第3話
第三回
捌
三角がお玉に買って贈った紅雀は、図らずもお玉と岡田とが詞を交す媒となった。
この話をし掛けたので、僕はあの年の気候の事を思い出した。あの頃は亡くなった父が秋草を北千住の家の裏庭に作っていたので、土曜日に上条の家から父の所へ帰って見ると、もう二百十日が近いからと云って、篠竹を沢山買って来て、女郎花やら藤袴やらに一本一本それを立て副えて縛っていた。しかし二百十日は無事に過ぎてしまった。それから二百二十日があぶないと云っていたが、それも無事に過ぎた。しかしその頃から毎日毎日雲のたたずまいが不穏になって、暴模様が見える。折々又夏に戻ったかと思うような蒸し暑いことがある。巽から吹く風が強くなりそうになっては又やむ。父は二百十日が「なしくずし」になったのだと云っていた。
僕は或る日曜日の夕方に、北千住から上条へ帰って来た。書生は皆外へ出ていて、下宿屋はひっそりしていた。自分の部屋へ入って、暫くぼんやりしていると、今まで誰もいないと思っていた隣の部屋でマッチを擦る音がする。僕は寂しく思っていた時だから、直ぐに声を掛けた。
「岡田君。いたのか」
「うん」返事だか、なんだか分からぬような声である。僕は三角同様、岡田とは随分心安くなって、他人行儀はしなくなっていたが、それにしてもこの時の返事はいつもとは違っていた。三角がまた変なものを作って岡田に食べさせたのかと思った。
僕は腹の中で思った。こっちもぼんやりしていたが、岡田もやっぱりぼんやりしていたようだ。何か考え込んでいたのではあるまいか。こう思うと同時に、岡田がどんな顔をしているか見たいような気がした。そこで重ねて声を掛けて見た。「君、邪魔をしに往っても好いかい」
「好いどころじゃない。実はさっき帰ってからぼんやりしていた所へ、君が隣りへ帰って来てがたがた云わせたので、奮って明かりでも附けようと云う気になったのだ」こん度は声がはっきりしている。
僕はろうかに出て、机に肘を衝いて、暗い外の方を見ている。竪に鉄の棒を打ち付けた窓で、その外には犬走りに植えたひのきが二三本埃を浴びて立っているのである。
岡田は僕の方へ振り向いて云った。「きょうも又妙にむしむしするじゃないか。僕の所には蚊が二三匹いてうるさくてしようがない」
僕は岡田の机の横の方に胡座を掻いた。「そうだねえ。僕の親父は二百十日のなし崩しと称している」
「ふん。二百十日のなし崩しとは面白いねえ。なる程そうかも知れないよ。僕は空が曇ったり晴れたりしているもんだから、出ようかどうしようかと思って、とうとう午前の間中寝転んで、君に借りた金瓶梅を読んでいたのだ。それから頭がぼうっとして来たので、午飯を食ってからぶらぶら出掛けると、妙な事に出逢ってねえ」岡田は僕の顔を見ずに、窓の方へ向いてこう云った。
「どんな事だい」
「蛇退治を遣ったのだ」岡田は僕の方へ顔を向けた。
「美人をでも助けたのじゃないか」
「いや。助けたのは鳥だがね、美人にも関係しているのだよ」
「それは面白い。話して聞かせ給え」
岡田はこんな話をした。
雲が慌ただしく飛んで、物狂おしい風が一吹二吹衝突的に起こって、街の塵を巻き上げては又やむ午過ぎに、半日読んだ中国小説に頭を痛めた岡田は、どこへ往くと云う当てもなしに、上条の家を出て、習慣に任せて無縁坂の方へ曲がった。頭はぼんやりしていた。一体中国小説はどれでもそうだが、中にも金瓶梅は平穏な叙事が十枚か二十枚かあると思うと、約束したように怪しからん事が書いてある。
「あんな本を読んだ跡だからねえ、僕はさぞ馬鹿げた顔をして歩いていただろうと思うよ」と、岡田は云った。
暫くして右側が岩崎の屋敷の石垣になって、道が爪先下がりになつた頃、左側に人立ちのしているのに気が附いた。それが丁度いつも自分の殊更に見て通る家の前であったが、その事だけは岡田が話す時打ち明けずにしまった。集まっているのは女ばかりで、十人ばかりもいただろう。大半は小娘ばかりだから、小鳥の囀るように何やら言って騒いでいる。なかには三角がお玉に鳥をあげるように頼んだ彼の知り合いもいる。岡田は何事も弁えず、又それを知ろうと云う好奇心を起こす暇もなく、今まで道の真ん中を歩いていた足を二三歩その方へ向けた。
大勢の女の目が只一つの物に集中しているので、岡田はその視線を辿ってこの騒ぎの元を見付けた。それはそこの家の格子窓の上に吊してある鳥籠である。女共の騒ぐのも無理は無い。岡田もその籠の中の様子を見て驚いた。鳥はばたばた羽ばたきをして、啼きながら狭い籠の中を飛び回っている。何物が鳥に不安を与えているのと思って好く見れば、大きい青大将が首を籠の中に入れているのである。頭を楔のように細い竹と竹との間に押し込んだものと見えて、籠は一寸見たところでは破れてはいない。蛇は自分の体の大きさの入り口を開けて首を入れたのである。岡田はよく見ようと思って二三歩進んだ。小娘共の肩を並べている背後に立つようになつたのである。小娘共は言い合わせたように岡田を救助者として迎える気になったらしく、道を開いて岡田を前へ出した。岡田はこの時又新しい事実を発見した。それは鳥が一羽ではないと云うことである。羽ばたきをして逃げ回っている鳥の外に、同じ羽色の鳥が今一羽もう蛇に銜えられている。片方の羽の全部を口に含まれているに過ぎないのに、恐怖のためか死んだようになって、一方の羽をぐったりと垂れて、体が綿のようになっている。
この時家の主人らしい稍年上の女が、慌ただしげに、しかも遠慮らしく岡田に物を言った。蛇をどうかしてくれるわけには行くまいかと云うのである。「お隣へお為事のお稽古に来ていらっしゃる皆さんが、すぐに大勢でいらっしゃって下すったのですが、どうも女の手ではどうする事も出来ませんでございます」と女は言い足した。小娘の中の一人が、「この方が鳥の騒ぐのを聞いて、障子を開けて見て、蛇を見附なすった時、きゃっと声を立てなすったもんですから、わたし共はお為事を置いて、皆出て来ましたが、本当にどうもいたすことが出来ませんの。お師匠さんはお留守ですが、いらっしゃったってお婆さんの方ですから駄目ですわ」と云った。師匠は日曜に休まずに一六に休むので、弟子が集まっていたのである。
この話をする時岡田は、「その主人の女と云うのがなかなかの別品なのだよ」と云った。しかし前から顔を見知っていて、通る度に挨拶をする女だとは云わなかった。
岡田は返辞をするより先に、籠の下へ近寄って蛇の様子を見た。籠は隣りの裁縫の師匠の家の方に寄せて、窓に吊してあって、蛇はこの家と隣家との間から、庇の下をつたって籠に狙い寄って首を挿し込んだのである。蛇の体は縄を掛けたように、庇の腕木を横切っていて、尾はまだ隅の柱のさきに隠れている。随分長い蛇である。いずれ草木の茂った加賀屋敷のどこかに住んでいたのがこの頃の気圧の変調を感じてさまよい出て、途中でこの籠の鳥を見附けたものだろう。岡田もどうしようかとちょいと迷った。女達がどうもすることの出来なかったのは無理も無いのである。
「何か刃物はありませんか」と岡田は云った。主人の女が一人の小娘に、「あの台所にある出刃を持ってお出で」と言い附けた。その娘は女中だったと見えて、稽古に隣りへ来ていると云う外の娘達と同じようなゆかたを着た上に紫のメリンスでくきけた襷を掛けていた。肴を切る包丁で蛇を切られては困るとでも思ったか、娘は抗議をするような目附きをして主人の顔を見た。「好いよ。お前の使うのは新しく買って遣るから」と主人が云った。娘は合点が行ったと見えて、駆けて内へ入って出刃包丁を取って来た。
岡田は待ち兼ねたようにそれを受け取って、穿いていた下駄を脱ぎ捨てて、肘掛け窓へ片足を掛けた。体操は彼の長技である。左の手はもう庇の腕木を握っている。岡田は包丁が新しくはあっても余り鋭利でないことを知っていたので、初めから一撃に切ろうとはしない。包丁で蛇の体を腕木に押し附けるようにして、ぐりぐりと刃を二三度前後に動かした。蛇の鱗の切れる時、硝子を砕くような手ごたえがした。この時蛇はもう羽を銜えていた鳥の頭を頬のうちに手繰り込んでいたが、体に重傷を負って、波の起伏のような運動をしながら、獲物を口から吐こうともせず、首を籠から抜こうともしなかった。岡田は手を弛めずに包丁を五六度も前後に動かしたかと思う時、鋭くもない刃がとうとう蛇を俎上の肉の如くに両断した。絶えず体に波を打たせていた蛇の下半身が、先ずばたりと麦門冬の植えてある雨垂落の上に落ちた。続いて上半身が這っていた窓の鴨居の上をはずれて、首を籠に挿し込んだままぶらりと下がった。鳥を半分銜えてふくらんだ頭が、弓なりに撓められて折れずにいた籠の竹に支えて抜けずにいるので、上半身の重みが籠に加わって、籠は四十五度位に傾いた。その中では生き残った一羽の鳥が、不思議に精力を消耗し尽くさずに、まだ羽ばたきをして飛び廻っているのである。
