第2話

第二回

    伍

末造はお玉の居所を探し当てると、ある大きい商人と云う触れ込みで、妾としてほしいと、人を以て掛け合うと、最初は妾になるのはいやだと云っていたが、おとなしい女だけに、とうとう親の為だと云うので、妾になることを承知した。

末造は無縁坂のなかほどに湯島切り通しの質屋の隠居が売り出したと云うこざっぱりとした奥ゆかしげな、少し手の込んだ作りの家をお玉の家として購入して、お玉を相手に自分が金で買った女にお酌をさせて、浮き世のあかや、口汚い、醜い女房のことを忘れて、くつろぐ自分の姿のことを想像すると、気にいった自分ひとりの料亭とその献立を所有したような気分になり、一人悦に入るのだった。そして人から因業な金貸しとして後ろ指をさされようとも、金をためて来たのはこの日のためだったという感慨もあった。今までの金のためにしばられていた欲望のいましめがとかれる期待がすぐ自分の家の敷居の外近くで家の中に入って来るのを待っているような感じを持っていた。お玉の方では妾という言葉にある諦念を感じていた。それは自分の年老いた父親に対する滋味あふれる愛情の裏返しかも知れなかった。心のどこかには自分を無にすることで年老いた親の生活を安定させるという献身を感じていた。しかしやりきれない悔しさも感じたのである。しかし親の貧苦を救うために自分を売るのだから、買い手はどんな人でも構わぬと、捨て身の決心でいたのに、末造が色の浅黒い、鋭い目に愛嬌があって、上品な、目立たぬ好みの支度をしているのを見て、捨てた命を拾ったように思って、一時の満足を覚えた。しかし日陰でけなげに咲く花にもその心の中には小さな嵐は吹くのである。お玉は梅という、十三になる小女を一人置いて、台所で子供のままごとのような真似をさせていた。無縁坂にお玉が越して来てから三日目のことであった。それは越した日に八百屋も、魚屋も通い帳を持って来て、出入りを頼んだのに、その日には魚屋が来ぬのでまかないの梅を坂下へ遣って、何か切り身でも買って来させようとした時の事である。お玉は毎日肴なんぞ食いたくはない。酒を飲まぬ父が体に障らぬおかずでさえあれば、何でも好いと云う性だから、有り合わせの物で御飯を食べる癖が附いていた。しかし隣の近い貧乏所帯で、あの家では幾日立っても生ぐさげも食べぬと云われた事があったので、もし梅なんぞが不満足に思ってはならぬ、それでは手厚くして下さる旦那に済まぬというような心から、わざわざ坂下の魚屋へ見せに遣ったのである。ところが、梅が泣き顔をして帰って来た。どうしたかと問うと、こう云うのである。魚屋を見付けて入ったら、その家はお内へ通を持って来たのとは違った家であった。ご亭主がいないで、上さんが店にいた。多分御亭主は河岸から帰って、店に置くだけの物を置いて、得意先を廻りに出たのであろう。店に新しそうな肴が沢山あった。梅は小鯵の色の好いのが一山あるのに目をつけて、値を聞いてみた。すると上さんが、「お前さんは見付けない女中さんだが、どこから買いにお出でだ」と云ったので、これこれの内から来たと話した。上さんは急にひどく不機嫌な顔をして、「おやそう、お前さん、お気の毒だが帰ってね、そうお云い、ここの内には高利貸しの妾なんぞに売る魚はないのだから」と云って、それきり横を向いて、煙草を呑んで構い付けない。梅は余り悔しいので、外の魚屋へ行く気もなくなって、駆けて帰った。そして主人の前で、気の毒そうに、魚屋の上さんの口上を、きれぎれに繰り返したのである。

お玉は聞いているうちに、顔の色が唇まで蒼くなった。そしてやや久しく黙っていた。世慣れぬ娘の胸の中で、込み入った種種の感情がCHAOSをなして、自分でもその織り交ぜられた糸を自分でもほぐして見ることは出来ぬが、その感情の入り乱れたままの全体が、強い圧を売られた無垢の処女の心の上に加えて、体じゅうの血を心の臓に流れ込ませ、顔は色を失い、背中には冷たい汗が出たのである。こんな時には、格別重大でない事が、最初に意識せられるものと見えて、お玉はこんな事があっては梅がもうこの内にはいられぬと云うだろうかと先ず思った。

梅はじっと血色のなくなった主人の顔を見ていて、主人がひどく困っているということは悟ったが、何に困っているのか分からない。つい腹が立って帰っては来たが、午のお菜がまだないのに、このままにしていては済まぬと云うこと気が付いた。さっき貰って出て行ったお足さえ、まだ帯の間にはさんだきりで出さずにいるのであった。「ほんとにあんな厭なお上さんてありゃしないわ。あんな内のお魚を誰が買って遣るものか。もっと先の、小さいお稲荷さんのある近所に、もう一軒ありますから、すぐに行って買って来ましょうね」慰めるようにお玉の顔を見て立ち上がる。お玉は梅が自分の見方になってくれた、刹那の嬉しさに動かされて、反射的に微笑んで頷く。梅はすぐばたばたと出て行った。

お玉は跡にそのまま動かずにいる。気の張りが少し弛んで、次第に沸いて来る涙が溢れそうになるので、袂からハンケチを出して押さえた。胸の内には只悔しい、悔しいと云う叫びが聞こえる。これがかの混沌とした物の発する声である。魚屋が売ってくれぬのが憎いとか、売ってくれぬような身の上だと知って悔しいとか、悲しいとか云うのではないことは勿論であるが、身を任せることになっている末造が高利貸しであったと分かって、その末造を憎むとか、そう云う男に身を任せているのが悔しいとか、悲しいとか云うのでもない。お玉も高利貸しは厭なもの、こわいもの、世間の人に嫌われるものとは、仄かに聞き知っているが、父親が質屋の金しか借りたことがなく、それも借りたい金額を番頭が因業で貸してくれぬことがあっても、父親は只困ると云うだけで番頭を無理だと云って怨んだこともない位だから、子供が鬼がこわい、お巡りさんがこわいのと同じように、高利貸しと云う、こわいものの存在を教えられていても、別に痛切な感じは持っていない。そんなら何が悔しいのだろう。

