第18話『保育所』
――おや? そう言えばリルカが話しかけてこない。
下着類を乾かし、竈の火を落とした俺は二階へ上がった。そして、カーテンで閉じられた部屋に入りマットの上に横になった。日中歩き回った疲労感とアルコールの酔いで今まで気が付かなかった……。
――いつからだろう? 確かラム酒を飲み始めてからだった気がする。風の探知が発動しているので、リルカがこの胸の中に居る事はわかる。
「リルカ、おーい」
(……)返事はない。
これは、会話が出来ない状態にあると言う事だろう。
リルカは直接、俺の脳の言語野へ話しかける事で会話をしていると言っていた。お酒を飲んだことが原因で何らかのエラーが生じ会話が出来なくなっているのだろうか……。
しかし、こうして会話できなくなって初めて気がついた。俺は目が覚めてからずっとこいつと一緒に行動してきたのだ。
こいつが居なければ俺は助かっていなっかっただろう。
こいつが居なければ既に心が折れていただろう。
もし、この先もう会話が出来ないとしたら俺は……。
「リルカ……」
(ふにゅぁ~……)
「……」どうやら酔っ払っているだけの様だった……。――この野郎!
そう言えば感覚をバイパスする事で物の味や触感も判ると言っていた。いや、それでもアルコールを摂取している訳ではないので問題ないはずだが、もしかすると俺の酔った感覚を共有する事で、自分もお酒を飲んだように酔っぱらってしまったのかもしれない。お酒に酔ったと言うより車酔いに近い状態だろう。どんだけ酒に弱いんだ。まあ、いいか。
建物の周囲は鉄柵に囲われウオーカーが来たとしても簡単に超えることは出来ない。会話が出来ない訳でも無い様なのでしばらくすれば復活するだろう。
俺はマットの上でブランケットを頭から被った。
相変わらず外から聞こえてくるのは風の音だけだ。
テレビにラジオにインターネット。今の世界にそれらは無い。人の声が恋しい……かと言えば実はそうでもない。
休日はソロでキャンプに出掛けたり、読書で暇をつぶしていることの多かった俺にはそれはさほど苦にならない。寧ろ同僚に付き合ってコンパに出たりカラオケで他人の曲を延々と聞かされる方が苦痛に感じていた。今、人を探しているのも人が恋しいと言う訳でなく生活の安全の保障が欲しいだけである。
人は一人では生きていけないとよく言うが、一人しかいない状態であれば一人で生きていくしかないのだ。そして、俺は容易くそれに順応できる……。
そう言えば以前に同僚や後輩に同じような事を言われたことがある……何でも一人でしようとする 〝ボッチ気質〟。一般的な公務員と言うのはあまり必死に仕事をしては駄目なのだ。後任の人間が同じ質を要求されるようになる為だ。要求されたもの以上の仕事をすると孤立してしまう。俺はそう言った人間だった。別にハラスメントを受けて居たわけでもないが、皆からは冷ややかな目で見られていたのは間違いない。
「でも、どんな風に言われても結局、俺は自分一人で何とかしなくちゃいけないんだ……」
(……ゆっきーは一人じゃないですよ……むにゃ……)
「……」
胸が温かい……。不快ではない……。
俺は静かに目をつぶり眠りに就いた。
――ん?
何かの気配を感じ不意に目を覚ました。
カーテン越しに見える外はまだ暗い。夜明け前……午前四時くらいだろうか。気温もかなり寒い。
目を瞑り意識を集中して周囲の風を読む。
感覚的には十メートル程度。それよりも外側だと大きく風が動いた時だけに、暗闇の中にポッと形が浮かんで見える。
――建物の周囲には何もいないようだ……。だが、よく判らないが何かを感じる。何だろう……気配と言うのだろうか……動いている。
俺はブランケットを跳ね飛ばしカーテン越しに窓を見つめた。
何かが今そこに居る!
その時、スッとカーテンをすり抜けて一羽の蝶が舞い込んだ。体長約三十センチくらい。沖縄のヨナグニサン張りの大きな蝶が室内に飛び込んできた。そしてこちらへ向けて一直線に……。
「うぉ! 何だ!」
声を上げたと同時に、蝶はパンと弾ける様に光の粒になって消えてしまった。
(すみません、ゆっきー。驚かしてしまいました)慌てて話しかけてきたのはリルカだった。
「お前の仕業か! リルカ」
(はい。魔力も回復してきましたので複製体を作って、周囲を警戒してました)
「複製体だと」
(はい、意識を乗せ飛ばすことのできる私の目です)
「何だドローンみたいなものか」
(ドローンが判りません……)
「無人航空機の総称だよ」
(うーん……)まだわかっていない様子だ。
「空を飛ぶ機械の事だ」
(うーん……)
流石にこれ以上の説明のしようがない。「まあ、今度見せる機会があれば、また説明するよ」
(はい)
さて、ちょっと早いが起きるとするか。
「ふぁ~~」俺は小さく欠伸をし背を伸ばした。
今日これから朝食を取ってから、いよいよ多摩川に向かうつもりだ。
川を渡ったところですぐに何かがあるとは思わない。それでも渡ってしまえば、少なくとも現状、死に支配された東京からは逃げ出せる。
ウオーカーの数も減れば自由に動く事も出来るようになるだろう。そうなれば生存者の捜索も出来るようになる。
それに向こう岸に渡れば俺の居た横浜の街は目の前だ。最悪、生存者が見つからなくても自宅に辿り着きさえすればなんとかなる。生きていくのに必要な道具も2週間分の非常食の備蓄も置いてある。それさえあれば暫くの間は生活できる。
「よし」
俺は朝食の準備のために荷物をまとめ一階へと降りた。
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