岡田は腕木に絡んでいた手を放して飛び降りた。女達はこの時まで一同息をつめて見ていたが、二三人はここまで見て裁縫の師匠の家に入ったが、三角の知り合いの娘はまだそこに立ち止まって、その様子を見ていた。「あの籠を卸して蛇の首を取らなくては」と云って、岡田は女主人の顔を見た。しかし蛇の半身がぶらりと下がって、切り口から黒ずんだ血がぼたぼた窓板の上に垂れているので、主人も女中も内に入って吊してある麻糸をはずす勇気がなかった。
その時「籠を卸して上げましょうか」と,とんきょうな声で云ったものがある。集まっている一同の目はその声の方に向いた。声の主は酒屋の小僧であった。岡田が蛇退治をしている間、寂しい日曜日の午後に無縁坂を通るものはなかったが、この小僧がひとり通り掛かって、括縄で縛った徳利と通い帳とをぶら下げたまま、蛇退治を見物していた。そのうち蛇の下半身が麦門冬の上に落ちので小僧は徳利も帳面も棄てて置いて、すぐに小石を拾って蛇の傷口を叩いて、叩く度にまだ死に切らない下半身が波を打つように動くのを眺めていたのである。
「そんなら小僧さん済みませんが」と女主人が頼んだ。小さい女中が格子戸から小僧を連れて内入った。間もなく窓に現れた小僧は万年青の鉢の置いてある窓板の上に登って、一しょう懸命背伸びをして籠を吊してある麻糸を釘からはずした。そして女中が受け取ってくれぬので、小僧は籠を持ったまま窓板から降りて、戸口に廻って外へ出た。
岡田は小僧の持って出た籠をのぞいて見た。一羽の鳥は止まり木に止まって、ぶるぶるふるえている。蛇に銜えられた鳥の体は半分以上口の中に入っている。蛇は体を切られつつも、最後の瞬間まで鳥を呑もうとしていたのである。
小僧は岡田の顔を見て、「蛇を取りましょうか」と云った。「うん、取るのは好いが、首を籠の真ん中の所まで持ち上げて抜くようにしないと、まだ折れていない竹が折れるよ」と、岡田は笑いながら云った。小僧は旨く首を抜き出して、指先で鳥の尻を引っ張って見て、「死んでも放しやあがらない」と云った。この時まで残っていた裁縫の弟子達は、三角の知り合いも含めて、もう見る物が無いと思ったか、揃って隣りの家の格子戸の内に入った。
「さあ僕もそろそろお暇をしましょう」と云って、岡田があたり見回した。
女主人はうっとりと何か物を考えているらしく見えたが、この詞を聞いて、岡田の方を見た。そして何か言いそうにして躊躇して、目を脇へそらした。それと同時に女は岡田の手に少し血の附いているのを見附けた。「あら、あなたお手がよごれていますわ」と云って、女中を呼んで上がり口へ手水盥を持って来させた。岡田はこの話しをする時女の態度を細かには言わなかったが、「ほんの少しばかり小指の所に血の附いていたのを、よく女が見附けたと、僕は思ったよ」と云った。
岡田が手を洗っている最中に、それまで蛇ののどから鳥の死骸を引き出そうとしていた小僧が、「やあ大変」と叫んだ。
新しい手拭きの畳んだのを持って、岡田の側に立っている女主人が開けたままにしてある格子戸に片手を掛けて外を覗いて、「小僧さん、何」と云った。
小僧は手をひろげて鳥籠を押さえていながら、「も少しで蛇が首を入れた穴から、生きている分の鳥が逃げる所でした」と云った。岡田は手を洗ってしまって、女のわたした手拭きでふきつつ、「その手を放さずにいるのだぞ」と小僧に言った。そし何かしつかりとした糸のようなものがあるなら貰いたい、鳥が籠の穴から出ないようにするのだと云った。
女はちょっと考えて、「あの元結いではいかがでございましょう」と云った。
「結構です」と岡田が云った。
女主人は女中に言い附けて、鏡台の抽斗から元結いを出して来させた。岡田はそれを受け取って、鳥籠の竹の折れた跡に縦横に結びつけた。
「先ず僕の為事はこの位でおしまいでしょうね」と云って、岡田は戸口を出た。
女主人は「どうもまことに」と、さも窮したように云って、跡から附いて出た。
岡田は小僧に声を掛けた。「小僧さん、御苦労序でにその蛇を棄ててくれないか」
「ええ。坂下のどぶの深い処へ棄てましょう。どこかに縄は無いかなあ」こう云って小僧はあたりを見廻した。
「縄はあるから上げますよ。それにちょっと待っていて下さいな」女主人は女中に何か言い附けている。
その隙に岡田は「さようなら」と云って、跡を見ずに坂を降りた。
ここまで話してしまった岡田は僕の顔を見て、「ねえ、君、美人の為とは云いながら、僕は随分働いただろう」と云った。
「うん。女のために蛇を殺すと云うのは、神話めいていて面白いが、どうもその話しはそれきりでは済みそうにないね」僕は正直に心に思う通りを言った。
「馬鹿を言い給え、未完の物なら、発表しはしないよ」岡田がこう云ったのも、嬌飾して言ったわけではなかったらしい。しかし仮にそれきりで済む物として、幾らか残り惜しく思う位の事はあつたのだろう。
僕は岡田の話を聞いて、単に神話らしいと云ったが、実は今一つすぐに胸に浮かんだ事のあるのを隠していた。それは金瓶梅を読みさして出た岡田が、金蓮に逢ったのではないかと思ったのである。
しかし女に近づきたいと思って鳥を贈った三角こそ、いい面の皮である。竜に捕まった姫君を救う騎士の役をやりたいと願いながらその役を岡田にゆずり、その手伝いまでしているからである。さしずめ宮廷の道化と云う役回りか。
岡田に蛇を殺して貰った日の事である。お玉はこれまで目で会釈をした事しか無い岡田と親しく話しをした為に、自分の心持ちが、我ながら驚く程急激に変化して来たのを感じた。女には欲しいとは思いつつも買おうとまでは思わぬ品物がある。そう云う時計だとか指輪だとかが、硝子窓の裏に飾ってある店を、女はそこを通る度に覗いて行く。わざわざその店の前に往こうとまではしない。何か外の用事でそこの前を通り過ぎることになると、きっと覗いて見るのである。欲しいと云う望みと、それを買うことは所詮企て及ばぬと云う諦めとが一つになって、或る痛切で無い、微かな、甘い感傷的情緒が生じている。女はそれを味わうことを楽しみにしている。それとは違って、女が買おうと思う品物はその女に強烈な苦痛を感ぜさせる。女は落ち着いていられぬほどその品物に悩まされる。縦い幾日かお待てば容易く手に入ると知っても、それを待つ余裕が無い。女は暑さをも寒さをも夜闇をも雨雪をも厭わずに、衝動的に思い立って、それを買いに往くことがある。万引きなんと云うことをする女も、別に変わった木で刻まれたものでは無い。只この欲しい物と買いたい物との境界がぼやけてしまった女たるに過ぎない。岡田はお玉のためには、これまで只欲しい物であったが、今や忽ち変じて買いたいものになったのである。
お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。もちろんその小鳥を貰ったのが三角だと云うことはとうに頭の中から払拭されている。その計画の骨組みの中には、三角の痕跡は少しも残していない。最初に考えたのは、何か品物を梅に持たせて礼に遣ろうかと云うことである。さて、品物は何にしようか、藤村の田舎饅頭でも買って遣ろうか。それでは余り智慧が無さ過ぎる。世間並みの事、誰でもしそうな事になってしまう。そんならと云って、小切れで肘衝きでも縫って上げたら、岡田さんにはおぼこ娘の恋のようで可笑しいと思われよう。どうも思い附きが無い。さては品物は何か工夫が附いたとして、それをつい梅に持たせて遣ったものだろうか。名刺はこないだ仲町で拵えさせたのがあるが、それを添えただけでは、物足らない。ちょっと一筆書いて遣りたい。さあ困った。学校は尋常科が済むと下がってしまって、それからは手習いをする暇も無かったので、自分には満足な手紙は書けない。無論あの御殿奉公をしたと云うお隣のお師匠さんに頼めばわけは無い。しかしそれは厭だ。手紙には何も人に言われぬような事を書く積もりではないが、とにかく岡田さんに手紙を遣ると云うことを誰にも知らせたくない。まあ、どうしたものだろう。
翌日になった。この日は岡田が散歩に出なかったか、それともこっちで見はずしたか、お玉は恋しい顔を見ることが出来なかった。その次の日は岡田が又いつものように窓の外を通った。窓の方をちょいと見て通り過ぎたが、内が暗いのでお玉と顔を見合わせることが出来なかった。その又次の日は、いつも岡田の通る時刻になると、お玉が草帚を持ち出して、格別五味も無い格子戸の内を丁寧に掃除して、自分の穿いている雪踏の外、只一足しか出して無い駒下駄を、右に置いたり、左に置いたりしていた。「あら、わたしが掃きますわ」と云って、台所から出た梅を「好いよ、お前は煮物を見ていておくれ、わたし用が無いからしているのだよ」と云って追い返した。そこへ丁度岡田がせ通り掛かって、帽を脱いで会釈をした。お玉は帚を持ったまま顔を真っ赤にして棒立ちに立っていたが、何も言うことが出来ずに、岡田を行き過ぎさせてしまった。お玉は手を焼いた火箸をほうり出すように帚を棄てて、雪踏を脱いで急いで上がった。
