第13話

第十三回

「おまちどおさま。」

自分のテーブルに運ばれてきた軽食Cセットを見て思わず吉澤ひとみの口元は緩んだ。この町に引っ越して来てからお気に入りの店を発見したがそれがこの喫茶店だった。新興のつい最近までは田園風景だったと言っても駅前の商店街はそれなりに繁盛している。駅の西口出口から大きな寺院へ抜ける道が商店街になつていてその商店街の道の両側にはまた何本も横に抜ける道がついていてそこを入っていくと住宅街になる。その商店街の中間あたりの位置についている横道のかどから二軒目に彼女のお気に入りの喫茶店があった。店の構えは落ち着いていて調度類もそこそこにこっていた。店のショーウインドーに軽食セットがAからCまで並べられていてCはピザトースト、抹茶アイスクリーム、それに好きなドリンク類が選ぶことができて値段が非常に安いのである。ためしに中に入って注文すると店の中は落ち着いているし、テーブル同士は充分に離れているし。二、三脚のテーブルごとにしきりがなされていて隣の客の話し声もそれほど気にならなかった。そして実際に運ばれてきた品物が量といい質といい充分に満足できるものだったからすっかりこの店が気に入ってしまった。それから彼女はよくこの店に来るのである。吉澤ひとみはお気に入りのファッション雑誌を拡げながら抹茶アイスクリームをスプーンですくって口に運んだ。ファション雑誌には今年流行りそうな服の事が載っていた。店主がここのオーナーではないということはここに食材を卸している出入り業者と店主との立ち話から知った。吉澤ひとみはまだここに五、六回ぐらいしか来ていなかったがその事を知った。それに店の中に置いてあるメニューからここのほかにも他店があることを知っていたからだ。常時三、四人のウェートレスがいた。店内は山小屋のような雰囲気でテーブルも椅子も木目のあらわな木肌を焼いてさらに木目を引き立たせるようにした材料を使用していた。そのテーブルの上にファション雑誌を拡げていると吉澤ひとみはどうしてもあの僧たちの活躍が信じられなかった。二十メートル以上の空中を飛び上がったり、時速二百キロ以上の速度で走り、十センチの鉄板を素手で穴をあける。そんな人間がこの世に存在するのだろうか。しかし確かに存在する自分のこの目で見たのだから。しかしこの事実は世間一般には知られていない。どのニュースを見てもそんな人間が居る事が喧伝されたことはない。今のところこの事を知っているのは松村邦洋と滝沢秀明と自分の三人だけだ。しかし現代に住む自分たちが彼らに遭遇したということは過去の時代にも彼らもしくは彼らのような存在に出会った人間が居たということなのだろうか。人間が歴史というものを意識してから大部時間が経っている。現在の時間の何倍もの時間が流れているのだ。今、彼らに出会ったという事は彼らが過去にも出現した可能性は極めて大きい。しかし何故彼らの存在が現代になっても知られることがないのだろうか。また医学的な見地から全く彼らのような人間、外見がそうだからそう思うのだが、存在しうるのだろうか。地上から二十メートルの距離を飛び上がることができるということは体重が六十キロあるとすれば大まかに計算しても二トンの脚力を必要とする。走る方で考えると三秒で二百キロのスピードに達するということは少なくとも脚力は五トンなければならない、それよりも信じられないことは十センチの鉄板に穴を開けるという事実である。それから腕力の簡単な値を出すことは可能だが鉄板と人間の骨では硬度が違いすぎる。たとえどんな力があったとしても鋼鉄にそんな力で直接にぶっかつていつたら骨はぐちゃぐちゃにくだける事だろう。そこで一つの仮説だが当たる瞬間に拳と鋼鉄の間に何らかの緩衝材が存在する、または拳と鋼鉄の間に何か爆発があって鋼鉄に穴が開くと考えられないだろうか。ここまで考えて吉澤ひとみは気というものに考えを進めた。道が宇宙の実在と真理そのものなら気は目に見えない宇宙のエネルギーそのものである。気は眠っている獅子である。その方向性を決めるのは道である。拳を握る本人が道となったら、気が拳に集中され、拳の力ではなく、気の力によって鉄板に穴を開けることも可能なのではないか。そこまで考えて吉澤ひとみは自分でも笑い出した。あまりにも荒唐無稽な考えだからだ。そんな事を考えながら抹茶アイスクリームを食べているとどこかで聞き慣れた声が聞こえて来た。声のする方を見るとボックスの中に一組の男女が向かい会って何か楽しげに語らっている。女の方はこちらを向いている。その顔は少しも思い出せない。聞き覚えのあるのは男の声の方でその話し方はある特徴がある。こちらに向けている背中から思い出した。思い出すというほど遠い世界の存在ではない。吉澤ひとみのホームルームの担任の畑筒井だった。と言うことは畑筒井と楽しげにテーブルを挟んで語らっているのは彼が三ヶ月後に結婚式を挙げる彼の婚約者神戸あずさに違いない。畑筒井は普段生徒から彼の婚約者の事を聞かれるのをひどく嫌がった。彼自身は今年中に結婚式を挙げることはおろか三十四才の彼に十一才年下の看護婦の彼女がその上その彼女の名前が神戸あずさと言うことがいつの間に彼が受け持っている生徒全部が知ることとなつてしまった。これにはもちろん密告者がいるわけだがそのいきさつは畑筒井の同僚が彼の親しくしている生徒の保護者に伝わりそこから生徒たちに伝わって行ったというのが真相だった。とにかく畑筒井は生徒にその話題を出されるのを嫌がった。十一才年下の婚約者が居ることを知られたら教師としての威厳を保てないと思ったのかも知れない。しかし今はその現場を見られたりしているのである。そして婚約者の方もどこかで見たことがあるような気がしてきた。一般客が自由に校内に入ることのできる文化祭のときに彼女の姿を見ることができて、かつ印象に残っていたことを思い出した。その日は校長と親しく話している女性がいて何者かが分からず校長の娘かも知れないなどと根拠のない想像をして妙に納得していたがあの時の女が今ここに居て畑の婚約者だったのかと、今、わかった。吉澤ひとみが二人の姿を見ていると婚約者の神戸あずさと目が会った。すると彼女は意外にも吉澤ひとみの方に向かって微笑みかけ、畑に何か話しかけ始めた。きっと彼女が畑の担任している生徒だということを畑から彼の持っているアルバムか何かを見せて貰い、彼女は知っているのだろう。それで彼の生徒が同じ店内に居ることを畑筒井に教えているようだった。畑筒井がどういう行動に出るか、彼は生徒に自分の婚約者の事を知られる事を極端に嫌がっていたので見ものだったが懐柔策を取る気らしい。畑筒井も吉澤ひとみの方を振り向くと彼らの間には五、六メートルの距離が隔たっているというのに大きな声を出して吉澤ひとみを呼んだ。

