エピローグ
大花祭りのコンサートから一夜明けて、エマとテオは親友たちと再び、古のセレンティアを見に行くことにした。客席が取り払われ、いつもの静けさを取り戻した古の森。さすがに大きなイベントの翌日で人の姿はなかった。五人は思い思い木の根元に寝転がり、全身で降ってくる花びらを受けとめながら、思う存分、金色の時間を堪能した。
「カイルおじさん、エマに感謝してるって」
頭の上から聞こえて来るセシルの言葉にエマが首を傾げていると、隣りに寝転がっていたミッシェルがエマの方を向いて続けた。
「ゲスト席にいたの見た? レーデンブロイの交易総合担当官。背がすごく高くて、瞳が氷河みたいで、首筋に猛烈綺麗な鱗がある人よ!」
「え! あの人がセシルのおじさんなの? うそ……。私、国際交流展の出店で会ったの。お茶のこと教えてくれて、先生への伝言も預かったのよ」
「ええ〜、本当に? すごい偶然。でも先生って、なにそれ、どういう意味?」
「ごめん、ごめん。ずっと言いたかったんだけど、タイミングがなくて……」
エマは紳士に出会った日の話をする。なんだか言葉の端々に引っかかりを覚えたこととか、先生の過去に関係があるのではと思ってお茶を渡せば先生が涙したこととか、コンサートの始まる前に二人が気づきあった時の様子とか、あれやこれや。途中から我慢ができなくなって起き上がっていたミッシェルは、話し終えたエマの二の腕を掴んで起き上がらせ、それを散々揺らしながら、大いに黄色い声をあげた。セシルがそこに割って入って得意そうに言う。
「エマ、正解! そう、トラヴィス先生がおじさんの大切な人だよ。僕、ずっと惚気られていたもん。ピアノが弾ける女はいいとか、フロシオンの女は美人だとか。だけど最後は決まってこう言うんだよ」
「?」
「俺の勇気が足りなくて、あいつを一人ぼっちにしたって。だから必ず迎えに行くんだって。ロマンスだよね〜。うちの両親も相当だけど、僕としてはカイルおじさんに一票かな。時間がさ、どんなにかかっても絶対に諦めないんだってその気概、すごいなあって思ったんだよね。誰かを想い続けるのって、すごいなあって。まあ、それがトラヴィス先生だって知ったのは昨日だったけどね」
ミッシェルがセシルをぐいと肘で押してのけ、再びエマに迫った。瞳が大いに潤んで恋する乙女のようだとエマは思った。常に斜め上を疾走するミッシェルが、何に恋しているのかはさっぱり見当がつかなかったけれど。
「うまくいってくれるといいね。トラヴィス先生、本当に美人だし、お似合いだと思う。それにバシッと意見を言うところとか、余計なことが嫌いなところとか、私的には最高、最強。ほんと、フロシオンを代表する女よ! レーデンブロイの男にはやっぱりフロシオンの女ね!」
鼻息荒く言い切ったミッシェルが、「セシルにも誰か、氷河も顔負けの冷静さを持ち合わせた切れ者を紹介せねば!」と張り切れば、「いやあ、そこは甘く優しいのをお願いしますよ」と懇願するセシルは今日も名コンビだった。なんやかんや言いながら、結局は「出来るクールビューティー」がセシルのタイプだったりするのは、他の四人ともがよく知るところだ。フロシオンとレーデンブロイというよりも、ばっさりと無駄を切り落とす強い女性を選ぶのは、ベレスフォードの血のせいじゃ……とエマが思ったことは内緒だ。
「あれ、待って。レーデンブロイの担当官って、王族じゃ……最初に紹介してたでしょ、カイル殿下って。みんなは盛り上がってたから聞いてないかもだけど、僕はミッシェルの勇姿を見てたからね、ばっちり聞いたよ。ということはなに? セシルのお父さんも王族? セシルは王子様? あっ! ああ〜、そうだよ! ベレスフォードって……!」
「あれ? 言ってなかったっけ。そうね、家系図的にはね。でもセシルのお父さんは次男坊で科学者だし、お兄さんがもう王様だから関係ないんだって。息子さんたちもいるしね。それにほら、相手がうちのベルおばさんよ。王族とか無理だから! 笑っちゃうわ。研究できなかったら暴れるよ? カイルおじさんもそうよ、みんな好きなことをやってるわ」
あっけらかんと言い放つミッシェル。テオたちが唖然としまくる脇で、セシルはのんきに笑っている。
「そういうこと。だからみんな、僕のことは今まで通りでよろしくね」
「なるほどねえ。セシルの王様ゴッコが違和感なかったわけがようやくわかったよ。この横暴さ、だけどそれが許されてしまう雰囲気は、生まれ持ったものだったからなんだね。セシル、すごいね! まあ、それだけだけど。だって、セシルはセシルだからさ」
「そうだよ、ゴッコで十分だ。セシルが王様なんかになってみろ。何かと大変だぞ」
「そうね、話は長いし、まどろっこしいし、それでいて肝心なこと言わないしね。国民は困っちゃうよ」
「……肝心なことをすっ飛ばすのはバルデュールの血なんじゃ……」
「うん? エマなんか言った?」