お玉は箱火鉢の傍へすわって、火をいじりながら思った。まあ、私はなんと云う馬鹿だろう。きょうのような涼しい日には、もう窓を開けて覗いていては可笑しいと思って、余計な掃除の真似なんぞをして、折角待っていた癖に、いざと云う場になると、なんにも云うことが出来なかった。檀那の前では間の悪いような風はしていても、言おうとさえ思えば、どんな事でも言われぬことは無い。それに岡田さんにはなぜ声が掛けられなかったのだろう。あんなにお世話になったのだから、お礼を言うのは当たり前だ。それがきょう言われぬようでは、あの方に物を言う折りは無くなってしまうかも知れない。梅を使いにして何か持たせて上げようと思っても、それは出来ず、お目に掛かっても、物を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。そう、そう。あの時わたしはたしかに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。「岡田さん」と馴れ馴れしく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合わせて「もしもし」とも云いにくい。ほんにこう思って見ると、あの時まごまごしたのも無理はない。こうしてゆっくり考えて見てさえ、なんと云って好いのか分からないのだもの。いや、いや。こんな事を思うのはやっぱりわたしが馬鹿なのだ。声なんぞを掛けるには及ばない。すぐに外へ駆け出せば好かったのだ。そうしたら岡田さんが足を駐めたに違いない。足さえ駐めて貰えば、「あの、こないだは飛んだ事でお世話様になりまして」とでも、なんとでも云うことが出来たのだ。お玉はこんな事を考えて火をいじっているうちに、鉄瓶の蓋が跳り出したので、湯気を漏らすように蓋を切った。
それからはお玉は自分で物を言おうか、使いを遣ろうかと二様に工夫を凝らしはじめた。そのうち夕方は次第に涼しくなって、窓の障子は開けていにくい。庭の掃除はこれまで朝一度に極まっていたのに、こないだの事があってからは、梅が朝晩に掃除をするので、これも手が出しにくい。お玉は湯に往く時刻を遅くして、途中で岡田に逢おうとしたが、坂下の湯屋までの道は余り近いので、なかなか逢うことが出来なかった。又使いを遣ると云うことも、日数が立てば立つ程出来にくくなった。
そこでお玉は一時こんな事を思って、無理に諦めを附けていた。わたしはあれきり岡田さんにお礼を言わないでいる。言わなくては済まぬお礼が言わずにあって見れば、わたしは岡田さんのしてくれた事を恩に被ている。このわたしが恩に被ていると云うことは岡田さんには分かっている筈である。こうなつているのが、却って下手にお礼をしてしまったより好いかも知れぬと思ったのである。
しかしお玉はその恩に被ていると云うことを端緒にして、一刻も早く岡田に近づいて見たい、唯その方法手段が得られぬので、日々人知れず腐心している。
お玉の乙女心を読み違えている三角はねじりはちまきをして、煮えたぎった油の鍋の前に立っていた。三角は、中国人留学生、陳くんの紹介によって、揚げ物屋をやっている中国人の協力を得て、彼が住んでいる向島にある彼の掘っ建て小屋のような倉庫で竹筒蕎麦の生産を始めていた。畳で云えば六畳くらいの大きさしかない倉庫の中では三角と中国人が竹筒蕎麦をその道具や材料に囲まれながら作っていた。最初の三角の発想では日本蕎麦を冷凍乾燥してから油で揚げていたのだが、蕎麦粉と小麦粉の割合を適当なものにして、さらに鉢で練るときの手加減の仕方でグルテンと云う蛋白質の量を調整することによって、直接、油で揚げても、お湯で戻すことの出来る乾燥麺を作れることを発見していた。そしてその製法を取り始めた。三角は長い柄の先に鉄製の網のついた、水切り笊のその柄の中程を握っている。前の方に金網がついていることと、長い柄がついているのでそこいらのところを持たなければ重心がとれない。これは日本にはないものだ。一緒に働いている中国人が中国からとり寄せたものである。三角の横には丼一杯分にまとめられた蕎麦玉が整然と台の上に置いてある。三角は水切り笊の柄の中程を持つと網の中に日本蕎麦を一玉取って入れた。それから柄の端を持って煮えたぎった油の中に笊ごと生の蕎麦を入れると蕎麦から出た水蒸気が油の中で無数の泡となって油の鍋の上から出て行く。川の中で水の流れに身をまかせている水草の葉の表面についている空気の水玉のようなゼリーのような透明感を持った蒸気の泡が出ていく。蒸気の出る量が収まったところで笊を油の中から取り出すと、燕の巣のような、油で揚がった日本蕎麦が出て来る、それを木の箱の中に入れた。そして木の箱の中にはすでに油で揚がっている蕎麦玉が十個くらい入っている。倉庫の壁際にはこれから使う孟宗竹を横に切った竹筒が沢山並んでいる。その竹筒の中に油で揚げた日本蕎麦と粉末になった中華スープを入れる段取りである。油鍋のある竈の隣りには、やはり火の焚かれている竈が置かれていて、中国人が中華スープを煮詰めている。中華料理のにおいが鍋から出ている。この中華スープがある程度煮詰まったら、今度は天日干しにしてスープを粉末にするのだ。油で揚げられた日本蕎麦とこの粉末スープを横に切った孟宗竹の中に入れて上から油紙で蓋をすれば三角の考案した竹筒蕎麦は完成する。この倉庫の片隅にはすでに完成している竹筒蕎麦が十個くらい置かれていた。
「三角さん、これを日本の兵隊さんに送るつもりですか」
一緒に働いている中国人が変なイントネーションで三角に聞いて来る。
「これを売ろうかと思っているんだ」
三角が掲げていた高邁な理想はいつの間にか影を潜めていた。どこにあいているのかわからない小さな穴によって空気が漏れだしてしぼんでしまった。天下国家を論じていた壮士がその社会的関心の円の範囲をロシア、日本から大部縮小させて、湯島切り通しの無縁坂のあたりに半径を縮めていた。
「三角さん、よくないよ。日本はロシアに占領されてしまうよ。わたしの国みたいになっちゃうよ」
「そんなことは日本の官吏が考えればいいことさ」
三角は投げやりに答えた。
(小見出し)乾燥蕎麦
「桜痴居士も廉潔じゃないと云うよ。政治家として日本の言論界を牽引している福地源一郎がしてそうだよ。僕にはもっと関心のあるものがある」
「わたし、福地源一郎と云われても誰のことかわからない」
三角と云うこの貧乏な医学生が国や自分の同胞のことを思う気持ちははなはだ脆弱だと云わなければならない。それはただ三角だけに責任をとることは出来ないかも知れない。西洋列強の圧力から脱しようとしていた日本人や日本のすべてが少し工業化を果たしただけで植民地支配に乗り出したからだ。彼の天下国家を論ずる気持ちを奪い去ろうとしつつあるものはお玉の手紙である。いや、お玉から来ただろうと思っているが、その実、父親がお玉だと騙って出した手紙である。半紙にして数枚のその手紙が三角の気持をまったくなえさせてしまった。今までシベリヤに出兵する兵隊たちに食べさせるのだと自分に語った三角の気持をである。それが脆弱だったのか、または地面の下に伸びていく地下茎が全く、はっていなかったのか、地面の下には何もなく、地上に頭でっかちの草葉を繁らせていたのか、そうでなければこの三角の部屋に出入りしているお題目に対してもう一つ無関係なものの閉める割合が大きくなってしまったのかも知れない。故郷にいた頃から、食べ物に関しての本は買いそろえ、資料を集めていたりしていたが、それも新しい非常食を作ることに最初から大志を抱いていたからと云うわけではなかった、そもそもきわめて学問的なものだった。それが愛国心と結びつき、異国の地に行くであろうと云う兵隊に竹筒蕎麦を送ることになったが、その原因はロシアへの留学だった。それからの変化はお玉への変な期待である。
九
