第21話 幼馴染と解き放たれる力
「あなただったのね、テオくん。思い出してくれた? まさかフロシオンで再会するなんて思いもしなかったわね」
アリソンさんがテオを見て、エマを見て……そして頷いた。
「時がきたのよ。あなたはちゃんと自分を信じる力を取り戻し、運命に負けないでいたいと願い始めてる。そしてそれを支えてくれるもう一つの力がここにはあるわ」
心配そうにテオに寄り添うエマに、アリソンさんは優しく語りかけた。
「エマちゃん、私が出会った小さい頃のテオくんはね、自分の持つ大きな力に飲み込まれそうになって苦しんでいてね、だからルルセラスにそれを封じ込めたの。時がくるまで彼を守って欲しくてね」
その瞬間エマは、なぜテオの若葉が成長しなかったのかを理解した。テオが自分の力を認め制御できるその日まで、双葉の形でそれを守っていたのだ。微動だにしないのは当たり前だった。堅牢な砦のように、力を封じ込めることが仕事だったのだから。
それでも若葉は二人がはしゃぐ時には風にそよぎ、エマが降らす花に身を震わせたりした。それは、テオの心の機微を読み取って、少しずつその戒めを解く準備をしていた証だったのかもしれないとエマは思った。中庭で新たに芽吹いた時もそうだ。親友を得て、自分の能力と向き合って、テオが強い気持ちで歩み始めていたからこその変化だったのだ。
「そう、もう心配することはないわ。あなたは自分の力を自分でコントロールしていくことができるはず。もう根も葉もないことに振り回されたりはしない。もちろん、これからが本番よ。力が本物になるかどうか、それはあなた次第。テオくん、過去を叩き割って飛び出しなさい。自信を持ってあなたのすべてを開放する時よ。心を込めて握りしめれば封印は解けるわ」
光るルルセラスがその時を知らせているのだ。テオがクライブと読み解いた力が今解き放たれようとしている。エマがたまらずテオの腕にすがりつけば、テオは大丈夫だと言わんばかりにその頭を撫でた。アリソンさんに力強く頷き返したテオが、ルルセラスを手の中にしっかりと握り込んだ。
(俺はもうあの時の俺じゃない。大切なものはこの手で守り抜く。未来はこの手で作り上げる)
ルルセラスの熱がいっそう高まる。奥の奥から吹き上がる溶岩のように、押さえきれないものが押し寄せてくるのを感じた瞬間、手の平の貝が、自分の奥の殻が、砕け散るのをテオは感じた。一瞬気が遠くなりかけふらついたけれど、エマが腕を回してしっかりと抱きとめた。その温かさにテオの意識は引き戻される。
「エマ、見てて」
そう言うとテオはバスケットに手をかざした。金属片も混ざる木片が、ゆらゆらと揺れ始めたかと思ったら、集まって重なり合い、少しずつ広がっていき……やがて一本の木製の円筒になった。その表面には小さなピンがびっしりと並んでいる。古いストリートオルガン用の楽譜、バルクだ。
驚くエマたち三人にテオが、自分の能力は「再生」だったのだと説明する。親友のクライブと二人でその言葉にたどり着いていたけれど、まだまだ確証がなかった。どうやって確かめるべきか迷っていた矢先だったから、このバルクの再生がまたとない機会になってくれたとテオは晴れ晴れしい表情を見せた。「再生」などと言う、初めて聞く言葉に不安そうな顔見せるエマに優しく微笑みかけながら、テオはアリソンさんに向き直った。
「アリソンさん、俺の能力は一度暴走してエマを傷つけたんです。その頃、俺たちぎくしゃくしていて、エマを失うかもしれないと思ったら、胸が苦しくなって、感情が乱れて……そしたら手の平を突き破って芽が出てきて、あっという間に巨大化して棘いっぱいの蔓になって……暴れ出して、そして……」
アリソンさんは悲鳴を飲み込むかのように両手で口を覆った。代わりにルカさんが声を絞り出した。
「再生と破壊は背中合わせだからね。両方が同じ力で引き合わなければ大きな崩れを引き起こすだろう。破壊に引きずられれば、そこにあるのは永遠の深淵だ。人を狂わせる暗部がそこには横たわっている」
「はい。俺はそこにずっと囚われてた。暗闇に怯えて、その怯えがまた暗闇を膨らませ、いつまでたっても抜けだせない悪循環の中にいたんです。けれどようやくそこから這い上がれました。親友たちがそのままの俺を受け入れてくれて、認めてくれたからです。この力は恐ろしいものではなくて、すべてを闇ではなく光の中に開放すれば、今ある裂け目を埋めて芽生え広がることができるって、そうするために俺はここにいるんだって、そう言ってくれた。だから俺、覚悟ができたんです。ようやく、自分の力を信じることができました」
「ええ、ええ。そうね。それに……守りたい人がいることは何よりも強いわ」
アリソンさんの言葉にテオは頷いた。不安そうにしがみついたままのエマを抱き寄せる。
「この町にやってきたとき、俺はとんでもなく卑屈だったと思う。それでもエマはそんな俺を信頼してくれた、頼ってくれたんです。屈託なく笑って、言いたいことみんな言って、俺、どれだけ救われたか……」
テオの言葉に目を丸くして頬を染めるエマ。その細いカールの柔らかな髪をそっと梳きながらテオは続けた。
「エマといる時だけは素直になれた。気負わないで自由で、俺、毎日が楽しかったんです。クロエには怒られそうだけど、クロエのことなんかすっかり忘れちゃってた。みんながエマをクロエと比べていただなんて、考えもつかないほどに……」
