第17話 幼馴染は氷河の輝きに出会う
二人は軽口を叩きながら、まずは一番手前のテントに入ってみた。それは外国の小間物屋で、奥に素晴らしいランプがたくさん並んでいた。電球を覆い隠すシェードがメリーゴーランドのように回っている。表面に切り絵のように施された模様は踊る人たちで、それが壁に黒々と映し出される様は、何だか不思議な映画を観ているかのようだった。
買って帰って夜中にテオと見てみたいとエマは思った。小さい頃はよくお泊まり会をしたのだ。一緒のベッドに潜り込み、おとなしく両親に二人でお休みなさいを言った後、こっそりと抜け出す。窓辺に並んで座り、ガス灯の明かりが並ぶ通りを眺めれば、まるで宇宙みたいで綺麗だった。そんなことを思い出してほっこりとした気分になりかけたエマは、はっと我に返った。
(待った、待った。いくつの頃の話よ! 今それはまずいでしょ……)
エマは心の中で一人ツッコミを入れる。恥ずかしさにブンブンと首を振れば、テオが心配そうに覗き込んでくるものだから、余計に焦ってしまう。「なんでもないから!」と早口で言うと、エマはテオの手を引いてそそくさと歩き出した。
さらに奥へ進めば、様々な茶葉がディスプレイされたテントがあった。ガラス瓶には見たこともないような名前がたくさん書いてある。真ん中に置かれたテーブルには、レーデンブロイという大きなプレートが飾ってあった。奥はずいぶん広そうだ。二人はわくわくしながらテントの中に入っていった。
セシルがいるかもと思ったけれど、残念ながらすれ違いのようだ。午後から商用があるため、担当官と一緒に出かけたらしい。でもセシルのように二か国語を操るフロシオンのスタッフも働いていて問題はなさそうだった。
簡易テントには似つかわしくないような、本格的な棚がたくさん運ばれてきていた。やはりガラス瓶は重いからだろうか。それにしても大きさといい設備といい、力の入れようが半端なく、レーデンブロイはフロシオンの、というよりもバルデュールとの関係が濃いのだろうかと二人は顔を見合わせた。
そこに様々な茶葉が並ぶ様子は圧巻だ。エマが興味津々で棚を見ていると、テオが小さく声あげた。表を知り合いが通りかかったらしい。挨拶に行って来るからと出口に向かったテオが再度振り返り、「いい、ガラスに気をつけてよ、割らないようにね」と小さい子に言い聞かせるように言うものだから、エマは思わず苦笑してしまった。これでもちゃんと成長しているのだと言いたいところだったけれど、一方で自分を見るテオの変わらない目線に嬉しくなったりもした。
奥の通路に進み、巨大な棚を端からつぶさに見ていけば、整然と茶葉が並ぶ間に、時々不思議なものも混ざっていることにエマは気がついた。同じガラス瓶の中に入った、木彫りの古い置物やミニチュアのティーセットなどだ。テント自体が物語めいて、何とも粋な演出だ。そんな遊び心に俄然気分が盛り上げる。
もちろん、想像以上に茶葉の種類も多く、まるで現地の店を見ているかのようだと思った。シンプルな茶葉との対比、アレンジされたもののカラフルさにも目を奪われる。深く濃い茶色や緑の中にのぞく赤やピンクやオレンジは、フルーツだったり花だったりして興味は尽きない。
「あ、そうだ。この間の……。どこかにあるよね、きっと」
ミッシェルたちと何だお茶を思い出したエマは、端から見直していく。
「白い花だったよね。すごく綺麗な白だった……」
目を凝らして仰ぎ見れば、上の方の段にそれらしきものがある。エマは一生懸命背伸びしてみた。けれど届かない。無理をして瓶を割ってはいけないと踵を下ろしたとき、後ろからすっと手が伸びてきて誰かが瓶を取ってくれた。慌てて振り返れば、そこにいたのはとても背の高い男性だった。
その人はまさに「紳士」だった。銀色の髪、氷河のような瞳、見た目は氷のような印象だけれど、エマにそっと瓶を手渡してくれる仕草は非常に洗練されていて、物腰も柔らかく優雅だ。そして何よりも印象的だったのはその首筋だった。そこには青銀色の、輝く鱗のようなものがびっしりと並んでいたのだ。あまりの美しさにエマは声を失った。
「このお茶をどうして?」
紳士に聞かれてエマははっと我に返った。エマはこのお茶を、トラヴィス先生にプレゼントしたいと思っていた。初めて飲んだあの日、先生はこのお茶が好きではないだろうかとなぜかそう思ったのだ。けれど、どこで買えるかわからなかったため、そのうちセシルに聞かなくてはと思っていた矢先だった。
「プレゼントとしようと思ったんです。私のピアノの先生によく似合うような気がしたので……」
すっと目を細めた紳士がエマに聞いた。
「へえ、フロシオンの人でも時々硬質なイメージの人はいるけれど、きみの先生もそんな感じなんだね」
なんとも言えない色気がある声と物言いに、なぜかエマの中からするりと言葉が出てきた。
「はい、とっても美人なんです。いわゆるクールビューティーなんですけど、アイスドールだなんて自分で言って笑っているんですよ。無表情になったときによく言われたんだって。あ、いやだ、私ったら……」
「アイスドール……」
「あ、すいません。今のは忘れてください。内緒話でした。とにかく綺麗で凛としていて……この花みたいな真っ白さがよく似合うんです」
そう言ってエマが笑えば、紳士は目も潰れんばかりの微笑みを見せた。その色彩も相まって、まるで物語の登場人物のようだ。エマは思わず見惚れた。
「それは素敵な人だね。それなのに無表情だなんて……もしかしてとっても天邪鬼なのかな。でもこのお茶を飲めばきっと笑顔になるだろうね」
「え?」
思わぬ言葉にエマは目を瞬かせた。天邪鬼? ぐるぐると言葉が駆け巡る。途端、伝えなくては! とエマは思った。何かに突き動かされるように口を開く。
「あ、はい……。先生、自分みたいに天邪鬼にならないようにと私にもいつも言うんです。でも、先生は本当は天邪鬼じゃないんです。優しすぎて不器用で、傷つきやすいから守りに入ってるだけで。そうですね……このお茶、先生もきっと気に入ってくれると思います。とってもいい香りがして、一度飲んですごいなあって思いました」
なぜだろうか、あれもこれも話したいと思ってしまうのだ。気がつけばエマは、初対面の相手だというのに、大好きな先生のことを滔々と語っていた。セシルにも似たアイスブルーの瞳がそんな気分にさせるのかもしれない。けれど、紳士の言葉が引き金だったということを差し置いても、それ以上に想いがあふれてきたのは事実だった。戸惑いを隠せないエマに、紳士が嬉しそうに微笑んだ。
「いい生徒さんを持って彼女は幸せだな。そうだ、こうするといいよ。このお茶にね、さらに花をブレンドするといいんだ」
そう言って並んでいた棚の隣りから一回り小さな瓶をとる。それは白い花ばかりの瓶だった。ミッシェルがブレンド量は好き好きだと言っていたことをエマは思い出した。雰囲気がセシルに似ているこの紳士は間違いなくレーデンブロイの人だろう。だから茶葉のことにも詳しいのだろうと推測した。もしかしたらセシルの知り合いだったりするのだろうかと想像するエマに、紳士は説明を始めた。
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