三角の出身は少し変わっている。維新に貢献した国ではあったが、明治政府に参画して権勢を欲しいままにすると云う立場にはなかった。丁度それらの国のあいだにはさまれていると云うような故郷だった。反観合一を標榜する三浦梅園の玄語、贅語、敢語の梅園三語を若い頃、読んでいた。三角がものごころの附く頃には明治政府の主要な地位は薩摩と長州の出身者に占められていたから、彼は技術を持って身を立てるしかないと思い、梅園の影響で天文などの科学に興味を持っていた彼は科学の中でも一番EXACTを生命にしている医学を専攻することにした。しかし、ここが少し、変わっているのは、動物を専攻したことである。三角の故郷出身には河原猫造という明治政府の官吏がいて、ニコライ二世の隠された真意を探り出すためにロシア語を少しかじっている三角に白羽の矢がたち、三角はロシア宮廷に渡った。長い船旅と陸路の旅を組み合わせて、宮殿に辿り着いた三角を待っていたのは、圧倒的な光の量の差だった。日本人は奥ゆかしさに美を求める。こぶりな茶碗の底に宇宙を求めたりする。安土桃山時代ならいざ知らず、鎌倉時代以降、質素倹約の中に美の調和を求めたものだ。近世になって金色の巨大な大仏を作ろうと云う為政者が潮流になったと云う話は聞いたことがない。三角は光を抑えた、小ぶりな美意識な世界に囲まれて生きてきた。それがロシア宮廷に入ったとたん光の洪水が溢れて来たのである。今までふれたことのないものが眼前にせまって圧倒された。光こそ、生命と神を現世の幸福のすべてを具現していると解釈しているのか、美術品にはすべて金が粉飾されていてそれが、富の象徴だと思っているのかも知れない。金という金属が特別な光を発して、その光の力で見る人間をひれ伏させようとしているようだった。絵もそうだった。日本の絵は描かない空間を作ったり、線を単純化することによってその精神性を現そうとしたりするが、ロシアの宮廷に飾られていたりするその絵は絵の具を何度も塗り重ね、細部まで描くことによって、その世界の多重性や実在性を平面上に具現しているようだった。そんな力技で三角はぐいぐいと押し付けられた。しかし、三角はそれらの格闘の中で気に入った絵があった。それはギリシヤ神話に題材をとった絵で岩につながれた姫を空を飛ぶ剣士が救いに来る図柄だった。その背景には大きな沼と呼んだほうが良いような湖が広がっている。西洋にはこういう図柄の絵がたくさんあるらしい。三角がそれらの中でこれを気にいった理由は、姫を捕まえている竜が東洋と同じような蛇が進化したような形をしているのに、海竜と云ってもいいような三角の頭部をした竜が湖から頭だけを出していることによった。その三角の頭部をした竜を三角はどこかで見たことがあるような気がした。制作者の名前を見るとテイッアーノと書かれている。また三角はその空を飛ぶ剣士に自分の姿を重ねていたのかも知れない。しかし、そのときにはとらわれの姫君が誰なのかは三角自身にも分からなかった。
皇帝ニコライ二世が日本人に対して敵意を持っているのは明らかだった。後年、大津事件が起こったのはその政治的原因を除外視しても明らかだった。ここで三角がニコライ二世に対して、さらにロシアに対して、その戦争の準備として、竹筒蕎麦の開発を思いいたるに至った個人的な理由について述べることは留まっておこう。ただ公的なもっともな理由として、日本語の講義を行おうとした三角は皇帝の執務室の扉が少し開いていた。その隙間から中を見た三角は皇帝が極東の地図をひろげて、ロシアの旗をたててほくそ笑んでいたのを何度も見ている。それから、会話の勉強中にニコライ二世は京都の金閣寺の話しになり、その建物が屋根から壁から全部、金の箔でふかれていることに大きな興味を持っているようだった。皇帝は木製の仏像の中に金で作った小型の仏像を入れることがあると云う話しにも興味をそそられているようだった。それから日本の周囲の港が氷でとざさせることもないと云う話しにも耳をそばだてた。三角は内心、ニコライ二世の隠された意図を完全につかんだが、それとは悟られないように屈辱を忍びながらロシアでの宮廷生活をきり上げて、日本に戻ると、来るべきロシアとの戦争に備えて、非常食の開発のために蕎麦屋通いを始めたのだ。日本に戻った三角はロシアとの関係は完全に切れたと思っていたのだが、ペテルスブルグから皇帝直属三部、つまりデカブリストの乱を平定したニコライ一世の創始した秘密警察の一員が三角を監視するために日本に来ていたのである。それは宮廷で暗躍していた怪僧ラスプーチンの入れ知恵でもあった。
買い物に行かせていた、十三になる小女の梅が無縁坂のお玉の内に戻って来るなり、玄関に走ってあがって来た。
「梅、内の中を走るもんじゃないわよ」
お玉は梅をたしなめた。周囲から陽に貶められ、陰に羨まれる妾と云うものの苦しさを知って、一種の世間を馬鹿にしたような気象を養成して、少し擬態を身につけていたお玉であったから全く暗闇の中、海の底に潜んで暮らそうと思っているわけではないが、静かに暮らそうという生活信条を身につけている。それはお玉の信条と云うよりも、妾と云ってもまだ十代の娘である、どんな悲しいさがを背負っていても、春の日差しのようなものは発している。複雑な境遇に身を置いているが、十九才のまだ若い娘である。ほとんどすべてのことは現実と屹立しているが、一つだけ夢の世界に生きている。その夢の世界が一部、現実味をおびている。ただ欲しいものと思っていた岡田と紅雀を介在して話を交わす間がらになって買いたいものとなったからである。梅を銀座で開かれている勧工場に自分の新しい半襟を買わせにやった。
「新しい生地で作った半襟はあったかい」
梅はそれよりも重要な用事を持っていた。
「岡田さんについて、いい話しを聞きましたよ」
まだ幼い梅だったが、お玉が岡田に淡い恋心を抱いていると云うことはなんとなく理解していた。お玉が岡田の名前の出て来る話を聞くと喜んだり、またまじめな顔になったりするからである。お玉は耳をそばだてた。お玉は梅がはじめに小女として内に来たときは、旦那に自分のことがどう伝わるかと心配して何も悟られないようにしようと注意していたのだが、末造が因業な金貸しで、そのために魚屋のお上さんから、魚を売って貰えなかったりしたことで、内心、お玉の味方になったりしていた。大人の世界の込み入った恋の世界のことはわからなかったが、お玉が岡田の話を聞けば喜ぶということは分かっていたのである。
「勧工場で品物を売っている人に聞いたんですが、岡田さんはときどき、やって来て、西洋の人が競漕に乗るとき着る服をときどき見ているそうですよ」
お玉は岡田がボートに乗ると云うことを知らなかった。岡田は大鉄槌伝を全部暗唱出来て、そう云った武芸伝を好むと云うことをもちろん知るはずがないだろう。
「競漕の選手かと聞いたら、競漕の選手だと答えたそうですよ」
しかしお玉は岡田が体操の長技を見せて蛇退治のとき庇の腕木にぶら下がったことを思い出した。お玉はその競漕の衣装を買って岡田に渡そうかと思った。末造がこうもり傘を買ってくれた。こうもり傘とその衣装を比べたら、いくらなんでもこうもり傘の方が高いだろう。こうもり傘をなくしたと云って末造からお金を貰おうか、そのお金でその衣装を買おうか、しかし、末造から貰った金で岡田への贈り物を買うのはいやだ。岡田はどのくらい、その衣装を欲しがっているのだろうか、岡田がその衣装を欲しいと思う気持ちに従って、もし、自分がその贈り物をしたときの岡田の喜びかたは違うだろう。でも、なんと話しを切り出したらいいだろう。この前は困っているところを助けていただいてありがとうございました。岡田さんとおっしゃるのですね。隣りの裁縫のお師匠さんが岡田さんの名前を知っていたんです。それで競漕をなさっていると聞いて、岡田さんに合うかわからないんですが、西洋からきた競漕の衣装を買ったんです。これを来ていただけますか。お玉の想像はつぎつぎと広がって行ったが、それから、そのさきをどうしよう、そのあとはどうなるだろうと云う夢の展開はなかった。ただその一点である感情が高まって心の中がいっぱいになってしまう。岡田と顔を合わせて話しをしていると云う場面でである。ただ同じところをぐるぐると廻って、甘美な渦をまいているだけだった。とうとう次の日にお玉は勧工場にその衣装を見に行くことにした。それを買うための金ももたずにである。梅には池の端にある父親の内を尋ねると云う言い訳を云っておいた。無縁坂の小家から不忍の池の東を通って池の端の裏通りを抜けて銀座に行くと外国人が経営しているマーナー商会と云う洋館があった。その隣りの隣りは越後屋呉服店になっている。マーナー商会は日本で作っていない洋服を西洋から輸入していた。一階に商品が通りがかりの通行人も見ることが出来るようにその競漕選手の着る蜜柑色の服が展示されている。梅の云ったとおり、ガラスの棚の中に蜜柑の色で染められた西洋の競漕選手が着る衣装が飾られていた。そこでもまたお玉は梅からその衣装の存在をはじめに聞いたときと同じように岡田を中心とした夢の中にいることが出来た。この服を買ったら、岡田さんが散歩に通るときに渡すように待っていよう。そのときの岡田の笑顔が想像の世界を超えた実在の世界の想像物として強い現実性を帯びてお玉の眼前にあった。