第17話
第十七回
滝口神社は栗の木団地の裏の田圃道から西北へ二百メートルくらい丘の方へ上がったところにあった。そこはここら辺では少し小高い丘になっていて堀田義一という武将の城があった場所だった。城といってもまわりに城壁を組んだだけの山城だったが、そのあまり有名でない武将が滅んだあとは神社となって神社の中にちょっと趣のある水の流れる火山岩で作られた庭があってそれがこの神社の名前の由来になっていた。この神社は小高い丘の上に建てられていたから神社の本殿に上がっていくには十数段の階段になっている参道を上がっていかなければならなかった。栗の木団地の吉澤ひとみのアパートの窓からも大音量で流されている盆踊りの音楽が聞こえてきた。この参道がにぎわうのは正月の三が日で初詣の近所の住人が行き交うときぐらいしかなく、いつもは閑散としていたが、今日は参道を上がりきった本殿の前の大きな広場が盆踊りの会場になっていたのでそこへ行く近所の住民によってにぎわっていた。この神社の名前の由来になっている富士山の火山岩みたいな岩で作った水の流れている趣のある庭はこの広場の北側にあった。この広場は小学校の校庭ぐらいの大きさがあり、まわりを広葉樹で囲まれていた。中央に盆踊りの歌手のための櫓が組まれていてそこを中心にして提灯が数え切れないほど、まわりの木にはりめぐらされている電線にぶら下がっている。石灯籠の中には電球が入れられ、明かりが点っている。広場の周りには屋台が立ち並び、とうもろこしが焼かれたり、綿菓子が屋台のテントの上にぶら下がっている。炭坑節が神社の中につけられた拡声器から流れている。近所の住民がほとんど来ているのではないかと思えるほど盆踊り会場は混んでいた。みんなが皆、夏向きの服装をしている。浴衣の女性も多かった。もちろんそこにはカップルも多かった。村上弘明があじさいをあしらった浴衣を身にまとったひとみをつれて滝口神社にやつてくると神社の境内の中には多くの人がいた。彼らがその境内に足を踏み入れたときはこの町の商店街の会長が銀縁の眼鏡を光らせて何か挨拶をしていた。
「ここや、ここや。」
本殿の賽銭箱のそばに顔なじみの二人が立っていた。ひとみは兄の弘明の手を引くようにしてその二人のところまで駆け寄った。松村邦洋と滝沢秀明の二人も浴衣を着ていた。村上弘明も浴衣を着ていたから四人が四人とも浴衣を着ているということになる。
「桜道代のテレフォンカード、持って来たよ。」
「うわぁー、サンキュウ、わて、めちゃくちゃにあれがほしかったんだ。桜道代のファンやからな。」
「二枚づつでいいの。まだ、たくさん、持っているんだけど。」
「あっ、はじめまして。わては松村邦洋といいます。こっちが滝沢秀明くん、二人ともひとみさんのクラスメートにして同じ新聞部の部員です。」
「はじめまして、ひとみの兄の村上弘明です。」
多少ぎこちない挨拶が続いた。
「確か、お兄さんは日芸テレビの芸能関係のキャスターをやらはっていませんでしたか。お笑いタレントの轟きゴーゴーと一緒に番組をやっていましたよね。」
松村邦洋がそういうのを村上弘明はにがにがしい思いで聞いていた。自分が東京のテレビ局であの番組に参加していることを知っているということは当然あのスキャンダルで自分が東京に飛ばされたということも知っているのだろうか。弘明に会う人間の多くは裏で何を言っているのかはわからないが少なくとも会っているときにそのスキャンダルのことを持ち出す人間はいない。自分としては公明正大に身の潔白を他人に主張したい気持ちのあるものの何となく面倒な気持ちもあるのだ。この目の前にいる高校生がそのことを聞いてくるだろうかといぶかった。それよりも何よりも彼らが世間からマドンナともてはやされている自分の妹が自分の知らない学園生活でこの純朴そうな二人の高校生とどんな会話をしているのか、まるっきりわからないということが不思議な気持ちがした。しかし彼らが弘明が大阪の放送局に飛ばされたということを知っているなら当然、スキャンダルのことも知っているに違いないからそのことを聞いてくるかも知れないと思い、どう説明しようかと頭の中でその事情を組み立てていると敵は全く違う方面にやつてきた。