一体お玉の持っている悔しいという概念には、世を怨み人を怨むという意味が甚だ薄い。強いて何物をか怨む意味があるとするなら、それは我が身の運命を怨むのだとでも云おうか。自分が何も悪い事もしていぬのに、余所から迫害を受けなくてはならぬようになる。それを苦痛として感ずる。悔しいとはこの苦痛をさすのである。自分が人に騙されて棄てられたと思った時、お玉は始めて悔しいと云った。それからたったこの間妾と云うものにならなくてはならぬ事になった時、又悔しいを繰り返した。今はそれが只妾と云うだけでなく、人の嫌う高利貸しの妾でさえあったと知って、きのうきょう「時間」の歯で咬まれて角がつぶれ、「あきらめ」の水で洗われて色の褪めた「悔しさ」が、再びはっきりした輪郭、強い色彩をして、お玉の心の目に現れた。お玉が胸に鬱屈している物の本体は、強いて条理を立てて見れば先ずこんな物であろうか。暫くするとお玉は起って押し入れを開けて、象皮まがいの鞄から、自分で縫った白金巾の前掛けを出して腰に結んで、深いため息を衝いて台所に出た。同じ前掛けでも、絹のはこの女の為に、一種の晴れ着になっていて、台所へ出る時には掛けぬことにしてある。かれはゆかたにさえ襟垢の付くのを厭って、鬢やたぼの障る襟の所へ、手拭いを折りかけて置く位である。

お玉はこの時もう余程落ち着いていた。あきらめはこの女の最も多く経験している心的作用で、かれの精神はこの方角へなら、油をさした機関のように、滑らかに働く習慣になっている。

(小見出し)

寄席

    陸

子供にもわかりやすくした仏法説話には因果応報という主題を取り扱ったものが多々あるる。それを辞書で調べてみると、過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて未来の果報を生ずること、と出ている。しかし昨日良いことをやったから明日良いことが待っている、もう少し気長な話にして、一年前に良いことをやったから今日は良いことがあったと云って見ても、それに異議を唱える輩は多いかも知れない、だからこのたとえ話を作った人間は前世と来世というものを考え出して、その因果を検証不能にした。しかし、つい最近の行いが、良い結果をもたらしたのではないかという経験もないこともない。三角は自分の作った試作品を持って柳原の寄席に行った。寄席の裏口にまわるのは三角にとっては少し勇気のいることだった。寄席の小屋の人間が手招きをして三角を呼び寄せた。

「学生さん、こっちに来なさいな。師匠も会っても良いと云っているから」

三角は風呂やの脱衣場のような磨き上げた床の上を上がって、少し角を右に曲がると、燕ののれんがひらひらしている部屋の中で小柄な布袋さまのような桃川如燕が箱火鉢の前できざみ煙草をすぱすぱと吸っている。その布袋さまのようなにこにこ顔は寄席で見るのと少しも変わらず、如燕の丸いはげた頭が斜め上方を向いていて、そこからつやのある竹の管を伝わって、銀きせるから煙がある間隔をあけて空中に浮遊していた。

「学生さん、私に会いたいという話ですが、どういう用件なんですか」

「実はこれを見てもらいたいんです」

三角は太い孟宗竹を輪切りにした湯飲みのようなものを如燕にさしだすとかれは目の上より高い位置にかざして眺めすかして見た。それが湯飲みではないことは切った竹の容器の飲み口にあたるあたりに和紙が張ってあることだった。その竹も切られてからあまり時間が経っていないことは竹がまだ青々していることからわかる。如燕はこの竹は多分江戸川の河の端あたりから切ってきたのではないかとぼんやりと思った。

「この和紙をはがしてもいいのかな」

「もちろんです」

その和紙を張ってあることはその試作品の機能上の必要でもあったが、受け取り主にとっては中身のわからない品物のふたをあけて中身を確認するという、心理的に期待させるという効果もあったかも知れない。如燕がすっかり和紙のふたを開けようとすると、三角はあわてて制止した。

「そのふたを完全に開けないでください。三分の二だけ開けてください」

「なんでですか」

桃川如燕にはこの三角のような顔をした学生が何を考えているのか分からなかった。学生と言えば、最近は寄席の芸人の真似をする学生もいるということを知っている。いつだっか、如燕が料理屋の二階で夕涼みをしていると、三味線の音がしてきた。それからかちかちと拍子木を打つ音がして、続いて「へい、何か一枚ご贔屓を」と云った。下では、「へい、さようなら成田屋の河内山と直侍を一つ、最初は河内山」と云って、声色を使い始めた。銚子を換えに来ていた女中が、「おや、今晩のは本当のでございます」と云った。如燕にはそれが本当の声色使いだと云うことはわかったが、「本当のだの、嘘のだのと云って、色々ありますかい」

「いえ、近頃は大学の学生さんが遣っておまわりになります」

「やっぱり鳴り物入りで」

「ええ。支度から何からそっくりでございます。でもお声で分かります」

「そんなら極まった人ですね」

「ええ。お一人しか、なさる方はございません」女中は笑っている。

如燕は楽屋にやって来る学生などないものだから、最初そんな手合いが来たのかと思った。しかし、変なものを差し出したのでそうではないことが分かった。

三分の二だけあけられた竹筒の中をのぞき込むと絡まった海藻のような蕎麦が見えた。如燕の座っている前には箱火鉢が置いてあって赤ちゃんの頭の半分くらいの大きさの南部鉄瓶がその注ぎ口から湯気をたてている。三角はつつと前に進み出ると、その竹の容器を受け取ると、鉄瓶のお湯をそのあけた口から竹の容器の中に注いで、再びその和紙をしめた。和紙の表面には油が塗ってあるようだった。

「これで二百数えるんです。失礼」

三角はそれを畳の上に置いた。それからあたりを見回して、読み本のそばに煙草の道具一式とお茶の道具が置いてあるのを見付けた。

三角はそばにあった茶托を手にとると勝手にその竹筒の和紙の上に反対にして蓋のようにかぶせた。如燕はその動きを目だけで追いながら、三角に云われたとおり、数を数えていた。如燕が二百を数え終わるときには、三角は割り箸を竪に持って、それを割って如燕に差し出すところだった。

「二百数え終わったでござんすね。よろしいでしょう。よ、ござんす。蓋をあけて和紙をはがしてください」

如燕がそのようにすると竹筒の中には、絡んでいた蕎麦がお湯で戻って、しょうゆのしるの中で漂っている。すぐに三角は如燕に割り箸を渡した。

「食べてみてください」

如燕はおそるおそるその中にはしを入れるとはしのさきで十本ぐらいをからみ取って口の中に運んだ。如燕はしばらく無言だった。

「これを僕は竹筒蕎麦と名付けました。これならお湯があればどこでも食べることが出来ます。冬の雪に囲まれた狩り場の小屋でも、冷たい川風が吹きすさぶ渡し船の中ででもです。今までのように屋台の夜泣き蕎麦屋が重たい屋台を背負う必要もないんです。遠く外地で戦っている兵隊さんなら、特に重宝するでしょう。どんなものでしょうか」

桃川如燕は高座の始まる前と終わった後に寄席の前で植木棚のようなものを置いて、そこに自分の店で作った佃煮を九谷焼の容器に入れて売っていた。九谷焼の表面には如燕の二文字が書かれている。寄席に来た客が日に五六個買っていくのである。三角はそのことを知っていた。蕎麦屋通いをする軍資金を得るために、その植木棚の上に竹筒蕎麦を置いて見ることを考えてみたのである。もしくは寄席に来た客に高座を聞きながら竹筒蕎麦をすすらせることも考えてみた。

