第16話

第十六回

村上弘明はザ・六甲という喫茶店を出ると喫茶店の中は薄暗かったのだが外はすっかり夏の日差しだった。そのきらきらする太陽の光に目がなれないせいかくらくらとした。木陰に入ってこれから行く松田努のところに電話をかけようかと思った。駅に着いてから電話をかけてもよかったのだが電車に乗ってから向こうの何らかの都合で松田努との面会ができなかった場合、全くの無駄骨となってしまうため、前もって電話をいれておくことにした。そう思って携帯電話を取り出すと電池の残量はほとんどなかった。さっきのひとみとの電話が思ったより長くなってしまったのかも知れない。木陰に入ってあたりを見回すと道を隔てた向こうの方に雑貨屋がある。そしてそこに公衆電話がおいてある。すぐ道路の向こう側に渡った。電話機のダイヤルに電話番号を打ち込んだ。**市立病院の受付が出て特別な用事がない場合の患者への連絡は困ると言われたが松田努を何とか呼びだして貰えることになった。しばらくしてから電話に松田努が出てきた。

「もしもし、松田努ですが、あなたは誰ですか。どんな用でしょうか。」

「松田努さんですか。私は日芸テレビの報道番組の制作にかかわっているもので村上弘明と言います。今度、うちの番組でK病院のことをとりあげようということになり、あの病院の問題を取り上げることになったんです。それでK病院のことを調べていくうちにあの病院で起きた事件のことを知りましてあなたのお兄さんの松田政男さんがあの病院で不慮の事故でお亡くなりになったことを知ったのです。そのことについて詳しくあなたにお話をおうかがいしたいと思いまして、これからおうかがいしてよろしいでしょうか。」

電話口の向こうはただ無言なままだった。話を聞いているのかどうなのかわからなかった。

「もしもし、もしもし。」

電話はがちゃんと音をたてて突然に切られた。

「おいおい、なんだよ。何か気に障ることでも言ったかな。」

弘明は気を取り直して再び病院に電話をした。最初に出た病院の受付の中年らしい女性の声が聞こえた。

「松田さんに電話をしても無駄ですよ。お兄さんがお亡くなりになってから大変疑り深くなられてめったに知らない人からの電話には出なくなったんです。まして会うなんてことになったらもっと大変ですわ。お宅、テレビ局の方、でしたらなおさらですわ。テレビの取材なんて言ったらなおさら会わないでしょう。」

何が松田努をそんなに警戒ぶかい性格にしたのだろうか。松田政男の事件があってからいろいろといやなことが重なったのだろうか。

それもまたK病院のことを調査して事実をあきらかにする方法の一つになりうる。ただし村上弘明はとりあえず松田努に会うことは控えることにした。それから彼はもう一つ、かかえている番組の資料集めに一日中回ってテレビ局に戻ってきたのは夜の八時を越えていた。それから彼は栗の木団地の自宅に戻った。自宅のアパートのドアをあけても誰の返事もなかった。テーブルの上に上がっているおかきをぼりぼりとかじっているとバスタオルで髪の毛をふきながら吉澤ひとみがバスルームの方からやって来た。いつも思うのだがこんな姿をS高の他の男子生徒が見たらどう思うのだろうか。学園のマドンナと呼ばれている女の子を自分の妹にしている自分自身の不思議な立場を弘明はやはり不思議な感じがするのだった。

「どお、何かおもしろい事がわかった。」

吉澤ひとみがバスタオルで髪をふきながら弘明に話しかけきた。弘明は今日の調査でわかったことをひとみに話した。

「じゃあ、松田努くんには会えなかったわけなの。」

「そういうこと。電話をかけたらすぐ電話を切られちゃって。病院の受付の人の話だとすごく疑り深くなっちゃってほとんど誰とも会わないって話らしいんだ。」

「じゃあ、お兄さんの松田政男さんのことは何もわからずじまいなのね。」

「うん、そうなんだ。しかし、おもしろいこともわかったよ。全日芸新聞の小北という人物に会ったんだけど、彼は松田政男の殺人事件の記事を書いた人物なんだ。彼から聞いた話だったんだけど松田政男は化学の方で大変な秀才で何とか生理化学という分野をやっていて自分自身、何かの特許を持っていてそれで一生困らないぐらいの収入があったらしいね。」

