明日も君に会えたなら

五十嵐バスク

大学のカフェで君に会いたい

大学のキャンパスの至る所に植えられた青々とした草花が陽射しに照らされ一層美しく見え出した初夏。


春からこの大学通い始めた、寿 栄人は午前中の講義を終え、外を歩いていた。というのも、いつもは通学中にコンビニで昼食を買ってくるのだが今日は寝坊をしたせいで空腹を紛らわすための食料がないからである。


この大学の敷地内で食事ができる場所は学食と洒落たカフェの二ヶ所。学食はがっつり食べたい人や友人同士で楽しく話したい人が利用する。一方、カフェは大学のキャンパスの中であることを忘れるほど落ち着いた雰囲気なため、一人で過ごしたい人が利用するすることが多い。



(……たまにはカフェに行くのも良いかもな)



気紛れでカフェに入ると昼食時であるにも関わらず、利用しているのは四、五人程度と閑散としていた。

窓際の席が空いていたためそこに座り、コーヒーとサンドイッチをウエイトレスに注文する。すると、五分も待たずに頼んだものが来た。

厚めのハムとトマトがレタスと共にパンで挟まれたシンプルなサンドイッチが四切れ。

早速一口頬張ると、雷に撃たれたような衝撃が走った。



(美味い……! こんな美味いものが大学でたべられたのか!)



あまりの美味しさに、すっかり魅了された栄人は毎日ここに通うと静かに決心した。

その後、残りの三切れもあっという間に平らげ、食後のコーヒーを飲んでいると、



「ちょっと」



声のした背後へ振り返ると、艶やかな長い黒髪の美女が腕を組み、俺を睨んでいた。



「えっと……どうかしましたか?」


「その席」


「え? ここ?」



状況が読み込めず、阿保みたいに首を傾げてしまう。



「そこ、私がいつも座ってるお気に入りの特等席なの。だから退けて」


「は!?」



あまりに自分勝手な要求に思わず場違いな大きい声を出してしまった。数人がこちらへ冷ややかな視線を送ってくる。俺は苦笑いで会釈をしてから、負けじと目の前に立つ女子を軽く睨む。



「おい、いくらなんでも自己中過ぎじゃないか? 他にも沢山席は空いてるだろ」


「嫌よ。私はそこの席から見える景色が好きなの。分かったら早く退けなさい」


「……ちっ。分かったよ」



全く聞く耳をもつ気配がないので仕方なしに譲ることにする。しかし、このまま引き下がるのは負けた気がして癪なので……



「……ちょっと、よりによって何で隣の席に座るのよ」


「御構い無く」



敢えて横一列に並んだ席のすぐ隣へと座り、コーヒーを啜る。



「……まあ良いわ。すみません、カフェラテとサンドイッチ下さい」



彼女はそれほど気にも留めずにウエイトレスに注文をした。



(やっぱりサンドイッチが人気なのかな?)



「ここのサンドイッチ美味しいよな。今日初めて食べたんだけど、正直驚いたよ。あんたはよくここに来るのか?」



栄人が気軽に話し掛けると彼女は淡々と答える。



「ええ、静かで落ち着けるし、私もここのサンドイッチが好きでほぼ毎日通っているわ」


「へぇ……そうなんだ」



(しまった……嫌がらせのつもりで話題を振ったけど俺の会話スキルではこれ以上会話の幅を広げられない! てかこの子素っ気なさ過ぎじゃないか?)


会話のキャッチボールに失敗し、一人困っている栄人を余所に彼女はカバンからノートパソコンとヘッドホンを取り出し、何かを観始めていた。何を観ているのか気になり、良くないと分かりつつもちらっと目だけで覗く。



「……っ!! スイガレ!」


「え、知ってるの?」



そこに映っていたのは五人組アイドルグループ『Sweet Gallete』、通称『スイガレ』の新曲MVだった。彼女達は決して有名とは言えないが、パワフルなダンスとハートフルな歌詞からコアなファンは結構多い。そして、栄人もコアなファンの一人である。



「ま、まあな」


「ふーん……誰推し?」



彼女がパソコンの画面から栄人へ向けた視線は何かを見極めるかのように鋭い。恐らく、栄人と同じく、スイガレファンなのだろう。熱狂的なオタクは『にわか』に厳しいのだ。



「さ、鮫ちゃんだよ」


「鮫ちゃん!? 私も好きなの!」



途端、ずっとクールだった彼女の表情は驚きと喜びを感じさせる表情へと一変する。


栄人の推しメンの『鮫ちゃん』こと、鮫島 愛。にわかファンは『愛ちゃん』と呼ぶのだが、コアなファンからは鮫ちゃんと呼ばれている。そこで栄人がにわかではないと判断したのだろう。



「え、何で鮫ちゃん推しなの?」



さっきまでの彼女からは想像出来ないほど楽しそうに話題を振ってくる。少し戸惑いながらも栄人は同胞に会えたことに嬉しさを感じていた。



「そうだなぁ……全てが最高と言いたいところだけど、強いて言うなら普段の雰囲気と歌ってる時の雰囲気のギャップかな」


「うんうん、分かる! 普段は可愛いのに歌い出すと凄くカッコいいのよね!」



彼女は激しく頷いて同意する。



「あんたは誰推しなんだ?」


「私も鮫ちゃん。ほんっと大好き!」



あまりにも彼女が興奮して話すので、周りにいたお客さんが迷惑そうにこちらを見てきた。



「興奮する気持ちは分かるけど、他のお客さんに迷惑になるから……」


「え? あ、そうね……ごめんなさい」



周りの冷ややかな視線に気付いた彼女は我に戻り、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


その後は何も話すことなく、ただ時間が過ぎていくだけだった。コーヒーを飲み干した栄人はふと腕時計を見るとそろそろ戻らなくてはならない時間になっていた。教室に戻ろうと立ち上がると、