「どうです」

気の急いた三角は如燕に解答を求めたが、如燕は竹筒を箱火鉢の一角に置くとお茶受けを三角に勧めた。茶箪笥からブリキ缶を出して、菓子鉢へ玉子煎餅を盛っている。

「これは宝丹のじき裏の内で拵えているんです」

これは一種の口中清涼剤で、その販売をしている薬種商守田宝丹のことである。桃川如燕が何か云おうとすると、燕ののれんがひらひらと揺れてふたりの人物が顔を覗かせた。

「如燕さん、いますか」

ほぼ同時にふたりが挨拶をした。

「これはいいところに来ました。これを食べて見てください」

如燕は竹筒蕎麦をふたりに差し出した。ふたりは三角に目で挨拶をすると、そこに腰をおろして、少し真剣な表情になった。ふたりとも、竹筒蕎麦の中に箸を入れ、蕎麦を口の中に入れた。一人は袈裟を来た坊主で年齢は四十くらい、もうひとりは六十くらいの農家の隠居爺という感じで何故、竹筒蕎麦の中をこんなに真剣にのぞき込んでいるのか、三角にはわからない。

「これは誰が」

「こちらの学生さんが」

如燕が云うとふたりは三角の方を同時に意味ありげな表情で見つめた。

「学生さん、ご説明しなくて申し訳ありません。こちらのお坊さんが、松月庵、長寿庵、大村庵、の本家本元、道光庵庵主、第二十八代庵主、光譽松風和尚でございます。そしてこちらのご隠居が、藪蕎麦総本家、堀田芋兵衛さまでございます」

紹介されて坊主と田舎爺が三角の方へ黙礼をした。少なくとも蕎麦屋通いを一年余りに渡って続けている三角のことである。蕎麦を語るならこの二人を知らないはずがなかった。顔は知らなかったが、その名前は知っていた。昔浅草柴崎町に浄土宗一心山極楽寺称住院という檀家を持たない念仏道場があり、その院内に道光庵という支院があった。庵主は信州の生まれで、そば好きであるだけでなく、そば打ちの名人であった。だしは精進で魚類を使わず、辛み大根の汁で薄め、檀家に出していたが、評判が高まるにつれて、魚類のだしを使い、しょうゆも高級品を使うようになったので、ますます評判が高まり、庶民にも売るようになった。そして安永六年の評判記「富貴地位座」で並み居る蕎麦屋を押しのけて味、サービスともに頂点に立った。この名にあやかろうといろいろな蕎麦屋が道光庵の一字をとって松月庵、長寿庵などと名乗りだしたのである。しかし、その地位におごった道光庵は上質な白い御前粉を出していたものが、くず粉を使うようになり、その名に陰りが生じた。そこに現れたのが第二十八代庵主、光譽松風和尚であった。彼の唱えたのは道光庵の原点に戻ろうということだった。院の一部を蕎麦打ちの部屋に変え、仏道修行の一環として蕎麦作りを位置づけたことにある。そして道光庵の蕎麦の名前は再び、高まった。これが道光庵、中興の坊主である、第二十八代庵主、光譽松風和尚だった。江戸時代、将軍が鷹狩りを行っていた頃、腹の空いた将軍が藪の中にある百姓家で休憩をした。そこの爺がその土地で作っている蕎麦を出した。それはそこでは爺蕎麦と呼ばれるものだった。鷹狩りで寒い思いをしていた将軍はよほどうまいと思ったのだろう。自分の天領をその百姓爺に与えてそれ専用の蕎麦を栽培させた。これが藪蕎麦の本家本元であり、神田連雀町に店をかまえる藪蕎麦の総本家である。ということを三角は天然色刷り本、蕎麦総論という本で読んだことを思い出した。その蕎麦界の二巨頭が何故如燕の楽屋にいるのかわからなかったが、とにかく三角の竹筒蕎麦を食べているのである。しかしその表情は複雑なものがあり、それに満足しているとは云えないような気がする。

「学生さん」

坊主が三角の方を向いて声をかけた。

「蕎麦の味わいの三要素というものが何かわかりますか」

三角は言葉を失った、彼はどんなところでも食べることが出来るという利便性だけを追求していたからだ。

「味と香りですか」

「それもありますが、蕎麦には何よりものどごしが重要です。昔、わたしも蕎麦切りを冷凍乾燥させて、お湯で戻して食べることを考えたことがありました。しかし、どうしてものどごしの満足させるものは出来ませんでした」

結論はすでに出ていた。寄席には三角の作った竹筒蕎麦は置けないということに。三角は残りの竹筒蕎麦を風呂敷にしまうと、桃川如燕が何か云っているのも判然としない状態でそそくさと寄席を飛び出した。すぐに上条の下宿屋に向かうつもりだったが、お上が居座っていると思うと、風呂敷包みの中の竹筒を見られて、何を云われるのかわからないのでわざと切り通しの方へ抜けて、どこへ往くと云う気もなしに、天神町から五件町へと、忙しそうに歩いて行った。折々「糞」「畜生」などと云う、いかがわしい単語を口の中でつぶやいているのである。昌平橋に掛かる時、向こうから、ロシア人らしい西洋人が来た。三角はどきりとした。一瞬、ニコライ二世ではないかと思ったのである。しかし、常識で考えてみれば、ニコライ二世が日本のそれも昌平橋の上を歩いているわけがなかった。たぶん、ロシア聖教の集会場が近所にあるのでそこに来たのだろう。

その頃まだ珍しい見物になっていた眼鏡橋の袂を、柳原の方へ向かってぶらぶら歩いて行く。川岸の柳の下に大きい傘を張って、その下で十二三の娘にかっぽれを踊らせている男がある。その周囲にはいつものように人が集まって見ている。三角がちょいと足を駐めて踊りを見ていると、印半纏を着た男がぶっかりそうにして、避けて行った。目ざとく振り返った三角と、その男は目を合わせて直ぐに背中を向けて通り過ぎた。「なんだ、目先の見えねえ」とつぶやきながら、三角は袖に入れていた手で懐中をさぐった。無論、何も取られていなかった。三角はさいふなんか持っていなかったから当然である。このすりは実際目先が見えぬのであった。三角は桃川如燕に竹筒蕎麦を否定されて、いらいらすると云うより、神経が緊張していたのである。不断気の付かぬことにも気が付く、鋭敏な感覚が一層鋭敏になっている。すりの方ですろうと云う意志が生ずるに先立って、三角はそれを感ずる位である。ある期待を持って昂揚していた三角の精神状態が冷や水を掛けられて適当な緊張感が生じたのかも知れない。しかし大抵の人にはそれが分からない。もし非常に感覚の鋭敏な人がいて、細かに三角を観察したら、彼が常より稍能弁になっているのに気がつくだろう。そして彼の人の世話を焼いたり、人に親切らしい事を言ったりする言語挙動の間に、どこか慌ただしいような、稍不自然な処のあるのを認めるだろう。

