第24話 幼馴染たちと海辺の町の物語 3

 ________波打ち際に咲く花がある。それは黄金の小さな貝の欠片たち。遠い昔、天使が編んで空に飾った星の名残。時を経て流れ星になったものが海に落ち、貝になって波に洗われ、長い時間の末に花になったもの。人々の幸せを願って編まれた星には天使の想いが宿る。それは決して消えることなく、海の花に姿を変えたのちも夢を叶える力としてあり続けるのだ。ルルセラス。いにしえの言葉で始まりの花。その輝きに、たった一度きりの尊い約束は果たされる________


 ストリートオルガンが回された。「我らが天使ールルセラスの伝説」一部目。きれいな絵を見ながら聞くその曲は、より深く物語の中へと観客を誘う。曲は「暁の約束」と同じもののはずなのに、エマにはそれがまさに海の上に広がる天界のように感じられた。けれど穢れなき清らかさが満ちあふれているそれは、フロシオンの上に広がるものと同じだ。自分たちの住む大地の上の空は一つなのだと語りかけられているようだ。軽やかで楽しげで、でもどこか切なげなストリートオルガンの音にエマたちは酔いしれた。


 柔らかなアリソンさんの声、潮騒のようなタフトの方言。物語が進み、空はいつしか海になり、現れ出た若者も娘も、その生き生きとした様がまるで目の前で繰り広げられているかのようだ。いつか一緒にきみの生まれた町に行こうと若者が言い、娘が嬉しそうに笑う。ええ、私が大好きな花を、あなたにも見てほしい。その言葉に、集う子どもたちみな、セレンティアの花を思い浮かべただろうとエマは微笑んだ。ルルセラスとセレンティア。金色の輝きをもつ二つは、形こそ違えどあふれ出すものが本当によく似ている。


 二人が浜辺に並んで座り、沈む夕日を見つめるシーンの中、いよいよ二部目の演奏が始まった。それは明るく開放的で、知っていれば一緒に歌いたいほどだとエマは思った。それは「我らが天使ー暁の約束」の二部目を弾いた時と同じ気持ちだった。


(まったく違う曲なのに、同じ気持ちにさせられるなんて……)


 何かが自分の中に膨れ上がってくるような気がして、エマは思わずテオの手を握った。見上げれば、テオも複雑な表情をしていた。遠いところにあるものを、目を細めて一生懸命確認するような……。

 テオの脳裏を「タフトの方言がなぜ手紙の中にあったのか」という問いが回り続けていた。久しぶりに聞くタフトの方言に、心の中にさざ波が立つ。タフトの町、タフトの言葉、タフティアンの想い。二部目の旋律と相まって、テオの中に何かが生まれ出ようとしていた。


 やがて曲はクライマックスへと向かっていく。テオもエマも聞き漏らすまいと耳を傾けて、掴めそうで掴めない何かを見つけようと集中した。その時、不意に音は止まったのだ。まるで弾ける泡のように。いや、空高く放り投げられたとでもいうべきか。けれど「めでたしめでたし」と結ばれれば、それは意表をついた演出で、誰もが納得して笑顔で手を叩いた。素晴らしい物語の最後だと頷きあった。

 アリソンさんがオルゴールを押して幕の後ろに消えた後も拍手は鳴り響いた。多くのこどもたちが頬を紅潮させて、セレンティア物語にも似たこのお話を褒め称えている。タフトの町にいつか行ってみたい、ルルセラスをいつか探してみたい、そう思っているだろうことが手に取るように伝わってくる光景だった。


(もしかして……! この曲も未完?)


 そんな中でエマは気がついたのだ。「我らが天使ー暁の約束」のようにタフトバージョンにも三部目があるのかもしれない。エマは今しがた聞いたばかりの二部目をもう一度脳内で再現した。人々が席を立ち始める中、エマはそれでもまだ旋律を追い続ける。やはり似ていると思った。親しみがあって、どこまでも陽気で朗らかで、ちょっと切なくもあるけれどそれが胸にジンと染み込んで、とにかく豊かな感情表現なのだ。


(ああ、二部目は本当、人の世界みたい……)

「人の世界……」


 思わずこぼれ出した自分の言葉に驚いたエマは、続く肩への衝撃にさらに驚かされた。目を瞑って音の中にいるエマを心配そうに観察していたテオが、その言葉を聞いた途端エマの肩を掴んだのだ。


「エマ……もしかして……大いなる融合って、結びつくものって、人の世界の想いなのか?」


 フロシオンとタフト、なぜ二つが結びつくかはまだわからないけれど、もしこの二つが結びついたらどうなる? 二部目と二部目が結びついたら何が起こる? 二人の中に同じ答えが湧き上がってきたのはいうまでもない。客席を飛び出した二人は出口に向かうお客さんたちを掻き分け、裏口に回った。一番奥に、ストリートオルガンの前にいるアリソンさんの背中が見えた。