そこからお玉は池之端の父親のうちに立ち寄って家に戻ろうかと思ったが、以前住んでいた西鳥越にちょっと立ち寄ってみようかと思った。ちょうど住んでいた長屋の裏手に柳盛座があって、隣りは車屋だったが、その芝居小屋がどうなっているのか、ふと思い立って知りたくなったからだ。小半時歩いて柳盛座に着き、芝居小屋の前に立つと以前とは少し様子が違っている。壮士芝居というのが最近、出来たと云うことを聞いたことがあるが、女壮士芝居と云うものを下総の住人で里山勝と云う女が始めたそうで、この芝居小屋で興行しているとその小屋の前で子守をしている小さな子供が教えてくれた。たしかに芝居小屋の中からかすかに女の声で声高に演説しているような声が聞こえる。そこに入ろうかどうかと迷っていると、近所の隠居と云ってもいいような老人がお玉のそばに寄って来て、一部の国民にしか選挙権のないことに抗議して壮士芝居と云うものが出来たが、さらに婦人の参政権を求めて女壮士芝居と云うものがここで行われているので、ためしに見てみたらと云うのでお玉は思い切ってそこに入ってみることにした。中に入るとかすかに聞こえていた女壮士の語る詞がはっきりと聞こえる。小屋の中は客は半分くらいしかいなかったが小屋のうしろの方には巡査がひとり立って舞台と観客の方を威圧している。お玉は客席の中程に履き物を脱いで手拭いを下に敷いて座ると舞台の方に目をやった。舞台の中央では目玉のぐりぐりとした山に住む古狸のような女が八犬伝の犬塚志乃の格好をして仇討ちをすると云う筋書きであったが、ところどころに自分たちの政治的主張をくわえていて、そこの部分になると、とくに大久保利通や伊藤博文の批判になると観客は手を打ってよろこぶ。随分と僕らは世の中に馬鹿にされていた。犬塚志乃が舞台の上でそう云うとお玉の心の芯の方でがちりとぶつかるようなものがあった。さらに里山勝は古代、女性は太陽であったと平塚らいちょうを先取りして叫ぶと胸の奥の方で無理矢理に強く揺さぶられるようなものがあった。父親と話しているとき「わたくしこれで段々えらくなってよ。これからは人に馬鹿にせられてばかりはいない積もりなの。豪気でしょう」と云ったことがある。そのとき父親は自分に矛先が向けられたように感じたものだが、巡査に騙されて巡査を入り婿にとらされたこと、めかけとなった相手が実業家ではなく、人に嫌われる金貸しであったと云うこと、自分は騙されてばかりいた。それが男に対する矛先だと云うことに解釈して、父親がそう云う印象を抱いたとすればあまりにも解釈を狭めすぎているだろう。父親は「うん。己は随分人に馬鹿にせられ通しに馬鹿にせられて、世の中を渡ったものだ。だがな、人を騙すよりは、人に騙されている方が、気が安い。なんの商売をしても、人に不義理をしないように、恩になった人を大事にするようにしなくてはならないぜ」
それに対してお玉は「大丈夫よ。お父っさんがいつも、たあ坊は正直だからとそう云ったでしょう。わたくし全く正直なの。ですけれど、この頃つくづくそう思ってよ。もう人に騙されることだけは、御免を蒙りたいわ。わたくし嘘を衝いたり、人を騙したりなんかしない代わりには、人に騙されもしない積もりにの」と答えたことがあった。お玉は賢くなりたいと思った。しかし、その偉くなると云う基準は誰にも騙されない賢い人間になると云うことだった。それが、一挙に自分の地位を向上させて、古代には女性は太陽だったと宣言までしていたから、お玉をひどく感激させた。お玉が無縁坂の自分の内に帰って入り口の格子戸から御影石を塗り込んだ敲きの庭まで、来ると、若い娘たちのざわめく声が家の中から聞こえた。隣りの裁縫の師匠の家に来ている娘たちが自分の内に上がり込んでいると云うことがその声からお玉には分かった。
「梅がかつてに内に上げたんだわ。旦那が来たらどうするつもりかしら」お玉は内心、いらいらしたが玄関に上がると娘たちが車座になって座っている中で梅がお玉が帰って来たのに気がついて振り向いた。
「隣りの裁縫のお師匠の家に来ている娘さんたちが念のために来てくれているんです」まだ子どもの梅は至極当然だと云う表情をしてお玉に云ったが、不審気な表情をしているお玉を見て説明をしなければと云うつもりになって口の端にその意思が現れた。梅の話しによると、お玉が出掛けてから、台所で桶の中にきゅうりや茄子を入れて浅漬けを作っていて、いつものように格子戸の外側を掃除をするために漬け物をそのままにして外に出て、帚で御影石の踏み石を掃いていると、台所のある裏口から、誰かが入って来る気配を感じた。梅はすぐに台所へ行くと犬が桶の中に首を突っ込んで漬け物を食べていた。梅は帚を持って犬を追い払おうとしたが、野良犬は桶をくわえたまま、表に飛び出したそうである。梅の騒ぐ声を聞いて六の日で、お師匠さんがいないままで、集まっていたお弟子さんたちも表に飛び出して来て、野良犬を囲んだそうである。その中の一人に佃から来ている娘さんがいて、野良犬に干物を盗まれることがよくあって、犬を捕まえることになれていると云う娘さんがいた。炭俵を縛っている荒縄を持ち出して、犬を囲んだ娘たちはその荒縄で野良犬をぐるぐる巻きにするとその犬は腹を天に向いて、仰向いたので、娘さんたちはみんなそこらへんにあった木の棒を握って犬を叩き始めた。犬はきゃんきゃんと啼いたが、かまわなかった。するとそばにはえている大きなけやきの木の上の方で、何物かの陰を生じた。するとその陰は地上に降り立って倒れている犬の前に立ちはだかった。梅はすっかりとびっくりしたのだが、それは不忍の池の中で蓮の間を往き来しているような雁だった。雁は取り囲んでいる娘たちを一区切り見渡すと、梅に視線を固定した。梅の話しによると死んだように魂のない、機械のような目の力だったそうだ。「弱いものいじめはやめろ。徳川綱吉、柳沢吉保の元禄時代だったら、お前らは即刻、獄門、打ち首じゃぞ」雁は器用にくちばしをつかうと縛られていた犬の縄をほどき、犬は即座にむっくりと立ち上がると、娘達の円陣の間をかいくぐって逃げ出した。「また、来るであろう」雁は高らかに笑うと、羽をばだばたさせて不忍の池の方に向かって飛んでいったのだ。弟子たちはそのことでお玉の家に上がって話していたと云う話しだった。「また、あの雁は内に来るんでしょうか」梅は不機嫌に云った。その不機嫌な表情を見てお玉は漬け物と野良犬と云う関係ではなく、自分と雁の関係と云うことでこの事実を結びつけているのではないかと、ちらりと思った。「学生さんがお留守の間にこんなものを持って来ました」それは円空が彫ったあらえびすのようなもので、表面をつるつるになるまで磨きこんでいるらしくて、茶色とも紫とも言い難い色で光って、落ちくぼんだ目をして手に持ったお玉の方を見つめている。梅が学生が持って来たと云ったので、お玉は内心、岡田が持って来たのではないかと思った。「岡田さんじゃ、ありません。医科大学の学生さんで三角と云う人だそうです」その詞を聞いてお玉はがっかりとした。その岩の固まりのようなあらえびすは台所の片隅にほうり投げられた。その雁がお玉の前に姿を現したのはその四五日あとだった。
妾も旦那の家にいると、世間並みの保護の下に立っているが、囲い物には人の知らぬ苦労がある。お玉の内へも或る日印半纏を裏返して着た三十前後の男が来て、下総のもので国に帰るのだが、足を傷めて歩かれぬから、合力をしてくれと云った。十銭銀貨を紙に包んで、梅に持たせて出すと紙を明けて見て、「十銭ですかい」と云って、にやりと笑って、「大方間違いだろうから、聞いて見てくんねえ」と云いつつ投げ出した。
梅が真っ赤になって、それを拾ってはいる跡から、男は無遠慮に上がって来て、お玉の炭をついでいる箱火鉢の向こうに据わった。なんだか色々な事を言うが、取り留めた話しではない。監獄にいた時どうだとか云うことを幾度も云って、威張るかと思えば、泣き言を言っている。酒の匂いが胸の悪いほどするのである。
お玉はこわくて泣き出したいのを我慢して、その頃通用していた骨稗のような形の青い五十銭札を二枚、見ている前で出して紙に包んで、黙って男の手に渡した。すると汚れた顎髭をさすりながら、お玉のことを睨みながら、何とかのすくねとか、何百年も前の神さまのことを語り出した。「これで帰ってもらえないんですか」お玉が云うとさらにお玉が聞いたことのない名前を出して来て、どうも自分がそれらの固有名詞の持ち主と知り合いだと云っているらしかった。
