第22話 幼馴染たちと海辺の町の物語1
「ああ、名残惜しいがそろそろ電車の時間だ。タフトへは長旅だからね、本数も少ないし、乗り遅れるわけにはいかないから、もう行くとするよ」
大花祭りにはまたくるというルカさんを見送って、二人はアリソンさんと一緒に紙芝居のテントへと入った。中は思った以上に大きく、入ったところには巨大なタペストリーが飾られていた。濃紺の海と墨色の空。きらめく無数の星がそのどちらにも散りばめられている。とても美しいもので、テオもエマも、まるで物語の中に舞い込んだかのような気持ちになった。
「素敵でしょ。私の自慢のタペストリーよ」
それはルルセラスの誕生を描いた絵からおこされたもので、オリジナルはタフトの美術館にあるのだとアリソンさんが説明する。彼女はその絵が大好きで、小さなポストカードを常に持ち歩いているのだ。
あるとき、彼女の紙芝居を見てくれた人たちの中に一人のタペストリー職人がいた。ルルセラスの物語にとても感動したその人は、自分にその世界を表現させてくれないかとアリソンさんに持ちかけたのだ。世界を旅するアリソンさんは、布ならどこへでも運んでいきやすいと大喜びで快諾した。
海を見たことがないというその職人に、彼女が持っていたポストカードを見せると、彼はその美しさに驚いた。そして、今まですべて自分の感性で作ってきたけれど、このように素晴らしいものに出合えたのも何かの縁だ、これをぜひ形にしてみたいと提案してくれたのだ。「その時の私の浮かれ具合がわかる?」とアリソンさんが茶目っ気たっぷりに笑った。
「このタペストリーも素晴らしいけれど、オリジナルもぜひ見てほしいわ。いつかタフトの美術館を訪れてみて。誰が描いたものなのかわからないのだけれど、本当に美しい絵なの。天使が描いたものじゃないだろうかって、小さい頃本気で思ったものよ」
さあ、こっちよ、とアリソンさんに手招かれ、エマたちはタペストリーの左手側に回り込んだ。タペストリーの裏側では、高い天井部分からつり下げられた分厚いカーテンがテントを二つに仕切っていた。右側が客席へ、左側が舞台裏へとつながっているようだ。三人が進んだ左側奥には、テーブルにソファ、小さな簡易式のキッチンなんかもあって、ちょっとした部屋のようになっていた。隅には細々としたものが積まれていて、その向こうにストリートオルガンがあった。そこに描かれた美しい雲の絵を見て、テオとエマは驚きを隠せなかった。
「これって! これってセレンティア物語じゃないですか!」
エマの問いにアリソンさんが「そうなのよ」と身を乗り出した。彼女がこれを初めて見たとき、なぜ海ではなくて空の様子が描かれているのだろうかと不思議に思った。ルルセラスといえば、タフトといえば海。その紙芝居のために用意されたものならば、海が描かれていて当然だと考えたからだ。
ストリートオルガンは代々受け継がれてきたもので、大事に大事に使われてきたもの。譲られたものだということはわかっていたけれど、詳細は明らかではなかった。けれどそこにはきっと深いわけがあるのだろうとアリソンさんは思った。素敵な物語が隠されているような気がしてならなかったのだ。だからこそここにある。今はそれだけでいいのだと思っていた。
「でもね、ルカが思わぬ手がかりを運んできてくれた」
「あ! もしかして!」
「そう」
あの日教会で、テオがルカさんに意気揚々と語った「セレンティア物語」。あれがすぐにルカさんからアリソンさんへと伝えられたのだ。そして「我らが天使」が同じものであったということも。その瞬間、ストリートオルガンに描かれていた風景が意味するものをアリソンさんは知ったのだ。
フロシオンにあったものではないだろうかとルカさんが言えば、アリソンさんも同意した。何らかの事情で、回り回ってアリソンさんの家にやってきたもの。もしかしたら元の持ち主は、自分たちと同じように伝承を扱い、広める役目を持った人だったかもしれない。それならば、自分たちはまた一つ想いを託されたのだとアリソンさんは思った。ただルルセラスの伝承を伝えるだけではなくて、そこに結びついたすべての想いも一緒に運んでいくのだ。
「私もすぐに読んだのよ。セレンティア物語。感動したわ。古の森のものも、ここへ到着してすぐに読みに行った。本当に素敵な話ね。だからオルガンを回すたび、二つの思いが交錯してとても幸せな気持ちになれたの」
「私もです。ルカさんにタフトのものと一緒だと聞かされて、あの後いつ聞いても二つの想いが重なるような気がしました」
「融合するのよね、そしてさらに広がる。調和が生む幸福な時間というところかしら。だからこそ、バルクが壊れてしまったときに諦められなかったのだと思うわ。二つを知ってしまったから、こんなところでまだ諦められないって思ったのよ。方法なんてなに一つ思い浮かばなかったのに。でも、あなたたちがきてくれた。ルカが話してくれたフロシオンの天使たちが、私のところにもきてくれたんだって、私本気で思ってるのよ。だって、ここは古の森ですものね」
「あ〜、エマは天使じゃなくて精霊なんですけどね」
「?」
「テオ! 余計な事は言わない! せっかく素敵な気分に浸ってたのに。まったく……」
その時、荷物の上に置いてあった時計がちりりんちりりんと鳴り始めた。どうやら時間のようだ。「すぐにお客さんたちもやってくるでしょうから、お手伝いをお願いしてもいいかしら?」と言うアリソンさんに二人は元気よく立ち上がった。