「吉澤くん、そんなところにいても、一人でつまらないだろう。こっちに来ないか。」

「でも、もう、注文したものも来てしまって食べ始めているんですけど。」

「お盆ごと持って来ればいいじゃないか。」

二人の座っているテーブルは四人がけだつたので吉澤ひとみは神戸あずさの隣に座った。神戸あずさは丸顔の目がへの字の形をした愛嬌のある女だった。

「吉澤くんはこの店によく来るのかい。」

「ええ、ときどき、一ヶ月に二、三度くらいです。」

「転校して来てから二ヶ月ぐらいだっけ。」

「ええ、そうです。」

「どう、新しい学校には慣れた。新聞部に入っているんだったよな。えーと、うちのクラスで新聞部と言うと誰が居るんだったけ。そうだ。松村邦洋と滝沢秀明だったな。あの二人と仲がいいみたいじゃないか。」

「ええ、帰りはよく一緒に帰っています。」

こっちの席に移るとき一緒に持って来たピザトーストを吉澤ひとみは頬張りながら答えた。ビザトーストはオーソドックスなもので世間一般でミックスビザトーストと呼ばれるものだった。本場のイタリアにビサザトーストがあるのかどうなのかわからないがトーストの上に塗ってある赤いトマトで作られたピザソースの色、黄色いチーズの色、説けたチーズの中に入っているピーマンの緑色、熱を加えられてしんなりとしたタマネギの透明な色、サラミソーセジの紫っぽい色、そしてそれらをのせているトーストのきつね色、それらのものがイタリアを何故だか感じさせた。

「アイスコーヒーをもう一つ。」

吉澤ひとみの飲みかけのアイスコーヒーがほとんど残り少なくなっているのを見て畑筒井がウェートレスを呼び止めて注文した。学園のアイドル吉澤ひとみも彼の前では十七才の高校生だった。

「最初、神戸あずささんを始めて見たとき、私、校長先生の親戚の人だと思っていたんです。」

カップに入ったガムシロップとミルクをアイスコーヒーの中に入れ、それをストローでかき混ぜながら吉澤ひとみは横に座っている神戸あずさを見ながら言った。こうしないとガムシロップが底に沈んでストローで飲んだとき最初のときだけ甘くなつてしまうからだ。コーヒーの紫がかった茶色の透明な液体のなかで白いミルクの縞模様が吉澤ひとみがストローをコップの中で回転させるとその縞模様も回転した。

