第17話『祖師谷近辺』


 周囲を警戒しながら歩き世田谷駅を抜け、祖師谷辺りに辿り着いた時にはすでに日が暮れ始めた。

 少し歩きすぎてしまった……。この辺りは住宅街で戸建ての木造建築が多い様だ。まともに建っている建物も多いが、ウオーカーなどの不意の襲撃を考えると強度に不安がある。俺は今日の寝床になりそうな建物を探しながら町をぶらついた。


 まともに建っている建物が多い所為だろうか、あちこちに人の生活の痕跡が見られる。集積所にはゴミがうず高く積まれ、道端に焚火の跡が見受けられる。干からびた生ごみ、レトルトパックの包装、汚れた下着、空のペットボトルに焦げ付いた鍋……。


「リルカ、どこかに人が残っていないか」

 生々しい生活の跡を見せつけられて、俺は災害から一年以上たった今でも、この周辺に人が隠れ住んでいるかもしれないと期待した。

(いえ、見つかりません)

 やはりもう避難をしたのだろうか? それとも……。


 通りの先に二階建ての可愛らしい建物を見つけた。どうやら保育園の様だ。

 周囲を丈夫な鉄柵で囲われた薄いピンクの建物。その壁面には象とキリンのイラストが大きく描かれている。


(この変な建物は何ですか)リルカが興味深げに聞いて来る。

「子供を預ける保育園と言う施設だ」

(孤児院の様な物ですか)

「ちょっと違う。一次的に預けるだけだ」

(幼年学習院の様な物ですか)

「そうだな、それに近いな」本当はそれだと幼稚園になってしまうが説明が難しい。


 ちなみに幼稚園は文部科学省の管轄で幼児教育が主体となっている。そして先生になるには教員免許が必要だ。それに対して保育所は厚生労働省の管轄で養護と教育が目的であり、保育士は国家資格が必要である。保育所は0歳児から受け入れてもらえるが幼稚園は三歳児からの受付である。



 俺は固く閉ざされた門扉をよじ登り、敷地へと侵入を果たした。

 建物の保存状態は良い。二階の一部が破壊されるだけで済んでいる。


 割れた窓から室内を覗く。人が居た形跡がある。

 小さな机にプラスチック製の食器が散乱している。部屋の隅に一斗缶を利用したかまどが設置されている。廊下に猫車に乗せられたままのブルーのポリタンクが置いてある。階段で二階へ上がってみる。

 二階にはカーテンでとじられた部屋があった。中を覗くと部屋の中央にウレタンマットが敷き詰められていた。どうやらここで十人程度の人間が集団生活をしていたようだ。周囲に絵本や積み木が散乱している所を見ると小さな子供もいたのだろう。今晩はここに泊る事としよう。


 俺は一階へ降り食事を作ることにした。

 ポリタンクの中身は水の様だ。プラスチック製の皿を持って来て丁寧に洗う。その時、近くの花壇に大量のハボタンが植えられているのに気が付いた。

 このハボタンと言う植物、現在は観賞用としてよく栽培されているが、元は食用として輸入された物である。味はキャベツとほぼ同じ、炒めたり塩茹でにして食べることが出来る。葉の柔らかい中心部分をいくつか採取した。水で良く洗いレジ袋に入れて置いた。


 竈の方へと寄ってみる。薪に使用する木材や壊れた家具の一部が乱雑に積まれている。幾つかを竈に突っ込みライターで火を点けた。よく乾燥していたせいか簡単に火が点いた。


 小鍋に水を入れ塩を小匙一杯。火にかける。沸騰し始めたらスパゲティを一束。半分に折り投入。感覚だけで九分間茹であげる。

 スパゲティを皿に上げオリーブオイルを少しかけ混ぜて置く。残りのお湯に採取したハボタンを入れ少し塩茹でする。

 軽く茹でたらお湯を捨てコンビーフを半分ほど入れ一緒に炒める。味付けは胡椒を少々。十分に火が通ったらスパゲティに乗せて頂きます。うん、普通にうまい。味は洋風焼きそばと言ったところか。


 感覚的には三日ぶりのまともな食事だが、実際には前回食べたのは一年と数カ月前となる。そう言えば最後に食べたのは駅前にあった蕎麦屋のコロッケそばだったな……。


(それは何の料理ですか)リルカが聞いて来る。

 どうやらリルカはこちらの世界に興味津々の様である。いや、単に新しいもの好きなだけかもしれない。

「スパゲティと言う麺料理だ」

(麺ですか……何故そんな風に細長くするのです)

「何でだろう? 美味しくて食べやすいからかな。アーヴには無いのか」中国では3千年前、西洋ではローマ時代にはパスタがあったそうだから、向こうの世界にもあっても不思議では無いと思う。


(うーん、人族の国に行けばあるかもしれません)

「知らないのか」

(はい、そもそも会話できる人間は一つの国に一人か二人だけでしたから)

「あれ、お前の里では人間と交流があるんじゃなかったっけ」

(それは、私の住んでいた妖精の里の近くに精霊教の風の神殿があったので神官の人達と交流があったのです)

「ああ、そうなんだ」てっきり交易があると思っていた。「ところで精霊教って何だ?」

(アーヴで人族が精霊の方々を祀る宗教です。と言っても神殿ごとに宗派が違うので諍いが絶えないでしたけど)

「ふーん」

 思わず日本の喧嘩神輿を想像してしまった。向こうの世界では人族同士の争いが多いみたいなので、もっとひどい事が起こっているのだろう。イメージとしては日本よりは都市国家間で戦争をしていた古代ギリシアの方が近いのかもしれない。



 リルカと話しながら食事を終え、お湯を沸かしてタオルで体を拭いた。その頃には辺りは真っ暗になっていた。

 食器を洗い、ついでに下着も洗った。Tシャツとパンツと靴下を竈にかざし、乾くのを待つ間にマンションの上で見つけたラム酒を取り出した。


 久しぶりにお腹にちゃんとした物を入れたので疲れがどっと押し寄せてきた。椅子の背もたれに寄りかかりゆっくりとラム酒の瓶を傾けた。一口で広がる強烈な甘い香り、咽を焼く酒精が胃に落ちていく。

 酒を飲み炎を見つめていると不意にキャンプに行った時のことを思い出した。


 俺の記憶では約半年前。実際には二年前の秋の事である。

 鏡の様に凪いだ湖面に映る色付いた樹々と逆さ富士。河口湖畔のキャンプ場。

 俺は有給休暇を消化するためよくソロでキャンプに出掛けてた。

 焚火をし酒を飲みながら夕暮れを待つ。静かで穏やかな時間が流れる。そんな時間が好きだった。


 ――また、あの時の様に戻れるだろうか……。


 いや、そんな風に考えること自体、今とさほど変わらないかもしれない。そう思いながら俺は炎を見つめ酒瓶を煽った。

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