第3話 男子大学生の場合 前編
「そういえば物干師さんは何であんなに大ジャンプできるの?」
歩きながら私は尋ねた。
物干師さんが私の家に洗濯物を干しに来てから二週間近く過ぎた日の夜のことだ。家で目隠ししながら第三のビールを飲み比べしていると、物干師さんから電話がかかってきた。次の土曜日に仕事が入ったから同行できるか、という内容だ。断ってもよかったが、残念ながらヒマだったのと早く三回分を消化したい、という思いでとりあえず承諾した。
で、今日が同行一回目。同行するのもあと二回だけだぜ! と自分を鼓舞しながら午後一番で南与野という駅で待ち合わせたのち、物干師さんとともに依頼者のアパートへ向かっているところだ。
「物干師になれば誰でもあれくらいできますよ」スマホの地図を見ながら物干師さんが答える。「コツとしては自分の体が乾いた洗濯物のようなイメージを持つことですかね。ちなみに私のイメージは白のオーバーサイズTシャツです。言うまでもなく無地ですね」
こんな伝わらない例えは初めて聞いたわ。ちなみまれても全く参考にならないし。自分から質問しておいて申し訳ないが、適当にああそうなんだ、と相槌を打つ。あとそれ歩きスマホだからな。
「おお、あの部屋」ふと顔を上げた物干師さんが少し先を指差した。私も指の先を見る。なかなか立派なマンションだ。今どきの学生はこんなところに住んでいるのか。「干し方が非常にいいですね。日光の当て具合といい、風通しといいすばらしい、美しいアーチです」
依頼者じゃなかった。
しかし物干師さんは目を輝かせている。
「さらにあのブラジャーの干し方を見てください。本来陰干しするべき下着ですが、マンションの六階ということで外に干しているのも粋な技術ですし、何よりよくあるNGな干し方をしていません。あ、NGなのは、片側一か所だけ洗濯ばさみで留めたり、ストラップ部分で吊るしたりする方法ですね。あの部屋の方はブラジャーを逆さまにして、ワイヤー部分を二か所留めている。なかなかの上級者です。あ、あのマンションの隣のアパートが依頼人の住んでる建物ですね」
うん、わかった。
この人は変態だったんだ! 依頼人の部屋には大して興味を示さず、別の人の家に干してあるブラを見て興奮するなんて、変態以外の呼び方が思いつかないじゃん! ブラジャー干すのに『粋』って単語を使うのは世界であんたひとりだよ!
うおおおおおおおおおおおお待て待て待て待て! 変態が「参考資料として」とかぶつぶつ言いながら立ち止まって写真を撮ろうとしている! 本物だ、ホンモノの変態だ!
「やめろ変態っ!」
とっさに変態の頭を叩く私。法律とかよくわからないけどなんか犯罪に引っかかりそうだよね。
さすがに私の様子が尋常ではないと察したらしく、変態はスマホをスーツの胸ポケットにしまい、再び歩き出した。
アパートの三〇二号室が依頼人の部屋だった。比較的キレイな三階建てだ。ただ、ベランダが南向きではなく、正面にマンションがあるため、物を干すのにはあまり適してなさそうな気がする。変態がチャイムを鳴らす。そういえばこいつ今回はベランダから入らないな。
「この前はたまたまベランダに畑良さんが見えたからそっちからお邪魔しただけですよ。いくらなんでもいきなりベランダから侵入するなんて変態のすることですからね。変態は世の中の常識、モラル、マナーを平気で逸脱する人を言います。私はその辺をしっかり弁えて行動しています」
何かを感じ取ったのか、まだ聞いてないことに答え出す。変態が変態論を語っているのをニヤニヤしながら聞いていると家主が出てきた。若い男性だ。
一言でいうと印象に残らない感じ。背は物干師さんと同じくらいでやや高い。百八十センチ近くありそうだ。顔はかっこいいともかっこ悪いとも言えない。体型も細過ぎず太過ぎず、だ。お互いひととおり挨拶をして部屋に入る。部屋はひとり暮らしの男性にしては片付いている。
「星井恋人(ほしいれんと)さん。二十歳。現在は埼玉の大学に通う三回生」物干師さんが切り出す。「高校時代にバスケ部で主将を務め、大学でもバスケットボールサークルに入会。この部屋には入学時から住んでいる。依頼内容は、同じサークルに所属する一つ下の後輩マネージャーの茂手瑠加奈(もてるかな)さんとお付き合いできるようにしてほしい。間違いございませんか?」
「はい」
星井くんが短く返事をする。なるほどね、サークル内で後輩ちゃんに恋をしたと。で、その恋愛成就のために依頼したと。なるほどなるほど。ついでに物干師さんはもちろんですお任せください、なんて言っちゃっていると。
「待って待って! 頼むから少し待って!」さすがにこの展開が理解できない。
「二人とも、頭大丈夫?」
星井くん、お客さんなのにごめんなさい。でもね、この人は基本的には変態なの。たまに洗濯物の干し方を伝授するだけの変態なのよ。恋愛相談とかはまた別の人にお願いできるかな。
ところが当の星井くんは怪訝そうに私を見て「はあ」とだけ答える。
「すみません星井さん」物干師さんが頭を下げる。「こちらは畑良と申しまして、本日から私の仕事に関わることになった新人なので、まだ業務を覚えきれていないのです。どうかご容赦ください。畑良さんも説明不足ですみませんでした。私はこういうことも請け負っているのです」
「知らなかった。恋愛相談もできるってこと?」
率直な疑問に、物干師さんは否定する。
「いえ、私はあくまでも物干師ですから、洗濯物を干すことがメインです。けれども、その干した洗濯物を着ることで相手に好きになってもらうことはできます。そこから長続きするかどうかは本人次第ですが」
「そう、そうなんだ。へー」
曖昧に頷く。ありえないでしょ。正直言って胡散臭い。変態でしかも怪しい商売をしているとなれば逃げるしかない。私はこの仕事が終わったらもう同行するのはやめようと思った。
「あの」星井くんが声をかけてくる。「早速お願いしたいんですけど」
物干師さんがにこやかに答える。
「そうですよね。では始めさせていただきます」
脳内では「怪しい仕事だ」「変態だ」「不可能だ」という言葉がぐるぐる回っていた。そりゃあそうだろう、誰に「洗濯物をうまく干したら彼女ができる」と話したって信じられるはずがない。
ところが、私の予想は裏切られることになる。
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