「兄貴、何とか生理化学じゃわからないよ。でもわたしもそんな内容のことを聞いたりしたわ。」

「しかたないだろう。小北という人かそう言っていたんだから。きっと新薬か何かなんだよ。」

「じゃあ、松田兄弟もかなりの資産家というわけなのね。」

「資産家というほどじゃないだろうけれど、一生食べていく事自体には困らなかったみたいだな。」

「じゃあ、何かの利益が絡んでいるのかしら。松田政男の開発した新薬が関係しているかも知れないわね。」

そう言いながらひとみは冷蔵庫を開け、中から透明な炭酸水の瓶をとりだした。

「兄貴も飲む。」

風呂から上がった吉澤ひとみの肌はピンク色に輝いていた。今更ながら自分の妹がS高校のマドンナと呼ばれていることに納得がいくのであり、ひとみはそれほど美しかった。と同時にこの女が自分の妹であることが不思議だった。弘明は肉親というものはなんなのだろうと思う。それは他人と言い換えても変わらないのだが、お互いに心が通じ合うことは絶対にない。それは物理的に空間的に離れた存在だからあたりまえだ。しかし、肉親ならいつもそばにいる。弘明は学園のマドンナを自分の妹に持っていることに今更ながら不思議な感じがするのだった。

「その特許でもうけたお金を狙っている人はいないのかしら。」

「さぁね、それは今調べているところだよ。」

ひとみもテーブルの上にのっているおかきを口にした。

「松田努くんのことだけど、今日、松村くんなんかから教えてもらったんだけど、自分のお兄さんのことをずいぶんと誇りに思っていたみたいね。化学の方で大変な秀才なんだって。やっぱり松田政男の方もS高校の出身で研究を始めてから三、四年で一般の人には知られていないけど何かの研究成果を得てフランスの方の化学の学会から賞をもらったんですって。そしてアメリカの方に渡ったらしいわ。それでうちの高校でもそれを記念して講演に呼んで体育館で生徒を集めて話しをしてもらったそうなんだって。」

「本当かよ。」

村上弘明は耳を疑った。もっと地味な研究をやってている化学者でたまたま商品価値の高い薬品を発見したぐらいの人間だと思っていたのだがそんな華やかな経歴もあったのか。

「五、六年前のことだから、今の生徒でそのことを知っている人間はいないんだけど。そんなことがあったんだって。それに何よりも都合のいいことは。」

ここでひとみは自分の兄を挑発するような目つきをした。弘明はまたもや本当にこの女が自分の妹なのだろうかと思った。まるで高級なペルシャ猫のような気がした。

「そのときの講演がビデオに録画されているらしいの。化学を選んだ動機とか、好きな食べ物とか、好きな映画とか、安眠法とかいろいろしゃべっていったみたい。」

「そのビデオテープはどうしたんだ。誰が持っているの。」

「校長室のどこかに置いてあるみたいだわ。そういううわさ。」

「それを見る方法はないだうか。」

「校長先生にたのむしかないんじゃないの。」

K病院の環境問題から始まった話が結局は松田政男の殺人事件に落ち着いていた。いつのまにか調査の主眼がそちらの方にずれいた。しかし弘明はひとみから聞いたこの情報に満足した。はなはだ社会派としては不見識であるがゴミ問題より精神病院で起こった未だに迷宮入りの殺人事件の方が興味を誘った。とにかくまだ松田政男を殺害した犯人は逮捕されていないのだ。松田政男の死には不可解な部分が多かった。松田政男自身もそうだがK病院もまた不可解な部分が多かった。

「兄貴、そもそもK病院のゴミ問題をとりあげるのが主眼じなかったの。兄貴のところに調査して番組で取り上げてほしいという人が来たからでしょう。変なゴミを捨てているって。」

いつの間にか用意したこぶ茶を吉澤ひとみはすすりながら兄に聞いた。

「お前、まだ若いんだろ。いい年をしてこぶ茶なんか飲むなよ。」

「うるさいなぁ、兄貴、これは健康にいいんだよ。」

自分の家で彼女がこぶ茶をすすっているなどということを彼女に憧れている男子生徒は知っているだろうか。

「まずは病院の調査が何よりだよ。その病院の体質と言おうか、それを調べなければ、今度の問題の急所はつかめないからな。その病院の体質を決めるのはなんだと思う。」

「医者かな。」

「それが浅はかな考えと言うんだよ。医者は何人いると思う。それらはみんな性格とかみんな違っているんだぞ。いちいち違う性格でその病院に一つの統一したキャラクターができると思うのか。」

「むかっくー、じゃあ、教えて、教えてください。でも、あんまり、ちゃんとした答えじなかったら、ピザおごってよ。近所にピザの宅配便ができたんだから。」

「ピザぐらい、いつでもおごってやるよ。」

「わぁ、兄貴っていつでも気前がいいんだ。」

「気前がいいだけ、よけいだよ。K病院、ここは私立病院だ。と言っても半分は市が経営を肩代わりしているんだけどな。ここには医者を含めて数十名の職員が働いている。それらの性格の統合体として設備もふくめてその病院の性格が決まる。どんな設備を導入するかというのもそこの職員が決めるわけだからな。」