もう寄席を飛び出してから余程時間が立ったように思って、川岸を引き返しつつ懐時計を出して見た。まだやっと十一時である。寄席を出てから三十分も立ってはいぬのである。三角は又どこを当てともなしに、淡路町から神保町へ、何か急な用事でもありそうな様子をして歩いて行く。今川小路の少し手前で何でも揚げます、という看板を置いて道ばたで揚げ物を揚げている中国人がいた。看板のとおりになんでも揚げてくれるのである。だいたいが小麦粉の解いたのを持って行くと油菓子を揚げてくれるのであった。そこを通り過ぎると、右へ廻って俎橋の手前の広い町に出る。この町は今のように駿河台の下まで広々と附いていたのではない。殆ど袋町のように、今三角の来た方角へ曲がる処で終わって、それから医学生が虫様突起と名付けた狭い横町が、あの山岡鉄舟の字を柱に彫りつけた社の前を通っていた。これは袋町めいた、俎橋の手前の広い町を盲腸に譬えたものである。三角は俎橋を渡った。そこを渡ると中国からの留学生の陳くんがいた。賃くんは新しい橋の設計を勉強するために日本に来ていた。建築のための圧延鋼などはもちろんなく、まだ八幡の製鉄所もなかった時代である。中国の大きな河には橋などなかった。川幅が広すぎて橋など渡せなかったのである。そんな中国の河に橋を造るという目的でその設計を勉強するために陳くんは日本に来ていた。三角とは知り合いである。顔を見ると元気がない。話を聞くと学費を節約するためにもう二日間何も食べていないと云う。三角は風呂敷包みに入っている竹筒蕎麦のことを思いだした。お湯さえあれば蕎麦を食べさせてあげられると云うと、日本蕎麦はあまり好きではないと云う。そして今川小路の少し手前でやっている中国人の揚げ物屋でその蕎麦を揚げて貰えばありがたいと云う。三角は陳くんをつれて、その揚げ物屋に行くと、陳くんと揚げ物屋は中国語で話し始めた。すぐに揚げ物屋は乾燥した蕎麦を油であげて、竹筒の中に戻した。同胞のよしみだろうか、揚げ物屋は自分の持っていた熱い中華スープを陳くんの持っていた揚げたての蕎麦の中に入れたのだ。するとじゅうと云う音がしていいにおいがひろがった。三角は陳くんをあわてて押しとどめた。そして箸をその竹筒の中に入れると中華スープで柔らかくなった蕎麦を口の中に入れてみた。うまかった。三角はこれはいけると思った。

お玉の父親は池の端に越して来てから、暫く立つうちに貸本を読むことを始めて、昼間はいつも眼鏡を掛けて貸本を読んでいる。それも実録物とか講談物とか云う「書本」に限っている。この頃読んでいるのは三河後風土記である。これはだいぶ冊数が多いから、当分この本だけで楽しめると云っている。貸本屋が「読み本」を見せて勧めると、それは嘘の書いてある本だろうと云って、手に取って見ようともしない。夜は目が草臥れると云って本を読まずに、寄席へ往く。寄席で聞くものなら、本当か嘘かなどとは云わずに、落語も聞けば義太夫も聴く。主に講談ばかり掛かる広小路の席へは、余程気に入った人が出なくては往かぬのである。道楽は只それだけで、人と無駄話をすると云うことが無いから、友達も出来ない。そこで末造がいやな金貸しだという身の上なぞを聞き出す因縁は生じて来ぬのである。

それでも近所には、あの隠居の内へ尋ねて来る好い女はなんだろうと詮索して、とうとう高利貸しの妾だそうだと突き留めたものもある。もし両隣に口のうるさい人でもいると、爺さんがどんなに心安立をせずにいても、無理に厭な噂を聞かせられるのだが、しあわせな事には一方の隣が博物館の属官で、法帖なんぞをいじって手習いばかりしている男、一方の隣がもう珍しいものになっている版木師で、篆刻なんぞには手を出さぬ男だから、どちらも爺さんの心の平和を破るような恐れはない。まだ並んでいる家の中で、店を開けて商売をしているのは蕎麦屋の蓮玉庵と煎餅屋と、その先のもう広小路の角に近い処の十三屋という櫛屋との外には無かった時代である。

爺さんは格子戸を開けてはいる人のけはい、軽げな駒下駄の音だけで、まだ優しい声のおとを聞かぬうちに、もうお玉が来たのだと云うことを知って、読みさしの後風土記を下に置いて待っている。掛けていた眼鏡をはずして、可哀い娘の顔を見る日は、爺さんのためには祭日である。娘が来れば、きっと眼鏡をはずす。眼鏡で見た方が好く見える筈だが、どうしても眼鏡越しでは隔てがあるようで気が済まぬのである。娘に話したい事はいつも溜まっていて、その一部分を忘れて残したのに、いつも娘の帰った跡で気が附く。しかし「旦那はご機嫌好くてお出でになるかい」と末造の安否を問うことだけは忘れない。

お玉はきょう機嫌の好い父親の顔を見て、阿茶の局の話を聞かせて貰い、広小路に出来た大千住の出店で買ったと云う、一尺四方もある軽焼きの馳走になった。そして父親が「まだ帰らなくても好いかい」と度々聞くのに、「大丈夫よ」と笑いながら云って、とうとう正午近くまで遊んでいた。そしてこの頃のように末造が不意に来ることのあるのを父親に話したら、あの帰らなくても好いか云う催促が一層激しくなるだろうと、心の中で思った。自分はいつか横着になって末造に留守の間に来られてはならぬと云うような心遣いをせぬようになっているのである。

