第2話 OLの場合 後編
洗濯物の指導をしに来た、って普通に干せばいいんじゃあないのかな。部屋の収納術ならまだわかるけど、洗濯物を干すのに指導はいらないだろ。
もう一度言おう、何言ってんだこいつ。
「畑良さん、今、『何言ってんだこいつ』と思いましたね」
「いえいえ、思ってないっすよ」
慌てて否定する。正解だけど。すると物干師さんは滔々と語りだした。
「わかります、たかが洗濯物の干し方、と思われるのも無理はありません。しかし、物を干すという行為は家事の基礎。様々なエッセンスが詰まっているのです。それを良い方向に持っていくのが私、物干師の仕事でございます」洗濯物の上、洗濯ばさみが大量に垂れ下がっている部分を指差す。
「例えばこのピンチハンガー。このようにたくさんの洗濯ばさみがついているので、同じ種類をまとめて干していますね。気持ちは理解できます。Tシャツの隣はTシャツですよね。ただ、これでは空気の通り道が増えません。風の通りが良くなるようにするのが大事です。そのためにはアーチ状に干すのが良いのです。両外に丈の長い洗濯物を干し、中央にはハンカチなど丈の短いものを干す。これで中央付近にも満遍なく風が通るようになります」
私は目が離せなかった。
それはイケメンアイドルグループのライブDVDを鑑賞したとき以上だったかもしれない。物干師さんがダンスのようにリズミカルな動きで洗濯物を干し直していく。しなやかで、力強くて、丁寧で。それでいて洗練された洗濯物捌きだった。あまりの手際の良さに見惚れてしまった。
「また、シルク、麻、コットン、下着は原則陰干しにしてください。これらの天然繊維は紫外線で他の繊維よりもダメージを受けやすいですし、下着類を室内に干すの生地を痛めにくいのはもちろん、防犯や盗難防止にもなりますので」洗濯物が美しいアーチ状に干されていく。
「それはそうと、先程私のことを『下着さん』って呼んでましたよね。そもそも脳内ニックネームを付けるのもどうかと思いますが、それでうっかり呼んでしまうのもよろしくないと思いますよ。OLをしてらっしゃる畑良さんでしたらそういった行為は会社の問題に発展することもありますから。洗濯物に限って言えば、室内に干すことで解決可能ですので、ぜひ実践していただきたいところです」
あああああああああああああああああああ!!! 聞かれてたああああああ! しかも時間差で突っ込んできやがった。私の中ではなかったことになってたのに。
「続きまして厚手のものですが、洗濯物は基本裏返しにしてから干してください。ポケットやパーカーのフードなどは乾きにくいので直接風が当たる状態にするためす。また、服やズボンの中にまで空気が通るように筒状になるように干すのがポイントです。よって普通のハンガーは使わず、ピンチハンガーなどに干すといいでしょう」
ひとりで怒ったり突っ込んだりしていたが、物干師さんは一切気にせず洗濯物を吊るしていく。動きに無駄がなく見ていて気持ち良い。少し早口ながら意外とまともなことも言っている。胡散臭い職業だと思っていたものの、この人もプロなんだと初めて感じた。
「ここでっ! クエスチョーーーーンッ!!」
唐突に大声で物干師さんが叫ぶ。やっぱりヤバいヤツだった。母がなぜこの人に依頼したんだか聞きたい。私にとって小説でもドラマでも現実でも確実に言えることがある。「キャラがぶれるヤツには心を感乱される」というものだ。丁寧で落ち着いた物腰なのに急にはしゃぎだす人は苦手だ。
「さて、ズボンを吊るすのは腰の部分を上にするべき?それとも下にするべき?畑良さん答えてみてください」
急に尋ねられるからどんな奇想天外な問題が出されるが心配したが、質問自体はなんのことはない。ズボンを干すときの向きだ。
「当然、腰がうえ「ブーッ!」」
野郎、私が話しているのに重ねてきやがった。腹が立つのは当然として、不正解だったことが疑問だ。思わず聞いてしまう。
「え?そうなの?なんで?」
質問されたことがうれしかったのだろう。爽やかな笑顔をした物干師さんが答える。