振り返ったミッシェルの笑顔が怖くて、エマはひきつりながら違う話題をふった。
「ううん。なにも。それより鱗って、セシルも持ってるんでしょ? テオが言ってた」
「まあね、僕のは肩にちょっぴりだけど」
「あれって、王家への忠誠心の大きさに比例するって聞いたけど。セシルんところはみんないい加減だからね。うんうん」
「いやいやいや、父さんのはすごいけど?」
「ふ〜ん、ロロおじさんはいい加減そうに見えて実はそうではないわけね。そうかそうか。本当はきちんとしてるんだ。カイルおじさんはちゃんと王族の仕事もしてるもんね、まあ、今回の訪問にはかなり私情が挟まれてたけど。で、セシルはちょっぴりと。ほ〜ら、やっぱりいい加減だとそういうことなのよ」
「ミッシェル、知ってた? 鱗って増減もするけど、移植もできるんだよ? お前の肩にも僕のを植えてあげようか!」
悲鳴を上げてミッシェルが走り出した。セシルがそれを追いかける。柔らかな緑をオーラのようにまとう二人はまるで森の番人のようだとエマは思った。「見てる分には綺麗なんだけどねえ、いいんだけどねえ」とクライブが苦笑しながら肩をすくませ、声を張り上げた。
「こらこら、二人とも騒がない。それよりもバルデュールの図書室に行こうよ。セシルの本も届いてるかもよ」
タフトの方言というキーワードに行きついて何かを感じたセシルは、すぐに両親に連絡を取ったのだ。家にある古代フロシオン語の本で、レーデンブロイの伝承が書かれているものを送って欲しいと。それがそろそろ着く頃なのだ。
「そんな本棚が家にあるとか、父親が古代フロシオン語を難なく読めるとか、こういう時は王族でよかったって思うよね」なんて言いながらセシルが笑えば、「うんうん、僕もよかったよ。古代フロシオン語の宝庫なんて財産を持つ、偉大な友人を持てて、本当によかった!」とクライブが心底嬉しそうに言うものだから、たまらなくなって全員が噴き出した。
そんなこんなで、賑やかな三人は先に森を抜けていった。テオとエマだけが金色の輝きの中に残される。
「赤紫の花、また見たいなあ」
「いつかまた巡り合えるさ」
大きな幹にもたれかかった二人が見上げれば、最盛期のセレンティアは惜しみなく、とびきりの金色を降らせてくる。十年に一度の特上品。それが嬉しくてエマが笑顔を見せれば、金色の花びらの中に大きな花が混ざって降り始めた。現れては光になって弾け、また現れて。「綺麗だね、想いが形になるって素敵だね」そう言ってエマが微笑めば、目を細めてそれを見ていたテオがそっとエマに口づけた。
「エマ、一緒に形にしていこう、いろんなものを。確か、花咲く時期にこの木の下する約束って叶うんだったよな」
頬を染めるエマに、そう囁いたテオがもう一度唇を重ねる。最初はついばむように優しく、それから何度も何度も。たまらなくなったエマがテオの首に腕を回してぎゅうと抱きつけば、彼らを取り囲む世界の色が変わった。
エマが降らせていた花の色が変わっていく……金色が少しずつ赤紫になって、やがてそれは二人の上に柔らかな暁の光のように降り注いだ。息をのみ、エマとテオは両手で一緒にそれを受け止める。
「「これ!」」
二人は顔を見合わせた。いつもは消えてしまう輝きが今日は違ったのだ。いつまでも手の中に何かを感じる。そっと指を開けば、そこには五つの種が残されていた。思わず感嘆のため息が二人の口から洩れる。想いが、新たな形を生み出したのだ。
「エマ、これを植えよう。俺たちの、新たな未来の始まりだ」
古の花の色は赤紫。それは精霊たちの瞳の色、花咲かなかった木に贈られた天使の心。いつの間にか変わってしまったけれど、いつだっていつだって、金色の輝きの中には最初の色が内包されていたのだ。そう、可能性は誰の中にも、何の中にも秘められている。それは始まりの証で、未来の世界を飾るかけがえのないピースだ。
「違うから、いいんだよね」
「え?」
「それは、私が私でテオがテオだってことだもんね」
「ああ」
二つの曲が響き合った時間が蘇る。古代の楽譜の秘密が教えてくれたこと。違うからこそ、混じり合って生み出される美しさがある。複雑だからこそ、何よりも固く結びつくことができる。どんな形をしていようと、己の存在を愛おしく想い続けたいと二人は思った。
遠い日、セレンティアを育んだ天使たちが伝えたかったことは、命あるものたちのそんな関係だったのかもしれない。尽きることなく二人の上に降り注ぐのは、そんな想いを宿す花なのだ。それは季節を超えて時間を超えて、彼らの心の中に常にあり続けるだろう。未来への道に、どこまでも掲げられているはずだ。
柔らかな木漏れ日の中にたゆたう古の森の晩春は、いつまでも覚めることのない美しい夢のように、テオとエマをそっと包み込んだ。
Fin
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