転④ ドーナツにしてやろうか
ケイク・ケイクの街の裏口から、さびれたパン屋の主人が帰ってくる。腕に隣の街で買った小麦粉の袋を抱えて。
夕焼けが深い青に変わっていく時間帯。街の静かな空を見上げて、ドーンは息をついた。
「やっぱりこの街はいい」
しかし、今日の静けさはなんだか奇妙だ。穏やかというよりも、必死に息をひそめているような。
「……」
紺色になっていく空に、ドーンは強いオレンジの光が混ざっているのを見つける。火だ。家が燃えている。
火の方に様子を見に行く。そのさきのレンガの道には”ベリーソース”。
ソースを追っていくと、街の壁に落書きをしている男がいた。男の足もとには、何かがしがみついている。意識をなくしながらも敵にしがみつく、まだ少女の幼さが残る立派な騎士。
「おい、そこのお前」
黒っぽい服を着た男が手を止める。
「何をしてる」
「ソースづくり。ここをイチゴクレープの街にするんだよ」
「……魔王か」
男の様相から見当をつける。魔王オーディンは穏やかにうなずいた。
「君は見たところパン屋だね。その服に、小麦粉の袋。パンのにおい。どこの店だい? クレープも置いてる? あとで行こうかな」
ふり向き、のんきに世間話をする魔王。ドーンは何も返さない。しばらく互いに見つめ合う。
「――でも、悪いね。邪魔ものにはいてほしくないんだ」
魔王が攻撃の姿勢をとる。とうとつに腕を振り、果肉となったものをむさぼっている邪魔物たちに指示を出す。
「”ソース”見せて」
獣の形をした邪魔物が数匹、突っ立っているドーンに勢いよく噛みついた。がう、ぐうとドーンの腕に食いつき、引っぱる。
そして、動かなくなる。だらんとしなだれ、次々レンガに転がっていった。
「……あれ、愛されものだったかな。これくらいじゃ効かないようだね。やれやれ、しかたない。こう私の出番が多いといつまで経ってもゆっくり過ごせないよ。……どれ」
しがみつく騎士をどかして、魔王がこちらに来る。壁にぶつかった騎士がうめく。まだ生きている。大した子だ。
魔王がドーンの胸に手を伸ばす。ソースまみれの手でふれる。
「……おい、あんた。クレープが好きらしいが、あいにく俺はただのパン屋だ。だから代わりに――」
パン屋の目が光った。
「――”ドーナツ”にしてやろうか」
魔王が転がる。ただのパン屋の足もとに、世界最強の創造主が倒れこむ。
オーディンは自分の身に起こったことを確認しようと、体をまさぐった。腹に穴があいている。まるでソースにまみれた汚い”ドーナツ”。
「……ごほッ……!! ……!? ……き、君……なに、もの……。なんだ……その、力は……ッ」
ドーンは答えない。無言で穴を見ている。
「ま、さか……伝説、の……? ……わた、しの、他……にも……!」
「極力ケンカはしないようにしてるんだけどな……騒ぎさえしなけりゃほうっておくのに、どうしても静かにしてられないらしい」
それを聞いて魔王は笑う。
「はは……この街だけ、妙に排除が……進まないと思って、見に、来たら……こういう、ことか……。……でも、どう、して……こんな場所……に……?」
魔王の最後の質問に、ドーンは静かに答える。
「こんな街の平穏なんてのは、魔王からすればそのへんに落ちてるパンくずみたいなもんなんだろうけどな……お前が食いちぎろうとしたものは、そのパンのひとかけらも口にできないようなもの乞いのガキが、運よく手に入れた奇跡なんだよ」
人が来る気配がして、ただのパン屋は音もなく立ち去る。去り際に、誰にともなくつぶやいた。
「ケンカはうるさいし、称賛はやかましい。静かにするのがそんなに難しいことか。疑問だ」
街の火が弱まっていく。夜になる路地裏で、孤独に消えゆくのは魔王オーディン。
「……ま、て……まだ、だ……。まだ、私の部下は……邪魔物、は……世界、中……に……。……」
いつか世界に一人、いや、平穏と二人暮らす日々を夢見ていた。
しかし今まさに、望んだ静けさに自分は包まれている。……なら、もういい。
やっと手に入れたものといっしょに、オーディンはゆっくり目を閉じた。邪魔なものが誰一人いない世界を、ついに見つけたのだ。
ケイク・ケイクに普段の静けさが戻ったのは、夜が街を満たす頃だった。
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