第19話 幼馴染たちは心の師匠と再会する

 どんどん進んでいけば、マーケットの一番奥には大きなテントがあった。茶色い屋根だから外国、または遠方の町のものだとわかる。丸くて深い屋根は他のものと一緒だけれど、そのテントの周りはぐるりと同じ色の垂れ幕で囲まれていて、それはまるで移動サーカスとか屋外シアターのように見えた。

 近寄っていった二人は、そこで思いもかけない人を見つけた。入り口前にルカさんが立っていたのだ。あの日以来ルカさんには会っていなかったけれど、まるであの日が昨日のことにようにルカさんは変わっていなかった。


「ルカさ〜ん!」


 エマが声をかけて手を振れば、ルカさんが二人を見て目を丸くし、すぐに笑顔になった。ルカさんはずいぶんと思案顔のおばあさんと一緒に立っていた。


「ルカさん、お久しぶりです。お元気でしたか? こんなところで会えるなんてびっくりしました」

「ああ、私もだよ、驚いた。うんうん、私は元気だ、きみたちも元気そうで何よりだ。いやあ、大きくなっていて一瞬わからなかったよ」

「そうですよね、俺らあの時まだ初等科で、十やそこらでしたから。もう高等科ですよ」

「そうか、それはまた時間が経ったものだ。大きくなって当たり前だな」

「俺、今古代フロシオン語を勉強しています。ルカさんからいただいたあの小冊子も、近いうちに読んでみようと思ってるんです」


 それは嬉しいなあと、ルカさんは楽しげに笑い声を上げた。エマも笑顔で続ける。


「ルカさん、私もあれからすぐにピアノを始めました。ずっと弾いてます! まだまだルカさんには追いつかないけど、それでも結構上手になったんですよ」

「エマ、今度の花祭りで、ソリストをやるんです」

「なんと! それはまたずいぶん上達したじゃないか。嬉しいなあ。そうか、エマが、そうかそうか」

「ルカ?」


 隣のおばあさんが、ルカさんの袖をそっと引っ張った。


「ああ。彼女はアリソン。私の幼馴染だ。きみたちと同じだな」

「あなたがエマちゃんで、あなたがテオくんね」


 その言葉に二人が目を見張れば、アリソンさんはいたずらっ子のように笑った。


「驚いた? うふふ。ルカが話してくれたのよ。素敵な天使たちに会ったってね、私も会えて嬉しいわ」

「アリソンはね、この紙芝居小屋のオーナーなんだよ」

「えっ、ここ紙芝居をやるんですか?」


 人形劇やら紙芝居やら、小さい頃からそんな催しに目がないエマは嬉しそうな声をあげた。


「そうなの。うちが代々大道芸のそれも紙芝居専門でね、小さい頃から世界を転々としていたの。今は路上ではなく公園なんかだから、こうしてテントを張ってのんびりやっているわ。もう私一人だから無理はせずなんだけど、今年は大きな花祭りでしょ、だからこうして新年から張り切って来たのよ」

「わあ、素敵。見ていっていいですか?」

「う〜ん、それがね……」


 アリソンさんの顔が曇った。


「困ったことになったの。私が使うストリートオルガンがね、使えなくなってしまったのよ」

「壊れたってことですか? 直せそうにはないんですか?」


 テオが心配そうに尋ねればアリソンさんがため息をついて首を振る。


「オルガンの方じゃなくてね、楽譜の方なの」

「え? じゃあ、図書館ですぐにコピーしてきます。ね、テオ、できるよね」

「ああ、大丈夫ですよ。俺、いってきますよ?」

「ありがとう、でもね、楽譜と言っても紙じゃないの」


 首をかしげる二人に、ルカさんが簡単に説明してくれる。


「それはね、木の楽譜なんだ。バレルと言って円筒状のものなんだ。最近では紙のものが主流だが、これは古いから……。それが今朝、バラバラになってしまったんだよ」

「ピアノは借りることができたの。だからルカがくるのを待っていたのよ。楽譜はないけど、半分だけならルカが弾けるから。後半は何かアレンジでもしてもらえばいいかと思ったんだけど……」

「う〜ん、顔を見るだけだと思ってたからね。列車を予約してしまったんだよ。エマがきてくれたからもしやとは思ったが、そうだった、楽譜がないんだ」


 楽譜の問題があるとしても、ピアニストが必要なのだと知ったエマは思わず聞いてしまう。


「何の曲なんですか?」

「我らが天使だよ」

「え! あっ、わ、私! 花祭りで弾くんです『我らが天使』。楽譜もここにあります。たしかフロシオンのものと一緒でしたよね」


 ルカさんは目を丸くして破顔したけれど、すぐに難しい顔になる。


「エマ、ありがとう。でも今回は二部目まで必要なんだ」


 その言葉にエマとテオは息をのんだ。テオがうわずった声で聞き返す。


「二部目? タフトの曲には二部目があるんですか?」

「ああ、あるんだよ。でも二部目はね、一般には普及していないんだ。よって楽譜は多分存在しない。あるのは、アリソンの家が代々受け継いできたこのストリートオルガンのものだけだと思うんだ。だからそれを弾くとなると難しい。私も聴けば分かる程度で、弾いたことはないんだよ」


 一部目はタイトルこそ違ったものの、旋律はまったく同じだったフロシオンとタフトの曲。まさか二部目があるとは知らなかったけれど、もしかしたら、とエマは急いで楽譜を取り出した。


「実は、今、二部目を練習しているんです。これです。見て下さい。フロシオンのものですけど……もしかしたら一緒かもしれませんよね」


 そう言いながら楽譜を二人に差し出せば、今度はルカさんたち二人が驚く番だった。


「楽譜があるだなんて、信じられない。そんなこと……」

「ああ、すごい偶然だよ、アリソン。私たちは本当に天使に出会ったのかもしれないよ」


 ルカさんがざっと楽譜に目を通していく。けれどすぐに怪訝げそうな表情になった。隣で覗き込んでいたアリソンさんに、最初の出だしを口ずさんで聞かせる。アリソンさんも首をひねっている。何が起きているのかとエマははらはらした。アリソンさんが申し訳なさそうに口を開いた。


「残念だけど、これは違うみたい」

「一部目はまちがいなく同じものだ。でもこの二部目は違う。なぜだろうか。まったく違うものなんだ」


 ルカさんの言葉にエマは肩を落とした。その横でテオが何やら難しい顔をしている。


「う~ん、聞かせたいわねえ」とアリソンさんが呟きながら、脇にあったバスケットを引き寄せる。そこには粉々になった木片が入っていた。おじいさんから受け継いだものだとアリソンさんが説明してくれる。もしかしたらおじいさんの代よりももっと古いものかもしれないと。

 ここ数年、アリソンさんも楽譜が劣化し始めているのには気がついていたのだ。近いうちにどこかでどうするか調べなくてはと思っていた矢先だった。まさかいきなりここまで壊れてしまうとは思わなかったのだ。


「今朝よりもひどくなっているわ。もうただの木片ね。まるで命が終わってしまったみたい。そろそろ森に還る時なのかしらね」


 アリソンさんが寂しげに言えば、このオルガン自体が年代物だから、今これを作れる人がいるかどうかも怪しいのだとルカさんが付け加える。


「こういう日がくることはわかっていたのよ。その時には紙芝居もやめて、溶けいるように消え去ろうと思っていたんだけど、実際にそんな場面に出くわすとそうは言えないわね。往生際が悪くなる。どうにかして残したい、届けたいって燃え上がっちゃうのよ。でも今回だけはダメかもね。ついにその時がきたと言うことかしら」

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