第3話

第三回

  第四章


 H電鉄の**稲荷駅の京都から大阪に向かう路線側のホームに一人の女が降り立った。彼女はホームに降り立つとホームの側面に立て掛けられてある路線図の方へ走り寄った。

「やっぱり電車を間違えていたんだわ。」

あわてて路線図の横にある時刻表の方に目を移した。

「ええと、**京へ行くには***河駅まで行ってまた電車に乗り換えなければならないのね。」

そしてまた時刻表の方へ目を移し乗り換えの電車の時刻を確認した。どうやら彼女は電車を間違えたらしい。

***稲荷はH電鉄の駅であり、駅名の由来はその駅が***稲荷の参道の駅になっているからである。彼女が次ぎにくる電車を待っているとホームにいた老年に近い男が懐メロを歌い出した。プロ歌手のようにうまくはなかったが長年生きてきた人生の味わいのようなものがあって不快になるほどのものではなかった。その駅のホームには十四、五人の電車待ちの乗客がいたが誰もその男を止めないことにはそんな理由があったからかも知れない。その老人は誰に聞かせるでもなく完全に自分の世界に入ってその懐メロを歌っていた。自分の世界に入れるのも道理で彼の手にはウォークマンが握られ耳にはヘッドフォンがはめられていた。両手にウォークマンを握りしめメロディに合わせて首を左右に振っていた。カラオケの練習をしているようだった。ホームには子供連れの若い母親、通勤途中の若いOL、友達の家へ行くのか若者などがいたがその老人を誰もが苦にしていないようだった。いつも日常的に見られる光景なのかも知れない。だいたいが***稲荷駅はちょうど京都と大阪の真ん中あたりの位置にあってかなり庶民的な雰囲気なのだ。彼女は次の乗り換えの電車を待つ間何か幸福な気分になった。そのため電車を間違えたことも気にならない。

時刻表どおり十四、五分で次の乗り換え電車はやって来た。電車の中に乗り込むと通勤時間帯をすぎているからか車内は思いの他空いていて座ることができた。電車は駅のそばを走っているときは線路沿いに人家があるので窓より低いところに家の屋根が見える。家の屋根が途切れると田圃や何を作っているのかわからないがサイロのような形をした建造物が見える。そのうち馬のマークの入った看板が彼女の目に入った。

大きな競馬場に関した施設があるらしい。彼女の座った座席は対面型の形式になっていて彼女が腰をおろしたときは目の前には誰もいなかったのだが二つ目の駅で向かいに若い女性が座ってきた。彼女は同じ女性だったので相手の服装を細かく観察した。髪を長く伸ばして頭にはサングラスを髪のところにさしている。裾の狭まったスウェードのズボンをはき上には鶯色を薄くして墨汁を点々とたらしたような柄のシャツを着ている。どう見ても銀行の事務員には見えなかった。彼女は向かいに座っている女性がどういう人物だろうかと職業や家族構成、恋人のことどんな家に住んでいるだろうかとかもろもろのことを想像してみた。向かいに座っている女性は昨日よく眠っていないのか車窓の窓に肘をかけると居眠りを始めた。彼女はショルダーバッグの中から手帳をとりだした。それから旅行案内書のようなものも取り出した。

「***京、平城京と平安京の間に置かれた古代王朝の首都・・・・」

そこには彼女が間違えた電車を乗り換えてでも行きたいと思っていた場所の解説が載っていた。その旅行解説書はつい最近刊行されたもので定説と呼ばれる部分とつい最近の情報がからめられてのせられていた。彼女が興味を持った部分は渡辺為好の息子で渡辺政行の消息が不明だったものが死ぬ十年前までの行動が文書に残されていたという発見が***京にある寺院においてなされたということだった。それには副産物があり、渡辺綱が使っていたという古刀も発見されたという内容が書かれていた。渡辺氏というのは渡辺津のあたりにねじろを置いた武士の一族であり、渡辺津というのは今の大阪の淀川河口のあたりにある。渡辺氏の一族、渡辺為好は保元平治の乱のとき源頼政の旗下で武勲をたてた。渡辺為好の祖は渡辺綱である。渡辺綱は源頼光の四天王の一人だった。

四天王とは、坂田公時・渡辺綱・卜部季武・碓井貞光の四人である。歴史上有名な話はこの四天王と主の源頼光、それに藤原保昌を加えた六人が大江山に住み悪事をなすという酒呑童子を退治したと伝えられている事跡だ。もちろんこれは歴史ではない。彼らの武勇を賛美するための伝承にすぎない。しかし彼らの武勇を憶測することはできる。彼らの腕っ節が強いというのではなく源頼光が政治的にも重要な地位を占めていて富裕でもあったことが想像できる。そして特に四天王の中でも渡辺綱は独立した武勇伝があり、京都堀川の一条戻り橋の橋の上で美女に化けた鬼の腕を切り離した話しは有名である。もちろんこれも象徴化にほかならないだろうが。その渡辺綱が持っていた古刀が発見されたというのである。これがどんな意味を持っているのだろうか。発見されたのは渡辺政行の晩年の日記が発見されたという**京にある寺院だった。これだけの大発見だから新聞にも載ることが常識なのだが新聞は沈黙を守っている。新聞が沈黙を守っているくらいなのだから当然学会も沈黙を守っている。しかし彼女はこの女性週刊誌の付録のような旅行解説書に多いに興味を持たされた。そして***京へ行ってみようかと思ったのである。そこにずっと眼を落としていると微かに誰かが微笑んでいる気配を感じた。目を上げると向かい側に座っている女性が微笑んでいる。彼女の方も微笑みを返した。

「あんまり熱心にその本読んでいるからついつい見とれてしまったわ。堪忍してや。」

「いえ、いいんです。そんなに真剣な表情をしていましたか。」

「そうやね。じっと見てたわ。」

「あはははははは、」

彼女は声を立てて笑った。

「旅行に来はったの。」

「いいえ、大阪に住んでいるんです。二週間前からですけど。」

「二週間前はどこに住んではったの。」

「東京です。」

「じゃあ、まだ大阪には慣れていないのやね。」

「ええ、」

「これからどこへ行かはるの。」

「まだ関西に来て二週間しか経っていないから観光を兼ねて旅行スポットを歩こうかと思って。そういう意味では観光客なんです。」

向かいに座っていた女性が見ず知らずの彼女に話しかけてきたというのは彼女が無邪気に旅行案内書に心を奪われていたということからだけではなかった。同性でも見とれてしまうような彼女の容貌にあった。大変な美人で、それでいて男性、女性どちらにでも嫌みな感じを与えない大らかなところがあったからだ。電車に乗っている間中二人は話しがはずみ、お互いの連絡先まで教え合っていた。**京を訪ねる予定になっている彼女は自分の名前を言った。

「吉澤ひとみって言うんです。住所は・・・・・。」


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