「まず物を干すという行為には原則として、『できるだけ早く乾かしたい』『できるだけ生地を痛めたくない』『できるだけ形を崩したくない』の三つがあります」
『できるだけ早く乾かしたい』これは濡れている時間が長いほど雑菌が繁殖しやすいから。
『できるだけ生地を痛めたくない』これは服を長持ちさせたいから。
『できるだけ形を崩したくない』これはなるべくしわやゴムの伸びていない整った状態で着たいから。
大まかに三つの原則はこういう理由があるらしい。物干師さんの独演は続く。
「この三つをなるべく満たした干し方がいい干し方だと考えて問題ないでしょう。ズボンの場合、早く乾かすために筒状に干します。生地を痛めない、プラスポケットなどを早く乾かすために裏返しに干し、形を崩さないために逆さまに干す。逆さまがなぜ形が崩れにくいかというと重心の話です。腰のあたりのほうが布も装飾も多く、水分も含みやすい状態です。つまり重たいということ。逆さまに干せば重心が下の方にくるので、ズボンの生地が引っ張られやすい。つまりしわや縮みが発生しにくい、というわけです」
なるほど。早口であまり聞き取れなかったけど、取り敢えず筒状にして、裏返したまま逆さまに干した方がいいってことは理解した。喋りながらも作業はしてくれたらしく、私の洗濯物はほぼ直し切っていた。
よく考えると初対面の男に自分の服や下着を触らせるという非常に危険な行為だったが、干し作業があまりにリズミカルで美しかったので不快にならなかった。むしろ干してくれてありがとう、もっと干している姿を見ていたかったという思いが強い。
トークは邪魔だったよ。
「ついでに畑良さんにお伝えしておきますと、ほとんどすべての洗濯物は三つの原則で解決です。つまり洗濯物を干すときは、ピンチハンガーに干すものは風通しをよくするためアーチ状、厚手のものは筒状に。長持ちさせるのと、乾きやすくするため裏返しに。整った状態にするため重心を下に。あ、ちなみに靴下など軽いものは頑丈なつま先部分を洗濯ばさみで留めてください。ゴムの部分を留めるとゴムがすぐ伸びてしまい、長持ちしませんからね」
あーでも本人はトーク好きなんだろうなー、とは思う。ひたすら話しているもん。そしてさっきの小学生がどこかへ走っていった。今までずっとそこにいたのかよ。物干師さんの話も聞いていたのか。確かに勉強にはなったから、これからは気をつけて干そう。手伝ってくれて助かったし。
「物干師さん、今日はありがとうございました。助かりました」
お礼を言う。最初は驚いたけど本心だ。一通り作業を終えた物干師さんが答える。
「いえいえ。干し方ひとつで人生変わりますからね。これで今回乾いた服を着ると、部屋まで掃除したくなりますよ。お役に立ててよかったです」
人生は変わらないだろ。と思いつつも有意義な時間になったので突っ込まないでおいた。さ、物干師さんが帰ったら、酒でも飲むか。疲れたし。何もしてないけど。
「ではこれで『ひとつめ』の依頼は終わりです」
そうだった! そういえば二つって言ってたような気がする。またも時間差でぶっ込んできやがった。私の中ではなかったことになってたのに。
「さて、『ふたつめ』の依頼ですが」物干師さんがブルーのネクタイを締め直す。「畑良さんには私のサポートをしていただきます」
え? なんだと?
「お母様は娘さんに充実した休日を過ごしてほしいと願っておられました。そこで、ちょうど私が依頼を受けた日と畑良さんの休日が被った場合、私の仕事に、助手として娘を同行させてほしいとおっしゃったのです。さすがに最初はお断りしましたが、お母様から非常に強くお願いされまして。私にも畑良さんにも報酬を払うのでどうしても、いうことでした。そこで私も三回のみでよろしければ、という条件で承りました」
ん? 物干師さんの仕事に同行? 休日に? 私の休日に?
酷いよママン・・・。とりあえずあとで母に抗議の電話を入れよう。
物干師さんはベランダから去っていった。
ちなみに後ほど部屋は掃除した。
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