「始めて見たって、私をどこで見たの。」

吉澤ひとみより六つ年上のへの字の形をした目の看護婦は吉澤ひとみに笑いながら話しかけた。美人ではないが愛嬌のある顔をしていた。ある意味では学園のマドンナの吉澤ひとみよりも今は美しいかも知れない。それは外見のことではない。彼女が間近に結婚を控えている喜びが身体全体からあふれ出ているからだ。吉澤ひとみが彼女を始めて見たのはS高校の文化祭のときだった。S高校の生物室が文化祭のときは喫茶店に変わった。生物室の大きな机の上に青いチェック柄のビニールのテーブルクロスが敷かれ、その机全てに花瓶に生けられた山盛りの花が飾られた。生物室は他の教室よりも窓が二倍に大きくとられ、窓の外は噴水のある池があった。その池と窓の間には大谷石で枠組みを取られた花壇があり、藤棚があり、緑のつるが空を望むことのできる大きな窓にたれ下がっていた。この空間の中の天井に蛍光灯は点いていたが採光が良かったのでまるで蛍光灯は点いていないようだった。その模擬の喫茶店の中のテーブルの一つに神戸あずさが校長と向かい合わせに座って親しげに話しているのを見て吉澤ひとみは彼女が校長の親戚か何かではないかと思ったのだ。吉澤ひとみはその文化祭の時の事を神戸あずさに話した。

「私もあなたの事を知っていたわ。」

そう言って神戸あずさが畑筒井の方を見て目配せすると畑筒井は目の前であぶが舞っているような表情をした。

「筒さんがアルバムを見せてくれたの。この女の子がうちの高校のマドンナなんだよって。」

するとまた畑筒井は目の前であぶが舞っているような表情をした。

「マドンナなんて言う表現を使ったか。」

「使ったじゃないの。憶えていないの。ふふふふ。」

神戸あずさはどこまでもおっとりしている。

「でも、私も吉澤さんの姿を見るのは始めてじゃないのよ。それより以前にあなたにお会いしたことがあります。」

「どこでですか。」

吉澤ひとみには見当もつかなかった。

「吉澤さん、**京へ行かなかった。」

「ええ、転校する前に旅行で訪ねたことがあります。」

「**京でちょっと変わった定食屋に入らなかった。そこで写真を撮られなかった。」

「ええ、お腹が空いていたので**京駅から出て少し歩いたところにある定食屋さんに入りましたけど。」

吉澤ひとみはちょつと変わった定食屋に入った事を思い出した。店の外見自体は普通の感じなのだが一つ店の中に入るとさざえやいろいろな貝殻、万年青の鉢などが店内に所狭しと置かれていて漁師が定置網で使う網やガラスの大きな球などが置かれていた。店の中はほとんど居酒屋ののりでもう一つ変わっているところは壁に数え切れないくらいサービス版の写真が貼ってある。それもいろろいなポーズをとっているものが多い。それも女の子の写真ばかりだった。吉澤ひとみが食事を終わって店を出ようとするとこの店の主人である七十くらいのおばあさんが出てきて話しを要約するとその老人は老後の趣味としてカメラをやり始めて今までもカメラ雑誌のコンテストに何度か応募して自分が撮った写真が掲載されたこともある。それでこの店に来るお客さんの中で気に入った人はお願いして写真を撮らせて貰っている。ここに貼ってある写真がそうなのだ。あなたの写真も撮らせて欲しい。と言うことだった。そう言ったのも七十を越えたおばあさんだし、別に変なことに利用される事もないだろうと思って写真を撮らせたのだった。それが**京の定食屋での記憶だった。

「私のおばあちゃん、定食屋さんを**京でやっているの。そのおばあさんって私のおばあちゃんなんです。」神戸あずさは両肘をテーブルにのせ、胸を突き出す感じで言った。

「おばあちゃん、に言われたんです。今日、とっても綺麗な女の子が店に来たから写真を撮らせてもらったんだよ、って。それで私もおばあちゃんに写真を見せて貰ったの。とっても綺麗な女の子が写っているな、と思って印象に残っていたんだけど、ある日筒さんに受け持ちの生徒のアルバムを見せて貰って、この子がうちの学校のマドンナだって言うでしょう。そこであなたに二度目に、写真の上のことだけど会ったということなんです。そして、吉澤さんの事を知ったのよ。」