横に据わっている梅がお玉の脇腹をつつくのでお玉は何事が起こっているのかと思った。台所の方から二足歩行の生き物が音も立てずにお玉のいる部屋に入って来た。流れ星のような胴体にうなぎのような首をつけた黒い闖入者は台所に面している裏口から入って来たようだった。ちょうど据わっているお玉と梅の後ろに羽をたたんで立っている姿はふたりの保護者のようだった。「三代前は」雁が男に云うと男は答えられなかった。「余は」雁がまたお玉には分からないような固有名詞を云うと、男は平伏した。雁は当然と云うような顔をして胸を反り返した。そして男はお玉の方を振り返ると「半助でも二枚ありゃあ結構だ、姉さん、お前さんは分かりの好い人だ、きっと出世しますよ」と云って、覚束ない足を踏み締めて帰った。
「何と云ったんです」
梅が聞くと雁はその事情を説明したが、お玉にはどういう事なのか、よく分からなかった。要するに三角形のヒエラルヒー構造をしている集団に男も雁も所属していて雁は男よりもはるかに高い地位に位置していると云うことを証明したのか、主張したと云うことらしかった。
「あなたは」お玉が聞くと雁は勝ち誇ったように胸をそらして、芝居気たっぷりに云った。その目はやはり生気が感じられず作り物のようだったが、その瞳の中には何らかの悪意と邪悪なものがないまぜになった意思は感じられた。
「余は再び来ると云ったであろう」
「わたくしにどんな用事でしょうか」
「ここではなんである、蓮玉庵へ行って話しをしよう」
梅はいかがわしいものを見る目つきで雁を見ていたが、外の空模様がおかしいと云うことこ感じていた。内の外から見上げる天気はどんよりとした空には雲が立ちこめていて、その空も灰色をしていて、雨粒を大量に含んでおり、重力との釣り合いがなくなればその水滴は降って来るからである。
「雨が降って来るかも知れません」
「いいのよ、梅、蛇の目をさして行くから、留守番をしていてちょうだい」
梅は自分の来ている着物の糸くずが気になっていて取りたくても取れないと云う表情をした。太田庵、藪蕎麦などの蕎麦屋の老舗がその頃上野にあったが、池の端の蓮玉庵はその頃名高かった蕎麦屋である。梅の云ったとおり、お玉と雁が外に出ると空の底のあたりから雨粒がぽたりぽたりと落ちて地上を濡らした。お玉が蛇の目を挿すとずうずうしくも雁はお玉の挿した傘の内に入った。蓮玉庵の入り口の木戸の横にはわざわざ富士山から取り寄せたと云うぶつぶつと多数の穴の開いた大きな溶岩の冷えたのが置かれており、その下には小さな池が作られていて、池の中では金魚が八の字を描いて泳いでいる。お玉は塗れた蛇の目の雨粒を入り口のところで払って、店の中に入ると、それよりさきに雁は中に入って、ひとり、勝手に席に据わっていた。「もりふたつとと銚子を二本」同じく、雁はお玉が何も言わないうちに注文を云った。お玉は傘をさしていたが少し濡れたので手拭いを出すと足下についた水気をぽんぽんと手拭いで拭いた。お玉の向かい側に据わった雁は羽を器用に動かすと品書きを眺めた。「いつも、食い物屋に入るとナイフもフォークも置いていないので困ってしまうよ」、まるで洋行帰りを自慢している役人のように。目を丸くしているお玉に忖度せずに、雁は羽の下のあたりをもぞもぞとすると卓の上に虞初新誌を投げ出した。それから紙をめくると、そこには大鉄槌伝の文章が載っている。もちろんお玉にはなんの符号かはわからない。それから何か取り出したのを見てお玉は目を見張った。蜜柑色の競漕選手の着る服を雁が取り出したからである。雁は相手の内心を見透かしたような精神的な優位に立った表情をしている。「それは」
「日本橋のマーナー商会で買ったと云うわけではありませんよ。国内勧業博に出品されたものです」
維新のときには上野の山の上の寛永寺の敷地で彰義隊の戦で焼けてしまって丸坊主になってしまった寺の境内がある。その場所で国内の産業の発展を育成する目的で三年前に開かれた官が肝いりで始めた国内勧業博覧会では、実業家や政府の役人、外国の貿易商しか招待されなかったので、長屋でつつましくくらしているお玉にはそこでどんなことがおこなわれたのかは行くことは出来なかったので知るはずがなかった。しかし、そこにイタリヤから輸入されたその蜜柑色をした競漕選手の衣装が展示されていた。雁はこの衣装がそこで展示されていたのだと云う。しかしその第一回の国内勧業博に出品された製品を持っていると云うことはどう云うことだろうかとお玉は思った。なにも知らない人が見れば、田舎から上京したおじさんを、丸髷を結った姪が蕎麦屋に蕎麦を食べにさそったと言うほほえましい光景に見えないこともなかったが、その姪の相手が懐から虞初新誌だとか輸入された洋服だとかを取り出して卓の上に並べている鳥類だったから冷静に見れば異常な状態だったが、感性ではそれが日常の生活のように感じられた。しかし卓の上には口にするものは銚子が二本しかのっていなくて殺風景だったので、雁は「お酒が来てもまだ、おとおしが来ていないよ。それに猪口をもう一つ持って来ておくれ」と小女に文句を言った。小女がしょうがの漬け物の小鉢に入れたのと、猪口を持って来たのを卓の上に置いたので、雁は羽を器用に動かすとお玉の前に猪口を置き、そこに酒を注いだ。濡れた雨の中を歩いて来たのでお玉の鬢のあたりは濡れていて、冷たい雨で下がった肌の表面のぬくもりが、店の中に入って、またあたたまって来たので、化粧をうっすらとしかしていないのに、輝いているお玉の肌の表面を、血液の流れがそのそこに流れて赤みをおびさせて、色気を発散させていた。人によっては平べったく見えると云われるかも知れないお玉の容貌をさらに美しく、花を添えている。一杯の猪口に入った酒を飲んだお玉の唇のあたりは少し憂いを含んで濡れていた。雁はそれを銀座のマーナー商会のショーウィンドーの前で蜜柑色の競漕選手の衣装を見ているときと同じだと思った。お玉の精神に何か滋養物を与えているなにものかがつねにお玉の心の中に作用していると云うことを知っている。彼独自の事前の調査でお玉が岡田とさらに、単なる散歩の途中での挨拶者としての関係からさらに深めて、お互いの何かの秘密を共有したいと思っていて、その蜜柑色の衣装がその鍵を握っている、そのお玉にとっての恋の道具になるかも知れないと云うことを知っている。雁は最初、お玉のことをいろいろと調べて知っていたが、銀座のある店の硝子戸棚の前でたたずんでいるお玉をちらりと最初に見たときは、この女のことを芸者かも知れないと云う印象を受けた。若し芸者なら、銀座にこの女程どこもかしこも揃って美しいのは、外にあるまいと、せわしい暇に判断した。しかし次の瞬間には、この女が芸者の持っている何物かを持っていないのに雁は気が附いた。その何物かは雁には名状することは出来ない。それを説明しようとすれば、態度の誇張とでも云おうか。芸者は着物を好い格好に着る。その好い格好は必ず幾分か誇張せられる。誇張せられるから、おとなしいと云う所が失われる。雁の目に何物かが無いと感ぜられたのは、この誇張である。
店の前の女は、傍を通り過ぎる誰やら不可解ななにものかが足を駐めたのを、殆ど意識せずに感じて、振り返って見たが、その通り過ぎる人の上に、なんの注意すべき点をも見出さなかったので、蝙蝠傘を少し内回転をさせた膝の間に寄せ掛けて、帯の間から出して持っていた、小さな蝦蟇口の中を、項を屈めて覗き込んだ。小さな銀貨を捜しているのである。そして蝦蟇口の中から銀貨を一枚取り出したが、ショーウインドーの中と見比べている。
店は銀座のマーナー商会であった。生麦事件の少しあとから、アレックス・マーナーと云う外国人が江戸幕府に出入りしていて、ワインの栓抜きやら、缶詰などのサンプルを輸入していたが、瓦解のあとは今度は明治政府に取り入って同じようなことをしていた。銀座に洋館を建てて、一階がショーウィンドーになっている。一銭蒸気が開業したときはコルクと木綿で出来たマーナー人形と云うのをたくさん配った。小女の梅もマーナー人形をひとつ持っている。店の前の女は別人でない。梅から岡田が競漕用の衣装を欲しがっていると聞いて、それを見に行ったお玉であった。
「あなたは何物なんですか。ただの不忍の池に住んでいる雁ではないんですか」
猪口についだ酒を器用に羽を使って口にすると、一気にのどの中に流し込んで、畜生のくせに生意気にもくうと云った。それから、身体の下の方から油挿しを取り出すと、足下に置き、右の方の羽で左の方の羽の付け根のあたりの羽毛をかき分けると、二重、三重に重なっている歯車が現れて、右の羽のさきで油挿しを取ると、そこに油を差した。
「毎日、一度は油を挿さなければならないんだ」
それから不敵ににやりと笑うと、「不忍の池の弁天島は仮の住まいと云うことだ。わしはここからはるか、北から来たのである。そこは男も女も平等で女が結婚相手を自由に選ぶことも出来れば、男が女を結婚相手に自由に選ぶことが出来る。女が貧乏のために親に売られることはないのだ。社会的な地位の差もなければ貧富の差もない、みんなが皆、自由で幸福なのだ。みんながあり余る富を持っているので他人を羨むこともない、泥棒は一人もいない。国民はひとりひとり、だいたいが百坪ぐらいの家に住んでいて、朝は蜂蜜を塗ったトーストと玉子料理、牛乳、酢漬けの野菜、昼はチーズに肉料理、砂糖をたっぶりと入れた紅茶それにワイン、果物を毎日食べたいだけ食べている。朝と昼でそれぐらいなのだから、夜はもって知るべきだろう。なにしろ毎日、国民はなんの憂いもなく暮らしているのだ」