自分を見上げるエマに、テオは頷きかける。
「まあ、幼かったんですね。考えなしだった。だからあれもこれも理解できるようになったら急に怖くなって、どうしていいのかわからなくなった。その結果、エマを傷つけた。俺、自分が許せませんでした。なのにエマは許してくれて、ずっとずっと、変わることなく俺を想ってくれた。俺はこの先どんなことがあっても、エマだけは守るって自分に誓ったんです」
「ええ。できるわ、きっと。テオくん、あなたは大きな波に翻弄される人生を、ちゃんと理解した上で受け入れた。力の制御はこれからだし、青い月の力もまだまだ影響するでしょう。だけどそれに向き合うための強さを手に入れた、頑張ったわね」
アリソンさんは途中から涙声になった。震えるその肩をルカさんがそっと撫でさすった。ルカさんの手に自分の手を重ねたアリソンさんが細く息を吐き出し、口を開いた。
「私たちの一族は世界中を旅した。そして、多くの場所での忘れられない出会いを書き記した。それをね、小さい頃から何度も読んだわ。喜ばしいものも悲しいものも苦しいものもあった。私たちはね、出会った人が抱えきれない大きなものを、家に残されているルルセラスで支えることができたの。どこでどう手に入れたのか、家にはルルセラスがたくさんあるのよ。きっとはるか遠い時間の中で、ご先祖さまの誰かが役割を請け負ったんでしょうね。それに関するものはなにも残されてはいないけれど、ルルセラスの伝説をルルセラスとともに伝えていくことが、我が家の役目だと代々伝えられてきたの」
テオもエマも静かにアリソンさんの話に耳を傾ける。広場に集う活気ある声が遠くなり、四人の周りには古の森の梢を揺らす音だけが響いているかのようだった。
「私が物心ついた頃には紙芝居というスタイルを取るようになっていてね、今持っているものもそれよ。すっかり古びてはいるけれど、ずいぶんと大きくて立派なもの。その時にはもう、ストリートオルガンも一緒だったわね。タフトにいる時期には何度も練習したわ。そしてろくに学校へも行かず、旅から旅。でも、そんな家に生まれたことが嫌ではなかった。ルカが支えてくれたから。だから私もまっすぐに、自分たちの役目について考えることが出来たの。いつか私もこのルルセラスで、出会った人を守りたいって」
あの日と同じように、柔らかな青の瞳がテオをまっすぐに捕らえた。
「テオくんとの出会いは、私にとっても大きなものだったの。けれど、小さなあなたにそれ以降会えなかったことで、私もまた不安を抱えたわ。あなたを不幸にしてはいないかって。心配でたまらなかった」
アリソンさんの頬を一筋の涙が伝っていった。小さなテオのことを、家族以外でこんなにも大切に思ってくれていた人がいただなんて……エマは胸がいっぱいになった。隣りのテオの温もりが愛おしかった。アリソンさんが守ってくれたからこそここにある。エマがそっとテオを見れば、彼もまた感無量といった顔をしていた。
「フロシオンの再生能力のことは、家族の古い日記にもあったの。あなたの力に触れた後に読む機会があってね、もしかしたらと思ったの。『再生』とは書かれていなかったけれど、多分同じものなのだと思ったわ。それは驚くべきものだった。それでもあなたに比べれば微々たるものだったのよ。だからこそあなたが心配だった。あなたはすでに双子の呪縛にも苦しめられていたし……」
言葉を切り、何かに耐えるような表情を見せるアリソンさん。ルカさんは目を閉じたまま、アリソンさんの手を握っている。タフトの町に生まれ育った二人だから、もしかしたら青い月の呪縛に苦しむ人を近くで見ることがあったのかもしれない。だからこそ、通りすがりの見知らぬ自分にも、あれだけのものを授けてくれたのではないだろうかとテオは思った。
「だけどこうして、あなたは私たちに奇跡を見せてくれた。ほら、バレルが見たこともないほどに輝いているわ。今削り出された木のようじゃない。これがあなたの力なのね。『再生』なのね」
「俺にもまだ、『再生』というものの全貌はわかりません。今だってきっと、ほんの少しの力が動いただけだと思うんです。でもエマがいてくれたから。エマは『開花』なんです。花を咲かせる。可能性を呼び寄せて働きかけるんです」
「まあ。『開花』だなんて、噂には聞いたことがあったけれど、初めてだわ。そうだったのね。ああ、やっぱり。あのね、エマちゃんを見たとき、テオくんはもう大丈夫だってそう思えたの。どうしてだかわからなかったんだけど、それが理由だったのね。テオくんの力を、同じような大きさと方向性で支えてくれる力なのね」
「ええ、大きな支えだと思います。まだまだ不安定な俺の力で、バレルがここまで再生されることは考えられないことですから。エマの力もまた、ここには集約されているんだと思います」
優しい優しい聖母のような微笑みを浮かべてアリソンさんが言った。
「古の力が今、また集うのね。何かが始まるわね、きっと。あなたたちにもルルセラスの物語を伝えておきたいわ。まだ知らないんでしょ? ぜひ紙芝居を見ていって、聞いていって。もちろんタフトの『我らが天使』の二部目もね」
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