神戸あずさは吉澤ひとみにほほえんだ。

「ひとみは**京へ行ったのか。あそこへ行くにはH電鉄を使うんだっけ。そうやろ。あまりあそこに行く人間はいないやろ。」

畑筒井は目の前に座っている神戸あずさと吉澤ひとみの二人を交互に見比べた。

「何かおもしろいものあった。そもそも何を見に行ったんや。あそこには何があったけ、あずささん。」

「五ヶ月ぐらい前に週刊誌にH大学の先生が**京にある喜撰院というお寺で渡辺綱の使っていたという古刀が発見されたという記事があったのを先生は知っていますか。」

「渡辺綱というと一条戻り橋の橋の上で美女に化けた鬼の片腕を切り落とした話しで有名なさむらいだろ。」

「ええ、その渡辺綱の持っていた刀が発見されたという記事を見たからなんです。」

「渡辺綱と言えば平安時代末期のさむらいだろう。そんな古い人間の遺品が見つかるのやろうか。」

「渡辺綱って、金太郎さんとは違うの。」

「あずささんは一条戻り橋ってご存知ですか。今は昔のものとは同じではないんですが京都御所から西へ行くと今はやはり水のない堀川という川があります。その川にかかっている橋です。今あるコンクリート製の橋もほぼ同じ位置にかけられています。正しくは土御門橋という名称だったそうです。戻り橋と何故呼ばれるようになったのかと言うと三好清行、みよしきよつらという学者がいました。その子供の浄蔵が大峰山で修業していたとき三好清行が死んで葬式をあげることになりましたが熊野の大峰山にいる浄蔵は間に合いませんでした。しかし葬列が土御門橋に来たとき浄蔵は父の棺に追いつきそれに縋り付くと死に目に会えなかったことを嘆き悲しみました。すると死者は一時的に生き返り別れの言葉をかわしました。それから土御門橋は一条戻り橋と呼ばれるようになったそうです。渡辺綱の古刀というのはそれに関わっている刀ではないかと言われているんです。渡辺綱という名前ですが源氏の流れを汲むさむらいで養母が摂津の渡辺に住んでいた関係で渡辺姓を名乗ったと言われています。渡辺綱は武勲で知られた渡辺頼光の四天王の一人でした。四天王の顔ぶれは碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田金時の四人です。足柄山の金太郎のモデルになつたのはあずささんの言った坂田金時です。その中の一人渡辺綱が持っていたと言われる源頼光から拝領されたと言われている蜘蛛切りの名刀が発見されたという記事を見付けたからなんです。」

「蜘蛛切りの名刀って。」

「文字通り蜘蛛を切ったという刀ですわ。蜘蛛と言っても大きさが八メートルもある蜘蛛ですけど。」

「まさか。」

「もちろん言い伝えですが。一条天皇が原因不明の病気で床に伏したことがありました。とくにお苦しみになるのは夕方から暗雲が立ちこめ月の見えない夜でした。天皇の外戚の藤原兼家は名の高かった陰陽博士の賀茂親義というものを宮中に呼びましたが彼が宮中に来たことを源頼光は不審に思いました。頼光は賀茂親義が足を折って宮中に参内できないことを知っていたからです。そこでは頼光賀茂親義の弟子の星かぶと童子を呼び出して式神をうたせると賀茂親義の顔に張り付きその回りには黒雲が生じました。渡辺綱が彼を斬りつけるとその姿は見えなくなりました。しかし血の痕が点々とついていて源頼光はその痕をつけることにしました。星かぶと童子は

賀茂親義のもとへ行き破邪の剣を受け取ると渡辺綱に渡しました。そして渡辺綱がその血の痕を辿っていくと糺の森の大岩の前に人骨が散らばっていて大岩もろとも破邪の剣で一刀両断にすると八メートルもある大きな毒蜘蛛が断末魔の叫び声を上げて左右二つに両断されて死んだのです。それからその刀の事を蜘蛛切りの太刀と呼ぶようになったのです。」

「おとぎ話みたいね。」

「まあ、そう言えばそうですが。だっておとぎ話ですもの。でも蜘蛛切りの太刀が実在したというのは本当らしいですね。」

吉澤ひとみはピザトーストをほおばった。それからストローをくわえると喉が乾いたのかアイスコーヒーを吸った。

「吉澤さんはその蜘蛛切りの太刀を見に行ったというわけなの。」

「いいえ、それよりも渡辺綱の子孫にあたる渡辺政行の日記が発見されたということの方が興味があったんです。」

「渡辺政行と言われてもぴんとこないんだけど、何でその人物に興味を持ったんたや。」

吉澤ひとみはちょっと黙りこんだが、畑筒井の方を向くと微笑んだ。

「渡辺政行の時に保元の乱が起こったのですが崇徳天皇の側についていたはずなのですが何ら罰せられることもなく安泰に天寿を全うしたのが何故なんだろうって。彼の日記が発見されればその秘密がわかるんではないかと思ったんです。」

