第26話 五人と古のセレンティア大花祭り 1
空は淡く柔らかな青だった。晩春の麗らかな午後。風に舞うセレンティアの金色の花びらと甘い香りが辺りを包みこんでいる。公園奥の古の森では式典に引き続き、コンサートが始まろうとしていた。古のセンティアに向き合うように小さなステージが用意され、奥まった部分にはゲスト席が、対面側の芝生と遊歩道には町の人たちのための席が並べられている。
古のセレンティアの環境を守ることが最優先のため、人数も客層も出来る限り制限されているのだ。けれど公園にはこの大花祭りを祝おうと多くの人が集っているし、主催者であるバルデュール家もできる限り多くの人にコンサートを聴いてほしいと思っている。だから彼らのために、多くのスピーカーが公園内に配置されているのだ。そして、公園の入り口ではすべての人にプログラムが配られた。
今年の最後のソリストはエマ・オルレリアン・ウェルズ。曲目は「我らが天使ー暁の約束 」。プログラムには、曲の説明が簡単に記されたあと『さらなる詳細は演奏前の紹介にて』とあった。どこにもテオの名前はない。エマはそれをじっと見つめていた。ミッシェルがそんなエマの肩にそっと手を置いて微笑みかける。エマは顔を上げ、、ミッシェルを心配させまいと頷き返した。けれどその微笑みは弱々しく、ミッシェルは胸を締めつけられる思いだった。本番まであと二時間。
「大丈夫、一人だって弾けるわ。そのためにトラィス先生と頑張ってきたんですもの」
エマの言葉に、すぐ脇で遊歩道の方を見ていた先生も力強く同意する。
「ええ。あなたなら大丈夫よ、エマ。この曲の持つ魅力を十分に伝えることができるわ。もちろん、テオくんが間に合えばより素晴らしいでしょうけど」
まだセシルやクライブも姿を見せず、ステージ付近に集まっていたルカさんもアリソンさんも不安そうだ。エマは彼らにも微笑みかけた。
「もう……こんな時までいい子でいないでよ……」
ミッシェルがそうこぼしながら、エマをぎゅうと抱きしめる。エマはミッシェルの温もりに深く息を吐き出しながら、アリソンさんのストリートオルガンを見た。この日のために丁寧に磨きがかけられ、輝く雲の美しさは際立っている。誰もが物語の世界に引きこまれることは間違いないだろう。麗しい古楽器もまた、己の命ともいえるバレルの到着を、今か今かと待っているかのようだとエマは思った。
バレルの再生自体は、もうすでに何度も成功していた。あとはそれがどれだけ持つか、持続時間の問題だった。本来ならほぼ永久的に持って当然なのだけれど、この楽器に関してはそう簡単ではなかった。アリソンさんいわく、それはあまりにも古いもので、己の寿命をわきまえている。だからテオの力にもすぐには答えられないのだ。もし演奏の途中に崩れてしまったら……それだけは誰にもわからず不安は募るばかりだった。そんなときセシルが言ったのだ。
「だったらだったでいいんじゃないかなあ、それが寿命ならばそうやって受け入れれば」
その言葉に誰もがはっとした。そうだ、無理矢理やり遂げる必要はないのだ。緩やかに消滅したいのだとそれが思えば、それに従うまでなのだ。「古いものには魂が宿るからなあ、想いは尊重してやるべきなのかもしれん」と言うルカさんの言葉に誰もが頷いた。
けれどプログラムを刷り上げる最後のタイミングになって、バレルは再び壊れてしまった。テオはステージを台無しにしてはいけないと、合奏の件は明記しないことを提案した。エマはひどくがっかりしたけれど、ミッシェルはその決断に頷いた。
それから二週間、どんなに心を込めても、木片は動く気配を感じさせなかった。これまでかと誰もが残念に思ったけれど、それが運命ならば受け入れるべきなんだろう?とテオは笑った。
「いや、待ってるのかもしれないよ?」
ふとミッシェルがこぼした。かつて焼け野原となったこの地に、多くの天使が別れを告げて天界に戻ったけれど、それでも諦めきれず種を蒔いた天使たちがいた。そして彼らはそれが芽吹き、もう一度緑を、花を、増やす日を待ち続けたのだ。もうすぐ、セレンティアの花が咲く。バレルはその時を待っているのかもしれないとミッシェルは思ったのだ。
「そうだといいな。古の森をもう一度、天界とつなぎたいと思ってくれるといいなあ」
セシルがそう言いながら、従妹の髪を撫でれば、どこかで一番目のセレンティアが咲いたのだろうか、甘い香りが流れ出してきた。
「ほら、咲くよ、咲き始めるよ。うん、戻ってきてくれるかもしれないね」
クライブの言葉にテオたちは古のセレンティアを見上げた。実はバレルが再び形になった時、彼らはそこにいくつもの欠けを見つけたのだ。それは再生を繰り返すたびに多くなっていった。戻れないものがあるのだと気がついた五人は、このバレルのために何かが必要だと感じたのだ。
古い古い叡智の塊のようなもの、想いを刻みつけて長い時間を生き抜いてきたもの。それに匹敵するものとなれば、誰の胸にも古のセレンティアしか思い浮かばなかった。しかし、木を切るわけにはいかない。若木ならミッシェルの手元にもたくさんあったけれど、それでは到底及びそうにもない。よい考えが浮かばないまま、五人は剥がれ落ちた古の樹皮を集めたりした。
「でもこれじゃあね、すでに枯れてるし、すぐに粉々になってしまいそうだよ」