「少し、ひとみをびっくりさせることがあるんやで、きっとお兄さんもびっくりしますよ。」
松村邦洋は太った体を二人の方にむけてにやりとした。そこへどこかのビール会社の人間がうちわをたくさん持ってやつてきた。少し離れたところで新しく発売されるビールの試供品を大きな氷水の中に入っているのを取り出して配っていた。実際に売るものと同じ大きさの四百ミリリットルぐらいの大きさの缶ビールだ。ここに人がたくさん来ることで宣伝効果も上がると思って配っているのだろうか。その仲間みたいのが近寄って来てうちわを配っていた。四人もそのうちわを受け取った。弘明はへこおびの背にそのうちわをさした。境内のあちこちについている拡声器から放送が流れた。
「これから盆踊りをはじめます。けっしてむずかしくはありませんのでみなさん、どうぞ、お気軽に踊りに加わってください。」
同じ内容を二度繰り返した。
「ねぇ、行きましょうよ。」
ひとみは三人を誘った。一番太っていて踊りなどには縁がないような松村邦洋が一番乗り気だった。
「さぁ、行こうぜ。」
滝沢秀明と村上弘明はいやいや従った。吉澤ひとみは立っているだけで絵になるから踊っている姿も様になった。
ひとみはうちわを持っていたので彼女の手の動きにしたがってうちわも優雅な曲線を描いた。まだうだるような暑さの夏の宵に倦怠を感じさせるような盆踊りの音楽の中をまだうら若い女性が盆踊りを踊っている姿は周りの人間にはどう映ったのだろうか。それが自分の妹だったから弘明にとってはその疑問はなおさらだった。踊りの輪の中に途中から飛び入りの人間が入ってくるので弘明から離れたところでひとみや松村邦洋、滝沢秀明の三人は踊ることになった。最初の盆踊りの曲が終わってから盆踊りの輪の中心に置かれた櫓の上で太鼓の乱れうちみたいなものが始まっていた。吉澤ひとみは松村邦洋と滝沢秀明の二人をつれて出店を見に行った。村上弘明は手持ちぶさたなので水の流れている庭園の方をぶらぶらした。
「吉澤さんじゃありませんか。」
急に声をかけられてびっくりした。見るとアロハシャツを着た不思議の国のアリスに出てくるハンプティダンブティみたいな男が立っている。
「やっぱり、吉澤さんでしたよね。」
男は哀愁のこもった苦笑いをしながら弘明の方を見て言った。弘明は一瞬この男がどこの誰かよくわからなかったが数秒でこの男に関する情報を引き出すことができた。
「オリエント シティの笹沼さんじゃ、ありませんか。」
「東京にいたときはお世話になりました。」
「オリエント シティにはまだいらっしゃるんですか。」
笹間と呼ばれた男は少しとまどった。
「オリエント シティには堀川みさおくんが出ましたよね。今は大部売れているみたいじゃ、ないですか。」
ここで笹間の顔はまた少し曇った。
「実はオリエント シティはやめたんです。」
「また何でですか。」
「私の方針とオリエントが合わない部分があったからです。」
「合わない部分があったというと。」
オリエント シティは俳優専門のプロダクションだ。そこの方針に合わないとは一体どういうことだろうか。そもそも何故ここに笹間がいるのだろうか。その理由を笹間は語りたくないようだった。そう言った思いは表情にも見てとれた。
「吉澤さんもこの前は大変でしたね。」
「まぁ、いろいろとありましてね。」
笹間は芸能界の中の人間だから当然吉澤のスキャンダルは知っていた。話題を変えたというのは話したくないことがあるのかも知れない。しかしなぜ笹間はこんなところにいるのだろうか、それが疑問だった。やはり芸能関係の仕事をしているのだろうか。笹間は隠れるようにして立ち去った。何となく落ちぶれているように見える。それは吉澤自身も同じことなのだが。これでも東京にいたときは夜の六本木の街を遊びまわり、芸能界の中でぶいぶいと言わせた存在だったのだ。これがもし東京にいて赤坂の街を歩いていれば有力な芸能プロダクションの知り合いが必ず声をかけてきて酒を飲みにさそわれたりするのが当たり前なのだ。それが今はすっかりと落ちぶれてしまってこんな田舎の盆踊り大会で妹をつれて盆踊りにやって来るという有様なのだ。そう思って盆踊りの輪を見ると何かしらわびしい気がする。すると向こうから二人の恋人をつれた吉澤ひとみがやって来た。