「それでそれらが発見されたという寺の名前は何って言うんやったけ。」

「喜撰院です。」

「私、**京に住んでいるのに思いだせないわ。そんなお寺あったかしら。いつそれが発表されたの。私、ちっとも知らなかったわ。

喜撰院どころか、源頼光も渡辺綱のことも知らないわ。」

「僕が小学校の頃はそんな絵本もたくさんあったんやけどな。今どき楠正成やそんなところの絵本なんてちっとも見ないわ。時代やなぁ。」

「吉澤さん、渡辺綱や源頼光の話しもしてくださる。」

そう言われて吉澤ひとみは少し神戸あずさの方へ顔を向けた。

「源頼光は源満仲の長男で源経基の孫にあたります。源経基の父親は貞純親王で祖父は清和天皇です。武勲に優れいろいろな言い伝えに登場します。しかし現実の政治的立場は藤原氏に取り入ることで自分たちの地位を向上させたのです。彼には四天王と呼ばれる坂田金時、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光の四人を勢力下に持っていました。ある日酒の席で彼らが酒を酌み交わしながら語るに誰が一番胆力があるかと言う話題になった。そこで碓井貞光が巷の噂話を披瀝した。その頃の平安京の都は大分荒廃していたらしいんですね。唐の都、長安を模したこの都は天然痘などの伝染病、政変、住宅政策などによって南の方は人も住まなくなって荒廃仕切っていたらしいですね。南の真ん中の位置に陰陽道の観点から羅城門と呼ばれるかっては威容を誇っていた門がありました。羅城というのは中国の都市の周囲を外敵から守っていた城壁のことです。そこは創建当時は朱塗りの威容を誇っていた南の怨霊退散のための守り門でしたが今言ったように源頼光の時代にはすっかりと荒れ果てて犬の死骸が投げ込まれる、人間の死体が投げ込まれる、などでただでさえ人の集まらなくなったこの場所にみんなは気味悪がって寄りつかなくなっていったそうです。そうするとさらに羅城門は荒廃していき、追い剥ぎや盗人の謀議のあじとになったり、一種の危険地帯になっていました。そのうちにそこに妖怪が住むという噂も立つようになったんです。そこで源頼光や四天王たちは肝試しに真夜中に妖怪の嫌がる陰陽道のお札を羅城門に誰かがおいてくるという話しになって渡辺綱に白羽の矢が立ちました。渡辺綱は蜘蛛切りの太刀を携えて羅城門に向かったのです。羅城門のあたりは廃墟のようになっていましたから歩いていく途中も草ぼうぼうで人っ子一人いません。このあたりの様子は芥川龍之介の羅生門を読むとその辺の感じがつかめるかも知れません。渡辺綱が柱のところまでやって来ると確かに人骨らしいものがところどころに散らばっている。とりあえず渡辺綱は阿部清明から預かった魔よけの札を柱に貼り、これだけでは本当に羅城門に行ったという証拠がないのでどうしようかと思っているとこの門の屋根を葺いていた瓦が何枚か割れたものが落ちていました。それでその瓦のかけらを持って帰ることにしました。瓦のかけらと言っても綱がここを訪れたという証拠になるからです。それが羅城門の瓦だと証明できるからです。その当時は瓦の文様を木型に押しつけてとる大量生産をする方法がとられていましたが羅城門の瓦は藤原京の内裏で使われていた瓦を再利用してそのまま使ったからです。藤原京の内裏で使われていた瓦はまだ手作りで瓦の模様はまだ手で彫っていてそれをやるのに簡単な方法、ひらがななどを彫ったりしていました。そして羅城門の瓦はある一つの文字で統一されていたからです。渡辺綱はそのひらがなの判読できる瓦の破片をふところに入れるとそこを離れました。四天王たちの待っている源頼光の屋敷へと向かいました。一条堀川の戻り橋まで来ました。そこで橋を渡ろうとすると橋のたもとに若い女が佇んで途方に暮れている様子、渡辺綱は馬から下りてその女に尋ねました。女は彼の帰る途中までつれて行って欲しいと頼みました。彼女を馬に乗せて帰途を急ぎました。彼女が最初に言った目的の場所にまで来ても彼女は馬から下りようとしません。そしてその女の言うことには私は本当は都の外に住んでいます、もっとさきまで送って欲しい、そう言うとたちまちその女は鬼に姿を変えて渡辺綱を掴むと虚空に飛び上がっていきました。そのとき渡辺綱は少しも騒がず蜘蛛切りの名刀を払うと鬼の片腕は切り離されて渡辺綱は神社の屋根に落ちました。源頼光の屋敷に戻った渡辺綱がその腕を頼光に見せると必ず鬼はその腕を取り戻しに来るからこの屋敷で見張っているのがいいだろうということになりました。何事もなく七日間が過ぎましたが七日目の晩、奇計を労した鬼は屋敷の中の従者を騙して鬼の片腕を納めている部屋に入って来ました。渡辺綱が駆けつけると鬼は天井を突き破り、虚空へ逃げ去りました。」

神戸あずさは吉澤ひとみの話を聞いていたが彼女の話が途切れず、何も口をはさめないのでその機会を待っているようなふしがあった。別に彼女に何か言いたいことがあるというのではなかったが、彼女だけが話していて何となく間がもたないような感じがあったからだ。

「でもその鬼はどうなっちゃったのかしら。腕を取り戻してまた付けたりして。鬼なんだから腕ぐらい自由に取り外しができるでしょう。」

「その話しの続きなら僕も知っているよ。」

婚約者の横に座っていた筒井畑が彼女の横顔を微笑みを伴って見ながら口を挟んだ。

{もう、いちゃいちゃしちゃって。}

その様子を正面から見ていた吉澤ひとみは心の中でつぶやいた。

「鬼は愛宕山に逃げるんだろ。」

「そうです。」

吉澤ひとみは静かに答えた。

「その鬼は茨木童子と名乗って愛宕山に隠れ住みます。」

ここで吉澤ひとみは静かに畑の方を見ると微笑んだ。畑筒井が自分でその話しをするかも知れないと思ったからである。畑もその話しを知っているようだったからだ。畑は吉澤ひとみに目でその話しをするように促した。畑筒井も吉澤ひとみの口から語られる滑らかな声音に酔っているのかも知れなかった。

