第18話 幼馴染たちは古き時代の香りを嗅ぐ

「これはね、特別な花なんだ。夏の満月の前後に収穫したものだけをこうして集めている。それもね、月光を浴びている間に採ったものだ。その時期、花は小さくなるんだけど、香りが一年で一番強くなるんだよ。この花を摘みに恋人と二人で谷間をいけば、その二人は一生離れることはないと言われている。まあ、かなり古い話だから知っている人は少なくなったけどね」


 紳士の話に、エマはその様子を思い浮かべる。激しく揺さぶれるような想いが渦巻く美しい光景だ。


(なんてロマンチックなの……これは絶対先生にプレゼントしなくちゃ)


 先生と話せば話すほど、先生の想いが再びどこかで繋がってくれることを、エマは望まずにはいられなくなっていたのだ。こんな素敵な逸話を秘めた花なら、先生の力になってくれるかもしれないとエマは希望を込めた。

 そしてふと思ったのだ。そんなに古い伝承なら、古代フロシオン語で書かれているのだろうかと。古代フロシオン語は古代の共通語。外国では完全に廃れてしまっているけれど、それでも貴重な資料として、今も各国に残されている。研究者も少なくない。だからこそセシルもあんなに堪能なのだ。これは伝えおかなければと、エマは胸に刻んだ。

 それにしてもなんとも美しく幻想的な伝承。そしてその景色がとてつもなく似合いそうな人だとエマは紳士を見上げた。彼は口角を薄く引き上げて、切なげで魅惑的な微笑みを見せながら付け加えた。


「これは量り売りできるから、手元の瓶に足してもらえばいい。そうだね、その量ならば大さじ三杯だ。それが一番素敵な香りを生み出す。特別な花を入れたお茶はね、名前がついているんだよ。エレクスール。夜と星々の女神の名だ。強くて気高い女神。けれどその実、純粋で可愛らしい。本当はとっても恥ずかしがりやのきみの先生にもぴったりなんじゃないかな。彼女もいろんなものを胸の奥にしまってありそうだからね。ロマンチックな花がたっぷり入ったこのお茶を飲めば、もう無表情もやめると言ってくれるかもしれないよ」


 貴重な情報を提供してもらったエマは、感謝の気持ちを伝えつつ、内心では驚きっぱなしだった。自分以上にこの紳士が、先生のことを知っているように思えたからだ。ふと、彼が浮かべている微笑みは誰に向けたものなのだろうかという思いが胸をよぎった。その時、ちょうどテオが入ってくるのが見えた。


「エマ?」


 声をかけてきたテオを振り返った紳士は、二人に軽く黙礼して去っていった。紳士が脇を通るとき、テオはさりげなくその首筋を見ていた。エマはテオの隣に駆け寄り、レーデンブロイのお茶のレクチャーを受けていたのだと説明する。トラヴィス先生への贈り物だと言ったら、素敵な逸話とともにこれをすすめてくれたのだと花の瓶を見せ、とても博学な人だったと感想を言えば、「ああ、だろうね」とテオが納得したような顔を見せた。


「あの人はきっとレーデンブロイの古い血筋の人だと思うよ。あれ、セシルの肩にもあるんだ。すごいよね。あの鱗は古くからレーデンブロイに住む人たちの特徴らしいよ。セシルはハーフだけど、その特徴を強く受け継いでいるから。お父さんの家系が古いんだろう。あの人は首筋に、それもあんなにたくさん。きっとものすごく古い家柄の人だよ」


 初めて鱗を見たエマは感動していた。まるで物語のようだった。あんなに美しいもの、何度だって見たいと思ってしまう。セシルの肩にあることを知らなかったエマは、今年の夏にはぜひとも見せてもらおうと決めた。

 それにしても不思議な人だった。なんとも忘れがたい人だったと思いつつ、エマは自分の中に何かが引っかかっているのを感じていた。いったいそれは何だろうかと紳士とのやり取りを思い返す。


