第19話

第十九回

「何で、こんなところを歩いているんだ。」

「今日は日曜日じゃないの。学校は休みよ。」

「じゃあ、ちょうどうまい具合だな。ひとみもついてくるか。福原豪の家に行くことになったんだ。市役所の人も一緒だよ。市長の許可も得ている。」

吉澤兄弟は市役所の福祉課の門を叩いた。福祉課にK病院の、それも福原豪を名指しで告発文書が何通も届いているという。市の係員が福原豪の家へ行き調査をするそうだ。市の職員の運転する軽自動車の後部座席に二人は乗り込んだ。

「どんな告発文書が市役所に届いているというの。」

「病気でもないのに、強制的に入院させられた、その目的も自分の財産を自由にしようという親戚の差し金だ、福原豪が手数料を取ってそんなことをやっているという内容なんだ。」

「病院の方に何故行かないの。」

「病院の方には詳しい資料が置いていないとK病院の事務局の方から言って来た。患者の細かいプロフィールはみんな福原の自宅にあるそうだ。」

「変な病院ね。」

福原豪の屋敷は市のはずれの二つの小山に挟まれた道を登って行くとあった。この二つの小山も福原豪の所有である。軽乗用車が笹に挟まれた小道をとろとろと登って行くと昔の大きな武家屋敷のような門構えが視界の中に入ってきた。太い枯れた杉の木で作られたまるで古い寺院のような門構えだった。裏口の方に回ると自動車で母屋に横付けできる駐車場があるのかも知れなかったが、市の職員も吉澤たちもその場所を知らなかったので正門の前で車をとめて歩きで屋敷の中に入ることにした。屋敷の庭の中で三、四才の子供が水鉄砲で遊んでいる。福原豪の孫かも知れない。門のところから母屋の玄関まではかなりの距離がある。市職員はずんずん歩いて行くので村上弘明とひとみの二人もそのあとをついて行く。母屋に着くと意外や意外中からは福原豪本人が出てきた。

「市からやって来ました。」

福原豪は予想した通りというか、地方の名士と言えばもっと鷹揚な貴族的な人物を想像するのが普通なのだが、福原豪の場合は全く違っていた。ぎたぎたと欲望に充満している脂ぎった感じがあった。

「うちの病院のことで何か用があるそうだが、重要な書類は病院ではなく、この屋敷の方に運びこんでいるからな。前に病院に泥棒が入って事務所をひっかきまわされたことがあったんだ。それで用心のためにそうしているわけよ。」

福原豪はぎょろりとした目で村上弘明の方を見て睨んだ。電話で用件はすでに伝えてあったのか旅館のような玄関にはバインダーに挟まれている書類が五、六冊置かれ、持っていって良い状態だった。

「電話で話したとおり、これが今までの入院患者の全記録だ。」

村上弘明はここに来る間中ずっと松田政男のことや、どういう目的かはわからないが不当に正常な人間を病人に仕立て上げてK精神病院に入院させると言った小沼の言葉が耳から離れなかったから思わずそのことが口に出た。

「福原さん、松田政男さんという人をご存知ですよね。病院で不慮の死を遂げた人物です。松田さんはどういう経緯でK病院に入院することになったのですか。」

松田政男の名を聞いたとき福原豪の顔は一瞬こわばった。

「松田政男、わしは細かい経緯は知らない、医者じゃないからな。そこにある記録に細かい経緯はみんな書いてあるだろう。わしは忙しいんだ。これで失敬する。」

そう言って福原豪は屋敷の奥の方にすたすたと歩いて行った。村上弘明ははぐらされた気持ちを抱きながら福原豪の後ろ姿を見送った。

「兄貴、あいつ、きっと何か隠しているわよ。」

「うん。」

村上弘明は吉澤ひとみの方を見て目で合図を送った。市の職員はけげんな顔をしていた。その間中福原豪の秘書らしい人物が二人市役所の調査員の応対をしていた。

「とにかく、この資料を市役所に運びましょう。」

後部座席に乗った村上弘明たちは早速、今押収したばかりの資料に目を通すことにした。前々からK病院や福原豪に関する悪い噂が充満していてその調査を遂行するために協力するという重要な国会議員の力添えがなければこんなことはできなかっただろう。そのための許可証もとってある。村上弘明と吉澤ひとみは数冊あるバインダーの半分づつを見ることにした。もちろん松田政男の入院記録を見るためである。しかしそこには松田政男の入院記録はなかった。二人で二度繰り返して見ても見つからなかった。再び福原豪に電話をかけてもそれが入院記録者の全ての記録だ、自分は全くその資料に手をつけていない。詳しいことは事務局長に聞けの一点張りだった。市役所に戻って来るとK病院から来た不当に入院させられているという訴えを調べに行っていた職員が市役所に戻って来ていた。

「入院患者の訴えを聞いて来ました。これがその写真です。」

村上弘明がその写真を覗き込むとK病院で吉澤たちを案内した火星人が写っていた。名前は大沼と書かれている。その日、村上弘明はひとみを食事に誘った。二人は日芸テレビのそばにある弘明の行きつけのステーキ屋に入った。城の石垣のような壁の一カ所が入り口になっていた。石の壁の殺風景さを中和させるために壁のところどころにはピンク色や黄色の花の鉢植えがつり下げられている。入り口の戸はスイスの山小屋を思わせた。店の中に入ると中にはランプがいくつもつり下げられていてスイスの山小屋のようだった。店の中にはちらほらとしか客はいない。ランプの明かりが妖しくそれらの客たちを照らしている。村上弘明と吉澤ひとみは奥の方に席をとった。

