第30話『栗原製菓』


 朝食を終え一葉に米と水の場所の地図を書いてもらい、三階のゴミ捨て場とは反対の端の教室に来た。

 教室の隅に引き延ばし式の長いアルミ梯子が置いてある。それを窓から突き出し下へと伸ばす。屋上から持ってきた五つのポリタンクをひもで縛り肩に担いで梯子を下りた。大丈夫の様だ、周囲に動く物はなにも無い。


 俺はグランドの隅にある体育用具入れの裏手に回った。そこにはまだ新しいリヤカーが置いてあった。空のポリタンクを上に乗せリヤカーを引いて先ずはお米の回収に向かう。


 校門を手で押し開き、山の見える北方向へと進んだ。緩やかな上り坂の住宅街をリヤカーを引いて上ぼる。

 坂を上り切った先には放置された田んぼが広がっていた。手入れもされていないかったであろう田んぼは雑草が伸び放題になり、今はそれがはとんど枯草になっている。

 俺はその荒れた田んぼを見ながら突き当りのT字路を東へと向けて歩いた。用水路に架かる橋を渡り左へ曲がる。山を少し回り込んだところに古い造りの農家が見える。この平屋の農家が栗原家だそうである。

 大きな平屋の建物。その向かいに農機具入れの様なトタン張りの建物が立っている。どうやらこれが例の栗原製菓の様だ。


 軽鉄骨とトタン板で建てられた古い建物はとても食品工場には見えない。この栗原製菓は元々はこの地域に根付いた老舗の煎餅屋せんべいやだったそうである。しかし、日本人の食の変化に伴い約二十年前から大手駄菓子メーカーの下請けとなってアラレなどの米菓を中心に製造するようになったそうだ。


「リルカ周囲の状況は」

(大丈夫です。何もいません)

「よし」


 正面のシャッターを持ち上げた。建物の中はあまり古くない。短いながらもベルトコンベヤーが設置され、袋詰めの機械が並んでいる。揚げ物を作るフライヤーや工事現場で使用されるコンクリートミキサーのような機械も置いてある。そして、入ってすぐに設置された大型冷蔵庫……。リルカは複製体を作り出し室内を興味深げに見回り出した。

 俺は地図に書いてある番号を押して錠を外し、冷蔵庫の扉を開けた。


「おお!」俺は思わず声を漏らした。

 パレットの上に乗せられた業務用三十キロ入りの米袋。ざっと見ただけで四十袋はあるだろう。

 ――あるところにはあるもんだ。


 食料不足の現在。これだけでどれくらいの価値があるのか判らない。きっとこれを所有していたクリちゃんも迂闊に人に言い出せなかったに違いない。もし避難所でここの事を言ったなら、全て奪われあっという間に食い尽くされていただろう。たとえ言い出せなかったとしても無理はない。


 俺は二つほど米袋を担ぎリヤカーへと乗せた。ついでに置いてあった業務用の一斗缶入りのサラダ油、二キロの粗目砂糖とみりんのペットボトルも積み込んだ。残念ながら醤油は見当たらない。段ボール箱だけ残っているところを見るとすでに持ち出された様である。そして、俺は冷蔵庫に錠をかけ直し、シャッターを閉じてこの場を後にした。



 用水路沿いの道を南へ下る。用水路の中にウグイだろうか……沢山の魚が泳いでいるのが見える。人が居なくなって一年以上。公害も無くなって自然は本来ある姿に回復しているようだ。


 こういう光景を見ると人間と言うのは偉く身勝手に環境に手を入れていると言わざる得ない。勿論俺にその善悪を問う資格はない。ただ、こうして自然に回帰した光景を見て、美しいと感じてしまうのである。

 ――そう言えば寒バヤは美味しいんだったな……。今度取りに来よう。

 俺はリヤカーを引いて小学校へと向けて歩いた。


 二車線の国道の先に小学校が見えてきた。どこの街でも見かける三階建ての白い校舎……と言った印象のこれと言った特徴のない学校である。高いフェンスに囲われた校庭やグランドに、放置された車やブルーシートが見えている。

 俺は学校へは入らずに校門前の公園へと向かった。


 こちらもどこにでもある小さな公園だ。遊具は殆ど置いておらず、公園の片隅に鉄棒とトイレだけが設置されている。そのトイレの反対側の片隅に目的の井戸がある。周囲にはビニール袋や紙食器が散乱している。井戸の由来の掛かれた立て札があった。

 問題の井戸はコンクリートで蓋がふさがれその上に古めかしい手押しポンプが設置されている。俺はその下に置いてあったバケツから柄杓ひしゃくで水を掬った。その水をポンプの上に流し込む。そしてレバーを押し下げた。


 何度かレバーを上げ下げしていると次第にレバーが重くなった。

 〝ゴパッ〟 と言う音と共に突如、水を吐き出した。その水を下に置いてあったバケツで受ける。――よし、水質は問題ない様だな。

 バケツをどかしポリタンクを受け口へと設置する。そして、レバーを上下する。


 ――しんどい……。只、水を汲むだけなのに……。

 蛇口をひねれば水が出て来る、そんな当たり前の日常はもう無くなってしまった。いや、これがほんの百年前までの日常の光景なのだ。生きるために多くの努力を重ねる。それこそが当たり前のことなのだ……。と自分に言い聞かせながらレバーを押し下げ続けた。


「終わった……」なんとかポリタンク五つ水を汲み終わった。

 俺は近くにあったベンチへ腰かけた。少し休んでから帰ろう……。


 ぼんやりと辺りを見回す。樹々のざわめき。風に吹かれたレジ袋が転がっている。そして、公園の隅を大きな蝶が舞っている。ん? いや、あれはリルカだ。いつの間にか複製体を出していた。


 リルカは何にでも興味を示す。どうやらそれは妖精としての種族特性の様な物らしい。妖精の本体は妖精繭の中の精神体だそうである。そして寿命は約三百歳。その為に人や動物に比べ死の恐怖と言う物が少し薄いので、享楽的で好奇心旺盛な者が多いらしい。ちなみにリルカは生まれてまだ十年と少ししか経っていないそうである。こちらの世界では十五歳くらいだろうか……。


「おーい、リルカ。そろそろ帰るぞ」

 蝶が光の粒となって消えて行く。

(……はい)戻ってきた。


 俺は重くなったリヤカーを引いて歩き出した。

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