「アリソンさん! それ」

「うん? あっ!」


 振り返ったアリソンさんの手にあったものは崩れ落ちていこうとする物体だった。エマがすかさずバスケットを差し出して受け止める。バレルは音を立てて砕け散り、三人の前で再び木片に戻ってしまったのだ。


「すいません、俺の力がまだまだ足りないばかりに」


 がっくりとうなだれるテオにエマは言った。


「せっかちね。今日の今日でなんでもできちゃうかもしれないと思ったの? 俺さまにもほどがあるわよ」


 軽快なエマの言葉にテオが苦笑しながら顔を上げればアリソンも続ける。


「そうよ、これからよ。それにテオくんは今日の舞台を成功させたわ。それがたとえ一瞬のことでも、できることを教えてくれたのよ。それは、もう一度取り戻すことだってできるっていうことなのよ」


 「再生」が何であるのか、どこまでできるのか、今始まったばかりなのだ。テオの青い瞳が、力を取り戻して再び輝き始めた。三部目がなんであるのか、自分たちが掴んだ答えはきっと間違っていない。フロシオンの二部目とタフトの二部目が一緒になって三部目が現れるのだ。アリソンさんも大いに納得してくれた。あとは取り戻すだけだ。エマが顎を反らし、得意そうに言った。


「それにね、聞いてくれる? 私ってすごいわよ。もしかしたら天才かも。あの曲はもうちゃんと頭の中にあるの。それにピアノを合わせて弾くことくらい、なんてことないわ! 人には聞こえないけど、私の中ではもう立派に連弾として鳴り響いているんだから。今、フロシオンの二部目を弾いたら、それは昨日までとは全然違うものになるってわかる。解釈がまるっきり違うんだもん。納得のいかなかった部分も今ならすんなりわかるわ」


 アリソンさんも大きく頷いていた。彼女もまた、なにやら感じるものがあったのだ。海辺の町には船乗りたちが作った歌がたくさん残されている。大海原の上で、即興で作られたものには突拍子もないものも多く、陽気に歌っていたかと思ったら突然終わってしまうものとか、まったくもってでたらめなのだけれど、そこにはなんともいえない味わいがあった。この二部目もそんな類いだろうかと思っていたけれど、あまりに完成された一部目を知っている身としては、そこに何かが隠されているような気がしてならなかったのだ。


「タフティアンは、フロシオンから見ればずいぶんと刹那的でしょうね。でもきっと何か通じるものがあるのね」


 青き月の日の双子の話もそうだけれど、タフトには不完全を悲しみつつも、それが運命なら仕方がないとあきらめて抵抗せず、ただただ受け入れてしまう傾向があるのだとアリソンさんがテオたちに説明する。徹底的に掘り下げて答えを見つけ出し、そこからできる限りの希望を見つけ出そうとするフロシオンとは対照的だ。環境が厳しく、人の生死も自然の中に任せなければいけない海辺の町には、その時その時を楽しく生き抜こうという想いが強かったのかもしれないと耳を傾ける二人は思った。

 真逆のような二つの町であったけれど、そこには古くから深い交流があった。結びつかずにはいられない何かが存在したのだ。この二つの町の二つの物語が、曲が、重なりあわされれば、そこには古代の人々の想いが浮かび上がってくるのではないだろうかとエマは思った。タフトとフロシオンに限らず、見た目も文化も生き方も違う人たちが、けれど互いに手を取り合い、尊重しあって結びついて……その先で得るものはきっと、この世界などという小さな枠を超えていけるものでないだろうか、エマはそう感じずにはいられなかった。


「私が弾くことを許されたこの旋律は、光の螺旋階段だと思うんです」


 エマは心の底から湧き上がってくる想いを言葉にする。螺旋階段、それははるか彼方に燦然と輝く天上と自分たちの世界を結びつけるもの。フロシオンにとってのセレンティアの花咲く大木であり、タフティアンにとってのルルセラスを生み出す流れ星。この地上のどこからであろうとも、空へ向けられた想いはきっと同じように純粋で美しいのだと、そう思ったのだ。

 二つの曲の結びつきは一つの例えだ。それは世界のすべての町に、人に、当てはまることだと、その調和が教えている。エマの耳にはもうすでにその和音が響いていた。もしこの木片がもう一度バレルに戻ることがなくても、自分はすべての想いを引き受けて、二部目を弾ききるのだと、エマは心に誓った。

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