残念そうにクライブがつまみ上げるそれを、ミッシェルはじっと目を凝らして見ていた。古の大木は若木とは似ても似つかない樹皮をしている。それは長い時間が作り上げた奇跡の形とも言える。木はそれを自らが剥がして落とすのだ。再生を繰り返し、枯れる気配を見せることのない木が、それでも樹皮を落とすのは、この世界に何かを残したいからなのだろうか……。
「花粉や種や、新しいものだけではない何か……」
ミッシェルの緑を感じさせる金髪が、緩やかに波打つ。まるで一本一本に意思があるようだ。「セレンティアにかける情熱がほとばしってるね」セシルがおかしそうに、愛おしそうにそれを見ていた。
「そうよ! 終わりゆくものの中にも可能性はあるんだわ! それをつないでいくべきなのよ!」
古のセレンティアを背に振り返ったミッシェルは、揺れる緑の髪も相まってなんだか神々しく、エマたちは思わず見惚れてしまった。
「こだわっていてはダメなのかも。古いものも新しいものも同じ一つなんだから。新しいものに頼るばっかりでも、古いものは特別だって切り離しちゃっても、大切なことが廃れていく一方なんじゃないかしら」
「古いものと新しいものの融合が、今まで以上のものを生み出すってこと?」
エマの言葉に頷いたミッシェルがきっぱりと言い切った。
「あの木片たちと、この樹皮と、私が育てた多くの花や葉っぱを混ぜよう!」
「ああ、いいね、それ。消えてゆこうとするものたちが持っている力や知識が、新しく歩き出そうとしているものに伝わるとか、まさに神秘だよね」
セシルが嬉しそうに同意すれば、クライブも笑顔で提案する。
「うん、バレルをただ再現するんじゃなくて、新しく誕生させるんだよ。元の姿にこだわるんじゃなくて、その知識を持った違う何かでいいんだよ」
古いバレルが何の木からできたものなのか、五人には知るすべはなかったけれど、今を生きる力として、新しい命をそこに投入することはできるのだ。かつてフロシオンにあったであろうと思われるストリートオルガンが、タフトのアリソンさんの家に贈られて、二つの想いをつないでいったように、今このタフト生まれのバレルに、フロシオンの息吹きを加えよう。形は変わっても想いは変わらない、だったらなおさら、今を詰め込もう、共に生きよう。五人は笑顔になって古のセレンティアを見上げた。
「みんなの想いはすべて預かった。あとは俺が頑張るよ。向き合ってみる」
テオの宣言にクライブががしっとその肩を抱き、セシルがわしゃわしゃと後ろからその髪を乱し、ミッシェルは手を叩いて喜んだ。エマがはにかみながらもテオの体に手を回し、その頬に唇を寄せる。恥ずかしがるかと思いきや、にやっと笑ったテオはすぐに向きを変えるとさっとエマの唇を奪った。
咲き始めた花をバックに大きな花が舞う。
「あ〜! やっぱり! 魔王だったわね!」
「どうなの、こういうの。こういう感動的なシーンでさ、テオは何? 僕らにケンカでも売ってるわけ?」
「まあまあ、ミッシェルもセシル落ち着こう。だから僕、言ったじゃない、こういうヤツなんだって」
みんなの言葉などどこ吹く風で、テオはエマのほっぺたに唇を寄せ続ける。ミッシェルは人差し指をびしっと突きつけた。
「はい、そこ! むやみに花を降らさないように。可能性の無駄使いはしないでください!」
「いいじゃない、減るものじゃなし。すぐに光に戻るんだし、逆に可能性を感じられてときめかない?」
「テオ……ホントに攻めるね、煽るね。ミッシェル、僕は寂しくなってきたよ」
首を振るミッシェル、項垂れるセシルの傍らで、クライブがくすくす笑いながら言う。
「まあ、そう言うことにしておこうか。前向きな気持ちはどんな時も大切だよ。これくらい俺さまなテオならきっと、このミッションはやり遂げられるよ」
「そうね、そうよ。花祭りでエマに悲しい想いなんかさせたりしたら……わかってるわよね」
「そうそう、僕らの努力も無駄にしないでよ? 花酒一本じゃ足りないからね」
「はあ、花酒? 結局そこなんだ。まったく、セシルはセシルで俺さま間違いなしだね。僕は自分の普通さが嬉しいよ」
誰の胸にも不安はぬぐい去れず残っていたけれど、彼らはそれでもいつものように騒いで笑って明日を向いて歩いていくことを選び取ったのだ。今は信じて進むだけ。能力という、現実世界における曖昧なものを、どこまで自分たちのものとして活かせることができるのか、それはフロシオンとしての自分たちの役割なのだとミッシェルもクライブもエマも思った。テオもセシルも、自分たちの中に流れるものを感じずにはいられなかった。五人の頭上には次々と光の花が咲き始めていた。花祭りまであと一週間。
そのあとテオからの連絡はなく、エマは不安な気持ちを払拭すべく、ピアノの練習に打ち込んだ。自分の気持ちや解釈というよりも、この曲の中に流れるものを掬い取り、素直に届けたいと思うのだ。それがピアノという手法を与えられた自分の役割なのだと思う。
はるか昔から脈々と受け継がれてきた二つの町の何かが融合し、今という時代の中に蘇るのだ。そこには何があるだろう。どれだけそれを伝えることができるだろう。胸の震えは不安だからじゃない、未来への武者震いなのだとエマは自分に言い聞かせた。
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