第6話『マンション室内』


 余りの寒さに目が覚めた。辺りはまだ薄暗い。いつの間にか晴れた空に、東の雲だけが僅かに白く輝いている。

「う、う、寒い……」

(お早うございます。ゆっきー)リルカの挨拶の声が聞こえる。

「お早う」


 周囲は驚くほど静かだ。吹き付ける風の音だけが聞こえて来る。

 俺は辺りを見渡した。遠くに見える高層ビルのシルエットが途中で崩れている。折れてしまっている物。壁面が大きく抉れ辛うじて建っている物。瓦礫の山になっている物も見えている。こういう世界になってしまったと改めて実感した。


 同時に今いるビルの反対側の床が少し崩れているのに気が付いた。貯水塔の下から這い出して下を覗いてみる。

 大きく崩れた壁面に引っかかる様にしてベッドが残っているのが見えた。ショルダーバッグを抱え室内へと飛び降りた。


 どうやらこの部屋の住人は女性だったようだ。開け放たれたクローゼットから衣服が散乱している。棚の引き出しなども全て開かれている所を見ると、ここの住人はあの災害を生き残り、無事避難を果たしたのだろう。


 俺はクローゼットへ入り込みそこで横になった。微かに香る洗濯物の匂いに包まれて俺は再び眠りに就いた……。


 次に目覚めクローゼットの戸を開けた時には、もう日が昇っていた。思いの外ぐっすりと眠れたようだ。疲れが体に残っていない。


 早速、室内の物色を始める。衣服の類はどれもサイズに合わない。マフラーと軍手。有名スポーツメーカーの大きめのボストンバッグだけもらう事にした。ショルダーバッグの中身を全てボストンバッグに詰め直す。


 続いてキッチンの捜索だ。ステンレス製の小鍋にフォークとスプーンとマグカップを頂く。未開封の二リットル入りの水のペットボトルを見つけた。その他の食料は見つからない。避難時に慌てて全てを持ち出したのだろう。

 シンクの反対側の棚を開いた。調味料が残っていた。使いかけの醤油やソースはもう駄目だろう。胡椒と七味と砂糖を頂く。その他に片栗粉と小麦粉も発見した。こいつもバッグに詰めて置く。

 それ以外に使える物は本当に何も残っていない。


 それにしても……やっていることはただの火事場泥棒だ。勿論行為を正当化するつもりはない。この事態の終息後には然るべき罰は受けるつもりである。いや本当のことを言えば、またそんな日常に戻れたら良いと切に願っている。ただ今は生き残ることが優先だ。


 俺は食器棚に置いてあったステンレス製の小棚をシンクの中へと置いた。小鍋に片栗粉と砂糖と水を注ぎ小棚の上に置く。部屋から持ってきた雑誌のページを手でちぎり、捩じって小棚の下へ敷き詰める。そしてライターで火を点けた。火が消えない様に捩じった紙を追加していく。

 これで、放火も追加された……。少し自嘲気味に思ってしまう。


 沸騰してとろみがつけば葛湯の完成である。多少水分量を間違えて餡かけの様になってしまっているが問題ない。小鍋のままスプーンで頂く。

 味はただの砂糖にとろみがついただけだ。少し胡椒を入れてみる。なんだか、背徳的な味になってしまった……。取り敢えずゼリー飲料程度にはお腹が膨れたので良しとする。

 どこかで大豆が手に入れば、きな粉を作ってわらび餅にするのも良いかもしれない。


(それはこの世界の標準的な食事ですか)リルカが尋ねて来る。

「いや、普段はもっとまともな料理を食ってるよ」本当は良く昼食を菓子パンやゼリー飲料で誤魔化していた。

(今のは何という料理ですか)

「葛湯かな……リルカはいつも何を食べてる」

(私たち妖精は基本魔力があれば食事を摂る必要ありませんが、木の実や花の蜜や、後はお酒を嗜んでいました)

「料理はしないのか」

(いえ、私達の里は人族と交流がありましたから、煮炊きも普通にしてました。ただ作るのはもっぱら嗜好品ばかりでしたけど)

「そうか」

 どうやら想像と違ってかなり文化的な生活を送っていたらしい。交流があると言う事は物流もあって何かしらの生産もあるのだろう、少し気になるのでまた今度聞いてみるとしよう。


 俺は部屋に落ちていた布切れで小鍋を丁寧にふき取りバッグに仕舞った。

 ――よく見ると、この布切れは女性物の下着だ。

 こんな時なのに、ねっとりと濡れた下着を見ていると奇妙な感覚に襲われる。


「これで、下着泥棒も追加されたな……」思わずそう呟いた。

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