「ちょっと待って、君」



黙ってスイガレのMVを観ていたはずの彼女が不意に栄人を呼び止める。



「なに? そろそろ次の講義をが始まるだろ、あんたももう戻った方がいいぞ」


「ねぇ、そのあんたって呼び方やめて。すごく不愉快」


「あ……ごめん。それじゃ、邪魔した」



栄人は素直に謝って、



「藤園」


「……え?」


「教育学部二年、藤園 聖。それが私の名前」



突然名乗った彼女への返答に困り、栄人は沈黙してしまう。すると、聖は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、



「あんたは?」


「……確かにあんたって呼ばれるのはあまり気分良くないな」


「でしょ? それで、名前は?」



ニッと笑った聖が頬杖をついて改めて名前を訊いてくる。さっきまでとはまるで違う聖の柔らかな美しさに栄人は目を奪われた。



「経済学部一年、寿 栄人。栄える人で栄人だよ」



すっかり聖に見惚れてしまった栄人は無意識に名乗っていた。



「ふーん、年下だったのかぁ。栄人くん……うん、覚えた。じゃあね、生意気な栄人くん」


「さ、さよなら。聖さん」



顔が熱くなるのを感じた栄人は聖にバレないよう、そそくさとその場から立ち去った。


栄人は家に帰った後も彼女の事ばかり考えていた。綺麗な髪、笑った時に見せた八重歯、透き通った声。考えれば考えるほど聖という一人の女性に惹かれていった。




次の日、栄人はまたあのカフェに来た。目的は勿論サンドイッチだ。決して聖にもう一度会えるかもしれないという淡い期待は抱いていない……多分。


窓際の席を見ると、やはり聖がいた。昨日と同じようにヘッドホンしながらパソコンの画面の中で歌って踊るスイガレに釘付けだ。

栄人はまた隣に座ろうかと考えたが、大して仲良くない女子の隣にいきなり座るのは良くないと思い、少し離れた二人用のテーブル席にした。



「すみません。サンドイッチとアイスコーヒーお願いします」



お冷を持ってきたウエイトレスに注文を伝える。

ふと窓際に座る聖のことを見ると、彼女は誰かを探すように窓の外をキョロキョロと眺めていた。



(友達でも待ってるのかな? ……いや、もしかしたら彼氏か!? 綺麗な人だし彼氏くらいいてもおかしくないか)


(てか、ストーカーみたいで気持ち悪いな俺……)



ふと冷静になった栄人は水飲んで気持ちを落ち着かせる。


栄人はなるべく聖のことが気にならないようにサンドイッチが来るまでスマホで鮫ちゃんのブログを見ることに。 鮫ちゃんの仕事の出来事や日常の何気ない出来事が添付された写真とともに綴られた文章に癒されていると、



「ちょっと、栄人くん」



聞き覚えのある声で話し掛けられる。

顔を上げるとやはり声の主は聖だった。 しかし、栄人にはなぜ話し掛けられたのか分からなかった。

今日は例の特等席は取ったわけではない。



(もしかしてストーカーだと思われたか……?)



急に不安になる栄人を余所に聖は不満そうな顔で、



「何で来てるのに声かけないのよ。もう来ないのかと思ったじゃない」



と頬を膨らませながら話す。



「もしかして、さっきキョロキョロしてたのって俺のこと探してたんですか?」


「み、見てたの!? 恥ずかしい……」



冗談で訊いたのだがどうやら図星だったらしく聖は赤面した。



「だって初めて同じ趣味の同年代の子に会って嬉しかったし、毎日来る的なこと言ってたから……」


「えっと、俺に何か用でもあったんですか?」



この人もしかしたら脈有りなのではと思った栄人はこんな質問をする。



(ここで「君に会いたかったから」みたいなことを言われれば……!)



しかし、そんな栄人の願望虚しく、



「ううん、別に。またスイガレの話が出来たらなって思っただけ」


「で、ですよね!」



聖に全く悪気のない顔で言われたせいか、疚しいことを考えていた栄人は恥ずかしくなる。



「それより、何でさっきから敬語なのよ?」


「何でって、聖さんの方が年上だから……」


「今更別に良いわよ。何だか気持ち悪いし」


「そう? じゃあ遠慮なくタメ口で」



聖はうんうんと頷きながら、栄人の向かいの席に座る。

その後は時間ギリギリまでスイガレのことを話した。驚いたことに好きな曲、好きな振り付けなど一致した。



別れ際、すっかり意気投合した二人は明日もこのカフェで会う約束をした。



この日から、サンドイッチ目的だった二人のカフェ通いはいつしか大好きなアイドルの話をするためになっていった。



次の日も、その次の日も会う約束をし、休日以外は毎日会うようになった二人は、互いに早く会いたいと思っているとは知らずに今日もカフェの窓際の席に集まる。



「こんにちは、栄人くん」


「聖さん、お待たせ」

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