「兄貴、こんなところにいたの。」
「ちょっと知り合いにあってね。」
「知り合いって、私の知っている人。」
「いいや、知らない人だよ。」
今まで気が付かなかったのだが踊りの輪の外側の方にステージが作られてあった。
「あれ、もう七時半やないか。急がないと。」
松村邦洋が腕時計を見ながら言った。滝沢秀明も自分の腕時計を見た。
「何よ。何か急いでいることがあるの。」
吉澤ひとみが尋ねた。
「お兄さんをびっくりさせることがあると言ってありますよね。僕と松村の二人でカラオケ大会の申し込みをしておいたんです。
「カラオケ。」
ひとみがびっくりした顔をして尋ねた。盆踊り大会の余興としてカラオケ大会も開かれていたのだ。事前に参加を申し込めばその催しに参加することもできる。
「もちろん、ひとみさんも参加できるように申し込んでおいたよ。三人で参加するんです。
お兄さんも見ていてください。」
「何よ、私も加わるの。」
そう言ったひとみはまんざらでもないようだった。
「じゃあ、僕は舞台の袖にでも行って拍手でもするかな。」
弘明はそう言ったが何か複雑な気持ちになった。ひとみの学園生活を知らない自分だったが確実に自分の知らない世界を自分の妹は持っているのだ。四人がステージに行くと受付の人間が手続きをした。そこでひとみたち三人は舞台の裏に、村上弘明は客席の方に陣どった。やがてカラオケ大会が始まって老若男女がステージに立って歌いはじめた。芸能畑出身の村上弘明だったが全ての曲を知っているわけではなかった。六組目に弘明の知り合いが出てきた。ひとみ、松村邦洋、滝沢秀明たちである。グループでカラオケに参加する観客も多少いたが男なら男だけ、女なら女だけというかたちが多かったから男二人に女一人という組み合わせは珍しかった。
「これから、***の***を歌います。」
松村邦洋が曲の題名を言った。三十年くらい前のアングラソングという分野が流行っていたときのその流れを汲む歌手の歌だ。もちろんその歌手が三十年も前のことなど知るはずがないが村上弘明は自分で勝手にそう解釈していた。三人はマイクが一つしかないので身を寄せ合った。この三人が特別親しい関係で結ばれているということは観客の誰にも感じられた。村上弘明は嫉妬を覚えた。何か自分だけ取り残されている気がした。やがて歌が始まると、松村邦洋は話しているときの感じから美声であることは感じられたが歌い始めるとそれが事実であることが実証された。三人の歌はうまいというのではなかつたが三人の好ましい関係がその歌声にあふれていた。
歌のうまさではなくその至福の関係に観客は喜びを感じた。村上弘明だけが例外だった。自分一人だけが砂漠に取り残されているような寂寥感があった。三人の歌が終わってステージから降りるとまた次の出演者が現れた。歌を歌い終わった三人は村上弘明のいる客席の方に戻ってきた。参加賞の冷えたジュースを何本も抱えていた。優勝や順位はなく参加賞だけが全員に与えられるのだった。
「良かったよ。」
そう言った弘明だったが何となくものたりないものがあった。それは自分だけが取り残されてしまつたような寂寥感だった。
「お兄さん、良かったですか。これ、参加賞のジュースです。」
「何て歌を歌ったの。あまり知らない歌だつたのでわからないよ。」
「あれ、今、流行っているんですよ。****の***という曲、」
「ふーん。」
村上弘明は鼻で返事をした。
「何だ、兄貴、知らないの。芸能ニュースを担当しているんでしょう。」
「今は担当していないよ。とにかくジュースでも飲むか。」