お玉が帰ってから爺さんは貸本の一つを手に取ってみた。その貸本を開けると、紙片が一枚ぱらりと落ちて来た。何が書いてあるかと思うと「・・・・上条、三角何某」と書かれている。これはなんだろう。いつ、こんな紙片を貸本の間に挟んでいたのだろうかと思った。そう云えば、貸本を読んでいたときに、この家に前に住んでいた婆さんという人が尋ねて来て、読み差しの本を置いて立ち上がるときに、そこいらにあった紙片を読みかけていたところに挟んでおいたということを思いだした。と云うことはこの紙片は最初から爺さんが持っていたということになる。爺さんは眼鏡をかけてまたその紙片をじっくりと見た。じょじょに淀んだ沼の中のような記憶の底のほうから、からんだ水草の間を糸がほどけるようにその名前が出てきた。あのおまわりさんが無理矢理に押し掛け婿として練り塀町の長屋に入り込んだときに、その巡査の本当の女房が国にいて、自分はその女の親戚にあたるものだと云って、お国の法律によってその巡査を自分の長屋から追い出してくれた学生さんだということを思い出した。巡査の晩酌のあいてをさせられて窮屈な思いをしたことも思い出した。経済的には少し楽をしたものだが、いつも巡査に監視されているような息苦しさを感じていた。巡査はおぼこ娘のお玉を奪ったようなものだと思った。ある意味では巡査からけがされたお玉の仇を取ってくれたのはあの学生さんではないかと思った。そのとき自分はその学生さんをちらりと見たぐらいでそのとき学生さんが役所の人と話しているの見たぐらいだったが、その学生さんにお礼も何もしないで、世間に見せる顔もない恥ずかしい気持ちで、長屋をかたづけて、西鳥越に越してしまったことを心のどこかでやり残したことのように思えた。あの学生さんの住所が書いた紙が出て来たことが何かちょうど好い機会であるような気がして、きっとあの学生さんに何か感謝の気持ちを表したいと云う自分の心のどこかに潜んでいる思いが形になって表れたような気がした。あの学生さんに、そのときのことのお礼の手紙を書いてみる気になったのは正直一途で義理がたい爺さんの行動としては充分に考えられた。そこでじいさんはちゃぶ台の上に紙と筆を出すと墨を擦り始めた。じいさんは舌先で筆のさきをなめた。自分が手紙を出しても学生さんが喜ぶかと考えてみた。どうすればあの学生さんがこの手紙を読んで喜ぶだろうか。自分の自慢の娘であるお玉から来た手紙だと思ったらもっと学生さんは喜ぶのではないかと思った。以前秋葉の原でお子さま衆に飴を売っていたときも、お玉にはその仕事を手伝わせることもなかったのだが、たまたまお玉がそこにいるとお子さまたちは争ってお玉の手から売り物の飴を買っていったものである。こんなひからびたような爺さんから飴を貰うよりも、きれいなお玉から飴を受け取った方が嬉しいのは子供でも同じである。爺さんはそこに飴という商品の単なる価値以上の付加価値を見いだしていた。あの巡査とのごだごたのときも学生さんはお玉のことを見ていたはずだ。お玉のことを決して悪い印象を持っているはずがない、自分の口から云うのもなんだが、お玉は綺麗な娘である。貧乏していても決して手が荒れるようなことはさせず、文字どおり玉を磨くように育てた自慢の娘だもの、きっとそのお玉からお礼の手紙を貰えば学生さんは喜ぶはずである。そう思った爺さんは自分がお玉になったつもりで手紙を書き始めた。

上条の下宿で三角の様子に大きな変化があることを知ったのはその一週間後だった。三角がやたらにはしゃいだり、その逆に真剣じみた表情をしていたり、今まで芝居のことなど話したこともなかったのに、芝居の演目のことを語ったり、義太夫を聴きに行ったりしているのである。その理由はすぐに上条のお上さんに聞くと分かった。三角のところに来るはずがないのに女から手紙が来たそうだ。僕が下宿の玄関のところにいるとうだったような顔をして、三角が出て来た。まるで長いこと暗闇に閉じこめられていた人間が急にシャンデリアが光り輝く舞踏会に引っ張り出されて目がくらんで、平衡感覚が狂ってしまっているようだった。僕が一緒に散歩に往こうかと云うと三角はわけのわからないことをつぶやくと断って、一人で出て行った。三角は不忍池の東側を通って広小路の方に抜けて見た。ずっと後に、殺風景にも競馬の埒にせられて、それから再びそうそうを閲して、自転車の競走場になった、あの池の縁の往来を通ってである。それからしばらく歩いて、淡路町から神保町に抜けて往った。随分の距離を歩いていたが三角は気分が昂揚しているのでそんな距離も気にならない。あの娘からお礼の手紙が来ることなど想像もしていなかった。自分の親戚の女と結婚している巡査が飴売り屋の生娘と重婚の罪を犯していると知ったとき、社会的正義のために、法律のことは何も知らない善良な人のために告発しようという気になって行動を起こしたのだが、その娘のことは何も知らなかった。しかし、その娘がことのほか別嬪で、長屋のお上さんから、その娘の生い立ち聞くと、その娘にますますの好印象を持った。お玉は三味線も習っていて、ときおりお玉のつま弾く三味線の音が長屋から聞こえるそうである。その飴細工屋の娘は親父が零落して苦労を重ねたが、いつも小綺麗にさせて三味線なども習わせて、おとなしく育ったそうである。そんな娘が悪辣な巡査に騙されて無理矢理結婚させられたのを救い出したのは何あろうこの自分である。いつだったか竜にさらわれた姫を助ける西洋の絵を見たことがある。イタリア、ルネツサンス盛期の画家ティッアーノもフランドル、バロック派のルーベンスも神話を題材にしたその絵を描いていた。自分はまるで姫を助け出すその騎士と同じ立場にいたのだという英雄的な気分にもなるのだった。きっと自分はお玉に強い印象を与えているのに違いない。自分を救い出してくれた自分をあの娘は好きになってしまったのではないかと思ったのである。お玉の住んでいる内を三角は知っていた。たまたまお玉の家の隣の裁縫のお師匠の家に通っている娘を知っていたからだ。しかし、その娘はまだ年も若くて、世の中の複雑な事情についてはうとく、お玉が末造という金貸しの妾になっているということは知らなかったのである。三角はお玉の精神の中に何か新しく印象を刻みたいと思った。そこでいろいろと考えたあげく、お玉にその娘を通して何か、贈り物を届けようと思った。それも毎日、お玉がその贈り物を見て、送り主のことを思い出せるものがいいと思った。三角は数寄屋町の芸者を連れて、池の端をぶらついて、書生たちをうらやましがらせている福地源一郎の大きな邸の前を通った。巷間の政治的主張を誘導している福地源一郎である。その隣にあるのが、お玉を妾にしている末造の家だったが、三角はそのことを知らなかった。三角は俎橋を渡った。右側に飼鳥を売る店があって、いろいろな鳥の賑やかな囀りが聞こえる。三角は二三日前にこの店のそばを通ってめぼしをつけていた。三角は今でも残っているこの店の前に立ち留まって、櫨に高く吊ってある鸚鵡や鸚哥の籠、下に置き並べてある白鳩や朝鮮鳩の籠などを眺めて、それから奥の方に幾段にも積み重ねてある小鳥の籠に目を移した。啼くにも飛び回るにも、この小さい連中が最も声高で最も活溌であるが、中にも目立って籠の数が多く、賑やかなのは、明るい黄色な外国産のカナリア共であった。しかし、猶好く見ているうちに、沈んだ強い色で小さい体を彩られている紅雀が三角の目を引いた。三角はお玉が軒先にその雀をつるして世話をしている姿を想像してみた。あの娘を通してお玉に贈ろうと、その世話をする手間も考えずに二三日前からその紅雀を見たときから考えていた。そこで余り売りたがりもしなさそうな様子をしている爺さんに値を問うて、一つがいの紅雀を買った。代を払ってしまった時、爺さんはどうして持って行くかと問うた。籠に入れて売るのではないかと云えば、そうでないと云う。ようよう籠を一つ頼むようにして売って貰って、それに紅雀を入れさせた。幾羽もいる籠へ、萎びた手をあらあらしく差し込んで、二羽掴みだして、空籠に移し入れるのである。それで雌雄が分かるかと云えば、しぶしぶ「へえ」と返事をした。三角は紅雀の籠を提げて俎橋の方へ引き返した。三角は胸を張っていた。陳くんにあげた竹筒蕎麦を揚げてくれた揚げ物屋の前に来ていた。腹の減った三角は新製法で作られた竹筒蕎麦の蓋をあけると、中国人にお湯を要求した。油の入った鍋の横に置いてある、沸騰したやかんからお湯を注ぐと、中華スープのにおいが竹筒の口から上がった。この中国人の作った中華スープを粉末に出来ないかと交渉したところ、この中国人は茶筒で半分くらいの中華スープの粉末を三角の元に届けたのだ。今は竹筒蕎麦の同じ開発仲間だった。三角はロシアのニコライ二世が日本に戦争を仕掛けて来ると予想していた。その戦争に備えて、極寒の地で戦う兵隊さんのために開発をした竹筒蕎麦は麺を油で揚げることと、粉末中華スープを加えることで完成した。本来の日本蕎麦の定義からはほどほど離れてしまったが、お湯をかけるだけで暖かい蕎麦が食べられるという製品が完成したのだ。竹筒蕎麦から上がる湯気のために三角の鼻のあたりはむずむずとした。 