「その片腕を切り取られた鬼は茨木童子と名を変えて愛宕山に住む酒呑童子の子分になるんです。私は知らないですが、昔は子供向けの絵本には必ず酒呑童子の話が載っていたんでしょう。ねぇ、畑先生。先生は知っていると思いますが酒呑童子の話もしますか。」

「聞きたい。」

神戸あずさが半分お世辞で言った。

「昔、醍醐天皇よりもあとの時代に奇怪な出来事が起こりました。丹波の国大江山に鬼神たちが住んでいて自分の国や周りの国の住人をさらっていっては自分たちの奴隷にして使っていました。そう言った田舎だけではなく京の都までやって来て美しい十七、八の女性までさらって行きました。」

「おとぎ話だから鬼や人さらいの話になるけどきっと、もっと政治的な話になるのね。」

「政治というより個人的な話が発端ですの。いけだ中納言くにたかと言う天皇に仕える富貴な公家がいました。くにたかには一人娘がいました。だいたいおとぎ話に出てくるそういう娘は美しいと相場が決まっているのですがこの場合もそうでした。どういうふうに形容されているかと言うと、まるですべての菩薩の美しい表情をとらえたようだった。弥勒菩薩や観世音菩薩やいいろいろな菩薩の容貌がありますがそれらのすべてのよいところを集めたようだったといいます。きっとその頃の美の基準は仏像にあり、理想となる容貌が仏の形となつて結実していたでしょうからそれが最高のほめ言葉だったのかもしれませんね。」

ここで吉澤ひとみはストローを口につけてコーヒーを一口、飲んだ。

「あんなのっぺりした顔が最高の美の基準だなんてなんだかおかしいわ。」

「そんなこと、ないよ。レオナルド=ダ=ヴィンチのジョコンダ婦人、モナリザの微笑みだって相通ずるものがあるだろう。もともとはギリシャの彫刻に出発点があるんだから。」

「とにかく、いけだ中納言くにたかの娘という人が生きた菩薩さまのように美しくて性格もまたそうでした。だから彼女を一目でも見たことのある男性で心を奪われない者は一人もいませんでした。そんな素晴らしい女性なのに彼女に関して奇怪な出来事が京の都で起こったのです。ある日の夕暮れ、彼女は忽然として姿を隠したのです。父親のくにたかをはじめとしてその妻、娘の母親が嘆き悲しんだのは言うまでもなく、めのとや召使いの女たちも悲しみ、くにたかの家のものたちは彼女の失踪で大騒ぎとなりました。くにたかは左近という官職にあるさむらいを呼び寄せると言いました。

このごろ評判の陰陽道の博士で安部晴明というものがいると聞いている。とにかくその男に姫の行方を占ってもらおう。本来なら礼式にのっとって安部晴明に会うのがもっともなことでしたがくにたかは恥も外聞もなくすぐにその陰陽道の博士に面会しました。」

「何故、恥も外聞もなくなの。自分の子供がいなくなったんだから陰陽道の博士にでもなんでも頼むほうが当たり前じゃないの。」

「昔はやたら儀礼、礼法にやかましかったんだ。今の人間から見ればそれが何の意味のないことでも宗教的な意味合いがあったから昔の人にとつては充分意味のあることだったんだろうけど。」

「私もそう思います。。昔に生きていたわけではないからなんとも言えないけど。とにかく中納言くにたかは陰陽道の博士、安部晴明に言いました。子供が何人もいる親でも一人の子供もおろそかにしないものだが私は一人の娘しかいないのに、その娘も外の風もあてないように乳母やおつきのものをかしずかせて大事に育ててきた。娘は今年で十三になる。昨日の夕暮れに行方不明になってしまった。もし妖怪や化け物の仕業なら何故自分も一緒につれていってくれなかったのだ。どうか姫の行方を占ってください。

そう言って大金を安部晴明の前に積みました。姫の行方がわかつたらさらに大金を差し上げましょう。陰陽道の博士はものものしく一つの巻物を取り出すと占いの道に精通した手腕を使ってこれまでの事情、経過を見通して一つの解答にたどり着いた。姫の失踪は丹波の国、大江山の鬼神のしわざです。お命に別状はございません。私が技をもって姫君の寿命安全をお守りしましょう。何も心配することはありません。この占いの形をみますにお姫様が生まれるように観音様に願をかけましたがその後、観音様にお参りに行っていないお咎めと出ています。観音様にお参りに行きましたら姫君はすぐ都にお戻りになられるでしょう。と予言して安部晴明は帰って行きました。中納言も奥方もその占いをお聞きになり、本当のことかすぐには信じられなかったが名人の陰陽博士の言うことなのでそれがもっともなことだと思うと嘆き悲しまずにはいられませんでした。そしてとても自分一人の力で解決できそうにもない問題だったので急いで宮中に参上しました。中納言が事の子細を説明すると天皇は早速、評議を開いた。公卿や大臣が集まって方策を見当したがなかなか名案がでなかった。藤原道長が進み出て言った。」

