第20話 幼馴染と遠い日の約束

 バスケットを覗き込んだテオは体の底からなにか熱いものがこみ上げてくるような気がした。湧き上がってくる、せり上がってくる、何かが吹き出しそうだと思った時、胸のポケットが熱くなり、発光し始めた。


「テオ! 何? どうしたの! 光ってるわ!」


 エマが慌ててテオにしがみつけば、はっと我に返ったテオがポケットから何かをつかみ出した。それはキーホールダーだった。かつてエマが誕生日プレゼントとして贈った青いヨットがついたそれに、鍵ではなくてセレンティアの花がはさまれた小さな栞と花の形をした金色の貝が付いていた。その貝が光っているのだ。

 それを見たアリソンさんが息をのんだ。テオをじっと見つめ、大きく頷くと力強く叫んだ。


「今よ、叩き割って自分を取り戻しなさい」


 その言葉にテオの目が大きく見開かれる。その瞬間、テオはすべてを思い出した。熱に浮かされる前、遠いあの日、海辺のテントで自分が見たものを、約束した言葉を、すべて、すべて……。





 強い風が吹いていた。海からの強い風だ。一人その風に吹かれながら、テオは一本道を歩いていた。どうしようもない心を抱えたまま力なく進んでいると、やがて海辺に並ぶテントが見えてきた。何か大きな催し物をやっているようだ。興味はなかったけれど、時間を潰したかった。テオは一番端のテントへと足を運んだ。

 テントは思ったよりも大きく、中は薄暗い。スポットライトの下に何かが並んでいた。フラフラと近寄っていけば、それは金色の貝だった。薄いものも濃いものも、大きいものも小さいものも、たくさんの貝が光に照らし出されて光っているのだ。暗いテント内でそれは、天上に輝く無数の星を思わせた。


「ルルセラス?」


 添えられたカードの文字をテオは読んだ。手に取ってぜひご覧ください、そう書かれてあるのを続けて読んだテオはそっと左手を伸ばした。他意はなかった。一番近くのものにただ手を伸ばしただけだ。ところが指先がそれに届くまえに、テオは手の平に鋭い痛みを感じた。それは、何かが突き破って出てくるのではないかというほどの痛みだった。

 テオは左手を胸に抱き込んでうずくまった。すると痛む手の平が淡く発光し始めた。痛みが強まれば、光もそれに合わせて強くなる。気も遠くなりそうな痛みに襲われたテオは、このまま死んでしまうのだろうかと思った。それもいいかもしれない。テオは苦しみながらも薄く笑った。


(俺なんて、いなくなればいいんだ……)


 その時、バスケットを抱えた女性が奥の部屋からでてきた。倒れているテオを見つけると血相をかえて走り寄る。


「どうしたの? しっかりして? 坊や! どこか痛いの?」


 目をつぶってなにも答えないテオだったけれど、発光する手の平を見て彼女は何かを察したようだった。


「しっかりして。目を開けて。私を見るのよ!」


 それは穏やかでありながらも強い声だった。その声にテオがゆっくりと目を開けた。痛みは治まることなくテオを蝕み続ける。テオは歯を食いしばりながら声を絞り出した。


「このままにしておいて。俺も死ぬべきなんだ。死んだ方がいいんだ」


 まるで自分に言い聞かせるかのように呟くテオに、彼女はこの幼子の心が悲鳴を上げていることを知る。テオは自分を見つめる柔らかな青を見上げながら、まるで熱に浮かされたように続けた。


「いいんだ。このまま死んでも。クロエが死んでしまって、俺だけいるなんておかしいんだ。俺たち青い月の日の双子なんだから、一緒にいなくなってしまった方がいいんだ」


 テオを胸に抱いていた女性は、その言葉にはっとする。青い月の日の双子の呪い……この年でそんなものを背負い込んでしまっている少年が不憫でならなかった。さらには発光する手の平。どう見ても尋常ではない。