職場だったら誰からも耳を傾けてもらえそうにもない弘明の愚にもつかないような屁理屈だったが兄の特権を利用して自分の理屈を展開した。

「それらのすべてのものを選択するものは何かと言えばそこの病院の経営者だろ。経営者が面接をして選ぶんだからな。経営者、つまりそこの理事長だ。」

「そこの理事長がどうしたの。何か、わかったの。」

「経営者は福原豪という人物なんだ。ここら辺の古くからの大地主で福原観光いうバス会社も経営している。観光バスと言ってもここら辺がまだ住宅地にならない前に命名されたからそういう名称なだけで単なる路線バスになっているけどね。その福原豪という人物もなかなかいろいろな噂のある人物で、中央政界への進出を狙っていろいろと画策していると言われているんだ。大金持ちなんだからそんなえげつないことをする必要もないのに次ぎ次ぎと法律ぎりぎりのまたは発覚しないだけで法律を逸脱している金もうけをやっている。地元では有力な建設会社も経営しているんだ。水谷や大石のように全国規模の建設会社じゃないけどここら辺の事業には大いに食い込んでいるんだ。前から噂されていたことらしいんだけどあのK病院を建てるにあたっては大部うまいことをやったという噂なんだ。このことは調べようとして見つけたんじゃないよ。たまたま、定食やで横に座っていた建設関係にいるらしい人間がそのことを噂にして飯を食っていたのを横で盗み聞きしたんだ。」

弘明は缶ビールを一口飲んだ。弘明が講釈をたれ始めたのでひとみが気をきかせて冷蔵庫から出してきたのだ。弘明は缶ビールを半分くらい一気に飲むとその定食屋で盗み聞きした話を続けた。

「福原は自分でも建設会社を持っているんだ。その建設会社の名前を聞きたいだろう。」

「聞きたい、聞きたい。」

ひとみは仕方なく相づちを打った。弘明の前で肘をついて手のひらにあごをのせている彼女ははなはだ不謹慎だったが、そんな態度も弘明は気にならないのか、それともよほど自分のつかんできたねたを話したくて仕方ないのだろう。

「恵比寿建設というんだよ。なんで恵比寿建設というのか、ひとみも知りたいだろう。」

「知りたい、知りたい。」

ここで弘明はビールをまた一杯ぐびりとやつた。これでも大阪に飛ばされる前は芸能分野でぶいぶいといわせていた男なのにね、とひとみは思った。

「福原豪は今、六十五さいなんだけど恵比寿建設を作ったときは三十一才だった。福原は結婚してから四年たっていた。福原の父親は本当は福原にあとをつがせたくなかったんだ。福原豪には異母兄弟で浅川保という三才離れた弟がいたんだけど父親は浅川保の方を高く買っていたんだ。しかし二年前に父親が急死して遺言なんかがちゃんとしていなかったので世間の慣例にしたがって福原が父親の事業の一切合切をつぐことになった。しかし浅川派というものが彼の会社の内部に存在して自分が後継者として適任だと誇示する必要があった。その頃、豪は妻とともに先祖の位牌の飾られてある仏壇のある和室で寝ていた。そこで嘘か本当か伝説めいた話があるんだ。彼が夜中に寝ていると先祖という人間が枕元に現れてこの福原豪の故郷に多くの人のための家を建てろと言ったというんだ。そしてそのご先祖さまの背後には恵比寿様が立っていたというんだ。それが恵比寿建設の名前の由来なんだ。ということが恵比寿建設の会社のパンフレットに載っているんだよ。」

「ナンセンス。」

今では誰も使わないだろう古い言い回しでひとみは否定した。

「まあ、そんなことはどうでもいいんだけどね。恵比寿だろうが、福禄寿だろうが、どんな名前の建設会社でもいいよ。問題なのは自分の病院を建てるのに自分の建設会社を使って、その資金を市が出したということなんだ。そんなことをして誰も文句を言わないなんておかしいと思うだろう。それも巧妙に行われているらしい。K病院は福原が所有している私立病院なのだが巧妙に市側の援助が行われているらしいんだ。前の市長の選挙公約が病院を建てるということだったのでそれにうまく取り入ったといわれている。そのことに関連してもっと大物の政治家が関与しているという噂もあるんだ。これは査察が入ったわけじゃないから噂の域をでないんだけどな。」

「もっと大きな政治家って。」

吉澤ひとみもそのことに興味を持っているらしくテーブルの上にあるとうもろこしをほおばった。

「それがわかれば苦労はないよ。ひとみの男関係みたいにな。」

「まあ、何よ。兄貴、岬さんに会えないからつて。ひどいじゃないの。その言い方は。本当に、私、怒っちゃうからね。私の男友達と言ったら、滝沢秀明くんと松村邦洋くんの二人だけよ。明日、兄貴ひまなんでしょう。滝口神社で明日、盆踊り大会がひらかれるの。滝沢くんも松村くんも来るから兄貴も来てくれる。ねぇ、一緒に盆踊りを踊りましょうよ。兄貴、歌手の桜道代と親しいでしょう。彼女のキャンペーン用のテレホンカードをたくさん持っていたわよね。二人が彼女のファンなんですって。そのとき桜道代のテレフォンカードを持って来てくれる。二人が欲しいんですって。」

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