「藤原道長って有名な歌を歌った人でしょう。」

「この世をばーーって歌か。」

「あらそのつぎのところを言えるの。」

ここで畑筒井は言葉を詰まらせた。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思えば。ーーー。藤原道長が進み出て言うことには嵯峨天皇のときにも同じことがあったがその時は弘法大師が法力を持ってして鬼神を閉じこめ国土から追放して何の問題もなかった。今は弘法大師のように法力を持った方もいないが武芸と名刀でもって弘法大師のかわりになるものがいる。今ここに源頼光をお召しになってください。そして頼光とその家来たちに鬼神を討てと仰せ付けください。そうすれば頼光の家来の人々は鬼神をうち倒す力のある人々ばかりであり、彼らが乗り出せば鬼神も畏れをなしてさらわれた都の人々を解放することでしょう。と藤原道長は言いました。天皇は道長の意見をもっともな事だと思い源頼光を参内させた。源頼光は急ぎ参内した。天皇は詔を出した。「源頼光、丹波の国大江山には鬼神が住んでいてわが国にわざわいをなしている。わが国は神のご加護に守られている国である。なぜ鬼神がこの国に住むことができるだろうか。鬼神を討ち平らげろ。」しかし源頼光は天皇の詔を重い気持ちで受け取った。何故なら大江山の鬼神を退治することはそれほど大変な事だったからだ。彼は一人呟いた。「これは大変な勅命だ。鬼神は妖術、魔術を使う。その姿はいかようにも変化する。討伐に向かえば木の葉や芥に姿を変え、人間の目で見つけだすことはむずかしいだろう。一体どんな方策があるというのだ。しかし天皇の勅命に背くことがどうしてできようか。」源頼光は急ぎ屋敷に戻ると家来の四天王たちを集めた。そして協議した結論は、我々の力ではかなうまい。神仏に願をかけ、御仏の助力を得よう。

頼光と四天王たちは詣でることにした。頼光と藤原保昌は石清水八幡宮に、渡辺綱と坂田金時は住吉明神へ、碓井貞光と卜部季武は熊野権現に参詣して願をかけた。いずれも霊験あらたかで御利益があった。そしてみんなそれぞれの自分たちの屋敷に戻り、ひとところに集まって評議を重ねた。」

「昔の人って何でも神様仏様を出してくるのね。」

神戸あずさはマホガニー色に塗られたこの喫茶店の窓のさんのところにひじをかけながら言った。

「そりゃ、そうだよ。昔の人は神さま仏さまというのが生活のすべてだったんだから。」

「そうじゃないんじゃないの。こういった話を作っている人が坊さんあがりの人が多かったからだと思うわ。」

神戸あずさは彼女にしてはするどい意見をはさんだ。それは一種の歴史書批判のようだった。

「私もそう思う。」

吉澤ひとみも同意した。

「ここまでこのおとぎ話をよく覚えていたと思うでしょう。前にいた中学校で国語の自由研究の時間があって酒呑童子が課題になったことがあったんです。それでいくつかのグループに分かれて酒呑童子のすべてを暗記することになったんですけど私、その最初の部分を暗記する役になっていたからこんなことまでなんとか覚えていたんです。」

「それでこの話の最初のほうをよく覚えていたのね。」

神戸あずさが感心して言った。なぜ普通の高校生なら覚える必要もないこのおとぎ話を吉澤ひとみが覚えていたのか彼女にとっては不思議な感じがしたからだ。

「じゃあ、あとの話のほうも覚えているの。」

「割とこまかいところまで覚えているのはここまで。でもそのあとのあらすじはだいたいわかるわ。」

「さあ、覚えているかな。」

畑筒井が挑発的な口調で吉澤ひとみに聞いた。個人的な部分を少し離れて少しいやらしい教師根性があらわれていた。

「覚えてますよ。」

彼女は畑の軽い挑発的態度に少しむくれて答えた。

「源頼光、藤岡保昌、四天王たちは山伏に姿を変えて笈に伸縮自在の槍や手裏剣、刀などを入れて丹波の国、大江山に着きました。さてこれから鬼たちの巣窟に上がろうとするとある岩穴で三人の翁に出会った。三人は頼光たちに酒を勧めます。それは神変奇特酒という酒で頼光たちが飲めば薬になるが鬼たちが呑めば神通力を失うという酒でした。それに星かぶとももらい川まで案内してもらいました。実はその翁たちは頼光たちが参旨した三社の神々でした。その川に行くととらえられていた都の姫君の一人がいて彼女に教えてもらい鬼の根城にたどり着きました。そこでただの山伏だと酒呑童子をだましてやかたの中にまで上がり込みます。そこで酒呑童子の身の上話などを聞きだしすっかりと油断させ神変奇特酒を呑ませ神通力を失わせ、酒に酔って眠ったところで両手足を鎖で縛って動けなくしたところで酒呑童子の首をはねました。それから他の鬼たちも三社の神の加護と六人の武芸でうち平らげました。とらわれていたくにたかの姫君も救いだし、都に帰ると人々は大喜びで迎え、彼らの武勲をいつまでも語り継ぎました。おしまい。以上です。」

