瓶だった。
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