 苦しげに息をするテオはタフトでは見かけない金色の髪だ。きっとフロシオンのものだろうと彼女は推測した。とすればこの光は能力の発動? 世界を旅して多くの知識を持ち合わせる彼女には、納得できるものだった。

 本人もきっと理解していないだろう大きすぎる能力。過去に苛まされて、心身ともに限界の少年には、この力を制御することなど不可能だと彼女は思った。今まで多くの能力者に会ったけれど、これほどのものは見たことがなかったからだ。それが何であるか、彼女にもわからなかったけれど、明らかに異質なものであることは間違いない。


 荒ぶる力とでも呼べそうなそれは、偉大なる大自然の驚異のようにも感じられた。驚異、もっと噛み砕いて言えば、生と死をつなぐもの。とにかく途方もなく大きな力だった。

 持つ者が自分という核をしっかりと確立しない限り、本当のものにはならないだろうと彼女にはわかった。片割れをなくした少年は今、自分を消し去りたいと望んでいる。自信を持つどころではない。たとえ立直ったとしても、果たしてこの力を活かせるかどうかは疑問だ。けれどいつの日か、彼がすべてを受け入れ、この力を正当に使うことができたなら、それは歴史にも残るような素晴らしいものになるかもしれない……そう感じた彼女は心を決め、テオにそっと語りかけた。


「クロエもあなたにそうしてほしいだなんて思ってるかしら?」

「わかんないよ。だって、もういないもん」

「そうかしら。だってあなたの半分なんでしょ? だったら想いは一緒じゃないかしら」


 その言葉にテオが弾かれるように顔を上げ、彼女を見つめた。


「もしあなたが死んでしまって、残されたクロエが泣いていたらどうする? 自分も死んでしまったらいいんだって言ってたら、あなたはどうするの?」

「そんなのだめだよ! 死んじゃダメだ!」

「でしょう。そう思うでしょ。クロエもきっとそう思っているわ。だったら、彼女の想いに答えてあげて。彼女の分まで生きてあげなくっちゃ」


 涙いっぱいの瞳で彼女を見上げるテオは、その言葉に唇を弾き結び、頷いた。


「約束よ。強く生き抜いて。あなたらしく生きるのよ。その手、見せてごらん」


 テオはおずおずと光る左手を差し出した。時折痛みに顔を歪めてはいるが、先程までの痛みではなさそうだ。彼女は少なからずほっとした。もしかしたら、心の平定が痛みとリンクしているのかもしれない。


「フロシオンなの?」

「母さんが」

「そう。これはね、フロシオンの力よ。お母さんの町、緑豊かな綺麗な町に住む人たちの力。あなたの中にもあるの。でもちょっと大きくてね。今のあなたには苦しいわね。使えるようになるまでは大変かもしれない」


 テオは戸惑っているようだった。初めて聞かされた話なのだろう、しげしげと自分の手の平を見つめている。


「でもね、とても綺麗な力を感じるわ。きっと素晴らしいものよ。だから今は時間が必要ね。それが何なのか、あなたが自分で見つけて、それに負けないよう自信を持って歩き出せるようになるまで、その力をこの星が預かってあげるわ。ルルセラスよ。タフトの血も流れるあなたをきっと守ってくれる。約束の日までずっと。だから安心するといいわ。そしてね、その時がきたら、この固い殻を砕いて開放するの。あなたの力を、あなたの内側にしっかりと戻すの」


 ポケットに小さな星の形をした貝を入れ、テオは家へと歩き始めた。もう手の平は光っていない。行くときはあれほど吹いていた風が凪いでいた。同じくらいテオの心も凪いでいた。潮騒が、優しい声のようにテオの心に沁み渡る。クロエの分まで生きるのだと、何度も何度もテオは心の中で繰り返した。

 家に辿り着く頃にはすっかり日も落ちて、空には一番星が輝き始めていた。家の前でテオの帰りを待っていた母セシリアが走りよった瞬間、テオは意識を手放した。



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