村上弘明がまだ観客が歌っているステージを見るとステージのそでの方で見慣れた顔があった。さっき庭園の方で見かけた笹間だ。何だ、笹間はこのカラオケ大会に仕事で来ていたのか。村上弘明は納得した。しかしカラオケ大会などでこんなところに来るか。オリエント シティという日本でも有数の俳優を擁している芸能プロダクションのマネージャーだった男だ。カラオケと俳優、あまり結びつかない感じがする。そう思ってステージの背に張られているプログラムを見るとプログラムの最後の方には光川さゆりという名前が載っている。新進の演歌歌手だ。それで村上弘明には全てが納得がいった。笹間は光川のマネージャーとしてやって来ているのだ。笹間と話したことがあるが笹間自身、俳優しか認めないし、オリエント シティも俳優専門のプロダクションとしてやっていくべきだとか話していたことがある。村上弘明が大阪に来る少し前にオリエント シティは歌手部門を作るとかいう話を聞いたことがある。それが原因で笹間はそこをやめたのかも知れない。それで演歌歌手の光川さゆりのマネージャをやっているのだろう。光川さゆりにも面識がある。面識があるというどころの話ではないのだ。いわゆる村上弘明が東京にいてぶいぶいいわせていたときは三、四回、番組の制作費を使って彼女を飲みにつれて行ったこともあったのだ。村上弘明は光川さゆりの姿を探した。しかしステージの奥の方にいるのか出て来なかった。一般人のカラオケが終わると司会者がステージの前に出てきた。
「ここで、お待たせしました。これがお目当てで来ていらっしゃるお客さまも多いと思います。海から生まれた人魚姫、演歌の新星、光川さゆりさんです。さゆりちゃんどうぞ。」
司会者がそう言うとステージの奥から光川さゆりが出てきた。光川さゆりは客席を見渡した。光川さゆりの視線が客席の中をひととおりなめ回すと、吉井弘明と目があった。光川ゆかりは一瞬、びっくりしたような顔をした。
「さゆりちゃん、客席を見てびっくりしたような顔をしていたけどどうかしたの。」
「いえ、別に。」
そう言っても光川さゆりが客席の中にいる吉井弘明を認めたのは明らかだった。
「あの人、知っている。兄貴、東京にいたとき、ときどきうちに遊びに来たじゃないの。」
「何だ、そんな知り合いがいるんだ。すごいことやないか。」
「だって兄貴は東京にいたときは芸能分野のテレビを担当していたんだから。」
ステージの上ではカラオケ教室を開こうという話になって、要するに光川さゆりとデュエットしようということだった。
「そこの浴衣姿の男の人、ステージの上に上がって来てもらえますか。そう、そこの人。そこの高校生のグループと一緒になっている人。」
ステージの上から光川さゆりが村上弘明を指名した。弘明は頭をかきかきステージに上がった。光川さゆりは思わせぶりな目をしてステージに上がった村上弘明を見つめた。
「じゃあ、光川さんに歌の指導をしてもらいましょうか。曲はデビュー曲の***でいいですね。」
司会者は光川さゆりの方にマイクを渡した。
「今日は盆踊りにいらっしゃって盆踊りの方は楽しく踊れましたか。綺麗な女子高生のいる三人組がさっき歌を歌いましたがあの人たちとはどういう関係になっているんですか。ええ、あの女子高生のお兄さん。」
光川さゆりは分かり切ったことを聞いた。弘明はすっかりと上がってしまっていたがさっきまでの取り残されたような寂寥感が自分の中からすっかりと消え去っていることに驚いてしまった。
「****知っていますよね。」
それは光川さゆりのデビュー曲だった。クラブでさゆりと何度もデュェットしたこともあった。村上弘明は素人らしくステージに立ったものの常としてすっかりと上がってしまい夢心地だったがほとんど光川さゆりのリードで歌を歌い終わった。光川さゆりはあくまでも村上弘明のことをステージ上では知らないふりをして一曲を歌い終わった。客席からはぱらぱらと拍手が起こった。司会者が前の方に出て何かをしゃべっている間にステージの後ろの方で光川さゆりは何かをメモして村上弘明に他の人間に分からないように渡した。