「わたくし、なんの学問もしつけもなく、暮らしてまいりましたので、外国のことはさっぱりわかりませんの。本当かどうか信じられませんわ」
お玉が疑念を抱くのも、もっともだった。雁が来た国は皇帝が支配する、農奴が地主からしぼりとられ、社会的な軋轢のために年中、殺人事件が起きている国だからだ。雁の本名はイワノビッチ・ペドローフ、皇帝直属三部の一方の長だったのだ。もちろんイワノビッチ・ペドローフであるこの雁が上野の不忍の池に来たのは三角を追って来たからである。ロシアに留学していた三角の不審な行動は秘密警察の目にとまることになっていた。三角が来るべき、ロシアとの戦争に備えて竹筒蕎麦を開発していると云うことはロシアにとっては最大の驚異だった。三角を監視していると云うのも、この竹筒蕎麦の秘密を手に入れたいと思っていたからである。
「まず、虞初新誌に載っている、大鉄槌伝、これであるが、誰の愛読書であるか、わかるかな」お玉は卓の上に置かれたその本をじっと見つめていると、小女がもりを二人分、持って来た。あまり食い奢りのするお玉ではなく、菜などはなんでもいいと思っている方だから、これまでに蓮玉庵に入ったことなどなく、上野で名の高いこの蕎麦を見るのは始めてだった。「これは豪傑の話で、作者は中国、清初の文人の作である。宋将軍の食客で豪傑がいて大鉄槌で賊を討ったと云う話しだ。話しはそれだけだが、これが誰の本かわかるか」「だれですの」「上条と云う下宿に住んでいる医科大学の学生の岡田のものだ」岡田と聞いて、お玉の胸はときめいた。毎日無縁坂の自分の内の玄関の前に散歩の途中で通り過ぎて目で挨拶を交わす懐かしい人の名前だ。「それにこれ、競漕選手の衣装だ。これは岡田が欲しがっているものである。そのことはお前も知っているな」お玉は無言だった。「お前がマーナー商会のショーウィンドゥでこれと同じものを眺めていたのをわしは知っているのだ。お前が岡田に対して特別な感情を抱いていると云うことも、もちろん知っている。わしは岡田とは特別な知り合いなのだ。ひとつ、お前と岡田を結びつける縁結びの役をやってあげよう。さらに、お前と岡田が望むなら、わしの故郷の夢のような国でくらせるように手助けしてやっても好い。ふたりで船で三ヶ月も夢のような新妻としての旅行のあとにそこにたどり着けるのだぞ。ただし、それには条件がある。お前は上条の下宿に行くのだ。三角と云う学生を知っているか、岡田の隣りの部屋に住んでいる。お前は知らないかも知れないが、三角はお前にほれている。お前は三角を訪れるのだ。そして、三角の部屋の中に入って、三角の作った覚え書き、竹筒蕎麦製作の要点と云う小冊子をわしのところに持って来るのだ。わしはいつも不忍の池の弁天島でぷかぷかと浮かんでいる」
雁の詞を聞いたお玉の心の中には忽然として冒険と云う詞がうかんだ。恋と冒険と云う詞が解析出来ないような複雑怪奇な経路を結びつけて、繋がった。まだ固まっていないお玉の心の中で最近になって、小さな玉子のようなものが形を現して、じょじょに堅く、形を作っている。それがお玉の心にある張り合いを持たせて、ますますお玉を美しくしている。今まではただ子供のような肌をしていただけのお玉だったが、そこに感情による色合いがにじんできたのだった。無垢な精神に情愛と云うものが宿って来た。上条の下宿に女一人の身で上がって行く、なにものかわからない世界を切り開いていくような冒険心をお玉は感じた。その危険は恋の成就と云う目的のための犠牲である。上条の下宿に乗り込んで行く自分の姿を想像するとわくわくとしてしまうのだった。
時候が次第に寒くなって、お玉の家の流しの前に、下駄で踏む処だけ板が埋めてある。その板の上には朝霜が真っ白に置く。深い井戸の長い釣瓶縄が冷たいから、梅に気の毒だと云って、お玉は手袋を買って遣ったが、それを一々嵌めたり脱いだりして、台所の用が出来るものでは無いと思った梅は、貰った手袋を大切にしまって置いて、やはり素手で水を汲む。洗い物をさせるにも、雑巾をさせるにも、湯を沸かして使わせるのに、梅の手がそろそろ荒れて来る。お玉はそれを気にして、こんな事を言った。「なんでも手を濡らした跡をそのままにして置くのが悪いのだよ。水から手を出したら、すぐに好く拭いて乾かしてお置き。用が片附いたら、忘れないでシャボンで手を洗うのだよ」こう云ってシャボンまで買って渡した。それでも梅の手が次第に荒れるのを、お玉は毒がっている。そしてあの位の事は自分もしたが、梅のように手の荒れたことは無かったのにと、不思議にも思うのである。
朝目を醒まして起きずにはいられなかったお玉も、この頃は梅が、「けさは流しに氷が張っています。も少しお休みになっていらっしゃいまし」なぞと云うと、つい布団にくるまっている様になった。教育家は妄想を起こさせぬために青年に寝床に入ってから寝附かずにいるなと戒める。少壮な身を暖かいふすまの裡に置けば、毒草の花を火の中に咲かせたような写像が萌すからである。お玉の想像もこんな時には随分放恣になって来ることがある。そう云う時には目に一瞬の光が生じて、酒に酔ったように瞼から頬に掛けて紅が漲るのである。雁によって岡田との恋の成就の可能性が示唆されてからはなおさらだった。目が覚める数分前には自分の顔のほんの数センチ上に岡田の顔がその息の音もはっきりと聞き取れる場所にあったりする。そしてそのあまりの生々しさに起きてからも胸の高まりが止まらなかったりすることもたびたびだった。
三角の故郷の有力者である河原猫造さんにある日僕は松源に呼ばれた。上野広小路は火事の少ない所で、松源の焼けたことは記憶にないから、今もその座敷があるかも知れない。河原猫造さんは松源のどこか静かな、小さい一間をと誂えて置いたので、南向きの玄関から上がって、真っ直ぐに廊下を少し歩いてから、左へはいる六畳の間に、僕と河原さんは案内せられた。
印半纏を着た男が、渋紙の大きな日覆いを巻いている最中だった。
「どうも暮れてしまいますまでは夕日が入れますので」と、案内をした女中が説明をして置いて下がった。真偽の分からぬ肉筆の浮世絵の軸物を掛けて、一輪挿しに山梔子の花を生けた床の間を背にして座を占めた河原猫造さんは、鋭い目であたりを見回した。不忍の池に面して建てられた松源だったが、池の縁の往来から見込まれぬようにと、折角の不忍の池に向いた座敷の外は板塀で囲んである。塀と家との間には、帯のように狭く長い地面があるきりなので、もとより庭と云う程のものは作られない。河原猫造さんの据わっている所からは、二三本寄せて植えた梧桐の、油雑巾で拭いたような幹が見えている。それから春日灯籠が一つ見える。その外には飛び飛びに立っている、小さな側柏があるばかりである。暫く照り続けて、広小路は往来の人の足許から、白い土けぶりが立つのに、この堀の内は打ち水をした苔が青々としていた。
河原猫造さんは突然用件を切り出した。「三角くんのことできみは何か気付いたことはないかね。三角くんの様子が最近、少しおかしいのだ」自分の方に風を寄せるために扇いでいた団扇をふる手を止めて首を首を郷土玩具の犬張り子のように延ばして、僕の方に問い質して来た。「おかしいとは、どういうふうにおかしいのですか」僕は三角の様子が最近、おかしいと云うことは知っていたが空とぼけて返事をした。「本当は君は知っているのじゃないかね」髪の毛を頭のてっぺんのところで均等に分け、横になでつけた上にポマードでべったりと固めた頭の上の方の河原さんの髪の分け目が僕の視界に入っている。「いつも、ロシアに留学していたときの記録を清書して僕のところに送ってくれることになっていたのが、その手紙が滞っているのだよ。もしかしたら、三角くんは露探になったのかも知れないと思ってね」「なんで、そんなことを思うのですか。三角くんはれっきとした日本人ですよ」「三角くんがロシアに留学していたときにロシア女性に誘惑されたと云うことも考えられる」ロシア女性はともかくも、彼の生活の中に女性が入って来たことは確かだった。それにしても河原さんは三角が竹筒蕎麦と云う僻地で食べる非常食のようなものを開発したことを知らないのだろうか。このことを河原さんに教えるべきか、そうしないべきか僕は考えた。隣りに住んでいる貧乏な医学生である三角に好い未来が開けることを願うことに僕はやぶさかではない。三角がロシア宮廷に日本語の会話教師として選ばれた細部の理由まで僕は知らなかったが、なんと云っても河原さんは政府の役人である。三角の行動が日本の外交政策に置いてなんらかの不利をもたらすとわかったら、三角は網走あたりの刑務所あたりに収監されて一生日の目を見られない可能性もないではない。これが決して杞憂ではないことは最近、キリスト教を信奉するある無政府主義者が大川のほとりで暴漢とのけんかの末に殺されたと云う話しが巷間の話題に上がったことがあったが、医学生のあいだの話しでは巡査なんの何某と云うものが係わっていたと云う話しだ。僕が何も言わないと河原猫造さんは紙に包んで銀貨を一枚くれた。「これで必要な書物でも買ってくれたまえ。三角のことで何かわかったら、僕に知らせてくれたまえ」
