不思議な職業見てみようⅠ ~ 物干師 ~
エス
第1話 OLの場合 前編
休日の朝。
私はイケメンアイドルグループの新曲を口ずさみながら、ベランダで洗濯物を干していた。
穏やかな春の日差しが優しい。これなら洗濯物も早く乾くだろう。干し終わったらのんびりしよう。
こんな日はもちろん午前中から酒を飲むに限る。昨日の仕事帰りに大量のお酒とおつまみを買ってきたから、Netflixでも鑑賞しながらぐいぐい飲もう。我ながら最高の休日だぜ。
とか思いながらベランダの前の道路を見ると、紺のスーツ姿の男と目が合った。やだカッコいい、ちょっと竹野内に似てると一瞬思ったが、すぐに打ち消す。こんなアパートの二階で休日にだっせえ部屋着のまますっぴんのOLが洗濯物を干しているシーンをガン見してくるヤツなんて、下着泥棒とか変態の可能性まである。
イケメンだけど無視しよう。
そう決めて作業を再開しようとしたときだった。
「畑良(はたら)さんでよろしいですか?」
下着泥棒が急に話しかけてきた。
「は、はい!」
不意打ちすぎて思わず返事をしてしまった。ものすごい後悔が私を襲う。無視すればよかった。そんな私の心などお構いなしに下着泥棒は続ける。
「あなたのお母様より依頼を受けてこちらにやってきました。少しだけお話させていただきたいので、今からそちらに伺います」
え? お母さんからの依頼? 下着泥棒来るの? この部屋に? 困るよ困る。だって私すっぴんだしだっせえ部屋着だしノーブラだし昨日の夕食で使った食器洗ってないし机の上ビールとかワインの空き容器出しっぱなしだし。というよりそもそもひとり暮らしのOLの家に知らない男を上げるなんてできないよ、彼氏だって上げたことないのに。いや彼氏いないけどさ、とにかく家に入れるのはまずいから外で待っててもらおう。
「あ、あの下着さん!」
言いかけた時点で下着泥棒はやってきた。ジャンプで。そのまま私が今いるベランダの手すりに乗った。なにそれ無敵じゃん! 下着泥棒にこんなハイジャンプ能力あったら無敵じゃん! 竜騎士かな?
私がパニックになっていると下着泥棒が言葉をかけてきた。
「すみません、いきなりこちらから失礼します。はじめまして畑良久乃(はたらひさの)さん。私はあなたのお母様のご依頼でこちらに派遣されました『物干師』です」
今何て言った?
「も の ほ し ?」
なんだかわけのわからない単語を聞いたぞ。人名? それとも物干し竿の物干しなのか? しかもなんで手すりに立ったまま喋りだすんだ? 降りてくれないかな。しかし男は丁寧な口調で語っていく。
「はい、物干し竿の物干しに、『し』の字は教師の『師』で『物干師』です。その名の通り、物を干すことに関わるすべてのことを仕事にしております」
わかったわかった。わかったからとりあえず手すりから降りろ。危ないし危ないヤツだぞ。そんな私の思いに構わず男はスーツのポケットからスマホを取り出して言う。
「畑良さん。あなたのお母様からのご依頼内容はこうです」
男は手すりの上でしゃがみながら手元のスマホを操作して私に動画を見せてくる。映像は間違いなく私の母だ。母が話をし始めた。
『うちの子はとてもだらしなくて物を片付けられないばかりか洗濯物も満足に干せません。その上お酒が大好きときています。せっかく親に似ず顔もスタイルもそれなりに育ったのに、このままだと結婚はおろか恋人もできなさそうで。そのうち家に籠ったまま午前中からお酒でも飲み出しそうで不安です。物干師さんなんとかしてください』
ごめん、手遅れだよママン。ほぼ毎週午前中から飲んでるよ。なんなら最高の休日とか贅沢な一日とか思っちゃってるよ。反省しながらもこの怪しい男は母が普通に依頼した人間だということが確認でき、安堵もしていた。まあ二階までジャンプできるあたり普通の人間ではないけれど。
「そこで私は事前調査としてあなたが洗濯物を干している姿を見ていた、というわけです」
物干師は歩きながら話しだした。
手すりの上を歩くな。早く降りろ。道路から小学校高学年くらいの男の子が見てるから。しかもちょっと尊敬のまなざしじゃん! 何あの人手すりの上を散歩のごとく平然と歩いててカッコいいって顔してるよ。ああ男の子、この男にピースしてるよ。やめて子どもに悪影響だから。自分の家に帰ったあの子が自宅でマネしするじゃん。それをあの子の親が見るじゃん。で、怒るじゃん。それで問い質された男の子がここで見たって言うじゃん。最終的にあの子の親が怒鳴り込んできたらどうするのさ。こら、あんたもピースを返すな。
「早く降りてよ! 大体何しに来たんですか!?」
内心の苛立ちを抑えきれずかなりきつめに言ってしまった。でも、本人は気にした様子もなく、ようやくベランダに降りた。
「失礼しました。まずはお母様からいただいた情報の確認をさせていただきます」男は質問に答えることなく、スーツの内ポケットから取り出した紙を読み始めた。
「畑良久乃さん、二十五歳。地元の大学を卒業後、都内の商社に就職が決まり上京。これまで転職歴はなく勤続三年。仕事は比較的順調のようである。このアパートにも就職と同時に住んでいる。結婚相手や特定の恋人は一切話題に出ないので、おそらくいない。お酒の銘柄に詳しくなってきていて不安。何より『利き第三のビールができるようになった』とうれしそうに言っているのには両親とも引いた。さらに毎年実家に帰ってくるたびに少しずつふくよかになってきている気がするので運動不足や食生活が乱れているのでは・・・」
「ちょちょちょ待って! もういいから! それ私で間違いないから内容を教えて!」
母親はどういうつもりでこんな話をこんな怪しげな人にしたのか。というか客観的に聞くと恥ずかしい生き様だな私。心を入れ替えて女子力の高い生活を送らないとヤバい。
「かしこまりました。ではご依頼の具体的な中身について説明しますね。内容は二つあります。まずはひとつめから」
そう言うと、干してある洗濯物を指差した。
「ひとつめは洗濯物の干し方です。こちらを指導しに来ました」
何言ってんだこいつ。
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