「兄貴、良かったよ。まるで本当の歌手みたいだったよ。あの人、光川さゆりさんって東京に居たときよくうちに遊びに来たことがあったじゃない。」
客席に戻って来るとひとみがラムネを飲みながら兄の弘明に向かって言った。
「こんなものを貰ったよ。」
弘明はステージ上で誰にも分からないように光川さゆりから手渡されたメモ用紙をポケットの中から取りだした。光川さゆりという名前が出てきたので客席の中にいた何人もの人間がひとみたちの方を振り向いたようだった。その当人の光川さゆりはまだステージ上で自分の持ち歌を歌っている。プログラムによると五曲くらい歌って三十分ぐらいかかるようだ。
「どこで貰ったんですか。」
「ステージ上だよ。」
「だから言ったでしょう。光川さゆりさんって何度もうちに遊びに来たことがあるんだから。」
「ステージの後ろの方で貰ったんですか。全然、気が付かなかったな。」
「とにかく、何て書いてあるのか、見てみようやないか。」
村上弘明はポケットから出した四つ折りの紙切れを広げてみた。光川さゆりという名前が出てきたのでそれを小耳に挟んだ客席にいるまわりの人間もあからさまではないがこちらの方を覗き込んでいる。東京だったら考えられない話だ。
「えーと、何だって。本殿の横の庭で待っていてください。私は歌を歌い終わったらそちらの方に行きますから。」
本殿の横のこの神社の名前の由来になっている庭園に四人は行って、光川さゆりを待った。松村邦洋は髪をなでつけている。滝沢秀明はポケットに手を突っ込んで地べたに落ちている。石ころを蹴ったりしていた。村上弘明も何とはなしに落ち着かなかった。うれしい反面、スキャンダルを起こして大阪に飛ばされたことが恥ずかしくもあった。ただ落ち着いているのはひとみだけだった。容貌に関して言えば吉澤ひとみの方がそこら辺にいる女優やタレントよりもずっと美しかった。それでも光川さゆりに会えるということがそんなにうれしいのだろうか。四人が手持ちぶさたで光川さゆりが来るのを待っていると本殿の背後の方から体の毛が雨ざらしにあって逆立ち、傷んでいる野良犬がふらふらとやって来る。
その姿があまりにも異様だったので四人は闇夜の中からやって来るその野良犬の方に目が釘付けになった。その犬は通りすぎるのではない。四人の方にやって来るのだ。村上弘明は一瞬その犬が狂犬病の病気を有しているのではないかと思った。
それほどその犬の目は狂ったように濁っていたからだ。その犬は四人の方を通りすぎず、まっすぐ彼らの方に向かって来る。口には何かをくわえている。やがて村上弘明の方まで近寄って来ると顎を突き出して口にくわえているものを村上弘明の方に突きだした。弘明はそれを受け取った。犬はそのまますたすたと夜の闇の中に消えて行った。四人のうちの誰しもその犬を制止する気にはならなかった。犬をつかまえて調べてみても何もわかることはなかっただろうが。犬がくわえているものは紙片だった。それは犬の唾液でよごれないように袋に入っていた。弘明はその袋を破って紙片を取りだした。
「K病院のことを調べているようだが、それは君の死を意味する。ただちに調査を中止するように君に忠告する。」
どこにでもあるコピー用紙に無味乾燥な印字がなされていた。誰がこの手紙を犬にくわえさせて弘明の手に渡したのだろうか。K病院の関係者だろうか。そうするとあの病院の経営者の福原豪ということになる。調べられ公にされると困ることがあるということなのだろうか。村上弘明の持っているその紙片をひとみたちは覗き込んでいた。客席で彼らが光川さゆりを待っていることを知っているのはあの手紙を覗き込んでいた多くの観客がいたからその可能性のある人間は多い。
「吉澤さん、お久し振り。」
向こうの方から何も知らない光川さゆりが舞台衣装を着替えた普段着の姿で駆けてきた。
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