(小見出し)知り合う


        漆           

お玉の右隣の家は裁縫の師匠をしていた。師匠はお貞と云って、四十を越しているのに、まだどこやら若く見える所のある、色の白い女である。前田家の奥で、三十になるまで勤めて、夫を持ったが間もなく死なれてしまったと云う。詞遣いが上品で、お家流の手を書く。お玉が手習いがしたいと云った時、手本などを貸してくれた。

ある日の朝お貞が裏口から、前日にお玉の遣った何やらの礼を言いに来た。暫く立ち話をしているうちに、お貞が「あなた岡田さんがお近づきですね」と云った。

お玉はまだ岡田と云う名を知らない。それでいて、お師匠さんの云うのはあの学生さんの事だと云うこと、こう聞かれるのは自分に辞儀をした所を見られたのだと云うこと、この場合では厭でも知った振りをしなくてはならぬと云うことなどが、稲妻のように心頭を掠めて過ぎた。そして遅疑した跡をお貞が認め得ぬ程速やかに「ええ」と答えた。「あんなお立派な方でいて、大層品行が好くてお出でなさるのですってね」とお貞が云った。

「上条のお上さんも、大勢学生さん達が下宿していなすっても、あんな方は外にないと云っていますの」こう云って置いて、お貞は帰った。

お玉は自分が褒められたような気がした。そして「上条、岡田」と口の内で繰り返した。

それから数日して、お貞が再びお玉の家に寄ったとき、お貞は紅雀の入った籠を持っていた。

「うちに裁縫を習いに来ている娘さんが、上条に下宿している学生さんから預かったんだけど、お玉さんに渡して欲しいと云うの」

反射的にお玉の頭の中には上条という名前から岡田の名前が連想された。お貞もそのことに気付いたのか、あわてて否定した。お玉は岡田に関連した、上条という下宿の名前が出て来たので内心喜ばすにはいられなかったが、つとめてその表情がおもてに出ぬようにした。

「その娘の話によると、上条に下宿している学生さんだけど、岡田さんという名前ではないようよ。三角と云う人だそうよ。その人は自分の名前を云えばお玉さんはわかるから、この紅雀を貰ってくれると云っていたとその娘は云うの。お玉さんにそこの紅雀のつがいを渡してくださいって。お玉さんはその人を知っている」

お玉はそれが巡査との一悶着があったとき、裁判に関わって動いた医学生だと云うことがどうしても思い出せなかった。しかし、岡田と同じ上条の下宿に住んでいる学生である。もしかしたらその学生を手づるにして岡田と近づきになれるかも知れないと淡い期待が生じた。そうなら、その紅雀を貰って置かなければならない。三角から岡田にお玉についてのことがどういうように伝わるかもわからなかったからである。お玉はその籠を貰うと道に面した格子窓の上につるした。

お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、なんの目的も有していなかったので、無理に堅い父親を口説き落とすようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその旦那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸しであつたと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持ちを父親にうち明けて、一緒に苦しみ悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目の当たり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思いをしても、その思いを我が胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始めて独立したような心持ちになった。この時からお玉は自分で自分の言ったり為たりすることを密かに観察するようになって、末造が来てもこれまでのように蟠りのない直情で接せずに、意識してもてなすようになつた。その間別に本心があって、体を離れてわきへ退いて見ている。そしてその本心は末造をも、末造の自由になっている自分をも嘲笑っている。お玉はそれに始めて気が附いた時ぞっとした。しかし時が立つと共に、お玉は慣れて、自分の心はそうなくてはならぬもののように感じて来た。

それからお玉が末造を遇することはいよいよ厚くなって、お玉の心はいよいよ末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾も受けていない芸なしの自分ではあるが、自分が末造の持ち物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中にもし頼もしい人がいて、自分を今の境涯から救ってくれるようになるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然と意識したとき、はっと驚いたのである。

このときお玉と顔を知り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立つて立派な紅顔の美少年でありながら、自惚れらしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。

まだ名前も知らず、どこに住まっている人か知らぬうちに、度々顔を見合わすので、お玉はいつか自然に親しい心持ちになった。そしてふと自分の方から笑い掛けたが、それは気の弛んだ、抑制作用の麻痺した刹那の出来事で、おとなしい質のお玉にはこちらから恋を仕掛けようと、はっきり意識して、故意にそんなことをする心はなかった。

岡田が始めて帽子を取って会釈をした時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。女は直感が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、故意にしたのではないことが明白に知れていた。そこで窓の格子を隔てた覚束ない不言の交際がここに新しいEpoqueに入ったのを、この上もなく嬉しく思って、幾度も繰り返しては、その時の岡田の様子を想像に画いて見るのであった。その辺の台所事情を三角は全く知らず、お玉の父親の作り物の手紙を読んで、三角はお玉が自分に気があると思いこんでいるのであったが、お玉がその紅雀を受け取ったのは、同じ上条の下宿人であるということから、岡田ともっと知り合いになれるかも知れないと思っているからだった。三角が買った紅雀のつがいはそのきっかけをつかむための道具に過ぎなかったのだ。そんな事を知らない三角は下宿の自分の部屋にロシアの地図を広げて、その上に竹筒蕎麦を適当に置いて悦に入っていた。下宿に戻った自分はサンクト・ペテルスプルクとか、モスクワとか、ロシアの地図の上に理由の分からない竹筒を置いている三角を見て不気味に思った。

