第5話

第五回

教室の窓の外には青々とした葉をつけた庭木が生徒たちの保護者のように立っている。校庭で球技をしている生徒たちの勝ち負けに一喜一憂するように高いところに吹く風に葉をさらさらさらと揺らしていた。そのたびに木漏れ日がその重なった葉のあいだから生じ、かつ消え、きらきらとまどろみの木陰に落ちてまるで黄金の色をした揚羽蝶が地面の低いところを飛んでいるようだった。

すべての授業が終わり下校時間となり松村邦洋は帰途についた。松村邦洋はクラブに入っていないために授業が終わると家に直行する事になっている。こういう生徒のことを帰宅部に入っているというそうだ。松村邦洋は最近やっとアスファルトで舗装された道を一人とぼとぼと歩いていくと後ろから急に声をかけられてびっくりした。振り返ると新しく転校してきた吉澤ひとみが微笑んで立っている。怪しげな微笑みである。

「ちょっと待って。私もこの道を通るから一緒に帰ろうと思って。多分同じクラスの人でしょう。悪いんだけど名前を思いだせなくてごめんなさい。」

「松村邦洋って言うんや。」

松村邦洋は美しい訪問者に突然声をかけられてそのうれしさが隠しきれない表情をした。「私、吉澤ひとみって言うのよ。。今日転校してきたの。あなたも覚えているでしょう。それとも忘れてしまったかしら。もしそうなら今覚えてね。」

そう言って吉澤ひとみはまたいたずらっぽく笑った。

「ああ。俺、松村邦洋言うんや、よろしくね。」

松村邦洋はどきまぎして目をしばたいた。

「松村さん家はどちら。」

栗の木団地の一番端っこの棟があるやろう。それでもってあそこが崖になっているやろう。崖のちょっと手前に祠があってお稲荷さんがあるやろう。あの祠のある細道をまっすぐ行ったところや。」

「あら、じゃあ、うちの近くじゃないの。私の家、栗の木団地の九号館なの。よろしくね。」

そのお稲荷さんのある祠は栗の木団地の九号館のそばにある。そう言って吉澤ひとみは松村邦洋にウインクした。遠くから見ていたときはそれほど感じなかったが吉澤ひとみの横顔を見ながら松村邦洋は彼女を美しいと思った。吉澤ひとみは高校二年生にはどうしても見えなかった。ある部分ではすでに成熟した女性を感じさせた。薄暮れの中でほんのりと肌は淡いピンク色に輝き、唇には何もつけていないのにもかかわらず肉感的につやつやとしかしあくまでも品良くを輝いていた。きっと遡っていくと遠い北の方の国からやって来たに違いない。その目の光はどこか神秘的で何かただならぬものを感じさせる。まるで誰一人としてたどり着いたことのない深い海の底で妖しく光る真珠のようだった。それはまるで俗世間とは超越した存在で深い透明な水の底で透明な輝きを失うことはないだろう。世のざわめきをどこ吹く風とやり過ごし、まるで菩提樹の茂みの間を吹き抜けていくむ涼風のように爽やかだった。それでいて庶民的な趣もあった。」

「ねぇ、さっき、ホームルームの担任の畑筒井が松田さんっていういう人のこと言っていたけど松田さんてどんな人なの。」

「さあ、よく分からないよ。一学期になって初めて知った人物やし。彼も途中から転校してきたんや。それに付き合いもなかったからな。あまり目立つ生徒じゃなかったもん。」

「なにかお兄さんが精神病院で変死したって言っていたけどそれはどういうことなの。詳しく知りたいわ。」

「うん、俺も詳しいことはわかんないけどここから一キロぐらい離れたところにK病院っていう精神病院があるんだ。ごつう近代的な設備を取り入れた大きな病院や。そこに入院していたという噂を聞いたことかあるよ。休みの間にその精神病院で松田の兄さんが変死したということ聞いてびっくりしているんだ。ある大阪の新聞の社会面には出ていたけど東京の方の新聞の社会面には出ていなかったみたいやね。どうなの、東京の新聞の社会面には出ていなかった。」

「本当、ちっとも知らなかった。でも私あまり新聞の社会面までくわしく目を通しているわけではないから分からないわ。」

「そうかそうすると大阪の新聞だけのことかもしれない。」

吉澤ひとみは両手でカバンを持ち松村邦洋の顔をのぞき込んだ。彼女は松村邦洋の話にだいぶ興味を持っているらしく愛くるしい目をくるくると動かした。

「ねぇ、それで松田君の家って近くにあるの。」

なぜだか吉澤ひとみは話題をその弟の方に変えた。

「うん、ここから二キロぐらい離れたところかな。なんかクラスのみんなで見舞いに行く計画があったみたいやな。でも誰も行っていないみたいや。」

そんなことを話しているうちに二人は栗の木団地のお稲荷さんの社のあたりまで来ていたのでそこで二人は別れた。ここで別れなければそれぞれの家に着かないからだ。


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