(そう、あれよ。「大切なものを胸の奥にしまっている」と言うあの言葉。あれ? 誰だったかなあ。誰かが同じようなことを言ってたような気がするんだよね……)


 一生懸命思い出そうとしたけれど、鱗の美しさと谷間の逸話ばかりがちらついてうまくいかない。これ以上考えてもらちがあかないあと、エマは首を振ってレジに向かった。レジではアルバイトの女の子がお茶の説明をしてくれた。


「この白い花は、レーデンブロイの国中で咲きますが、王立公園の先に野生の谷があって、そこに咲くものが一番香り高いんです。こっちの花ばかりのものがそうで、去年の夏に採れたものです。花の名前は『キュロス・ドゥ・アルバンタイン』。ちょっと長いので、普通はキュロスと呼びます」


 ブレンドするかどうかと聞かれたので、エマは迷わず大さじ三杯を頼んだ。できあがった茶葉は純白がきらめいて、さらに凛とした感じが増したような気がした。


「清廉潔白っていう感じの白さですよね。とことん白。穢れがないというか……」


 エマが言えばレジの彼女も相槌を打つ。


「ええ、本当にすごい白ですよね。アルバンタインというのは深き水という意味の古い言葉だそうです。きっと綺麗な水がこの色を作るのだろうと考えられますけど、不思議なことに、谷のものの白さが断トツなんです。谷には海水が引きこまれているのにですよ」


 テオは神妙な顔をしてその話を聞いていた。「アルバンタイン、深き水」と口の中で繰り返し呟いている。エマはそれを横目で見ながら、ブレンドしたものをプレゼント用に包装してくれるようお願いする。


「テオ、どうしたの、大丈夫?」

「いや、うん……大丈夫。問題ないよ」


 ならいいんだけど、とエマは続ける。


「こんな素敵な話があるなら教えてくれてもよかったと思わない? セシルもミッシェルも大事なところをはしょりすぎなんだよね。みんなで飲んだとき、花の名前すら言わなかったじゃない!」

「まあ、お茶に関しては当たり前すぎて、二人ともあって当然だと思ってるから、細かいことを説明しようだなんて気がついてないんだよ」

「そうかもね。でもそういうのって、すごくバルデュールって気がする。ほらほらって、これこれ〜って、どんどん突っ走っていっちゃって、後で、あ、そうだった、忘れてた、とか言っちゃうんだよ。うん、ミッシェルが頑張らなくても、セシルも十分バルデュールだよね。もしかしてあの人たち、血までうっすら緑色かもしれないよ」


 エマの言葉にテオが大笑いする。けれどどこかでそれもありえるだろうとテオも思うのだ。セシルは一見レーデンブロイ特有の色合いをしているけれど、実はその上に緑のベールをまとっているような感じがする。白銀の髪も、アイスブルーに見える目も、さっきの紳士の切れるような色合いと比べればそれは明らかだ。柔らかな緑がうっすらと紛れ込んでいて、絶妙な色合いを作り出しているのだ。だからこそ、ミッシェルと並んでいると、色合いが違うようで、よく似ているように見える。すなわち、緑が二人を結びつけあっている。そう、それはまさに「バルデュール」ということなのだ。


 リボンはなにがいいかと尋ねられたエマはレジに向き直る。羊皮紙のような包装紙で巻いてくれているガラス瓶が可愛い。先生の瞳の色にしようかとも思ったけれど、なぜかさっきの紳士の目の色が思い出され、エマはアイスブルーを選んだ。


「特別なキュロスが15%以上入ったものはエレクスールという名前で呼ばれています。神話の女神の名前で、結婚式の引き出物なんかによく利用されるんです。ラベル貼っておきますね」


 エマはお礼を言って荷物を受け取った。「先生、きっと喜んでくれるよ」と言うテオに微笑み返しながら、エマはなんだかとんでもなく素敵なものを買ったような気がしていた。

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