「三角くん、ロシアの地図の上に変な竹筒を置いて、不気味に笑っているなよ」

「竹筒蕎麦が完成したんだよ。この蕎麦がロシアのいろいろな場所で見られることになるだろう」

三角の部屋の中にある火鉢の中のやかんは湯気をたてていた。やかんの蓋がときどき紳士が帽子を脱ぐように蒸気の圧力でもちあがる。まるで日本庭園の獅子落としのようだった。

「君も食べてみるかい」

僕もその広げられたロシア地図の前にあぐらをかいた。どこから三角がその地図を持って来たのか知らなかったが地図は三色刷になっていた。三角は竹筒の蓋をあけると中に煮えたぎったお湯を注いだ。

「このお湯が沸騰していなければならないんだ。摂氏八十度から百度の間、華氏で云えば百七十六度から二百十二度の間だよ。このくらいの熱い湯でなければ蕎麦が元に戻らないんだ」

「前に冷凍乾燥法のことを云っていたね。その方法を使ったのかい」

「それも使ったが、油で揚げる方法をたまたま発見したんだ。とにかく食べて見てくれ」

三角に云われたまま僕はその蕎麦を食べてみた。旨いことは旨いが、伝統的な日本蕎麦とはほど遠い味である。僕は中華料理のことはあまり詳しくはなかったがそれが中華料理だと云うことははっきりと分かった。

「三角くん、これは日本蕎麦ではない」

僕は抗議した。

「僕は日本の食生活を改善しようと思っているのだ」

のちに日本人の健康改善のために食生活を改善するためにはどうしたらいいかと、堀江構造くんに聞かれたことがあったが、その食物改良の議論では、米をやめて沢山牛肉を食わせようと云う話しだった。しかし自分は日本人伝統の米と野菜、肴を中心とした食生活をしておけばいいだろうと答えておいた。米も肴も消化のいいものである。風土や作物によってそれなりのそういう食物を日本人が採っていることはあきらかだからだ。西洋人のような高脂肪、高蛋白質の食物を採っていれば心臓病になる可能性も高いだろう。日本人の古来からの野菜中心の食物を採っていれば、それらの病気にかかる可能性は少ない。まあ、とにかく腹八分目ということだろうか。この蕎麦がどんなもので作られているのかはすぐ分かった。三角の作った蕎麦を味わってみると元になっているのは日本蕎麦であることは間違いがない。それを油で揚げてあって、それに中華味がついている。竹筒の蓋をあけたとき、灰色の粉のようなものが見えたから、それが中華スープを粉末状にしたものだろう。しかし、それをどうやって作ったかはわからない。「三角くん、きみはお湯を入れただけで食べられる日本蕎麦を開発すると云っていたじゃないか。これは日本蕎麦じゃないよ」

「きみは日本蕎麦というが、そもそも日本蕎麦にどんなものがあるか、知っているのかい」

三角は自分の作ったものをけなされたと思ったのか、反論を始めた。

「汁をつけて食べる蕎麦では、もり蕎麦、ざる蕎麦、それに入れる容器が皿であるか、椀であるかによって皿蕎麦、わんこ蕎麦、わりこ蕎麦とかあるね。それらのつけ汁は醤油、砂糖、みりんを混ぜ合わせて、何日か冷暗所で熟成したものに、鰹節とかさば節を煮て旨みのエキスを採ったもので割って作った醤油の汁、いわゆる辛み汁というものがあるね。そのほかには、それらの蕎麦本来の味を味わうために汁として大根おろしを使うものもある。それは地方の郷土料理によくあるものだけど。汁を作る手間がいらないから農作業の合間に蕎麦を食べようという農家の間で作られているよ。屋台で蕎麦が売られるようになってからは、気の短い人間が、汁をつけて食べるのが面倒だということから一つのどんぶりの中に蕎麦を入れて、そのうえに辛み汁を入れるものが出来た。ぶっかけ蕎麦と呼ばれるもので、現在はもう少し上品にかけ蕎麦と呼ばれているだろう。そのかけ蕎麦の上にいろいろな具をのせたものが加薬蕎麦だ。しっぽく蕎麦、天ぷら蕎麦、花まき蕎麦、玉子とじ、鴨南蛮、、あられ、おかめ蕎麦、桑名蕎麦、にしん蕎麦、もりやかけと云う分類以外に蕎麦自体にお茶を練り込んだ茶蕎麦というのがあるじゃないか。そのほかにも草、胡麻、胡桃、山葵、柚、蜜柑といろいろなものを練り込むことが出来る。天ぷら蕎麦は昔は芝海老のかき揚げだったけど、今は海老の一本揚げになっているけどね」

さらにどこから仕入れて来た知識か知らないが三角はさらに詞を続けた。

「君の云っているのは、みんな蕎麦切りのことだろう。蕎麦というのは植物の名前のことだよ。タデ科の一年生草木の普通種のことで荒れた土地でも収穫出来、成長が早いので広い世界で栽培されている。君が今云ったのはみんな蕎麦切りのことだよ。つまり、蕎麦を麺にしたものだ。蕎麦を製粉して水を加えて団子にしたものを細い帯状に切ったものだ。その幅によって田舎蕎麦、更科蕎麦、並蕎麦と分かれる。だから、蕎麦を麺状にしないものもあるわけで、蕎麦を練ったものを団子状にした蕎麦がきというものがある。蕎麦団子に蕎麦煎餅、蕎麦もち、蕎麦味噌、蕎麦寿司と蕎麦と云っても麺とは限らないものだせ。それを考えたら、蕎麦を中華スープで食べるくらいどうと云うこともないさ」