「兄貴とこんなところで食事をするなんて久し振りじゃない。」

「たまにはS高のマドンナである君にも敬意を表して食事に誘うよ。」

「何よ、岬美加さんに会えないからその埋め合わせで私を食事に誘ったんでしょう。」

「妹だからって、頭に来ることを言うな。今晩は浮き世の憂さは忘れて食事をしようね。ひとみちゃん。」

「ふん、兄貴って意外に弱気なんだ。まあ、個人的な話は横に置いておいて、福原豪って思ったとおりの奴だったわね。やっぱり松田政男の資料は渡さなかったし。病院の事務局がどうにかしたんだろう。自分は全く拘わっていないというようなことを言っていたけど、どう見てもあいつは嘘をついているわよ。」

吉澤ひとみは目の前に置いてある水を一口飲んだ。もうすでに料理は注文していた。さらにひとみは言葉を続けた。

「松田政男は病人でもないのに無理矢理入院させられたのよ。それを隠すために松田政男の入院履歴の資料は福原豪が消却してしまったんだわ。きっと彼を無理矢理精神病院に入れて禁治産者にすることはいろいろと利益があるのよ」

「福原豪は大金持ちなんだよ。そんなことをして福原豪に何のうまみがあるというんだい、たとえ、松田政男のことを少し調べた知識から彼が医薬品の特許をとってある医薬品会社に売りつけて大金を手にしているという情報は確からしいことだけどその大金と言っても僕やひとみにとっては大金かも知れないけど福原豪にしてみればはした金にすぎないんじゃないかな。」

「でも、こういうことは、福原豪はこの地方での闇の悪の元締めのようなことをやっているの。それで法を違反して自分たちの目的を果たすために福原豪の力を借りるのよ。その一例として禁治産者にして財産などを自由にしたいと思う相手を病院に強制的に入院させるように頼みに来る悪人がいるとするじゃない、その人間の要求を果たす代わりに福原豪はその人間に恩を売って自分のために利用するのよ。」

「ぐふふふふ。」

村上弘明は思わず笑い出してしまった。

「福原豪はこれから地方の名士から中央政界にうって出ようかという人物だよ。そんなあぶないことをやるはずがないよ」

「この日本だけで二億人の人間がいるのよ。どんな人がいるか、わからないじゃないの。とにかく松田政男は何らかの悪人の奸計によって不当にK精神病院に無理矢理、入院させられたのよ。その辺の事情は弟の松田努のことを調べればわかるんじゃないの」

「それが松田努の方は会ってくれないんだよ。二度ほど電話をかけたんだけどがちゃりと切られてしまって。何しろ警察や裁判所じゃないんだから、何の強制権もないわけだからね。それに松田努に無理強いをして彼が兄のように本当に精神に異常をきたしたら大変だからね。」

二人のテーブルにステーキが運ばれて来た。

「食べよう、食べよう。」

吉澤ひとみが目の前に置かれた湯気をたてじゅうじゅうといっているステーキを見てはしゃいだ。

「おっ、あれは。鈴木薫平じゃないか。」

村上弘明は小声でつぶやいた。

「何でこんなところにいるんだ。」

「兄貴、何見ているのよ。」

鈴木薫平、異色の映画監督として知られている人物だ。東京電気通信養成学校、今はなくなっているがそこを出てしばらく私鉄につとめたあとフランスに渡り、ネオリアリズモの先駆者のルノアールに師事して日本のヌーベルバーグの旗手とよばれた人物だ。娘が労音で働いている。テレビ局にいたとき、今日のトークショーの台本をちらりと見たとき彼の名前が載っていたのを思い出した。それでテレビ局のそばにあるこのステーキ屋に飯を食いに来ているのかと納得した。

「労音って。」

「全国勤労者音楽協議会連絡会議の略。」

村上弘明がひとみに業界の毒にも薬にもならない用語を披瀝したときウェーターが二人のテーブルの方にやって来た。

「村上弘明さんでございますか。」

ウェーターは紙切れのようなものを持っていた。村上弘明はその紙切れを受け取った。ひとみもその紙切れをのぞきこんだ。

{つまらない事に首を突っ込むのはやめろ。この店の天井に釣ってある照明を見ろ、銅製のランプシェードの照明なはずだ。入り口の一番そばにあるそれを見ていろ。}

二人は入り口のそばにある銅製のランプシェードを見た。すると突然、ランプシェードの電気コードが切れて音を立てて床の上に落ちた。そこにいた人間はみな突然のことに立ちつくしてしまった。二人も声をあげる元気もなかった。普通より大きな電球が使われていたが地面に落ちて粉々にくだけた。コードの付け根あたりからコードが切れていてそこに何か電気の機械のようなものがついているのが見えた。村上弘明はこの店に入ってからのことを考えてみた。確かに食事中、電気工事の格好をした作業員が入り口のところで脚立をたてて照明の電気工事をしていた。あの作業員が誰かの回し者というわけか。それが誰かと言えば現在調べている福原豪しかいないだろう。と言うことは福原豪にとって致命的なことを調べているということだろうか。そう思うとこんな妨害は何の問題ではなくかえって松田政男の死に関しては不明朗な部分が多いのだ。これは調査を中断するべきではないと村上弘明は思った。

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