藤堂屋敷の門長屋の裏手の方に参勤交代で藩主が江戸に上がって来たときに乗る馬を飼って置くための厩舎があった、厩舎と云っても農家にある厠を大きくしたようなものだったが、その頃にはもうすでに馬は飼われておらず、その廻りは草が伸び放題に伸びて、屋敷の土塀の一部が壊れていて、くさびのような割れ目の中に土塀の基礎を組んでいる竹を組んだ奴が見えた。そこを乗り越えて小さな子供などが自由に出入りしていて恰好の遊び場になっていた。僕がある日夕涼みがてらに、子供と同じようにそこに入って行くと、子供の騒ぐ声が聞こえた。草ぼうぼうの地面に石灰で縦横に十字がひかれてまるで将棋の盤面のようになっているところに、その升目の中に子守の子供や鼻をたらした子供が何人も立っている。あたかも子どもたちが将棋の駒になって碁布されているようだった。その子供たちはみんな飴細工をくわえている。姉さんかぶりをした子守の子供は飴の棒をふたつも持っていて、ひとつは自分で、そうしてもうひとつは背負った赤ん坊にしゃぶらせている。その将棋の大きな盤から少し離れたところに鑑賞用に藩主が運んだ大きな筑波山から運んだと云う岩の上で三角が沢山の飴細工を抱えて腰掛けていた。僕は草をかきわけて岩の上に腰掛けている三角のところに行った。「きみは一体何をしているんだ。こんなに子供を集めて」「人間将棋だよ。飴細工を食べたいだけやると云ったら、子供たちが集まって来たのだよ。四六金」三角がそう云うと風呂敷のような渦巻きをたくさんあしらった模様の着物に兵児帯をしめて鼻をたらした子供が、升目を移動した。子供はじっとしていられないらしく、升目から飛び出して、三角の方に走って来た。「飴くれ」汚れた小さな手に三角は飴細工の棒を握らせた。「金が儲かってしまってね」三角は工場を数え切れないほど持っている西洋の資本主義者のようににやにやと笑った。「あの竹筒蕎麦が予想外に売れたのだよ。南海の方に探検に行くと云う好事家がいて、その探検旅行に持って行くと云って大量に竹筒蕎麦を買い込んでくれたのだよ。子供が何人来て、飴細工をねだったりしても、僕の今の経済状況ではぴくりともしないよ」そう云ってからからと豪傑笑いをした。僕は三角に河原猫造が君の動勢を探っていると云うことはいわなかった。
淡路町から神保町へ行くと、今川小路の少し手前にお茶漬けと云う看板を出した家がその頃あった。二十銭ばかりでお膳を据えて、香の物に茶まで出す。僕はその店を知っていたので、そこに入ると、思いがけず三角がそこにいて、鮭茶漬けをかき込んでいる。僕の顔を見ると、箸を置いて、手招きをした。僕も同じものをたのんだ。三角の席の横には藤村の田舎饅頭の包みが置いてある。「君は柴田承桂さんを知っているか」柴田承桂さんは有機化学者で明治四年にドイツに留学している。きわめて面倒見の好い人でわれわれひな鳥たちに留学の手引きのようなものを自費で作っていた。「前に僕がロシアに留学したことを話しただろう」「それできみは竹筒蕎麦を考え出したんだろう」「僕は木と竹で作った建物だけの国から石で住まいや宮殿を造る国に往って来たんだよ。そこで僕はある絵を見たんだ。イタリヤの風景らしいんだが、沼のような湖があって、その手前の岸には奇岩が立っている。湖の向こうには灰色がかった
緑の森が広がっているんだ。雲は低くたれこめて人間以外のなにものかの力を象徴しているようなんだ。そんな荒涼とした風景なんだけど、決してドライではなくウエットなんだ。その奇岩には姫君がとらわれていて、湖には竜が湖面から三角の頭を出している。その竜と云うのも、深海に住む鯰のような色をしているんだ。竜と云うのも西洋の絵の中では蛇のような細長い形をしているものなのに、この絵を描いた人間は恐竜がわがもの顔で地球上を歩いていた古代に生きていて、絵を描いた人間がその当時の海竜を見たことがあるのではないかと思わせるものなんだ。その海竜が姫をとらえているんだけど、その姫を救うために、魔法の力を持った騎士が戦士を表す兜を頭に被り、剣を持って湖上を飛遊しているんだ。僕はもうすぐその騎士の役をやるかも知れないんだ」その頃は僕はそれが岡田のことを思っている無縁坂の女のことだとは知らなかった。「その姫とは一体誰なんだい。その姫を苦しめている海竜とはなんのことなんだい」「僕が前に話したことがあっただろう。巡査に騙されて勝手に家に上がり込まれてしまった、可哀想な飴売りの親子の話を、そのとき、僕の知りうる限りの法律の知識を使って、その娘を助けてあげたんだ。その娘からそのときの僕の手助けに対する感謝の手紙が来たんだよ。妻ある身のおっかない巡査に勝手に入り婿されて僕が助けてあげたんだよ。その娘、お玉と云う名前なんだけど、僕に感謝している以上のものを感じているに違いないんだよ。一目その娘を見たことがあるんだけど、ぞっとするようにいい女だった。でも男を騙すような感じではない、世間知らずのおぼこ娘と云う感じだったんだ。なにしろ、巡査に騙されてしまうぐらいだからね。でも、巡査から解放されたと思ったら今度は因業な金貸しの妾にならねばならなかった。それもみんな経済的な理由からだ。その娘には年取った父親が飴売りをやっていてね。恐ろしい海竜と云うのは貧乏だよ。僕は思ったんだ。その娘を救ってあげたい。それに感謝してその娘は僕と結婚すると云うかも知れない」「じゃあ、きみは剣のかわりに銀貨や金貨の剣を持っていると云うのだな」「そうは云わないよ。それで僕はきみに柴田承桂さんを紹介してもらいたいんだよ」「柴田承桂さんがどういう関係があるんだい」僕にはどう云う関係で洋行帰りの有機化学者が関係しているのかわからなかった。「今、鉄道馬車が走っているね。それもそのうち蒸気機関車に変わるだろう、それから車屋だ、みんなは家から家の短い距離を移動するには車屋を使っている。その車屋だけど、そのうち自動車と云うものにとって代わられることだろう」その当時はまだ石油自動車は作られていなかった。ディーゼルによる内燃機関はまだ開発されていなかつたのである。しかし蒸気自動車と電気自動車は作られていたが、鉄道が敷設されるかどうかと云うその頃の日本ではその実物を僕も見たことはなかった。石油機関車は明治十八年にドイツのダイムラーとベンツによって独立に開発されたからだ。それ以前に内燃機関は開発されていたのはディーゼルであってそれほど前のことではなかった。「僕は自動車と云うものの将来を考えているのだ。きっと日本のどこでも自動車と云うものが走ることになるに違いないよ」僕はそう云ったものの動力源としては蒸気機関と馬ぐらいしか知らなかったから、汽車のような巨大なものが日本の路地裏を走るとは想像も付かなかった。「あんな大きな釜を持っていて、下からぼんぼんと火を炊いているものが路地裏なんかを走れるのかい」「それで、柴田さんを紹介してもらいたいんだよ。柴田さんがドイツに留学していたときに、ドイツでは蒸気機関の小型化競争が行われていたらしいんだ。柴田さんの帰朝報告を読んでいたら、オットー・マイヤーと云う医者が手桶ぐらいの釜を持った大きさの蒸気機関を作って優勝したと云う話しが書いてあったんだ。それで柴田さんはオットー・マイヤーに会ったとも云っている」日本で蒸気自動車を走らせて、一儲けして無縁坂の女と結婚しようと云う三角の野望は分かった。それで僕は柴田承桂さんを紹介したのだが、その三四日後に三角はほくほくしながら、上条の下宿に大きなお釜のようなものを前に附けた大八車のような蒸気自動車の模型をかかえて帰って来た。三角は柴田さんに紹介されたドイツの貿易商からそのおもちゃのようなものを買ったのだが、新しいもの好きの福地源一郎が潜水艦と云うおもちゃを買って、不忍の池で進水させて白い二酸化炭素の泡をぶつぶつと水中から発生させて、そのまま湖面から浮かんで来なかったのを見たことがあったので僕はそれほど驚かなかった。
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