「まあ、おいしいから、これを蕎麦と呼ぶことを許してあげよう。ここに入っているのは何だい。そう乾燥ホタテ」

自分は竹筒の底の方に入っている、丸い筒状の弾力のあるものを箸でつまみ上げた。

「この乾燥ホタテがだしになっていい味を出しているのさ」

三角も竹筒の中にお湯を入れてロシア地図の前に腰をおろして自分の作った蕎麦に舌鼓を打っている。

「きみは何故、下宿代も払えないくらい貧乏なのに、こんなことに精を出しているんだい」

「それは前にも云っただろう。僕の故郷に河原猫造と云う政府の役人がいる。ちょうどそのときはアレクサンドル三世がロシアの皇帝でウィトと云う大臣が国の近代化を進めていたんだよ。そのウィトのもとで鮭の帰巣本能を利用した養殖の研究が行われていた。きみも知っているとおり僕は医学を専門に勉強しているが、その対象は人間ではない。動物だ。河原猫造さんに鮭の養殖の施設がロシアに作られているといことを聞いたから、それの勉強に行きたいと云うと、国がその費用を出してくれると云うんだ。僕が官費で留学出来るなんてめったにない機会だからね。僕は飛びついたよ。ただし河原猫造さんは条件があると云うんだ。ニコライ二世が日本語の会話の教師をしているから、その仕事もしてくれと云うんだ。きみは知っているかわからないが、ニコライ一世というのは、デカプリストの乱を平定して秘密警察を作った人物だよ。そのうえ、ロシア・トルコ戦争を起こして、クリミヤ戦争もやって南下政策をとっていた人物だ。それと同じようにニコライを名乗る皇帝のことである、当然、彼は南下政策を採るに違いないと考えた方がよい。船旅で二ヶ月もかかったよ。今、建設中のシベリヤ鉄道なんて噂にもあがっていなかった。インドを通って、セイロンでは、赤い格子縞の布を、頭と腰とに巻き付けた男に美しい、青い翼の鳥を買わせられた。籠をさげて舟に帰ると、フランス船の乗組員が妙な手付きをして、どうせ、ロシアみたいな寒いところでは育ちませんぜと云った。案の定、トルコに行き、そこで鳥は死んでしまつた。それから僕はアレクサンドル三世の宮殿にたどり着いた。そこにまだ大津事件は起こっていなかったんだけど、のちにその事件ですっかり日本嫌いになったニコライ二世がいたんだ。僕は彼の日本語を片言を教える仕事をしたんだけど、そのときの扱いはひどいものだった。そして僕は確信したんだ。バルカン半島で失敗したロシアはニコライ二世のときに今度は極東を通じて南下政策をとるだろうと、そのとき、日本の兵隊さんがシベリヤの地で戦わなければならない、そのときの食料として僕は竹筒蕎麦の開発に乗り出したわけなんだ」

「それで、その竹筒蕎麦が完成したと云うわけだね」

「そうなんだ」

三角は詳しくは云わなかったが何かほかにも出来事があったのかも知れない。

三角はまた蕎麦の中に箸を入れると中華料理としか言えない麺を口に運んだ。

「この製法は決して秘密にしなければならないんだ。ロシアが同じものを作ったら、たとえば即席ボルシチなんかだけど、意味がないからね。しかし、心配なことがあるんだ。誰かが、この竹筒蕎麦の秘密を盗もうとしているんじゃないかと恐れているんだ」

上条の下宿の真ん前を真っ直ぐ行くと大学の鉄門を抜ける、そこを通ると散歩道になっている。そこは両側に銀杏の木を植えた通りになっている、その道を中心にしていろいろなところを右に曲がったり、左に曲がったりしていろいろな施設に行けるようになっている。左の方を曲がると、以前に加賀屋敷の弓道場のあったところに解剖室が作られて、その解剖室の前には変な形のお地蔵さんが立っている。今度はその通りの中程のところを右に曲がると図書館に続く細い道に入る。図書館と云っても今の人が見たら、大きな役場のような感じしかしないが、薄いうぐいす色に塗られた木の板張りの天井に鋳物で出来たフランスから取り寄せたと云う鶏の風見鳥と避雷針がついている、窓ガラスはちょっとしゃれているが、二階建てになっている。図書館の一階の窓の外には丸く刈られた生け垣が植えられている。ほとんど手入れはされていない。その図書館に行ける道の横は人が二人ほど歩くといっぱいになってしまう。その道は少し下り坂になっていて、また上がって行けるようになっているのだが、その下りきったところに雨水をためるように沼と呼んでいいような池がある。雨が降ると雨水がすべてその池の中に流れ込む、そして池を溢れさす前に余った水は下水に流れて行くのだ。ここは維新の前には鑑賞用の庭と云うより、火事が起こったとき、消火用の水をくみ出す場所だった。廻りを藪のような木で囲まれていて藪のところから伸びている木の枝のさきが水面に接していたりする。池の真ん中には大きな石が置いてあって水面から顔を出している。その深さはそれほどなく、そこに魚が住んでいるが、鯰のような魚しかいないようだった。そこは木に囲まれていて木陰になっていて、少し気味の悪い場所なのだった。図書館に行って調べ物をしようと思った三角がそこを通ると黒い固まりのようなものが濁った水の上に浮かんでいる。いつもはそんな物はいないのだが、よく見るとその池の中に少し大きな雁が羽を休めていて、こちらをじっと見つめていたと云うのだ。そのときの気持ち悪い感じはとても言葉では表せないと三角は云った。雁と云う感じはしないでまるで人間がぬいぐるみを被ってこちらを見ているようだった。「死んでいるような目をしてこちらをじっと見ているんだよ」三角の話によるとその死人のような、ひんやりとする視線はそのときだけではないと云う。三角が目をそらすと雁の方も向こうを向いてしまった。それから図書館に行き、鹿の足に出来た出来物をとりのぞく方法を調べるために、昔にも似たような病気があるか調べるために随の単元方の病源侯論の第七巻を借りて、窓際の席で調べていると、外の方でやはり誰かに見られているような気がして外を見ると、あの雁が池から出て来て、図書館の前の方の空き地まで歩いて来ていて、あの少し大きな雁が、あの無機質な目をして、じっと三角の方を見ていたそうである。その目は冷たいと同時に挑戦的な感じもあったと云う、三角がその雁を捕まえようと思って急いで席を立とうと病原侯論のページを勢いよくとじると、雁は不敵な笑みを浮かべて、飛び立ったそうである。知力に置いて動物が人間を越えているのではないかと思えることがある。その上に動物は肉体的には人間を超えている。鳥の場合は空を飛ぶことが出来る。鳥の視点の方が人間よりもはるかに高い場所にあるのだ。

「じゃあ、きみはその雁に観察されていたと云うのかい」

「確かに、そんな感じがするのだ」

僕は鳥がそんな事が出来るはずはないと思ったから一笑にふしたが、三角は釈然としないようだった。それより三角が紅雀のつがいを買ったのに、それを下宿に持って来なかったから、そのことの方が僕にとっては不思議だった。

「俎橋のさきの場所で君が鳥屋で紅雀のつがいを買ったというのを、石原が見ていたと聞いたんだが、その鳥かごはどうしたんだい」

「知り合いの子供にやった」

三角は無愛想に答えた。それから麺を食べ終わり、竹筒の底に残っている中華スープを飲み干した。その中華スープの中には三角が奮発して入れた乾燥ホタテが入っている。そのホタテの貝柱は留学生の陳くんの知り合いから仕入れているのかも知れなかった。なにしろ陳くんがこの蕎麦づくりの共同開発者になっているのだから。

 

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