テオがストリートオルガン下の車輪についたストッパーを外し、そろそろと仕切りのカーテン脇に移動させた。アリソンさんが裏面部分を開くと鍵盤のように小さなレバーが並んでいるのが見えた。エマたちは興味深そうに覗き込む。バスケットに入れていたバレルを取り出したアリソンさんが「ここにこう、そこにこうよ」と説明しながらセットしていく。
「このハンドルを回すとバレルが回転するの。そうするとこのピンがレバーを押し上げて、そこにつながる空気弁が開き、パイプに空気が送り込まれて音になるっていうわけ」
「パイプオルガンなんかと同じ仕組みなんですね。小さいのにすごいなあ」
テオが目を輝かせて褒めればアリソンさんも嬉しそうに笑った。生まれ変わったバレルはなんだか誇らしそうで、エマはその早く音が聞きたくて胸を高鳴らせた。ストリートオルガンをしげしげと観察している二人を見て柔らかな微笑みを浮かべながら、アリソンさんは大きな布が掛けられたワゴンを押して客席側に消えた。
飴色に輝くストリートオルガンの四面には、ぐるりと雲の絵が描かれていた。柔らかなオレンジ色の雲の上に華やかな薔薇色の雲の上が、そしてその上にはっと胸を突かれるような純白の雲が広がっている。その雲の中を、金色の何かが緩やかな螺旋階段のように連なっている。
「これって、若者が登っていった雲の世界だよな」
「うん、沈む太陽と昇る太陽が作りだす雲の色だよね」
「……俺たちの絵本にはなかった絵だ」
「そうね、雲の下の絵がばっかりだったもんね。だけどすぐにわかったよ」
「ああ、俺も。この雲はあの天上だって。それでこの金色の階段みたいなのがきっと古のセレンティアだな」
雲の間に伸びる金色の何かは、天に届かんばかりにそびえ立つ古のセレンティアを二人に想像させた。
二人はその美しさを堪能しながら、ストリートオルガンの細部を見て回る。側面に取り付けられているハンドルは不思議なものだった。それはストリートオルガンよりもさらに濃い飴色に輝いていて、握る部分の下部には、枝のような根のような細いラインがいくつも伸びている。まるで美しい一本の木のようだった。そしてそのハンドルに小さいキューブがいくつも埋め込まれていたのだ。木から生まれた金色の輝き、それはまさにセレンティアの花ではないだろうか。
「ミッシェルがね、言ってたの。この木は天上への階段っていうかつながりで、植物というよりは界をつなぐ場所というか空間なんだって」
「ああぁ〜、いいこと言うなあ、ミッシェル。さすがあれだけの本を読み込んでるだけのことはある。古代語なんてわからないなんて言ってるけど、感覚で読めちゃうんじゃないか?」
「本当だよね。ミッシェルって本当は何歳なんだろうって私も時々思うもん」
二人がそう言って盛り上がっているとアリソンさんがカーテンのドレープから顔をのぞかせた。
「テオくん、悪いけどそこにある看板を表に出してくれる? それで準備は完了だから、あとは客席で待ってて」
「了解です。で、お客さんたちのチケットとかはどうすればいいですか?」
テオの言葉にアリソンさんが目を丸くする。
「そんなものないわよ。お金なんていらないの。聞いてくれる人がいるだけでいいんですもの。それでこのお話を好きになってくれたら、そんなに嬉しいことはないわ」
アリソンの思いがけない返事に、今度は二人が目を丸くする番だった。
「あら。意外だった? そうね、もちろん助けてくれる人もいるわ。お金で申し訳ないっていいながら渡してくれる人とかね。そんな時はありがたく受け取るの。好意の形は人それぞれですものね」
なんとも深い話だとエマは思った。さすがは世界を渡り歩いている人だと感心してしまう。
「アリソンさんってなんかすごいね。受け渡されるものの形は変わっても込められているものは一緒、かあ。達観してるというか超人的というか、ミッシェルやクライブは私たちの話なんか本にしないでアリソンさんのことを書けばいいんだわ」
エマがテオと一緒に看板を運び出しながらそう言えば、テオは何かを深く考えているようだった。
「テオ? 聞いてるの?」
「ああ、ごめん。聞いてるさ。アリソンさんは自分でも無意識のうちにすごいことをいっぱい受け取ってるんだろうなあて、俺も思うよ。さっきの話も……」
「さっき?」
「ほらあれ。二つの町の話。融合って……調和とか……なんかこう、う〜ん」
「そうね、ここへきて二つの町の結びつきがすごく深くなって、色々考えさせられるわよね」
二人が看板を立てれば、そわそわと遠巻きに見ていた子どもたちが走りよってきた。「始まりますよ〜」とエマが明るい声を上げれば、わあと歓声が起きて彼らはテントへ向かった。
「俺たちも行こう」
二人は手をつないで客席へと向かった。入り口のタペストリーをもう一度見れば、大きくまくり上げられた入り口からの光のせいだろうか、さっきよりもキラキラと星々が輝いている。テオが胸のポケットからルルセラスを取り出した。さっき砕け散ったものは、より一層深い金色へと生まれ変わったのだ。それをそっとタペストリーの輝きの上にかざせば、セレンティアとはひと味違う金色が、海辺の町の物語の始まりを告げているかのようだった。
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