第15話
第十五回
吉澤の勤めているテレビ局のそばにカウンター席しか用意されていないカレー屋があった。その席に腰掛けながら弘明はテーブルの上に置かれている福神漬けを食べ終わったカレー皿の横に盛り、コップの水を飲んだ。カレーが特別うまいということはなかったがテレビ局のそばにあり、待つことなく料理が食べられるということでよく利用していた。何気なくポケツトに手をやると携帯電話が鳴り始めた。
「もしもし、吉澤ですが。」
電話の主は弘明が訪ねていいかアポイントをとつておいた人物だつた。お互いにうまい具合に時間的な折り合いがついた。ザ・六甲という喫茶店で会おうということになった。そこはここから五十メートルと離れていない。
その人物の勤めている場所もここから五十メートルも離れていなかった。ザ・六甲に入ると弘明はカウンターのところにいる主人に会うことになっている人物のことを聞いた。主人はその人物の方を目で合図をした。
「あそこに、いらつしゃっていますよ。全日芸新聞の小北さんでしょう。」
丸太小屋のような喫茶店の壁を横にして小太りの三十半ばくらいの男が座っていた。手帳のようなものを出して何かをメモしているようだった。
「小北さんですか。日芸テレビの吉澤です。」
「はじめまして。全日芸新聞の小北です。お互い、すぐ近くに勤めているんですね。直接、社に来てもらってもええんやったんだけど。」
「いえ、ここの方が。よくここに来られるんですか。」
「ええ、昼飯を食いに来たり、ここで休んだりといろいろですわ。」小北は体格からくる印象からかゆったりとした性格のようだった。
吉澤は小北の向かいの席に座った。
「東京から来ているんですよね。」
小北は吉澤が東京の方で起こした事件のことは知っているようだったが、何も言わなかった。
「今度、扱おうと思っている問題がありまして。K病院ってご存知ですよね。」
小北が何か言おうとするのをその前に吉澤は一気に話した。
「あそこの近所の住民からゴミ問題で報道してくれという要請がありましてそのことで調べているんです。殺菌してあるか、ないのかわからないような医療用廃棄物とかそんなものを勝手に捨てているって苦情がありましてあの病院のことを調べているところなんです。以前、小北さんはあの病院のことを調べましたよね。松田政男という人の殺人事件で。」
「松田政男、覚えている。覚えている。K病院で殺された人物やったな。」
「あの病院のことや。松田政男氏のことを少し、教えてもらえますか。別に松田氏のことは今度の仕事の本筋ではないんですが、あの病院のことを知る何か手がかりになるかも知れませんので。」
「だいぶ前のことだから詳しくは覚えていないんやけど、記事としてはあまり詳しくは書けなかったんやけど、あの記事よりはもっと詳しく調べたんや。あんまり評判のいい病院やなかったな。松田政男が他殺だといことは衆人の目の一致するところやけど証拠がつかめなくてね。一体何の目的で松田政男が殺されたのかは全くわからずじまいや。最初、松田政男が殺されたと思われる時刻に栗木百次郎という逆さの木葬儀場と言う近所にある焼き場の管理人を見たという病院関係者がいて栗木百次郎が犯人ではないかという話やったんやけど結局松田政男の発作的な自殺だということになったんや。そもそもその犯人が松田政男を殺す目的で殺したのか。あるいはたまたま盗みに入った泥棒が見付かったのを口封じのために殺したのか、はっきりしないのやからな。その侵入者が栗木百次郎だとしてもだ。わてとしてはあまり大した事件だとも思わなかったからその後取材をする事もなかったんや。その後何も聞かないことを見ると犯人らしき人間はまだ捕まっていないのやろ。やはり自殺という事に落ち着くのかもしれん。しかし一応あの病院は設備はちゃんとしたものを整えていたみたいやけど夜中にわけのわからない奴が勝手に入って来られたりで前から評判が悪かったみたいや。」
「そういうことがたびたびあったんですか。」
「そうみたいやな。防犯上でもいろいろと問題があったみたいや。患者の持ち物がなくなったりといろいろと表面にはでない出来事があったらしいんやで。」
「どんな人が経営しているんですか。」
「経営者は福原豪というむかしからここら一帯の大地主で福原観光というバス会社を知っているやろ。あのオーナーでもある。むかしはあそこは日本軍の施設があったらしい。」
「何の施設ですか。」
「さあ、そこまでは聞かなかったんやけど、あそこに行けばすぐ教えてくれるやろ。」
「きっと、地形的に病院を建てるとかに向いていたんですね。水はけが良いとか何かうまい条件があるんでしょう。あくまでも私の素人考えですが。」
「殺された松田政男には確か弟がいたと思ったけど、肉親と言ったらその弟しかいなかつたみたいやな。弟の方は直接に取材はしていなかったんやけど、確か高校生だったと思うわ。」
村上弘明はその弟が自分の妹と同じ高校に通っているということは言わなかった。
「それから、言い忘れた事やけど松田政男って大変な化学のほうで秀才だったそうやな。何とか生理化学とかいうほうで特許も持っていたみたいやないか。」
小北の話はひととおりの事でしかなかったが、それなりに参考になった。松田政男が新薬の発見か何かはわからないが特許まで持っていたことだ。ザ・六甲を出た村上弘明はS高校に電話をかけた。
「もしもし、誰だかわかる。」
「何だ、兄貴か。」
電話に出たのは吉澤ひとみだった。今はちょうど学食で食事をしているらしい。電話口から二、三の男の生徒の声も聞こえる。弘明が近所で会ったことのある松村邦洋と滝沢秀明もそばにいるらしい。
「何か、ようですか。」
吉澤ひとみは語尾を変なアクセントで強調したおどけた調子で電話に答えた。
「今、K病院のことを調べているって知っているだろう。それでこれから病院内で変死した松田政男の弟の松田努に会いに行こうかと思っているんだ。」
「兄貴、松田努が何という病院に入院しているか、知っているの。」
「それでひとみに電話をかけたんだよ。松田努くんはクラスメートなんだろう。どこの病院に入院しているか、知っているよな。」
「全く世話のやける兄貴なんだから。」
学食で電話に出ている吉澤ひとみの姿を見ている他の生徒は何と思っているのだろうか。そんな事にもひとみはおかまいなかった。すぐそばにいる滝沢秀明や松村邦洋の方を振り向くと尋ねた。
「今の電話の話声、聞こえた。」
ひとみが携帯電話を耳に押しつけてしゃべっているのだから聞こえるはずがない。
「兄貴から電話なの。」
「テレビ局に勤めているお兄さんか。」
「写真週刊誌に盗撮されたお兄さんか。」
「そう。」
吉澤ひとみは電話をテーブルの上に置くとため息をついた。
「その兄貴が松田努くんの入院している病院の住所を知りたいんですって。テレビの取材か何かで行くらしいのよ。病院の名前、わかる。」
滝沢秀明の方はまるっきりわからないようだったが松村邦洋の方はひとみがこの学校に転校してくる前からここにいたので知っていた。
「**市立病院だよ。電話番号は****。」松村邦洋は電話番号まで知っていた。ひとみは兄にその住所や電話番号も教えた。
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