喫茶店の中にはシューマンのトロイメライが小さな音でながれている。畑筒井と婚約者の神戸あずさは小さく拍手をした。もちろんほとんど拍手の音は聞こえない。

「拍手をするほどのことでもないですよ。」

「そんなことないさ。やっぱりわが校のマドンナやな。」

彼女は照れくさそうにちょっぴり舌を出して笑った。

「浦島太郎でも、ほかのおとぎ話でもだいたいパターンが決まっているのね。最後は鬼の住みかに行って鬼が略奪してきた宝物を取り返して来るってパターンね。」

「そうかも知れない。」

吉澤ひとみは神戸あずさに同意した。

「でも最初の吉澤さんの話だけど、どこそか言うお寺に行ってきたんでしょう。渡辺綱の何とか言う刀があるという話を聞いて。」

「何て言うお寺、やったけ。」

「喜撰院です。」

「そうそう喜撰院やった。」

「でも、私、あんまり期待していなかったんです。渡辺綱の持っていた名刀だなんて、どう考えても眉唾ものでしょう。わたし、むしろそれと同時に見つかったという渡辺正幸の日記というのに興味があったから。」

「それでどうなったんや。喜撰院をおとずれた感想は。何かおもしろいことでも見つかったのかい。」

「何もかも期待はずれでしたわ。喜撰院というお寺はなくて喜撰堂という骨董屋があったんです。どこをどう間違えたのかわからないんですけど喜撰院というお寺だと思っていたのは骨董屋さんでした。骨董屋さんと言っても店を構えているというより、お金持ちの家へ行き骨董を売ってくるという商売の仕方をしている骨董屋さんでした。」

「じゃあ、渡辺綱の刀なんてなかったんだ。」畑筒井が物知り顔で言った。

「いえ、あることはあったんです。模造品なんですけどね。でも本物があるかないかわからないから模造品という言い方もおかしいのかしら。」

「どういうことなんやろ。」

神戸あずさがもっともらしい顔をしてうなずいた。土曜サスペンス劇場なんかにのめりこむタイプだ。

「その骨董屋さんは確かに渡辺綱が持っていただろうという刀の模造品を持っていました。それはもちろん商品としてです。先生も神戸さんも知りませんか。体験トンネル歴史館という大阪放送でやっているテレビ番組を。昔やっていたタイムトンネルという番組をもじってタイトルをつけているらしいんですけど。」

「うんうん、知ってるよ。タイムトンネルなら。」

「あら、私、知らない。」

「十年、年が離れているんだから、あずさが知るわけがないんだろ。」

いつしか下の方の名前を呼び捨てるようになっていた。

「うんうん。」

吉澤ひとみは軽く咳払いをした。

「その番組、大阪放送がやっているんですけど、そこで渡辺綱の使っていたであろうという刀を復元するという企画があがって、それが動きだしたんです。京都博物館の学芸員に中世の武器について詳しい人がいてその人の指導で刀鍛冶の人にたのんでその当時の武士が使っていたであろう刀を復元させたそうです。」

「でもそんなことをしたら大分金がかかるやろう。」

「私もそう思います。」「その制作費をどうしたんやろ。大阪放送って民間会社やろ。そんなに金を使えないやろ。」

「そこでテレビ局も一計を案じたのです。作ったあとでその喜撰堂の主人にその模造品の刀を誰かに売るという計画をたてたんですって。だいたいその模造品の刀を作るにあたって刀鍛冶を見つけてきたのがその喜撰堂だったからなんですつて。わたし、ついでだから喜撰堂の主人に会ってきたんですが、六十歳ぐらいの不動産やさんみたいな人でした。きっと寺と骨董屋を間違えるなんて、そう言えば三ヶ月ぐらい前に電話で渡辺綱の刀が見付かったのかというあるタウン誌の記者からの電話があったからその記者が早とちりをしたんじゃないのかとその男性は言っていましたがちょつと見たところとても一筋なわではいかないような印象でしたからその取材者が誤解を生むような表現をとっていたのかも知れない。だってとってもがめつそうな人だったんですもの。」

「じゃあ、ひとみちゃんがうちのおばあちゃんの店に来たときはそういう用事で来ていたのね。」

「そういうこと。」

「ひとみ、なんか、おまえは歴史学者みたいだな。」

「歴史学者というより、何かの検査官みたいね。その事実を何かに発表したの。きっとまた間違えてその骨董屋にありもしないものを見に誰かが行くかも知れないわよ。その人が金持ちだったらその主人のいい鴨かもしれないけどね。あははは。」**********************************************************************************************************************



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